レスラーノート

愚乱・浪花

本名:木村吉公
1977年2月15日
栃木県下都賀郡出身
178cm 97kg
血液型:B型

タイトル歴
中米ミドル
得意技
セカンドロープ上のカニ歩き
ドライバー・ザ・ナニワ

入場テーマ曲はキダタロー「かにの網元」(かに道楽のテーマ)。 92年にユニバーサル・プロレス入門。みちのくプロレスに移籍後、

1993

93年6月2日、大阪府立臨海スポーツセンターにおける獅龍戦でデビュー。デルフィン軍団の一員として頭角を現す。

1995

95年7月に覆面ワールドリーグ戦に参戦。7月27日、矢巾町民総合体育館大会での公式戦でザ・グレート・サスケと対戦。場外への雪崩式フランケンシュタイナー、リングに上げての雪崩式フランケンシュタイナーを決め、20分31秒、ドクターボムで勝利した。8月25日、青森県営体育館大会で覆面ワールドリーグ戦最下位決定戦としてマスクをかけてゴルゴダ・クロス(ジェリー・リン)と対戦。マスクを完全に剥ぎとられ、イスの上へのパイルドライバーで流血させられ大苦戦するが、ローリング・バック・クラッチを切りかえして逆転勝ち。12月13日、両国国技館でのスーパーJカップ2に出場。1回戦でダミアンと対戦し、6分36秒、ウラカン・ラナで勝利。2回戦でライガーと対戦。試合前にドロップキックで奇襲してから鉄柱越しのプランチャを決め、ドクターボムでカウント2まで追いこんだが、9分13秒、フィッシャーマン・バスターに敗れた。

1996

96年7月31日、大館市民体育館大会でケンドーの中米ミドル級王座に挑戦。16分3秒、片エビ固めを切り返しての片エビ固めで勝利。中米ミドル級王座を獲得した。8月3日、郡山セントラルホール大会で獅龍を相手に防衛戦。17分14秒、ドラゴンスープレックスに敗れて王座転落。8月14日、鶴岡市民体育館大会でパンテーラのスーパーウェルター級王座に挑戦。16分22秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。12月1日、代々木競技場第二体育館での「INOKI FESTIVAL」でウルティモ・ドラゴンの8冠統一王座に挑戦。場外への雪崩式フランケンシュタイナーを決めるなど健闘したが、12分29秒、ランニング・ライガーボムに敗れた。12月5日、福井市体育館大会で新崎人生と対戦。7分56秒、パワーボムに敗れた。

1997

97年3月1日、大阪府立臨海スポーツセンター大会のメインでTAKAみちのくと対戦。17分22秒、旋回式ドクターボムで勝利。3月5日、徳島市立体育館第2競技場大会で新崎人生と対戦。21秒、ラリアットで奇襲をかけたがトラースキックをくらって強引に片エビ固めに押さえこまれてフォール負け。マイクで再試合を直訴し、11分43秒、パワーボムに敗れた。5月には新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに初出場し、高岩から白星を奪った。7月26日、メンズ・テイオーとの試合中に右足首を負傷。その後、長期欠場。

1998〜

98年1月10日、ペンシルベニア州フィラデルフィアに渡米し、ECWのECWアリーナ大会で復帰戦。グラン浜田と対戦して敗れた。6月に全日本プロレスに初登場。 長期欠場から復帰戦の00年8月よりフリーとなる。10月から全日本プロレスに登場した。 01年5月、新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦。 02年5月10日、大阪府立体育会館第ニ競技場大会で世界ジュニア王者のケンドー・カシンに挑戦。14分24秒、腕ひしぎ逆十字固めで敗れた。 03年4月12日、日本武道館大会でグラン浜田と対戦。5分47秒、雪崩式の浜ちゃんカッターに敗れた。その後、長期欠場。 05年12月9日、後楽園ホールでの「インディー・サミット」で、デルフィンの試合中に乱入。 06年10月9日、大阪プロレスに初登場。同年5月から12月まで、新日本プロレスの「WRESTLE LAND」に8大会連続で出場し、主につぼ原人を相手に第1試合で活躍した。 09年9月27日、DDTの後楽園ホール大会でグラン浜田、中澤マイケルと組んで澤田、タノムサク鳥羽、趙雲子龍組と対戦。9分55秒、趙雲子龍のリバース・ゴリー・ドライバーに中澤が敗れた。10月3日、みちのくプロレスの新木場1stRING大会でサスケと対戦。8分10秒、卍固めに敗れた。 10年10月6日、心筋梗塞のため死去。