レスラーノート

キラー・トーア・カマタ

KILLER TOR KAMATA

本名:マクロナルド・ケリー・カマタ
1937年3月9日
ハワイ州ホノルル出身
185cm 140kg

通称
流血大王
タイトル歴
AWA世界タッグ
北米ヘビー
PWFヘビー
WWCプエルトリコヘビー
得意技
ダイビング・ボディプレス

日本各地でケンカファイトを繰り広げた悪役レスラー。高校時代はアマレスで活躍。22歳で空軍に入隊。トルコに駐留後、58年にエド・フランシスにスカウトされてプロレス入り。キング・イヤウケアら共にハワイで活躍。デビュー当時は日系の大物レスラー、ミスター・モトにあやかってドクター・モトを名のる。67年12月にイリノイ州シカゴでミツ荒川とAWA世界タッグを獲得。コンビ解消後カマタに改名し、カナダに進出。72年に北米ヘビー級王座(カルガリー版)を3回獲得。カルガリー地区ではブッチャーと抗争。75年5月に国際プロレスに初来日。開幕戦からストレートの反則負けで大暴れした。国際プロレスではラッシャー木村と抗争。激しいラフファイトから「流血大王」の異名がつけられた。75年6月6日に金網デスマッチで木村のIWA王座に挑戦し14分59秒、KO負け。6月8日にも金網デスマッチで対戦し、10分18秒、逆エビ固めに敗れた。6月10日に金網チェーンデスマッチで木村と対戦し、18分47秒、逆エビ固めに敗れた。76年3月11日、金網デスマッチで木村のIWA王座に挑戦し10分20秒、逆エビ固めに敗れた。5月22日、プエルトリコのWWCでWWCプエルトリコヘビー級王座を獲得。78年5月に全日本プロレスに初登場。6月1日、秋田市立体育館大会でジャイアント馬場のPWF王座に挑戦。反則勝ちで勝利。いきなりPWF王座を馬場から奪取し、馬場の防衛記録を38回でストップさせた。6月12日、初防衛戦でビル・ロビンソンに敗れて王座転落。79年4月のチャンピオンカーニバルではブッチャーとのカルガリー抗争が再燃。81年7月4日、後楽園ホール大会で馬場のPWF王座に挑戦。フライングボディプレスをかわされたところでセコンドのグレート・マーシャルボーグが馬場を攻撃し、7分2秒に反則負けに終わった。いったんリングを降りると物静かな紳士で、ビーズ細工を趣味にしていた。07年7月23日、カナダ・サスカチュワン州サスカトゥーンで心臓発作のため死去。