大木金太郎の末弟として金一道場に入門。77年夏、全日本プロレスに金光植の名で留学生として来日。78年2月の全日本、韓国・金一道場、国際の対抗戦では、韓国軍団の3番手として18日から21日まで日本人選手と対戦した。第1戦で
伊藤正男に反則負け。第2戦で
呉大均と組んで
マイティ井上、
寺西勇組に敗退。第3戦で
天龍に敗退。このシリーズ終了後も日本に残留し、トレーニングをした。その後、アメリカに遠征し、ロサンゼルスでキラー・キムとして活躍。82年9月17日、ブラック・ゴールドマンを破りアメリカス王座を獲得。83年5月にキラー・キムとして全日本プロレスに登場。