レスラーノート

ジョニー・スタンボリー

JOHNNY STAMBOLI

1977年4月20日
ジョージア州アトランタ出身
188cm 113kg

タイトル歴
WWEハードコア
WCW世界タッグ
WCWハードコア
HWAヘビー IZWヘビー
得意技
アバランシュホールド

WCWパワープラント出身。ポール・オンドーフらの指導を受けた。99年、WCWでデビュー。ビッグ・ヴィトーと共にイタリア系アメリカ人のタッグチーム「ママルークス」を結成。ジョニー・ザ・ブルのリング名で活動。00年、チャック・パルンボ、ショーン・オヘアらと共にナチュラル・ボーン・スリラーズを結成。01年、WWFと契約。WWFの2軍団体のHWAで再修行。 02年6月30日、ジョニー・スタンボリーの名でデビュー。以降はスマックダウン所属となり、ナンジオ、チャック・パルンボら同じイタリア系選手と共に、ヒール・ユニットのFBI(フル・ブラッド・イタリアンズ)を結成。ジ・アンダーテイカーらと抗争。 04年7月16日、日本武道館でのWWEの日本公演に来日し、ヌンジオと組んでポール・ロンドン、ビリー・キッドマン組のWWEタッグ王座に挑戦。7分18秒、ロンドンの450°スプラッシュにヌンジオが敗れた。7月17日、同会場での2日目でマーク・ジンドラッグと対戦。8分20秒、前方回転エビ固めを押しつぶされてフォール負け。同年、WWEを離脱。10月1日、全日本プロレスの両国国技館大会でマスクマン「GREAT MUTA」として登場。ラブマシンズの一員として全日本プロレス本隊と抗争する。11月21日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦にラブマシン・スティール(ジム・スティール)と組んで参戦。開幕戦の後楽園ホール大会でラブ・マシン・スティールと組んで武藤敬司西村修組と対戦。MUTAがシャイニング・ウィザードで武藤に勝利。試合後の控室で、武藤が「グレートムタ、呼んでくるぞ」とコメントした。リーグ戦は2勝2敗に終わった。12月5日、両国国技館大会でムタと対戦。11分、シャイニング・ウィザードに敗れた。 05年1月2日、後楽園ホール大会で試合前にマスクを脱いで、本間朋晃と対戦。3分42秒、リフトアップからのアバランシュホールドで勝利。その後はジョニー・スタンボリーの名で出場し、TARUと共闘。2月、チャック・パルンボが加入し、チーム名が「ブードゥー・マーダーズ」と発表された。2月10日、本渡市民センター大会で平井伸和と対戦。9分35秒、リフトアップ・アバランシュホールドで勝利。3月20日、後楽園ホール大会でチャック・パルンボと組んで太陽ケア、ジャマール組の世界タッグ王座に挑戦。26分44秒、ジャマールのフライングソーセージにスタンボリーが敗れた。8月30日、旭川地場産業振興センター大会で諏訪間幸平と対戦。9分59秒、TARUの乱入により反則負け。10月2日、WRESTLEー1の国立代々木競技場・第1体育館大会でチャック・パルンボと組んでババ・レイディーボン組と対戦。14分19秒、3Dにパルンボが敗れた。この大会を最後に全日本プロレスを離脱。その後、NWE、CMLLなどを転戦。 07年1月、アリゾナ州のIZWでレッドラムという怪奇派マスクマンとして活動。11月、TNAに登場。マスクマンのレリックとしてハードコアマッチなどに出場。11月15日、TNAの放送でアビス、ブラック・レインと3WAYマッチ。アビスのブラックホールスラムにレリックが敗れた。11月22日、TNAの放送でライノと対戦。ゴアに敗れた。11月29日、TNAの放送でライノと対戦。ゴアに敗れた。12月13日、TNAの放送でカズと対戦。ウェーブ・オブ・ザ・フューチャーに敗れた。 08年2月14日、TNAの放送でエリック・ヤングと対戦。ラリアットで勝利。2月21日、TNAの放送でカズと対戦。コブラクラッチを決めたが、コーナーを蹴られて倒されて、後転されて押さえこまれてフォール負け。6月、TNAを離脱。その後はAAAやルチャリブレUSAなどを転戦。