レスラーノート

カネック

CANEK
1952年6月19日(54年説あり)
タバスコ州フロンテーラ出身
183cm 110kg

通称
プリンシペ・マヤ(マヤの王子)
タイトル歴
UWA世界ヘビー
ナショナル・ライトヘビー
得意技
リフトアップ・バックブリーカー
フライング・クロスチョップ
フライング・ボディプレス

タバスコ州ビジャエルモサでルチャを習う。71年、プリンシペ・アスールの名でデビュー。73年1月、遠征してきたスギ・シトに、メキシコシティでの修行を薦められる。3月7日、メキシコ連邦区に到着。スギ・シトがコーチをしていたハム・リーのジムでトレーニングを開始。ハム・リー、スギ・シト、シャディト・クルスから指導を受ける。週刊「ルチャ・リブレ」のバレンテ・ペレス編集長に改名を薦められ、カネックに変身。73年3月24日、カネックとして、エル・トレオの闘鶏場で、ペレスがプロモートする大会に登場。トニー・サラサールと組んでエル・コンドル、エル・リンセ組と対戦した。その後、試合を行わずにハム・リーのジムで練習を続ける。特別講師として元NWA世界ミドル級王者のローランド・ベラの教えも受けた。ベラの提案で74年5月にモンテレイ地区で1試合を行い、その後も試合をせずにトレーニングを続行。 75年1月29日、パラシオ・デ・ロス・デポルテスで開催されたプロモシオネス・モラ(後のUWA)の旗揚げ戦に出場。セミファイナルでドレル・ディクソン、スニー・ワー・クラウドと組み、ミル・マスカラスエル・ソリタリオレイ・メンドーサ組と対戦。以後、モンテレイに移動して北部をサーキット。UWAの次期エース候補として実力を磨く。11月23日、モンテレイでスニー・ワー・クラウドとのマスカラ・コントラ・カベジェラに勝利して注目を浴びる。 76年12月17日、モンテレイでホセ・トーレス(後のスペル・マキナ)を破り北部ヘビー級王座を獲得。 77年3月27日、ルーベン・フアレスとのマスカラ・コントラ・カベジェラに勝利。その後、メキシコシティに転戦。メキシコ遠征していたリング・フヒナミ(藤波)と抗争を展開。9月25日、ビジャエルモサでルー・テーズのUWA世界ヘビー級王座に挑戦。 78年1月15日、エル・トレオでドクトル・ワグナーを破りナショナル・ライトヘビー級王座を獲得。2月19日、シウダ・フアレスでドス・カラスを破り初防衛に成功。3月に新日本プロレスに初来日。初来日時の最終戦に藤波との対戦が決まっていたが、当日、カネックが失踪したことにより中止になった。本人いわく、リング上でマスクを取るように言われていたからとのこと。マスクを脱ぐことは契約にはなかったし、メキシコで覆面剥ぎマッチをやれば必ずつく特別手当がなかったので試合に出なかった。帰国後に謹慎処分を受ける。謹慎期間中に、ハム・リーのジムでカール・ゴッチのコーチを受けた。6月20日、パチューカでドス・カラスに敗れてナショナル王座から転落。8月27日、パラシオ・デ・ロス・デポルテスでルー・テーズを破りUWA世界ヘビー級王座を獲得。以後、UWAの帝王となる。10月、パチューカでテムヒン・エル・モンゴル(キラー・カーン)を破り王座防衛に成功。 79年4月22日、エル・トレオでアントニオ猪木のNWFヘビー級王座に挑戦し、敗れた。4月27日から始まった新日本プロレスの第2回MSGシリーズに参戦。予選トーナメントで藤原喜明に勝利して決勝リーグに進出。3勝5敗1引き分けに終わった。12月17日、パラシオ・デ・ロス・デポルテスで長州力を破り王座防衛に成功。12月23日、エル・トレオでタイガー・ジェット・シンを破り王座防衛に成功。

1980〜1989

80年1月17日、メキシコシティでタイガー・ジェット・シンに敗れてUWA世王座から転落。 81年2月15日、エル・トレオでシンに勝利して王座奪回。3月22日、エル・トレオでストロング小林に勝利して防衛に成功。3月23日、プエブラでストロング小林に勝利して防衛に成功。5月にはビル・ロビンソンを相手に5度の防衛に成功。試合以外にもビル・ロビンソンのレスリング教室に通って技術を磨いた。11月、新日本プロレスに来日し、スペル・マキナと組んでMSGタッグリーグ戦に出場。8敗1不戦勝に終わった。12月8日、蔵前国技館大会でタイガーマスクと対戦。11分36秒、両者リングアウトに終わった。 82年7月23日、長州力に敗れて王座転落。9月26日に長州を破り王座奪回。 83年5月1日、藤波に敗れて王座転落。6月12日に藤波を破り王座奪回。 84年1月15日、エル・トレオでのタッグマッチでアンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで投げた。2月12日、アンドレとの初シングルでも再びボディスラムで投げ、試合は2対0の反則勝ち。9月2日、エル・トレオでホーガンのWWF王座に挑戦してドロー。9月30日、ハンセンを2対1で破り(2対0説あり)防衛に成功。 85年11月、新日本プロレスのIWGPタッグリーグ戦にドス・カラスと組んで参戦。リーグ戦は1勝4敗1引き分けに終わった。 89年11月22日、エル・トレオでベイダーに敗れて王座転落。

1990〜1999

90年12月9日、エル・トレオでベイダーに勝利して王座奪回。 92年2月2日、エル・トレオでドス・カラスに敗れて王座転落。7月5日、エル・トレオでドス・カラスに勝利して王座奪回。 93年1月31日、エル・トレオでバンピーロに敗れて王座転落。12月19日、エル・トレオでバンピーロに勝利して王座奪回。 94年3月14日、アレナ・プエブラでヤマト(キム・ドク)に敗れて王座転落。3月18日、アレナ・ネツァでヤマトに勝利して王座奪回。 95年、UWAが崩壊。団体が崩壊してからもUWA王座を保持しつづけ、防衛を重ねていった。 96年11月よりAAAに入団。92年にW★INGに登場。8月にマスカラスとIWA、UWAのダブルタイトルマッチを行った。夢ファクトリーにも来日した。 99年8月15日、テワカンでカダベール・デ・ウルトラタンバに敗れて王座転落。9月26日、テワカンでカダベール・デ・ウルトラタンバに勝利して王座奪回。

2001〜2009

01年12月23日、ディファ有明でのバーリ・トゥード大会「DEEP2001」に出場。「アンドレと向かい合った時に比べればなんていうことはなかった」とのこと。その試合でレスラーの大刀光と対戦し、1R4分55秒、パウンドの連打でTKO勝ち。 02年1月20日、サラマンカ でシベルネティコに敗れて王座転落。11月2日、オリサバでシベルネティコに勝利して王座奪回。 04年6月18日、アレナ・メヒコでドクトル・ワグナー・ジュニアに敗れて王座転落。 09年3月18日、UWEの大会でシベルネティコと対戦。急所打ちからフォール勝ちし、ドクトル・ワグナー・ジュニアの持つUWA世界ヘビー級王座への挑戦権を獲得した。

2011〜

11年5月15日、メキシコのアレナ・ナウカルパンでの「ルチャ・ファン・フェスト4」でマスカラス、ドス・カラスと組んでサイコ・クラウン、マーダー・クラウン、モンスター・クラウン組と対戦。17分44秒、マスカラスがダイビングボディアタックでマーダー・クラウンに勝利。11月20日、府中プロレスの新木場1stRING大会に来日し、カネック・ジュニア、エル・サムライと組んでヤマト(キム・ドク)、5代目ブラック・タイガー、ベアー福田組と対戦。1本目は5分30秒、サムライがラ・マヒストラルでブラック・タイガーに勝利。2本目は4分6秒、ヤマトがニードロップでカネック・ジュニアに勝利。3本目は6分15秒、カネックがメキシカンクラッチで福田に勝利した。 12年5月19日、ドモ・デル・プラン・セクセナルでの「LUCHA FAN FEST 5」のメインでパワー・ウォリアー(佐々木健介)と組んでガルサ、論外組と対戦。11分37秒、ダブルインパクトで2人同時に論外をフォールして勝利した。 18年10月19日、ドラディションの後楽園ホール大会でKAZMA、藤原と組んで藤波、越中丸藤組と対戦。11分24秒、藤波の逆さ押さえこみにKAZMAがフォール負け。10月21日、ドラディションの大阪南港ATCホール大会で藤原、大谷と組んで藤波、越中、丸藤組と対戦。12分48秒、藤原がレフリー暴行による反則負け。11月30日、CMLLのアレナ・メヒコ大会でマスカラ・アニョ・ドスミル、ビジャノ4号と組んでラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアアトランティスブルー・パンテル組と対戦。1対2で敗れた。 19年12月6日、CMLLのアレナ・メヒコ大会でフエルサ・ゲレーラ、マスカラ・アニョ・ドスミルと組んでラヨ・デ・ハリスコ・ジュニア、ティニエブラス・ジュニア、ビジャノ4号組と対戦。3本目にカネックがローブローをハリスコ・ジュニアに決めて反則負け。 22年4月30日、AAAの「トリプレマニア」でルレタ・デ・ラ・ムエルテ(最後に負けた者がマスクを脱ぐ負け残りトーナメント)に参戦し、1回戦でサイコ・クラウンと対戦。乱入したワグナー・ジュニアのバット攻撃からフォール勝ち。