レスラーノート

ミスター雁之助

本名:本田雅史
1968年6月20日
長崎県長崎市出身
178cm 110kg

タイトル歴
世界ブラスナックルタッグ
アジアタッグ
得意技
雁之助クラッチ

91年、大学の同級生である江崎英治と共にFMWのプロテストを受けて合格。6月22日、北海道羽幌小学校体育館大会での市原昭仁戦でデビュー。 95年2月には大仁田厚と組んでミスター・ポーゴザ・グラジエーターを破り世界ブラスナックルタッグ王座を獲得。4月、ターザン後藤らと共にFMWを離脱し「真FMW」としてIWAジャパンなどで活動。8月、IWAジャパンの川崎球場でのデスマッチトーナメントに参戦し、初戦でタイガー・ジェット・シンに敗れた。 97年、再びFMWに参戦。冬木弘道、金村キンタローらとヒールユニットTNRを結成して、ハヤブサら正規軍と敵対した。翌年には、田中正人を破り、二冠統一選手権王者となった。FMW倒産後、WMFを旗揚げ。

2003

03年、全日本プロレスで黒田哲広と組んでアジアタッグ王座を獲得した。その後、自らのニックネームを冠した自主興行「鬼神道」を開催。

2007

07年1月19日、無我の札幌テイセンホール大会で長井満也と対戦。10分4秒、陸牙に敗れた。1月20日、無我の旭川地場産業振興センター大会で後藤達俊と対戦。20分時間切れ引き分け。1月28日、後楽園ホール大会でバック・クォーターメインと対戦。10分2秒、ジャパニーズレッグロールクラッチホールドでフォール勝ち。

2008

08年8月27日、グレートプロレスリングの新木場1stRING大会でこの日がデビュー戦となるサトモと対戦。6分3秒、逆エビ固めで勝利。9月21日、ドラディションの後楽園ホール大会で藤波辰爾と対戦。7分57秒、卍固めに敗れた。12月27日、自主興行で引退した。

2009

09年5月25日、プロレスラーによる芸能事務所「鬼神道プロダクション」を設立。9月5日から「鬼神道リターンズ」と題してプロモーターとしての興行を定期的に開催。

2014

14年11月18日、鬼神道Returnsの新木場1stRING大会で現役復帰。GENTAROと対戦。20分、ファイヤーサンダーで勝利。

2016

16年1月12日、鬼神道Returnsの新木場1stRING大会のメインでヤス・ウラノと対戦。26分33秒、ファイアーサンダーを決めたが下からエビ固めに丸め込まれてフォール負け。7月26日、鬼神道リターンズの新木場1stRING大会のメインでマスクマンのはやぶちゃ(HARASHIMA)と対戦。16分1秒、蒼魔刀からのファイヤーバードスプラッシュに敗れた。

2017

17年4月1日、熊本市ホテルキャッスルでのビアホールMAN50周年記念パーティーで宮本裕向と対戦。蒼魔刀をくらって緊急搬送。右顔面多発骨折のため長期欠場。7月16日、つがるプロレスで復帰。10月17日、ガッツワールドの新木場1stRING大会でダイスケと対戦。30分11秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。

2018

18年2月3日、ガッツワールドの新木場1stRING大会で新井健一郎と対戦。14分47秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。2月8日、フリーダムズの新木場1stRING大会で神威と対戦。10分37秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。3月22日、フリーダムズの後楽園ホール大会で宮本裕向と組んでマンモス佐々木、杉浦透組のKFWタッグ王座に挑戦。13分18秒、佐々木のファルコンアローに雁之助が敗れた。4月12日、フリーダムズの新木場1stRING大会でGENTAROと対戦。22分28秒、足極め首固めにフォール負け。4月15日、新宿FACEで行われたガッツワールドの最終興行で引退試合。影山道雄と組んで藤波、ヒロ斉藤組と対戦。16分41秒、藤波のドラゴンスリーパーに雁之助が敗れた。



スクラップブック
ミスター雁之助さんは大転身 大仁田厚とのタッグ“デスマッチの鬼”は柔和な介護職員に
(2020年10月12日8:56配信 日刊ゲンダイDIGITALより)
 群雄割拠した1990年代のプロレス界。大仁田厚率いるFMWはデスマッチ路線で大人気となった。本日登場のミスター雁之助さんは、大仁田さんとタッグを組んで世界王座を獲得するなど若手のホープとして大暴れした。FMW倒産後は、後継のWMF、全日本プロレス、自主興行「鬼神道」などで活躍。引退は18年4月だったが、今、どうしているのか?
 熊本県熊本市南区。ミスター雁之助さんと会ったのは、サービス付き高齢者向け住宅「ブロッサムはません」だった。
 入念なアルコール消毒と検温、買ったばかりのマスク着用で館内に入ると制服姿で迎えてくれた。
「今年3月から介護職員として働いています。仕事は、食事や入浴、排泄の介助、おむつ交換など入居者さまの身の回りのお世話全般ですね」
 眼鏡に白髪。額や腕に深い傷痕があるが、柔和なまなざしはつい2年前まで鬼のような形相でリング内外を大暴れしていたとは想像もできない。
「本当にそう。俺だって、よもや介護職員になるなんて思ってもいなかったから」
 どういった経緯で介護職員に?
「所属していた大学のプロレス研究会の3学年上の先輩が、ここの社長でね。「引退したらウチに来いよ」って。俺、大学卒業して以来プロレスしか知らないから、渡りに船でした」
 それが株式会社ヒューマンケアブロッサムズ(熊本市)。同社は介護事業や介護・福祉・医療コンサルティング事業をメインに、老健施設を熊本県と福岡県で11カ所運営している。
「最初は、福祉用具レンタルや厨房事業を行っている姉妹会社に入社したんです。で、仕事をしながら福祉用具専門相談員、次いで介護職員初任者研修の資格を取得して、今の会社へ移籍。この間、八代市の拠点に1年半いました」
 サービス付き高齢者向け住宅は介護不要者でも入居が可能で、賃貸契約にオプションで各種介護サービスを付帯するので、初期費用が少ないというメリットがある。
「入居者さまは40人で、ほぼ満室。3交代制の夜勤はキツいけど、終わった時の解放感と充実感がいいね」
 もちろん入居者を抱え上げたことも。
「体力だけは誰にも負けない。プロレスやってて本当によかったよ。アハハハハ」
さて、1968年6月20日、長崎県長崎市に生まれた雁之助さんは、地元高校を卒業後、熊本商科大学(現・熊本学園大学)に進学。同大プロレス研究会での同期が、後にFMWに入門する故・ハヤブサさんだ。
「キッチリと練習はしたけど、リングの上ではいかにお笑いを取るか!が勝負。なのでリングネームは俺が『ソープ延長』、ハヤブサが『肥後瑞喜』。大学4年の時に大橋巨泉さん司会の『クイズダービー』(TBS系)の大学プロレス研究会大会に2人で出演したら、局側が「肥後瑞喜」にNG。「馬刺しおてもやん」に変更されたもんだよ」
 卒業後、伊藤ハムに内定していた91年3月、「チャレンジもせんで諦めたら一生後悔する」と、ハヤブサさんとFMWの入門試験を受験。40人中、2人だけ合格し、プロレスラーへの道を歩き始めた。
 デビュー戦は同年6月の北海道羽幌町大会。身長178センチ・体重100キロ弱と恵まれた体格ではなかったが、どれだけボコボコにされても相手に立ち向かうタフさを武器に、巧みな試合運びでメキメキと頭角を現していった。
 そして、95年2月には大仁田厚と組んで世界ブラスナックルタッグ王座を奪取。FMW離脱後の同年12月にはターザン後藤とのタッグで、米NWA王座を戴冠するなど、全日本、新日本といった老舗団体のレスラーに引けを取らない活躍ぶりでファンをうならせた。
 97年にFMWに復帰するも、02年に同団体が倒産。以降は全日本、ゼロワン、無我、ガッツワールドへの参戦、自主興行「鬼神道」プロデュース、女子団体「アイスリボン」最高顧問、ガッツワールドプロレスリング参戦・相談役と、18年4月に引退するまでプロレス一筋で生きてきた。
「頭のてっぺんからつま先まで、何十回骨折したことやら。17年3月、熊本での試合中に顔面に十数カ所の骨折を負い、全治3カ月と診断されたこともあったしね」
 バツ2で独身。競馬番組のゲストに呼ばれるほど競馬好きだ。