レスラーノート

ミスター雁之助

本名:本田雅史
1968年6月20日
長崎県長崎市出身
178cm 110kg

タイトル歴
WEWタッグ
世界ブラスナックルタッグ
アジアタッグ
得意技
雁之助クラッチ

91年、大学の同級生である江崎英治と共にFMWのプロテストを受けて合格。6月22日、北海道羽幌小学校体育館大会での市原昭仁戦でデビュー。 95年2月には大仁田厚と組んでミスター・ポーゴザ・グラジエーターを破り世界ブラスナックルタッグ王座を獲得。4月22日、ターザン後藤、市原昭仁と共にFMWを離脱。「真FMW」としてIWAジャパンなどで活動。8月、IWAジャパンの川崎球場でのデスマッチトーナメントに参戦し、初戦でタイガー・ジェット・シンに敗れた。 97年、再びFMWに参戦。冬木弘道、金村キンタローらとヒールユニットTNRを結成して、ハヤブサら正規軍と敵対した。翌年には、田中正人を破り、二冠統一選手権王者となった。 01年8月11日、駒沢オリンピック公園体育館大会で黒田哲広と対戦。16分30秒、チキンウイング・アームロックで勝利。9月5日、月寒グリーンドーム大会でマンモス佐々木と組んでGOEMON、怨霊組を破りWEWタッグ王座を獲得した。10月9日、後楽園ホール大会でハヤブサ、黒田哲広組を相手にタッグ王座の防衛戦。22分31秒、佐々木がチョークスラムをハヤブサに切り返されてエビ固めにフォール負けして王座転落。11月23日、横浜文化体育館大会でマンモス佐々木と組んで“バイオモンスター”DNA、ドクター・ルーサー組を相手にWEWタッグ王座決定戦。12分58秒、雁之助が雁之助クラッチでルーサーにフォール勝ち。WEWタッグ王座を獲得した。12月21日、後楽園ホール大会でのWEWタッグ王座決定トーナメントに黒田哲広と組んで参戦し、1回戦でGOEMON、怨霊組と対戦。10分26秒、黒田が哲ちゃんバスターで怨霊に勝利。同日の準決勝でサブゥー、佐々木義人組と対戦。8分3秒、雁之助がファイアーサンダーで佐々木に勝利。同日の決勝で金村キンタロー、マンモス佐々木組と対戦。16分28秒、黒田がラリアットで佐々木に勝利。WEWタッグ王座を獲得した。

2002

02年1月6日、試合中に複雑骨折と靭帯損傷の重傷を負い長期欠場。2月14日、退院。2月15日、FMWが倒産。WMFを設立。8月18日、本川越ぺぺホールで行われたWMFのプレ旗揚げ戦で復帰。ガルーダ、怨霊、池田くんと組んでGOEMON、マンモス佐々木、リッキー・フジ、ソルジャー組と対戦。16分47秒、ガルーダがファルコンアローでソルジャーに勝利。8月28日、ディファ有明で行われたWMFの旗揚げ戦で新崎人生と組んで黒田哲広、大矢剛功組と対戦。17分29秒、黒田のラリアットに雁之助が敗れた。11月23日、バトルスフィア東京大会で大矢剛功と対戦。12分42秒、ラリアットで勝利。12月12日、WMFの後楽園ホール大会で小島聡と対戦。14分14秒、ラリアットに敗れた。

2003

03年4月11日、WMFの後楽園ホール大会で新崎人生と対戦。13分30秒、シャイニングウィザードで勝利。5月11日、WMFのバトルスフィア東京大会でミスター・ポーゴとストリートファイトデスマッチ。11分29秒、ラリアットで勝利。5月24日、WMFの大阪ドーム・スカイホール大会でマンモス佐々木と対戦。11分33秒、ラリアットに敗れた。5月26日、WWSの伊勢崎市民体育館大会でミスター・ポーゴと「ミスター・ポーゴ負ければ即刻引退〜WWS式ストリートファイトデスマッチ」。11分22秒、チェーン絞首刑にレフリーストップ負け。8月25日、冬木軍プロの後楽園ホール大会で金村キンタローと対戦。11分48秒、サンダーファイアー・パワーボムに敗れた。11月5日、ZERO1の沼南町総合体育館大会でZERO−ONEVSアパッチ軍5対5シングル勝ち抜き戦に参戦。副将として出場し保坂秀樹と対戦。10分2秒、逆片エビ固めで勝利。次戦で田中将斗と対戦。6分、ローリング・エルボーに敗れた。対抗戦はアパッチ軍の敗北に終わった。12月25日、ZERO1の後楽園ホール大会で黒田哲広と組んでテングカイザー、葛西純組を相手にアジアタッグ王座決定戦。12分37秒、雁之助がファイアーサンダーで葛西に勝利。アジアタッグ王座を獲得した。

2004

04年1月2日、全日本プロレスの後楽園ホール大会でグレート・コスケ(小島聡)、獅龍組を相手にタッグ王座の防衛戦。18分8秒、コスケのラリアットに黒田が敗れて王座転落。1月12日、WMFの本川越ぺぺホール・アトラス大会でリッキー・フジと対戦。11分9秒、念仏パワーボムで勝利。1月19日、ZERO1の高松市総合体育館サブアリーナ大会でヴァンサック・アシッドと対戦。3分24秒、ファイアーサンダーで勝利。2月11日、WMFの後楽園ホール大会で佐々木健介のHCWヘビー級王座に挑戦。13分26秒、ノーザンライトボムに敗れた。4月8日、冬木軍プロの後楽園ホール大会でGENTAROと対戦。11分25秒、ファイアーサンダーで勝利。5月5日、冬木軍プロの川崎球場大会で越中詩郎と対戦。13分15秒、侍ドライバー84に敗れた。6月17日、WJプロレスの滋賀県立文化産業交流会館大会で宇和野貴史と対戦。10分9秒、レフリー暴行で反則負け。8月19日、WJプロレスの後楽園ホール大会でGENTAROと対戦。12分32秒、ラリアットで勝利。8月29日、WMFの本川越ぺぺホール・アトラス大会で池田誠志と対戦。15分18秒、ファイアーサンダーで勝利。11月6日から始まったWMFのリーグ戦「NEXT STAGE」に参戦。開幕戦のバトルスフィア東京大会で池田誠志と対戦。13分25秒、首固めにフォール負け。11月28日、WMFのバトルスフィア東京大会でソルジャーと対戦。17分8秒、BUUに敗れた。12月18日、WMFのバトルスフィア東京大会でGOEMONと対戦。17分41秒、涅槃で勝利。12月19日、WMFのバトルスフィア東京大会でマンモス佐々木と対戦。24分7秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。

2005

05年1月22日、WMFのバトルスフィア東京大会で藤田峰雄と対戦。13分35秒、ラリアットで勝利。1月23日、WMFのバトルスフィア東京大会でガルーダと対戦。17分13秒、サソリ固めで勝利。2月19日、WMFのバトルスフィア東京大会で怨霊と対戦。6分12秒、怨霊クラッチからの腕固めに敗れた。4勝3敗でリーグ戦を突破。2月20日、WMFのバトルスフィア東京大会での準決勝でマンモス佐々木と対戦。18分21秒、29歳に敗れた。4月29日、バトルスフィア東京 でのバトルスフィア主催興行で藤田峰雄と対戦。9分15秒、ファイアーサンダーで勝利。5月14日、WMFのバトルスフィア東京大会で椹木健二と対戦。8分16秒、逆エビ固めで勝利。7月31日、WMFのバトルスフィア東京大会でマンモス佐々木とノーロープ有刺鉄線デスマッチ。17分2秒、ラリアットで勝利。8月22日、求道軍の熊本・老人ホームブロッサムやつしろ大会で球磨川彦一と対戦。7分15秒、バックドロップで勝利。10月2日、ターザン後藤一派の春日部インディーズアリーナ大会で清水の画伯と対戦。7分38秒、逆片エビ固めで勝利。12月26日、ターザン後藤一派の台東区・東京キネマ倶楽部大会でペドロ高石と対戦。7分37秒、サソリ固めで勝利。

2006

06年7月1日、WMFの新木場1stRING大会で藤田峰雄と対戦。25分、ファイアーサンダーで勝利。8月12日、DDT・ユニオンの新木場1stRING大会でisamiと敗者追放・髪切りマッチ。11分41秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。9月30日、WMFの新木場1stRING大会で河野健一と対戦。5分18秒、逆エビ固めで勝利。10月15日、WMFのデルフィンアリーナ大会で宮本裕向と対戦。11分49秒、ファイアーサンダーで勝利。11月1日、DDT・ユニオンの新木場1stRING大会でポイズン澤田と電気ウナギ&電気ナマズデスマッチ。8分53秒、電気ナマズと電気ウナギを体にかけて感電させて片エビ固めでフォール勝ち。12月9日、WMFの新木場1stRING大会で後藤達俊と対戦。10分50秒、バックドロップに敗れた。

2007

07年1月12日、DDT・ユニオンの新木場1stRING大会でポイズン澤田とマムシデスマッチ。12分41秒、グラウンド・コブラツイストにフォール負け。1月13日、WMFの新木場1stRING大会でソルジャーと組んでMARVELOUS FUTUREタッグトーナメントに参戦し、1回戦で怨霊、宮本裕向組と対戦。14分48秒、ソルジャーがBUUで宮本に勝利。1月19日、無我の札幌テイセンホール大会で長井満也と対戦。10分4秒、陸牙に敗れた。1月20日、無我の旭川地場産業振興センター大会で後藤達俊と対戦。20分時間切れ引き分け。1月28日、後楽園ホール大会でバック・クォーターメインと対戦。10分2秒、ジャパニーズレッグロールクラッチホールドでフォール勝ち。2月17日、WMFの新木場1stRING大会での準決勝で藤田峰雄、にゃんこキッド組と対戦。12分59秒、にゃんこキッドの回転エビ固めにソルジャーがフォール負け。8月25日、WMFの新木場1stRING大会でにゃんこキッドと対戦。9分34秒、涅槃で勝利。9月17日、ガッツワールドの板橋区立グリーンホール大会で梁和平と対戦。12分15秒、パワーボムで勝利。11月17日、和志組の新木場1stRING大会で下田大作と対戦。13分47秒、ラリアットで勝利。

2008

08年6月24日、新木場1stRINGでの佐野直の自主興行で佐野直とストリートファイト・エニウェアフォールマッチ。17分31秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。7月18日、新木場1stRINGでのヤス・ウラノの自主興行でヤス・ウラノと対戦。34分13秒、ファイアーサンダーで勝利。7月25日、新木場1stRINGでのチーム・ベイダー興行でBADBOY非道と対戦。8分34秒、両者反則で収拾つかず無効試合。7月27日、WMFの大阪・世界館大会で神威と対戦。19分13秒、ファイアーサンダーで勝利。8月2日、666の新木場1stRING大会で宮本裕向と対戦。12分47秒、ファイアーサンダーで勝利。8月27日、グレートプロレスリングの新木場1stRING大会でこの日がデビュー戦となるサトモと対戦。6分3秒、逆エビ固めで勝利。9月14日、ZERO1−MAXの所沢市民体育館大会で植田使徒と対戦。3分52秒、逆エビ固めで勝利。9月21日、ドラディションの後楽園ホール大会で藤波辰爾と対戦。7分57秒、卍固めに敗れた。10月10日、アパッチプロレスの新木場1stRING大会でマンモス佐々木とノーロープ有刺鉄線デスマッチ。19分43秒、29歳に敗れた。10月11日、ZERO1−MAXのキラメッセぬまづ大会でKAMIKAZEと対戦。13分18秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。11月14日、アパッチプロレスの新木場1stRING大会でGENTAROと対戦。30分時間切れ引き分け。延長戦は10分時間切れ引き分け。11月22日、鬼神道の熊本市流通情報会館大会でマンモス佐々木と対戦。12分4秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。11月28日、ZERO1−MAXの後楽園ホール大会でBADBOY非道と組んで田中将斗、澤宗紀組と対戦。14分38秒、雁之助が雁之助クラッチで澤にフォール勝ち。11月30日、DDTの後楽園ホール大会で男色ディーノとラスト・ガン・スタンディングマッチ。8分34秒、男色ドライバーでラスト・ガン・スタンドさせて勝利。12月17日、ZERO1−MAXの新宿FACE大会で田中将斗と対戦。16分2秒、スライディングDに敗れた。12月25日、アパッチプロレスの新木場1stRING大会で佐々木義人とスクランブルバンクハウスデスマッチ。8分53秒、涅槃で勝利。12月27日、夢名塾プロのBUMB東京スポーツ文化館サブアリーナ大会でバンジー高田と対戦。7分27秒、涅槃で勝利。同日、鬼神道の新木場1stRINGで引退試合。新崎人生、マンモス佐々木と組んで田中将斗、金村キンタロー、黒田哲広組とストリートファイトマッチ。17分38秒、雁之助がファイアーサンダーで金村に勝利。

2009

09年5月25日、プロレスラーによる芸能事務所「鬼神道プロダクション」を設立。9月5日から「鬼神道リターンズ」と題してプロモーターとしての興行を定期的に開催。

2014

14年11月18日、鬼神道Returnsの新木場1stRING大会で現役復帰。GENTAROと対戦。20分、ファイヤーサンダーで勝利。

2016

16年1月12日、鬼神道Returnsの新木場1stRING大会のメインでヤス・ウラノと対戦。26分33秒、ファイアーサンダーを決めたが下からエビ固めに丸め込まれてフォール負け。7月26日、鬼神道リターンズの新木場1stRING大会のメインでマスクマンのはやぶちゃ(HARASHIMA)と対戦。16分1秒、蒼魔刀からのファイヤーバードスプラッシュに敗れた。

2017

17年4月1日、熊本市ホテルキャッスルでのビアホールMAN50周年記念パーティーで宮本裕向と対戦。蒼魔刀をくらって緊急搬送。右顔面多発骨折のため長期欠場。7月16日、つがるプロレスで復帰。10月17日、ガッツワールドの新木場1stRING大会でダイスケと対戦。30分11秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。

2018

18年2月3日、ガッツワールドの新木場1stRING大会で新井健一郎と対戦。14分47秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。2月8日、フリーダムズの新木場1stRING大会で神威と対戦。10分37秒、雁之助クラッチでフォール勝ち。3月22日、フリーダムズの後楽園ホール大会で宮本裕向と組んでマンモス佐々木、杉浦透組のKFWタッグ王座に挑戦。13分18秒、佐々木のファルコンアローに雁之助が敗れた。4月12日、フリーダムズの新木場1stRING大会でGENTAROと対戦。22分28秒、足極め首固めにフォール負け。4月15日、新宿FACEで行われたガッツワールドの最終興行で引退試合。影山道雄と組んで藤波、ヒロ斉藤組と対戦。16分41秒、藤波のドラゴンスリーパーに雁之助が敗れた。



スクラップブック
ミスター雁之助さんは大転身 大仁田厚とのタッグ“デスマッチの鬼”は柔和な介護職員に
(2020年10月12日8:56配信 日刊ゲンダイDIGITALより)
 群雄割拠した1990年代のプロレス界。大仁田厚率いるFMWはデスマッチ路線で大人気となった。本日登場のミスター雁之助さんは、大仁田さんとタッグを組んで世界王座を獲得するなど若手のホープとして大暴れした。FMW倒産後は、後継のWMF、全日本プロレス、自主興行「鬼神道」などで活躍。引退は18年4月だったが、今、どうしているのか?
 熊本県熊本市南区。ミスター雁之助さんと会ったのは、サービス付き高齢者向け住宅「ブロッサムはません」だった。
 入念なアルコール消毒と検温、買ったばかりのマスク着用で館内に入ると制服姿で迎えてくれた。
「今年3月から介護職員として働いています。仕事は、食事や入浴、排泄の介助、おむつ交換など入居者さまの身の回りのお世話全般ですね」
 眼鏡に白髪。額や腕に深い傷痕があるが、柔和なまなざしはつい2年前まで鬼のような形相でリング内外を大暴れしていたとは想像もできない。
「本当にそう。俺だって、よもや介護職員になるなんて思ってもいなかったから」
 どういった経緯で介護職員に?
「所属していた大学のプロレス研究会の3学年上の先輩が、ここの社長でね。「引退したらウチに来いよ」って。俺、大学卒業して以来プロレスしか知らないから、渡りに船でした」
 それが株式会社ヒューマンケアブロッサムズ(熊本市)。同社は介護事業や介護・福祉・医療コンサルティング事業をメインに、老健施設を熊本県と福岡県で11カ所運営している。
「最初は、福祉用具レンタルや厨房事業を行っている姉妹会社に入社したんです。で、仕事をしながら福祉用具専門相談員、次いで介護職員初任者研修の資格を取得して、今の会社へ移籍。この間、八代市の拠点に1年半いました」
 サービス付き高齢者向け住宅は介護不要者でも入居が可能で、賃貸契約にオプションで各種介護サービスを付帯するので、初期費用が少ないというメリットがある。
「入居者さまは40人で、ほぼ満室。3交代制の夜勤はキツいけど、終わった時の解放感と充実感がいいね」
 もちろん入居者を抱え上げたことも。
「体力だけは誰にも負けない。プロレスやってて本当によかったよ。アハハハハ」
さて、1968年6月20日、長崎県長崎市に生まれた雁之助さんは、地元高校を卒業後、熊本商科大学(現・熊本学園大学)に進学。同大プロレス研究会での同期が、後にFMWに入門する故・ハヤブサさんだ。
「キッチリと練習はしたけど、リングの上ではいかにお笑いを取るか!が勝負。なのでリングネームは俺が『ソープ延長』、ハヤブサが『肥後瑞喜』。大学4年の時に大橋巨泉さん司会の『クイズダービー』(TBS系)の大学プロレス研究会大会に2人で出演したら、局側が「肥後瑞喜」にNG。「馬刺しおてもやん」に変更されたもんだよ」
 卒業後、伊藤ハムに内定していた91年3月、「チャレンジもせんで諦めたら一生後悔する」と、ハヤブサさんとFMWの入門試験を受験。40人中、2人だけ合格し、プロレスラーへの道を歩き始めた。
 デビュー戦は同年6月の北海道羽幌町大会。身長178センチ・体重100キロ弱と恵まれた体格ではなかったが、どれだけボコボコにされても相手に立ち向かうタフさを武器に、巧みな試合運びでメキメキと頭角を現していった。
 そして、95年2月には大仁田厚と組んで世界ブラスナックルタッグ王座を奪取。FMW離脱後の同年12月にはターザン後藤とのタッグで、米NWA王座を戴冠するなど、全日本、新日本といった老舗団体のレスラーに引けを取らない活躍ぶりでファンをうならせた。
 97年にFMWに復帰するも、02年に同団体が倒産。以降は全日本、ゼロワン、無我、ガッツワールドへの参戦、自主興行「鬼神道」プロデュース、女子団体「アイスリボン」最高顧問、ガッツワールドプロレスリング参戦・相談役と、18年4月に引退するまでプロレス一筋で生きてきた。
「頭のてっぺんからつま先まで、何十回骨折したことやら。17年3月、熊本での試合中に顔面に十数カ所の骨折を負い、全治3カ月と診断されたこともあったしね」
 バツ2で独身。競馬番組のゲストに呼ばれるほど競馬好きだ。