レスラーノート

“ハリウッド”ストーカー市川

本名:市川寛二
1974年10月12日
岐阜県各務原市出身
165cm 42kg

タイトル歴
東京インターコンチネンタルタッグ
得意技
ラ・マヒストラル
カンチョー攻撃

闘龍門の第2期生としてメキシコに渡る。98年12月12日、メキシコ・アレナ・ナウカルパンでの神田裕之戦でデビュー。帰国後、テレビ番組「オレたちひょうきん族」のブラックデビルの外見の「ストーカー市川」に変身。以後、ドラゴンゲートのお笑い担当として迷勝負を展開した。 06年4月12日、後楽園ホール大会でマイケル岩佐、ダニエル三島と敗者キャラクター剥奪ハンディキャップマッチ。7分5秒、イナバウアージャーマンで岩佐に勝利。11月12日、新宿FACEでの「スト市ボンバイエ」で戸澤アキラと敗者引退マッチ三番勝負。1戦目の大福早食い競争は2分49秒、完食して勝利。2戦目のプロレス・ルールは8分49秒、ラ・マヒストラルをエビ固めに切り返されてフォール負け。3戦目のバーリトゥード・ルールは3分41秒、チョークスリーパーに敗れた。試合後、リングに上がったウエディングドレスの市川夫人のアピールのおかげで引退は回避された。次の大会からストーカー市川Zに改名。 07年5月19日、PWGのカリフォルニア州バーバンク大会でドン・フジイと対戦。イス攻撃がロープに跳ね返り自爆してフォール負け。5月20日、PWGの同会場での大会でトップ・ガン・タルウォーと対戦。ダイビング・ヘッドバットを距離が足りずに自爆し、サイドバスターに敗れた。9月8日、記者会見で離婚を発表。11月9日、新宿FACEで「スト市ボンバイエ2〜離婚なんかぶっとばせ!市川軍vs佐野軍全面対抗戦〜」を開催。佐野直を相手に3本勝負で対戦。第1試合での1本目はクイズ対決。3問正解されて敗れた。第5試合での2本目は相撲。取り直しの末、上手投げで勝利。メインでの3本目は月光闇討ちデスマッチ。暗闇の中で時おりライトがつく試合となり、佐野がファイヤーバードスプラッシュと叫んだところで暗転。ライトがつくと体固めの体勢になっていて、8分42秒、ファイヤーバードスプラッシュ?に敗れた。12月5日、後楽園ホール大会で戸澤アキラとバーリトゥードルールで対戦。2分27秒、チョークスリーパーで勝利。12月12日、DEEPの後楽園ホール大会で滑川康仁とDEEP特別ルールで対戦(3分2R)。1R2分20秒、フロントチョークに敗れた。 15年12月1日、東京愚連隊の後楽園ホール大会で菊タローと組んで百田光雄組のタッグ王座に挑戦。9分8秒、菊タローがバックドロップで力に勝利。東京インターコンチネンタルタッグ王座を獲得した。 16年4月4日、東京愚連隊の新宿FACE大会で佐藤光留、川村亮組を相手にタッグ王座の防衛戦。11分48秒、ラリアット誤爆を繰り返して口論となり、菊タローと市川がラリアットを相打ちしてダウンしたところを市川が川村にフォール負けしてタッグ王座から転落した。 19年2月10日、博多スターレーン大会でドン・フジイと対戦。6分57秒、イナバウアージャーマンを失敗したところをエビ固めに押さえこまれてフォール負け。2月14日、神戸ラピスホールでのPRIME ZONEでシュン・スカイウォーカーと対戦。4分58秒、バイシクルキックに敗れた。3月16日、神戸サンボーホール大会で斎藤了と対戦。11分14秒、横入り式エビ固めにフォール負け。4月15日、米子コンベンションセンター大会で望月成晃と対戦。12秒、ラリアットに敗れた。再試合が行われ、7分42秒、脇固めに敗れた。12月15日、福岡国際センター大会で丸藤正道とマスカラ・コントラ・カベジェラで対戦。8分8秒、虎王に敗れてマスクを剥がされた。以後、素顔で出場。12月18日、後楽園ホール大会で師匠のウルティモ・ドラゴンから「このまま市川」と命名された。 21年4月3日、アクトシティ浜松大会でドン・フジイと対戦。7分51秒、ラ・マヒストラルでフォール勝ち。4月4日、多治見市産業文化センター大会で斎藤了と対戦。10分6秒、ラ・マヒストラルでフォール勝ち。 22年7月30日、神戸ワールド記念ホール大会で武藤敬司と対戦。3分2秒、シャイニングウィザードに敗れた。