学生横綱を経て角界入り。大相撲時代は花嵐のシコ名で十両にまで昇進した。WARで相撲軍団のマスクマン、嵐として登場。1994年11月10日、後楽園ホール大会での安良岡裕二戦でデビュー。力士なのに覆面というのが斬新だった。その後、日大時代の先輩である石川敬士が旗揚げした東京プロレスへ参加したのを機にリングネームをダンク・タニに替え素顔に。さらに、ザ・グレート・カブキ、天一坊一慶(三宅綾)と幻想戦士団を結成し、大黒坊弁慶に改名。その後、大日本プロレスに入団。11年12月、脊柱管狭窄症の手術。以後、長期欠場。14年10月31日、大日本プロレスの記者会見で引退が発表された。
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