レスラーノート

大仁田厚

1957年10月25日
長崎県長崎市出身
181cm 100kg

通称
涙のカリスマ
タイトル歴
世界ブラスナックル
NWAインタージュニア
爆破王
爆破王タッグ
アジアタッグ
得意技
サンダーファイヤーパワーボム

中学卒業後、73年10月に全日本プロレス入門。練習生第1号として馬場の付き人を務める。74年4月14日、後楽園ホールの佐藤昭雄戦でデビュー。81年3月に海外遠征に出発。西ドイツに遠征後、プエルトリコでと合流してアメリカに進出。 82年3月、ノースカロライナ州シャーロッテでチャボ・ゲレロを破り、NWAインタージュニア王座を獲得した。6月に凱旋帰国。 83年4月、へクター・ゲレロの挑戦を退けた試合で、左膝蓋複雑骨折の重傷を負ってしまう。 84年12月2日、後楽園ホール大会で引退をかけてNWAインタージュニア王者のマイティ井上に挑戦。トペやトップロープからのドロップキックなどで奮闘したが、回転エビ固めに敗れ、この試合後に引退を表明。 85年1月、左ヒザ負傷により引退。その後、飲食店を経営するが失敗。ジャパン女子プロレスのコーチになった。 88年12月にジャパン女子のリングで、同じくコーチで現役をリタイアしていたグラン浜田と対戦。その試合を機に復帰。 89年4月にパイオニア戦志の旗揚げ戦に参加しメイン(2試合しかなかったので2試合目ともいうが)で剛竜馬と対戦。10月にFMWを旗揚げ。 90年8月4日、レールシティ汐留特設リング大会でターザン後藤を相手に日本マット初の電流爆破デスマッチを敢行。11分14秒、サンダーファイヤーパワーボムでKO勝ち。この試合で90年度のプロレス大賞のベストバウトを獲得し、大仁田自身はMVPにも選ばれた。その後、様々なデスマッチを戦って、ファンの支持を獲得し、「涙のカリスマ」の異名を欲しいままにした。 91年2月27日、後楽園ホール大会でグレゴリ−・ベリチェフと世界マーシャルアーツ王座決定戦。12分21秒、裏投げ(フロント・スープレックス)をくらってKO負け。5月5日、名古屋国際会議場イベントホール大会でグレゴリ−・ベリチェフと異種格闘技戦。11分43秒、裏投げ(フロント・スープレックス)をくらってKO負け。5月6日、大阪万博お祭り広場大会でミスター・ポーゴと有刺鉄線バリケードマット地雷爆破デスマッチで対戦。13分27秒、雪崩式フェイスクラッシャーで勝利。5月29日、大田区体育館大会でグレゴリ−・ベリチェフのマーシャルアーツ王座に挑戦。10分44秒、サンダーファイヤーパワーボムでKO勝ち。9月23日、川崎球場大会でターザン後藤とノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチで対戦。初進出の川崎球場で33,221人の大観衆を集めた。16分1秒、KO勝ち。 94年3月2日、WARの両国国技館大会で後藤と組んで天龍源一郎阿修羅原組と対戦。18分13秒、大仁田がサンダーファイヤーパワーボムで天龍にフォール勝ち。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。5月5日、川崎球場大会で天龍とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦。3度の電流爆破を受け、5発目のパワーボムに敗れた。5月9日に記者会見を開き、来年5月5日での引退を表明。10月30日、岩手産業文化センター屋外第1展示場大会で、ザ・グレート・サスケとノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破ダブルヘル時限爆弾デスマッチで対戦。ニールキックで場外に転落させられて地雷爆破をくらってしまう。場外では有刺鉄線越えのサスケスペシャル2号、リング上ではジャーマンをくらったがカウント2。最後は14分58秒、サンダーファイヤーパワーボムで勝利。カウント3直後に時限爆弾が煙を噴きあげ大爆発した。11月1日、東京・新高輪プリンスホテルの国際館パミールで「1000針突破記念パーティー」が約1000人の招待客を集めて盛大に開催された。 95年5月5日、ハヤブサとの電流爆破マッチで引退試合を行う。引退後は芸能界で活躍。 96年、NHK大河ドラマ「秀吉」に蜂須賀小六役で出演した。12月11日、FMWの駒沢オリンピック公園体育館大会でのミスター・ポーゴの引退試合で2度目の復帰。ポーゴ、田中将斗、黒田と組んでテリー・ファンク、ヘッドハンターズ、大矢組と対戦。23分4秒、田中のバックドロップでヘッドハンターAにフォール勝ち。12月19日、駒沢オリンピック公園体育館大会で田中将斗と対戦。20分7秒、ローリングエルボーをかわしての首固めでフォール勝ち。 98年11月18日、突如メジャー進出を宣言し、新日本プロレスに乱入。 99年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で佐々木健介と対戦。5分55秒、火炎殺法を繰り出して反則負け。4月10日、新日本プロレスの東京ドーム大会で蝶野正洋とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ。16分10秒、両者KOに終わった。8月28日、新日本プロレスの神宮球場大会でグレート・ニタとしてグレート・ムタと対戦。試合はムタのペースで進み、大仁田だけが爆破する展開。大凡戦となって、最後は13分32秒、ムタに鎖がまの柄で脳天を直撃されて敗れた。 00年7月30日、新日本プロレスの横浜アリーナ大会で、引退から復帰した長州力と因縁の有刺鉄線電流爆破マッチ。試合は圧倒的に長州のペースで進み、大仁田は5回の爆破を受けた。特に4回目は、長州のサソリ固めをロープに逃げての爆破だった。試合は長州のラリアットを連続で受けてから、7分46秒、サソリ固めを決められたままレフリーストップ負けに終わった。その後も現役を続行。 01年7月、参議院選挙に当選。8月30日、真撃の日本武道館大会で大谷晋二郎と対戦。7分22秒、毒霧を吐いて反則負け。9月23日、ディファ有明で自主興行を開催。グレート・ニタに変身し、星川尚浩と対戦。6分7秒、脳天鎌攻撃で勝利。同日のメインで大仁田厚として田中将斗、保坂、佐野直と組んで中牧、矢口、茂木、死神組と対戦。13分21秒、茂木のフィッシャーマンバスターに佐野が敗れた。 02年9月27日、アフガニスタンの首都カブールを訪問し、プロレスを開催。雷神矢口と3試合行なった。10月4日、ディファ有明で「〜Peace of Wrestling〜ウエルカム・アフガンの子供たち」を開催。グレート・ニタに変身し、ジャパン・ペールワンと対戦。6分12秒、フェイスクラッシャーで勝利。メインで戸井克成、佐野直と組んで中牧、矢口、森谷組とオールウエポン・ストリートファイト6人タッグデスマッチ。10分50秒、矢口のジーザスボンバーに佐野が敗れた。 03年3月1日のWJプロレスの旗揚げ戦で越中詩郎と電流爆破デスマッチで対戦。8分5秒、毒霧を吐き火炎を投げつけ反則負けに終わり、完全決着を望んでいた観客の大ブーイングを浴びた。その後もWJプロレスに継続参戦。5月2日、愛知県武道館大会で天龍、安生と組んで佐々木健介、越中、馳組と対戦。12分59秒、大仁田の馳への火炎攻撃で反則負け。5月3日、グランキューブ大阪大会でグレート・ニタに変身し、馳と対戦。12分38秒、無効試合。6月29日、北海道立総合体育センター大会で天龍源一郎と組んで長州力、越中詩郎組と電流爆破タッグデスマッチ。7分50秒、天龍が53歳で越中に勝利。9月23日、みちのくプロレスの安比高原スキー場ザイラーゲレンデ特設リング大会でサスケとノーロープ有刺鉄線電流爆破地雷ボードデスマッチ。21分59秒、首固めにフォール負け。 07年6月に政界引退を表明。 08年10月18日、新宿FACEで第1回邪道サミットを開催。メインで田中将斗、リッキー・フジと組んで非道、矢口、ザ・シューター2008組とデスマッチで対戦し、12分30秒、サンダー・ファイヤー・パワーボムでザ・シューター2008にフォール勝ちした。12月16日、新木場1stRINGでの佐野直の自主興行で佐野直とノーロープ有刺鉄線デスマッチ。16分54秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。12月18日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」で栗栖正伸と組んでグラン浜田、鶴見五郎組と対戦。イス攻撃をレフリーに妨害されて鶴見のロープでの首吊り攻撃を受けた栗栖が場外からイスをリングに投げ続けたため、そのまま12分31秒にリングアウト負け。12月31日、新木場1stRINGでの「大仁田厚プロレス祭り」で田中将斗、リッキー・フジと組んで青柳、松崎、ザ・シューター2009組と対戦。11分7秒、青柳のフライング・ニールキックでリッキーがフォール負け。試合後に「FMWは永久に不滅じゃ!」とマイクアピールした。 09年12月2日、長崎県知事選への立候補を表明。12月27日、5度目の引退表明。 10年2月4日、長崎県知事選に立候補。2月21日に落選した。

2012

12年3月16日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインで矢口と組んで初代タイガーマスク、サスケ組と対戦。9分53秒、タイガーマスクのタイガースープレックスホールドで矢口が敗れたが、有刺鉄線バットや毒霧をタイガーマスクにくらわせるなど大荒れの試合となった。試合後にリング上を占拠して水噴きパフォーマンスなどを続け、「リアルジャパンのファンに聞く。おれとタイガーマスクの電流爆破を見たいか」とアピールした。5月11日、新宿FACEでの自主興行で矢口、保坂と組んで初代タイガーマスク、サスケ、グラン浜田組と有刺鉄線ボードストリートファイトデスマッチで対戦。15分20秒、大仁田と矢口の合体サンダーファイヤーパワーボムで初代タイガーマスクに勝利。6月20日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインで初代タイガーマスクを相手にデンジャラス・スペシャル・ランバージャック・デスマッチで対戦。邪道軍団とリアルジャパン軍団を引き連れてのランバージャック戦を行い、お互いのセコンドがルールにより次々と退場となる中、13分58秒、有刺鉄線バットで殴られてフォール負け。試合後、握手をしつつもタイガーマスクに毒霧攻撃。マスクを脱がして場外へ投げ捨てた。7月8日、ZERO1の後楽園ホール大会で保坂、矢口と組んで菅原拓也藤田峰雄組とスクランブルバンクハウス・ストリートファイトデスマッチで対戦。17分42秒、大仁田がサンダーファイヤーパワーボムで藤田に勝利。8月26日、ZERO1の横浜文化体育館大会のメインで曙を相手にノーロープ有刺鉄線バリケードマットダブルヘル・メガトン電流爆破デスマッチで対戦。毒霧噴射、有刺鉄線バット攻撃などで優位に立つが、ボディプレスをくらってフォール負け。試合後、火炎攻撃を顔面にくらわせた。この試合後、曙は長期欠場となった。11月6日、ZERO1の後楽園ホール大会で復帰戦となった曙を相手にランバージャックデスマッチで対戦。曙が味方のセコンドを帰らせたため、場外戦では5対1のような形となり、リングに戻って有刺鉄線バットで殴り、赤の毒霧を顔面に噴射し、最後は10分、有刺鉄線バット上へのDDTを決めてフォール勝ち。11月28日、テレビ番組に出演したKENTAが両国国技館大会の対戦相手について、「(大仁田は)ないですね。僕のやっていることとは違う」とコメント。11月29日、これを伝え聞いた大仁田が矢口壹琅と共にノア事務所に「乱入」してKENTAとの対戦を要求した。12月7日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会で初代タイガーマスクと対戦。反則に激怒した立会人の小林邦昭が乱入し、大仁田が毒霧で反撃。収拾がつかなくなり、13分16秒、ノーコンテストに終わった。12月9日、ノアの両国国技館大会で矢口、保坂と組んでKENTA、高山マイバッハ谷口組と対戦。12分27秒、KENTAのgo2sleepに保坂が敗れた。12月13日、ZERO1のZepp Nagoya大会で田中将斗と組んでタッグトーナメント「風林火山」に出場。1回戦で曙、菅原組と対戦。10分1秒、大仁田がサンダーファイヤー・パワーボムで菅原に勝利。12月14日、茨城県立スポーツセンター大会での2回戦で大谷高岩組と対戦。12分49秒、リングアウト負け。

2013

13年2月8日、ZERO1の大阪府立体育会館大会のメインで曙を相手に電流爆破マッチで対戦。10分21秒、有刺鉄線電流爆破バットでの殴打からフォール勝ち。6月21日、新宿FACEでの大仁田の自主興業でグレート・ニタに変身してジ・ウインガーと対戦。6分37秒、サンダーファイヤーパワーボムで勝利。メインでは大仁田厚として出場し、田中将斗、矢口壹琅と組んで曙、浜亮太、菅原拓也組と対戦。3人合体のサンダーファイヤーパワーボムを決めて矢口が菅原にフォール勝ち。7月7日、ノアの有明コロシアム大会で矢口、保坂と組んで杉浦、高山、平柳組とストリートファイトトルネード6人タッグデスマッチで対戦。8分34秒、大仁田と矢口が有刺鉄線ボードへの合体サンダーファイヤーパワーボムを決めて、大仁田が平柳を踏みつけてフォール勝ち。8月31日、ZERO1の横浜文化体育館大会で曙と電流爆破マッチで対戦。史上初となる凶器として、爆破ジャケットを着た人間爆弾が投入された。大仁田はニタと融合した「グレート・おおニタ」に変身。曙はハワイで生まれた無差別殺人鬼・キラーウェアに変身。電流爆破バットで殴って電流爆破させ、火炎攻撃で曙を戦闘不能にし、乱入したKENSOを爆破させたが、爆破ジャケットを着て乱入した全日本プロレスの白石社長に爆破させられ、最後は白石社長と電流爆破。7分8秒、白石社長をフォールして勝利。10月14日、ZERO1の朱鷺メッセ大会で田中将斗と組んで高山、論外組と電流爆破マッチで対戦。15分6秒、大仁田がサンダーファイヤーパワーボムで論外に勝利。12月10日、ZERO1のナスキーホール・梅田大会で藤井と組んで風林火山タッグトーナメントに参戦。2回戦で大谷、田中将斗組と対戦。10分40秒、田中のスライディングDに藤井が敗れた。12月13日、ZERO1の茨城県立スポーツセンター体育館大会のメインで高山を相手に電流爆破マッチで対戦。頭突きの連打で4度目の爆破をさせて、11分50秒、DDOで勝利。

2014

14年3月21日、ZERO1の博多スターレーン大会のメインで大谷と組んで高山、藤原組を相手にノーロープ有刺鉄線電流爆破&爆破電気椅子デスマッチ。14分21秒、4人同時の爆破から大仁田が藤原にフォール勝ち。5月4日、ZERO1の茅ヶ崎市青果市場大会で矢口、保坂と組んで高山、藤原、論外組と電流爆破マッチで対戦。セコンドにゆるキャラのえぼし麻呂を引き連れて試合を行い、大仁田がサンダーファイヤーパワーボムで論外に勝利。7月25日 、大仁田厚プロレスの新宿FACE大会で矢口、保坂と組んでミスター・ポーゴ、グレート・ポーゴ、茂木組と対戦。16分59秒、大仁田がサンダーファイヤーパワーボムで茂木に勝利。7月7日、東京愚連隊の新宿FACE大会でW−1のKAIと組んで高山善廣、KIKUZAWA組と対戦。7分17秒、KAIが有刺鉄線バット攻撃からのサンダーファイヤーパワーボムでKIKUZAWAに勝利。8月1日、ZERO1の名古屋国際会議場イベントホール大会のメインでKAIと組んで青柳、越中組を相手に電流爆破マッチで対戦。14分51秒、4人同時被爆から大仁田が青柳にフォール勝ち。8月25日、新宿FACEでのGENTAROの自主興行でGENTAROと対戦。5月に脳梗塞から復帰した相手の要望に応える形で反則なしの正統派のスタイルで試合を行い、18分27秒、首固めでフォール勝ち。9月14日、ZERO1の札幌テイセンホール大会のメインで高山善廣とノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチで対戦。11分59秒、同体爆破からの体固めでフォール勝ち。9月23日、ノアとZERO1の合同興行となった新潟市体育館大会のメインで矢口、保坂と組んで高山、杉浦、平柳組を相手にノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ。電流爆破戦史上初となる6人同時爆破が起きる大激戦を展開。8分37秒、合体サンダーファイヤーパワーボムで大仁田が平柳にフォール勝ち。12月6日、全日本プロレスの大阪府立体育会館大会で渕と組んで金丸ウルティモ・ドラゴン組と対戦。12分13秒、大仁田の毒霧から渕が首固めで金丸にフォール勝ち。12月14日、ZERO1の田原市総合体育館大会での風林火山タッグトーナメント1回戦で青柳と組んでKAMIKAZEデーモン植田組と対戦。13分11秒、大仁田がリングアウト負け。12月19日、ZERO1の茨城県立スポーツセンター体育館大会で高山と組んでTARUYASSHI組を相手に電流爆破マッチで対戦。13分2秒、高山がバックドロップでYASSHIに勝利。

2015

15年1月23日、ZERO1の大阪府立体育会館第2競技場大会のメインで高山を相手に「ノーロープ有刺鉄線電流爆破ダブルバット・ダブルヘルデスマッチ」で初代爆破王決定戦。12分22秒、バックドロップに敗れた。3月21日、ZERO1の博多スターレーン大会で高山の爆破王座に爆破マッチで挑戦。14分59秒、電流爆破バット攻撃を決めてフォール勝ち。爆破王座を獲得した。9月5日、超花火プロレスの大阪府立体育会館・第2競技場大会でTARU、ダンプ松本組と対戦。大仁田の爆破王座も賭けられた。TARUに長与がフォール負けして爆破王座から転落した。9月12日、ZERO1(超花火プロレス)の新潟市体育館大会で長与千種と組んでTARU、ダンプ松本組を相手にノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで初代爆破王タッグ王座決定戦。12分16秒、TARUを爆破させて長与がフォール勝ち。爆破王タッグ王座を獲得した。12月7日、15年度のプロレス大賞の最優秀タッグチーム賞を長与千種と受賞した。

2016

16年2月1日、長与が胆のう全摘手術で欠場したため初代爆破王タッグ王座を返上した。2月21日、超花火プロレスの神戸サンボーホール大会でTARUの爆破王座に挑戦。13分11秒、ラリアットで勝利。爆破王座を奪回した。2月26日、FMWの後楽園ホール大会で保坂、ショーン・ギネスと組んで矢口、論外、サブゥー組と対戦。「負けるか、会場が満員にならなかったらFMW解散」という条件での試合となった。サンダーファイヤーパワーボム5連発を論外に決めて、毒霧からのラリアットで矢口に勝利。5月15日、超花火プロレスの青森市はまなす会館大会でサスケを相手に防衛戦。11分49秒、サンダーファイヤーパワーボムで勝利。7月24日、超花火プロレスの大阪府立体育会館・第2競技場大会のメインで船木誠勝を相手に3WAYバット有刺鉄線ボード電流爆破デスマッチで防衛戦。18分59秒、ハイブリッドブラスター、電流爆破バット連打からの体固めにフォール負け。爆破王座から転落した。この試合で負傷し、「右尺骨遠位端骨折」で全治3ヶ月の診断を受けた。7月29日、FMWの水戸大会に強行出場。8月1日、入院。8月2日、手術。8月3日、退院し、ZERO1の浜松町ビルディングでのイベント試合に出場。8月26日、ディファ有明でファイヤープロレスを旗揚げ。チャボ・ゲレロ、保坂、論外と組んでケンドー・カシン鈴木秀樹将軍岡本、黒覆面F組とノーロープ有刺鉄線&バリケードボードストリートファイト8人タッグデスマッチで対戦。11分5秒、チャボがジャーマンスープレックスで黒覆面に勝利。11月27日、全日本プロレスの両国国技館大会で渕正信と組んで青木篤志佐藤光留組のアジアタッグ王座に挑戦。同期のハル園田の遺影を掲げてリングイン。電流爆破バットを手にしたが渕に止められ使用を中止。イス攻撃や毒霧などで渕をサポートし、14分17秒、渕がバックドロップ7連発で佐藤に勝利。第100代アジアタッグ王者となった。

2017

17年1月2日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で秋山準井上雅央組を相手にタッグ王座の防衛戦。序盤は井上を相手に延々と場外戦を続けた。リング上に机を置いて井上を机の上でパイルドライバー。秋山を有刺鉄線ボードに叩きつけようとしたが逆に叩きつけられ、ギターで秋山に殴りかかったが、取りあげられて殴られた。秋山が渕をエクスプロイダーで投げようとしたところに毒霧を噴射。11分36秒、渕が逆さ押さえ込みで井上にフォール勝ち。2月24日、FMWの新木場1stRING大会でサスケとランバージャックデスマッチで対戦。15分53秒、イスの上へのバックドロップで勝利。2月26日、ZERO1のエスフォルタアリーナ八王子大会で船木の爆破王座に電流爆破マッチで挑戦。10分10秒、バックドロップ、毒霧からの電流爆破バット攻撃で勝利。爆破王座を奪回した。3月5日、ZERO1の名古屋国際会議場大会で船木と組んでTARU、田中将斗組を相手に電流爆破マッチで爆破王座の防衛戦。19分19秒、大仁田が爆破バット攻撃でTARUに勝利。3月12日、全日本プロレスは後楽園ホール大会にグレート・ニタに変身してリングに登場。試合直後の諏訪魔の前に現れ、「チキン諏訪魔」と書かれた果たし状を差し出し、諏訪魔から対戦を承諾された。激昂した諏訪魔に頭巾を脱がされた直後に緑の毒霧を噴射し、鎌で攻撃して退場した。6月20日、全日本プロレスの帯広市総合体育館大会のメインで青木篤志、佐藤光留組を相手にタッグ王座の防衛戦。13分3秒、青木の腕固めに渕が敗れて王座転落。8月5日、アメリカ遠征。デスマッチ団体CZWのニュージャージー州ブアヒーズ・タウンシップ大会でマット・トレモントを相手にノーロープ有刺鉄線電流爆破バットデスマッチ。途中から6人タッグに変更し、保坂秀樹、雷神矢口と組んでトレモント、リッキー・シェーン・ペイジ、ダニー・ハボック組と対戦。大仁田が爆破バットを決めて、雷神矢口が有刺鉄線ボード上へのサンダーストラックでハボックに勝利。8月13日、ZERO1の神戸常盤アリーナ大会で長与千種とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ。13分28秒、電流爆破バット攻撃で勝利。8月19日、ZERO1の多治見美濃焼卸センター大会で大谷と組んでTARU、田中将斗組の爆破王タッグ王座に挑戦。16分2秒、TARUの電流爆破バット攻撃に大谷が敗れた。9月21日、FMWの新木場1stRING大会でNOSAWA論外と電流爆破マッチで対戦。19分1秒、サンダーファイアーパワーボムで勝利。9月24日、ZERO1の名古屋国際会議場大会で田中将斗を相手に防衛戦。15分10秒、スライディングDに敗れて王座転落。10月31日、後楽園ホールで引退試合。鷹木、KAIと組んで藤田和之、カシン、論外組とストリートファイトトルネード・バンクハウスデスマッチで対戦。16分48秒、大仁田がサンダーファイヤーパワーボムで論外に勝利。

2018

18年1月、佐賀県神埼市に移住。4月15日、佐賀県神埼市長選挙に落選。

2019

19年2月22日、両膝の人工関節手術を受けた。10月28日、Aチームの鶴見青果市場大会で「ボランティアレスラー」として復帰。ストリートファイト・エニウェアフォール電流爆破バット&有刺鉄線地雷ボードデスマッチでケンドー・カシン、HASEGAWAと組んでキム・ドク、橋本友彦、雷電組と対戦。13分9秒、大仁田が電流爆破バット攻撃で雷電に勝利。12月9日、CZWのペンシルベニア州フィラデルフィア・2300アリーナ大会でトレモントと組んでDJハイド、MASADA組とハードコアマッチ。トレモントがコンクリートブロックを額に叩きつけてハイドに勝利。

2021

21年7月4日、鶴見青果市場でFMWEを旗揚げ。メインでリッキー・フジ、藤田ミノルと組んでアブドーラ小林、宮本裕向、怨霊組と有刺鉄線電流爆破+バリケードマット地雷+電流爆破バット+電流爆破テーブル〜地獄のデスマッチ〜。16分59秒、大仁田が電流爆破テーブルへのパイルドライバーで怨霊に勝利。近隣からの通報により消防と警察が駆けつける騒ぎがあった。9月12日、FMWEの鶴見青果市場大会でミスター・ポーゴ(シャドウWX)と有刺鉄線電流爆破&有刺鉄線電流爆破バット&電流爆破デンジャラス鬼棒&有刺鉄線バリケードマット地雷爆破ボード火薬3倍〜地獄のデスマッチ。13分45秒、電流爆破バットでの一撃で勝利。10月31日、ニュージャージー州トレントン市トレントン・サンダー球場で行われたハードコア団体H2Oの「DESTINY」に出場し、マット・トレモントと対戦。ハロウイン仕様の電流爆破で米国の大観衆を熱狂させた。大きな炎が立ちあがった有刺鉄線ボードの上に倒してフォール勝ち。12月19日、FMWEの鶴見青果市場大会で20人参加の地獄の電流爆破ハードコアランブルに出場し、46分57秒、最後に残った雷神矢口に電流爆破ギター攻撃で勝利。

2022

22年3月26日、ペンシルベニア州フィラデルフィア・2300アリーナでの「バトルグランド・チャンピオンシップ」のメインで、般若の面に着物をまとったグレート・ニタとして出場。対戦相手のブリー・レイは大仁田の入場曲「ワイルドシング」に乗って、革ジャンをはおりパイプイスを手にし、タバコをふかして入場。レザーフェイスやサンドマンが乱入する大混戦となり、最後にサブゥーが登場。ニタが握手を求めて差し出した手を五寸釘で刺されてしまい、ブリーの有刺鉄線テーブル上へのパワーボムに敗れた。3月31日、テキサス州ダラスのフェアモント・ホテルで行われたレッスルコン・スーパースターショーでジュース・ロビンソンリッキー・モートンロバート・ギブソンコルト・カバナと組んでPCO 、NZO、ジミー・ヤンバリー・フォロウィッツ、ダーティ・ダンゴ組と対戦し、勝利。7月17日、ファイヤープロレスの大阪・鶴見緑地花博記念公園ハナミズキホール付属展示場大会で雷神矢口と組んで西村修吉江豊組とスクランブルバンクハウス・エニウェア電流爆破バット+爆破ロケット+有刺鉄線ボード・エクストリーム地雷爆破デスマッチ。火薬量は昨年8月に同会場で行われた試合の5倍と説明された。乱入したミスター・ポーゴ(シャドウWX)に火炎バットで大仁田が殴打されて戦闘不能状態となり、12分11秒、西村と吉江の爆破バット・サンドイッチ攻撃に矢口が敗れた。8月6日、ペンシルベニア州フィラデルフィア・2300アリーナでの「バトルグランド・チャンピオンシップ」でチェーンソー・トニーと組んでブリー・レイ、PCO組と対戦。終盤に有刺鉄線バットで殴りかかられたが、毒霧を噴射。動きが止まった相手にDDO、イス攻撃からのDDOでブリーに勝利。9月18日、日本武道館(18年7ヶ月ぶりの日本武道館大会)で行われた全日本プロレス50周年記念大会で渕正信、越中詩郎と組んでグレート小鹿谷津嘉章、井上雅央組と対戦。セコンドのカブキがレフリーの死角をついて井上に毒霧を吐いて、11分55秒、渕がバックドロップ2連発で井上に勝利。10月2日、FMWEの当別町総合体育館大会でアンドレザ・ジャイアントパンダと対戦。3分44秒、ジャイアントプレスに敗れた。

2023

23年2月4日、全日本プロレスのエスフォルタアリーナ八王子・サブアリーナ大会でヨシタツと組んでNOSAWA論外、ケンドー・カシン組のアジアタッグ王座にトルネードバンクハウス電流爆破デスマッチで挑戦。9分13秒、大仁田が有刺鉄線電流爆破バット攻撃で論外に勝利。アジアタッグ王座を獲得した。4月15日、名古屋国際会議場大会で大森隆男、ブラックめんそーれ組を相手にトルネードバンクハウス電流爆破デスマッチでタッグ王座の防衛戦。10分30秒、大仁田が電流爆破バット攻撃でめんそーれに勝利。4月29日、FMWEの鶴見青果市場大会で石川修司、佐藤光留組を相手に北側一面有刺鉄線電流爆破+電流爆破バット+有刺鉄線バリケード地雷爆破デスマッチでタッグ王座の防衛戦。16分1秒、電流爆破バットのサンドイッチ攻撃で佐藤に勝利。試合後、大動脈瘤による手術を発表した。4月30日、検査入院。5月7日、再入院。5月9日、手術。5月15日に退院した。6月11日、全日本プロレスのビッグパレットふくしま大会で佐藤光留、川村亮組を相手に有刺鉄線ダブルバリケードマット・メガトン電流爆破デスマッチでタッグ王座の防衛戦。12分7秒、サンドイッチ電流爆破バットで川村に勝利。7月1日、DDTの横浜ラジアントホール大会で坂口征夫のキックを受けて左手首を骨折。7月9日、FMWEの鶴見青果市場大会で雷神矢口、リッキー・フジ組を相手に有刺鉄線ガラスクラッシュ式スパイダーネット地雷爆破+有刺鉄線電流爆破バット+北側有刺鉄線電流爆破デスマッチでタッグ王座の防衛戦。10分38秒、サンドイッチ爆破バットフルスイングでリッキーに勝利。7月23日、全日本プロレスの大阪府立体育会館・第2競技場大会で佐藤光留、田村男児組を相手に有刺鉄線バリケードマットメガトン電流爆破デスマッチでタッグ王座の防衛戦。11分17秒、ダブル電流爆破バット攻撃で田村に勝利。9月18日、DDTの名古屋国際会議場イベントホール大会で秋山準、鈴木鼓太郎組を相手に電流爆破バット&ボードデスマッチでタッグ王座の防衛戦。8分17秒、サンドイッチ式電流爆破バットフルスイングにヨシタツが敗れて王座転落。



スクラップブック
―― あの電流爆破という発想は、どこから出てきたんですか?
「その頃のFMWは表面的には好調に見えただろうけど、そういうものを考えつくぐらい実際には切羽詰まった状況だったんじゃないかな。夏のイベントとして最大のデスマッチをやりたいと思って、最初はファイヤーデスマッチを考えたんだよ。でも、消防法とかで許可が下りない。そこで俺か誰かが“爆弾はどうかな?”って言い出したと思うんだよ。本来、デスマッチは有刺鉄線とか痛みがわかるものがいいわけで、爆弾というのは非現実的なんだけど、“爆発”という視覚効果があるからいいんじゃないかって」
―― でも、試合前に実験するわけにはいかないので、リスクはありましたよね。
「ぶっつけ本番だから。どんなショックがあるかわかんないんだから、そこは怖かったよ。やっぱりイチかバチかだったから、できたんじゃないの?でも、俺は怖さよりも台風が接近していることの方が気になってしょうがなかった。それで大会が中止になったらヤバかったからね。台風に備えて野外じゃなく屋根のある場所でやったんだけど、結果的にそれも成功の要因になった。爆発音が反響したんだよ。その初めての電流爆破の時に、雑誌のフライデーが『涙のカリスマ』って書いたんだと思う。それから、その言葉が日本中に広まったんだよ」
(Gスピリッツ Vol.26  大仁田のインタビューより)
大仁田夢叶う、米国で電流爆破3発「ありがとう!」
(日刊スポーツ 2017年8月6日23時28分より)
 プロレス人生40年で7回目の引退を発表した大仁田厚(59)が、長年の夢だった米国での電流爆破を実現した。
 大仁田は5日(日本時間6日)、米ニュージャージー州のフライヤースケートゾーンで行われた、CZW主催のワンス・イン・ザ・ライフタイム大会で、マット・トレモントとシングルマッチで対戦。大仁田は開始早々、トレモントを捕らえて有刺鉄線に額を押し付けると、パイプ椅子攻撃に有刺鉄線バットと連続攻撃を加え、最初の爆破を打ち込んだ。
 その後、雷神矢口と保坂秀樹が乱入し、大仁田を助けたことで乱闘に発展。その揚げ句、最終的にトレモントが認めたことでCZWのリッキー・シェーン・ペイジとダニーハボックが加わり、急きょ試合中に6人タッグマッチに変更になった。
 大仁田は、試合形式が変更になっても手を緩めず、トレモントに2発目の電流爆破を打ち込んだ。さらに、大仁田が放った3発目の爆破バットが決め手となり、最後は雷神矢口がCZW軍を有刺鉄線ボード上へのサンダーストラックで沈めた。
 会場には2150人の熱狂的なファンが殺到して満員となり、消防が一時、入場制限をかけて試合開始が遅れるほどの盛況ぶりだった。大仁田は試合後、会場を埋め尽くしたファンに「アメリカの皆さん、本当にありがとう、ありがとう!私たちは同じく人間だ」と英語で語りかけ、聖水をまくパフォーマンスも飛び出すなど“大仁田劇場”を展開した。
 さらにトレモントに「日本に来い!もっとすごい電流爆破を体験させてやる!」と呼びかけた。9歳の頃から大仁田に憧れて育ち、対戦と日本でプロレスをすることを夢として掲げてきたトレモントにとって、2つ目の夢に大きく前進した。
 夢だった米国での電流爆破を実現した大仁田と、その大仁田が目標だったトレモントが激突した夢のハードコア対決は、舞台を日本に移して決着をつけることになりそうだ。
 さらに8月28日には、大仁田の分身グレート・ニタが東京・新木場1st RINGで開催する「さよならグレート・ニタ新木場大会」で、最後の姿を披露することも決まっている。
 大仁田は16年8月に右尺骨、同11月に左かかと、同12月に腰椎、17年2月に再び右尺骨と、7カ月で4度も骨折。縫った全身の傷は1499針に達し「一生懸命やれるのはこれまでかな」と肉体の限界を理由に、10月31日に後楽園ホールで行われる「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」で引退する。


緊急手術控える大仁田厚「本当に危なかったんだ・・・」 30年前に死の淵≠ウまよった9日間
(2023年5月2日11:00配信 東スポWEBより)
 大仁田の体に異変が生じたのは、ビッグ・タイトンとの一騎打ちに勝利した93年2月15日の宮崎大会後だった。高熱で呼吸困難に陥り、宮崎市内の病院でへんとう炎と診断され、ノドにたまったウミを出す切開手術を受けた。医者からは絶対安静と入院を言い渡されたが、FMWの興行は邪道抜きでは成立しない。注射と化膿止めをもらい、翌16日の鹿児島大会に強行出場する。エースとしての責任感から出た行動だが、この判断が後に命の危険にさらされる事態につながった。
 鹿児島ではグラジエーターとの有刺鉄線マッチに勝利したが、大仁田に試合の記憶はまったくない。控室に戻ると呼吸ができなくなり、救急車で鹿児島市立病院に運ばれた。即入院となったが、点滴や抗生物質などの効果があり、容体は安定。1週間後には退院できる運びとなったが、5日後の21日に容体が急変。呼吸不全に陥ってしまった。
 「最初はへんとう炎だったが、敗血症になった。急に危篤になって、危ないからと両親が呼ばれたんだ。いま敗血症は死亡確率が40%とか言われているけど、その頃は70%死ぬって言われてたんだ。本当に危なかったんだ」
 23日には長崎から母・きぬゑさんら家族が駆け付けた。ICUで24時間態勢の看護を受けた大仁田は、熱の上昇を収めるため氷漬けの状態。10人を超える医師が懸命の治療を続けたが、回復の兆しはなかった。
 「いろんな抗生剤を投入したけど、良くならない。いろいろ探してもらって東京から特別な抗生剤を取り入れてもらった。これが効かなかったら死ぬ。それが効いて良くなったんだ」。地元鹿児島の新聞社では大仁田死亡≠フ想定原稿を用意していたともいわれ、まさに死の淵をさまよっていたのだ。
 「臨死体験もしたんだ。農村に出掛けて麦畑を分け入った先に大きな木があった。俺は疲れたなあ〜、休みたいなあ〜と、その大きな木の下で寝たくなった。そうしたら、あっちから俺を呼ぶおふくろのような声がしたんだ。で、その声に振り返ったら起き上がったんだ。あのまま木の下に腰を下ろしてたら・・・二度と目覚めてなかっただろうね」
 ハッキリと目覚めたのが3月1日。だが、ここでも危険が待ち受けていた。点滴を全身に7、8本打っていた大仁田は蘇生して起き上がった勢いで、すべての点滴を抜いてしまったという。
 「その時にたまたま宿直だった医師がその道の専門家だった。それですぐに対処できて助かったんだよ。俺は奇跡が重なり合って生き延びたんだよ」
 9日間も危篤状態だった大仁田は25日に無事退院。臨死体験までして命のありがたみを痛感した邪道は医者が命じるまま、同年5月5日の川崎球場大会までおとなしく欠場した。ちなみにこの93年時点で大仁田の引退撤回は全日を退団し、FMWを旗揚げして復帰した1度きり。その後は6回(計7度)も引退を撤回し、9日には腹部大動脈瘤の手術を受けるが、いまでも平然とリングに立ち続けている。一度死にかけた人間はしぶとくなるものだが、いやはや、たいした生命力だ。
 大仁田が危険な状態に陥った原因のひとつとして挙げられているのは道頓堀ダイブ≠セ。前年92年12月10日の大阪大会で行われたタッグリーグ決勝戦に勝った大仁田は、ミナミを流れる道頓堀に歓喜のダイブを決め、大騒ぎした。
 「俺も原因はそれしかないって思ってるよ。大流血のまま飛び込んだから、傷口にばい菌が入ったんだよ。それから2日くらい高熱にうなされた。当時は風邪だと思って気にしてなかったんだけどね。バチが当たったんじゃないかな」
 と言いつつも大仁田は20年後の2013年2月に大阪で横綱・曙と電流爆破マッチを行う際「負けたら道頓堀に飛び込む」と高らかに宣言。まったく懲りない男だが、これを知った大阪府警からじかに電話で「飛び込んだら捕まえますから」と通達され、ダイブを断念したという。