レスラーノート

山口竜志

1985年3月6日
鳥取県東伯郡出身
183cm 107kg


倉吉工業高校ではレスリングで活躍。拓殖大学では大学グレコローマン選手権2連覇や学生選手権優勝などの成績を残した。06年11月、馳浩の紹介で健介オフィスに入団。 07年9月1日、ダイヤモンドリングのディファ有明大会での諏訪魔戦でデビュー。10分55秒、ラリアットに敗れた。9月29日、全日本プロレスの博多スターレーン大会で平井伸和と対戦。9分35秒、ロックボトムに敗れた。11月23日、後楽園ホール大会で真田聖也と対戦。9分8秒、ドラゴンスープレックスに敗れた。11月30日、全日本プロレスの千葉公園体育館大会で近藤修司と対戦。7分3秒、ラリアットに敗れた。12月9日、闘龍門のメキシコ・アレナ・メヒコ大会でヤングドラゴン杯に参戦。梶原慧、ブライアン・リー、テリー2000と組んで花岡大輔、SASAKI、トラウマ1号、トラウマ2号組とイリミネーションマッチ。8分42秒、梶原が首固めで1号にフォール勝ち。9分23秒、2号の片エビ固めにテリーがフォール負け。11分22秒、花岡のオリエンタルフルムーンにブライアンが敗れた。14分8秒、山口がスパインバスターで2号に勝利。18分31秒、山口がバックドロップでSASAKIに勝利。19分36秒、梶原が横入り式エビ固めで花岡にフォール勝ち。これにより梶原と山口が優勝決定戦に進出。同大会での優勝決定戦で梶原慧と対戦。9分55秒、ラリアットで勝利。ヤングドラゴン杯に優勝した。 08年1月6日、全日本プロレスの八王子市民会館大会で諏訪魔と対戦。8分29秒、バックドロップに敗れた。1月9日、全日本プロレスのキラメッセぬまづ大会で駿河一と対戦。6分34秒、逆エビ固めで勝利。国内初勝利を挙げた。2月11日、健介オフィスの後楽園ホール大会でこの日が復帰戦となった中嶋勝彦と対戦。25分13秒、ムーンサルトプレスに敗れた。2月16日、健介オフィスの健介オフィス道場大会で起田高志と対戦。11分39秒、ノーザンライトスープレックスで勝利。3月5日、ディファ有明での「第10回プロレスリング・セム」で中嶋勝彦と組んでKENTA伊藤旭彦組と対戦。気迫に満ちた好勝負を展開。20分時間切れ引分け後の5分の延長戦でも決着がつかなかった。3月26日、ディファ有明での「第11回プロレスリング・セム」で中嶋勝彦と組んでKENTA、伊藤旭彦組と対戦。24分50秒、伊藤のドラゴンスープレックスに山口が敗れた。3月29日、ノアの後楽園ホール大会で伊藤旭彦と対戦。9分43秒、バックドロップで勝利。ノアでの初勝利を挙げた。3月31日、ノアの上越市厚生北会館大会で菊地毅と対戦。5分38秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。4月1日、ノアの仙台産業展示館大会で谷口周平と対戦。8分52秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。4月4日、ノアの高松市総合体育館大会で井上雅央と対戦。10分41秒、逆エビ固めに敗れた。4月12日、ノアの広島グリーンアリーナ大会でムシキング・テリーと対戦。10分49秒、逆エビ固めに敗れた。4月15日、ノアの熊本大会を最後に両足前十字靭帯損傷のため長期欠場。回復には両膝の手術とリハビリが必要で、まだ23歳と若いことも考慮し、健介オフィス社長の北斗晶より引退を勧められた結果、5月に現役を引退した。引退後、介護系の仕事に就いた。