レスラーノート

大熊元司

1941年12月18日
埼玉県草加市出身
179cm 120kg

タイトル歴
アジアタッグ
得意技
ダイビング・ヘッドバット(ランニング・ヘッドバッド。ロープに飛んで反動をつけて走りこみ、飛びあがってからヘッドバット)
ハナバット(鼻をめがけての頭突き)

清美川の従弟。馬場の付き人第2号。ジャイアンツのファンだった。実家は酒屋だったため、13歳のころから物置で飲んでいた。中学卒業後、大相撲の伊勢ヶ浜部屋に入門。62年5月に日本プロレスに入門。6月5日、名古屋市金山体育館の北沢幹之戦でデビュー。11月、大熊元司から大熊熊五郎に改名。65年11月、大木金太郎が企画した大韓プロレスの5カ国対抗プロレス選手権に出場するため韓国遠征。張永哲と対戦した。67年9月10日、グレート小鹿と共にアメリカ遠征。テネシー地区では、もらったスケジュール帳に「OFF」と書かれていたため小鹿と共に「OFF」という地名を地図で探すが見つからず、事務所に行って「休み」のことだと教えられたこともあった。テネシー州、ジョージア州のタッグ王座を獲得。テネシーで半年、ジョージアで半年出場した後、ノイローゼになり帰国。69年春に日本プロレスのワールド大リーグ戦に初出場。71年にフロリダ遠征。フロリダで6ヶ月出場し、その後の1年はマシオ駒と共にテキサス州アマリロを中心に出場した。72年8月に駒と共に帰国し、全日本プロレスに入団。グレート小鹿との「極道コンビ」でアジアタッグ王座を4回獲得した。73年の第1回チャンピオンカーニバルでは1回戦でムース・モロウスキーに敗退。74年にカナダのニューブラウンズウィック地区に遠征。75年の第3回チャンピオンカーニバルでは1回戦でジン・キニスキーに敗退。76年の第4回チャンピオンカーニバルではザ・ビーストラリー・レーンラリー・シャープに勝利し、14人中11位の成績。77年の第5回チャンピオンカーニバルではグレート小鹿、ビル・ホワイトホセ・ゴンザレスレッド・ウルフに勝利、高千穂に引き分けて15人中11位。78年の第6回チャンピオンカーニバルではロッキー羽田フランク・モレルに勝利して15人中11位。79年の第7回チャンピオンカーニバルではビリー・フランシスドン・ミラノビッグ・レッドに勝利して16人中11位。80年の第8回チャンピオンカーニバルではカール・ファジーに勝利して13人中12位。81年の第9回チャンピオンカーニバルではグレート小鹿、プリンス・トンガに勝利して14人中13位。82年の第10回チャンピオンカーニバルではロッキー羽田、佐藤昭雄ビル・ハワードに勝利して18人中14位。長州らのジャパンプロレスが全日本プロレスに出場した際には、対抗戦で奮闘。ベテランの底力を発揮した。晩年は永源と共に悪役商会の一員となってジャイアント馬場率いるファミリー軍団と連日対戦。グリコポーズやピンクのパンツ着用などで明るいファイトを展開。ハワイの慰安旅行の帰国後の92年12月27日、急性腎不全で死去。酒豪としても知られていた。
スクラップブック
デビュー戦の日付(Gスピリッツ Vol.31 清水勉を聞き手にした北沢と小鹿のインタビューより)
―― 大熊さんのデビューも昔の資料では62年6月5日、愛知・金山体育館となっていますが、その前に6月3日、千葉・野田市営球場で北沢さんと試合してるんですよね。


小鹿 クマさん(大熊の愛称)も酒を飲まなかったら大人しい人で、温厚だったよ。
天龍 酒を飲んでない時は、小鹿さんがイジメるから(笑)。
カブキ でも、一杯飲んだら「ムース(小鹿の愛称)、この野郎!」って頭突きかまされて(笑)。NOSAWA論外がタクシーを盗んだとかって大問題になったことがあったけど、クマさんは青森で屋台を盗んだからね(笑)。俺が飯食って旅館に帰ろうとしたら、向こうからデカイ身体した奴が屋台を引いてたの(笑)。誰かなと思ったらクマさんで、「飲ませてくれって言ったら、もうおしまいだって断られたんで頭突きかましたんだけど、おっさんが引っ繰り返っちゃったから屋台をそのまま持って来たんだ」って。そうしたら、後ろから屋台のオヤジが「待ってくれ〜っ!」って走ってきてね(笑)。
天龍 大熊さんは巡業に行くと、みんなに「食べなよ!」と言って、自分はそれを見ながら飲んでいるのが好きな人でしたよね。
カブキ ホントに酒が好きだったよ。だって、草加の酒屋の息子だから。一斗樽を盗んで自転車の後ろに乗っけて売りに行って、その金で居酒屋で飲んでるの(笑)。
天龍 馬場さんも大熊さんが飲んで粗相をしても、それは目を瞑るというかフリーでしたね。大熊さんは練習しているようには見せなかったけど、僕が見た中では馬力のある人でしたよ。ナチュラルでレスラーらしい感じの人でしたね。
カブキ ホント、壊れないから。バカーンと思い切り蹴飛ばしても起き上がってきたから(笑)。
天龍 今のレスラーじゃ信じられないくらい頑丈でしたよ。
(Gスピリッツ Vol.33 天龍、カブキ、小鹿のインタビューより)


大熊元司さんは米国遠征でOFF(休日)を勘違いして地図でOFF町を探した
(2020年12月20日10:00配信 東スポWeb「和田京平 王道を彩った戦士たち」より)
 俺が駆け出しのころ、レフェリングを教えてくれたのが極道コンビ。タッチした、しないとか死角を突くとか、レフェリーとのやりとりがあるでしょ。米国で覚えてきたんだろうけど、基礎を教わった。
 とにかくうまい人だった。背中は畳みたいだし、負けっぷりがいい。常に中盤の試合で「今日のお客さんをどう喜ばせるか」を考えていた。大昔に百田の義ちゃん(力道山の長男・義浩さん)を逆エビ固めでギブアップさせて勝ったのにゴングが鳴ってもほどかない。
 仕方ないから「ワン、ツー、スリー」と反則カウントを数えたらファイブまでいっちゃってさ。リングアナウンサーが「裁定変わって大熊の反則負け」って。控室戻って「何であんなことしたんですか?」って聞いたら「お客さんが喜べばいいんだ」と笑ってた。あんなの最初で最後だよ。
 新しい外国人が来ると(ジャイアント)馬場さんは、まず頑丈な大熊さんか小鹿さんを当てていた。(ブルーザー)ブロディが来た時も、大熊さんを簡単に投げ捨ててニードロップ決めたから「これは上で使おう」ってなった。乱闘の仲裁でいつも(スタン)ハンセンのラリアート食らって倒れるのは大熊さんか若手時代の三沢(光晴さん)。要するに受け身がうまい人間だけ。ハンセンも分かっていたんだね。
 日本プロレス時代から馬場さんの付け人をやっていたんだけど、メチャクチャだった。大酒飲みだから、馬場さんの家に上がっては外国の高いウイスキー全部飲んで「おい元子(馬場さん夫人)、この家にはもう酒はねえのか?」と叫んだり。元子さんは「熊さんだから仕方ないよね」って笑ってた。馬場さんにはかわいがられていたね。
 地方へ行けば酔っ払って隣のおっさんと仲良くなって勘定払わせたり、急に屋台を引いて走りだしたり、ハワイのビーチで焼酎飲んでポリスに怒られたり・・・。40年以上前には俺の結婚式で大暴れされたよ。そういえば米国遠征中にはプロモーターから予定表を渡されて「OFF(休日)」って書いてある日を「おっ、試合が組まれたぞ」と大喜びで「OFF」って町を地図で探したって。そんなの大熊さんだけだ。
 俺の娘が6歳か7歳になったころ「子供の自転車が余ってるから持って行ってやる」と言って、五反田の家から俺の白金台の家まで自転車を自分で引いて持ってきてくれて、そのまま歩いて帰ったのは驚いた。誰からも愛される人だった。
 これはあまり知られてないけど、その昔、アジアのベルトは長さが違ったんだ。アンコ型と背の大きい人用。極道コンビがその地位を確立した証明ですよ。