レスラーノート

大木金太郎

本名:金一(キム・イル)
1929年(1933年説あり)2月24日
韓国・全羅南道出身
185cm 122kg

通称
韓国の猛虎
タイトル歴
WWA世界タッグ
極東ヘビー
インターヘビー
インタータッグ
アジアヘビー
アジアタッグ
WWA世界ヘビー
北米タッグ(アマリロ版)
得意技
頭突き

58年に韓国南部の麗水から漁船に乗って日本に密入国。横浜で働いていた。59年、日本プロレスに入門の許可をもらうが、入管法違反で逮捕された。力道山に助けを求め、力道山を身元引受人として釈放される。7月に日本プロレスに入門。11月にデビュー。63年9月にアメリカのロサンゼルス地区に遠征。12月10日、ロングビーチでミスター・モトと組んでベアキャット・ライトレッド・バスチェン組を破りWWA世界タッグ王座(当時の正式名はUSタッグ王座)を獲得。64年1月9日、ベーカーズフィールドでアート・ネルソン、スタン・ネルソン組に敗れて王座転落。1月24日の試合を最後に帰国。9月、アメリカ遠征。ダラス地区に出場。10月16日、ヒューストンでルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。顔面を殴られて流血し、バックドロップをくらって失神し、レフリーストップ負けに終わった。その後もダラス地区に出場。11月にロサンゼルス地区に転戦。65年1月にアマリロ地区に転戦。4月15日、ジョン・トロスと組んで北米タッグ王座を獲得。6月に帰国。8月に韓国に遠征。大韓プロレスの極東ヘビー級チャンピオン決定トーナメントに本名の金一(キム・イル)の名で参戦。8月6日、1回戦で長沢秀幸に勝利。8月7日、準決勝で吉村と対戦し、30分時間切れの結果、判定勝ち。8月10日、決勝で芳の里を反則勝ちで破り初代極東ヘビー級王座を獲得。11月25日から27日にかけて韓国遠征。5カ国対抗プロレス選手権を開催。韓国のプロレス界のリーダーとなった。日本プロレス時代には、インターヘビー、インタータッグ、アジアヘビー、アジアタッグなどのタイトルを獲得。67年6月、韓国・ソウルでマーク・ルーインを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得。7月28日、ロサンゼルスでマイク・デビアスに敗れてWWA世界ヘビー級王座を失った。73年4月の日本プロレス崩壊後は全日本プロレスに参戦。同年末に離脱してフリー宣言。新日本プロレスに登場し、猪木と対戦し、熱戦の末に敗れた。75年4月、ワールドリーグ戦に参加。10月には全日本プロレスに再登場し、馬場とノンタイトル戦で対戦。ジャンピング・ネックブリーカーにあっけなく敗れた。馬場の楽勝の背景には、猪木との実力の差を見せつける狙いもあったようだ。76年10月28日、蔵前国技館大会でタイガー戸口と組んで馬場、鶴田組を破りインタータッグ王座を獲得した。12月9日、日大講堂大会で馬場、鶴田組に敗れてタッグ王座から転落。77年7月28日、全日本プロレスの品川プリンスホテル大会でジャンボ鶴田と対戦。大木のアジア・ヘビー級王座、鶴田のUN王座が賭けられたダブルタイトルマッチとなった。1本目は8分36秒にフォール負け。2本目は8分にフォール勝ち。3本目は8分39秒に両者リングアウトの引き分けに終わった。10月29日、黒磯市公会堂大会で馬場のPWF王座と大木のアジアヘビー級王座のダブルタイトルマッチ。15分21秒、16文キックに敗れてアジアヘビー級王座から転落。11月7日、韓国のソウル文化体育館大会でキム・ドクと組んで馬場、鶴田組のタッグ王座に挑戦。2対1で勝利してインタータッグ王座2度目の獲得。78年5月11日、大阪府立体育会館大会で馬場、鶴田組に敗れてタッグ王座から転落した。国際プロレスにも登場したが、80年8月より三たび全日本プロレスに登場。81年4月13日、インターヘビー級王座を全日本プロレスに返上し、そのかわりにアジアヘビー級王座を獲得。11月5日が日本における最後のファイトとなった。その後は韓国に戻る。82年5月にアジアヘビー級タイトルマッチで阿修羅原と対戦し勝利。94年4月に韓国で国民勲章石榴賞を受賞。95年4月2日、東京ドームにおける「夢の架け橋」で引退式が行われた。06年10月26日、慢性腎不全症などのためソウル市内の病院で死去。
スクラップブック
「俺は力道山が朝鮮人だったというのも知らないぐらいだったんでね。だから、韓国から密航してきたとか、あまり大木さんの歴史を知らなかったんですよ。いろんな話を聞くと力道山にイジメられたと言われていますけど、俺が見ていた限りではそういうことはなかった。でも、力道山の付き人をやっていた田中米太郎さんにイジメられていたんだよね。今、いろいろな世界で暴力とかイジメがすぐ問題になるけど、“そんなのはイジメじゃねえよ!”というぐらいの差別というかな。その時はそんなに気にしていなかったんだけど、ご飯が付いたしゃもじで殴られたりみたいなこともあったしね。大木さんは、それにじっと耐えていた。だけど、密航してくるくらいのプロレスに対する憧れと同時に、韓国がこれからという時に“一旗揚げよう!”という内に秘めたるものがあの人にはありましたよ。そういう意味では、俺らは家族で一旗揚げるためにブラジルに行ったわけで、ちょっと形が違いますけど、その辺の根性論という部分では共通するものがありましたね」
−−人間として、根っこの部分で通じ合うものがあったと。
「ズバリ言えば、レスラーとしては身体は硬いし、歳もいくつサバを読んでいるのかわからないし(笑)。まあ、若い頃は同じ部屋で、いびきはうるさいんだけど、仲良しだったんでね(笑)。焼肉を教わったのは、あの人が最初でしたよ。上野に行って1000円でビールを飲んで、いろんなホルモンとかを食べて」
(Gスピリッツ50号 アントニオ猪木のインタビューより)