レスラーノート

熊野準

1991年11月22日
広島県広島市出身
170cm 75kg

タイトル歴
GHCジュニアタッグ
得意技
フラッシュパッケージ(別名、クマ固め。巻き込み式回転片エビ固め)

広島国際学院高校時代はレスリングで活躍。高校卒業後、総合学園ヒューマンアカデミー広島校スポーツカレッジスポーツトレーナー科に入学。 12年3月に卒業。4月15日、ノアの入門テストに合格。5月22日、合宿所に入寮。

2013

13年1月6日、後楽園ホール大会でのバトルロイヤルでプレデビュー。2月9日、後楽園ホール大会での小峠篤司戦でデビュー。8分36秒、逆エビ固めに敗れた。4月20日、ナスキーホール・梅田大会で土方隆司と対戦。9分5秒、逆エビ固めに敗れた。5月11日、日本武道館での小橋建太引退記念大会で渕正信と対戦。6分21秒、バックドロップに敗れた。6月13日、後楽園ホール大会で池田大輔と対戦。5分31秒、右ハイキックをくらってフォール負け。6月23日、三条市厚生福祉会館大会でザック・セイバー・ジュニアと対戦。11分54秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。7月から原田と組んでジュニアヘビー級タッグリーグ戦に参戦。4戦全敗に終わった。9月14日、長崎・平和会館大会でフェニックスと対戦。9分53秒、フェニックスドライバーに敗れた。9月15日、佐世保市体育文化館大会で獣神サンダーライガーと対戦。11分2秒、足折り固めに敗れた。9月16日、博多スターレーン大会で原田と組んでライガー、4代目タイガーマスク組のGHCジュニアタッグ王座に挑戦。21分12秒、ライガーの垂直落下式ブレーンバスターに原田が敗れた。9月23日、茅野市民館・マルチホール大会でヒロ・トウナイと対戦。11分30秒、腕固めに敗れた。10月11日、テレピアホール大会でアレクサンダー大塚と対戦。5分35秒、変型パワーボムに敗れた。11月12日、ラゾーナ川崎大会で丸藤正道と対戦。12分54秒、パーフェクト・フェイスロックに敗れた。11月13日、ラゾーナ川崎大会でGHC王者のKENTAと対戦。12分33秒、タイガースープレックスに敗れた。12月23日、ディファ有明大会で菊タローと対戦。9分22秒、ラ・マヒストラルを押しつぶしての片エビ固めにフォール負け。

2014

14年3月21日、後楽園ホール大会で新日本プロレスの田中翔と対戦。8分32秒、逆片エビ固めにレフリーストップ負け。3月29日、グリーンドーム前橋・サブイベントエリア大会で南条隼人と対戦。10分22秒、ファルコンアローに敗れた。7月18日、新発田市カルチャーセンター大会でジンゾーと対戦。5分30秒、ダイビングボディプレスに敗れた。同日から始まったジュニアタッグリーグ戦に北宮と組んで参戦。リーグ戦を1勝3敗で終えた。8月12日、新宿FACE大会で原田大輔と対戦。11分35秒、片山ジャーマンスープレックスホールドに敗れた。8月17日、金沢流通会館大会でジンゾーと対戦。8分28秒、450°スプラッシュに敗れた。8月30日、WWAの韓国・ゴヤン市伝統マーケット大会でジョ・ギョンホと対戦。11分29秒、反則勝ち。10月13日、フーテンプロの東京・FMホール大会で伊藤崇文と対戦。9分1秒、馬乗りパンチをくらってTKO負け。

2015

15年1月12日、横浜ラジアントホール大会で新日本プロレスのエル・デスペラードと対戦。5分9秒、ギターラ・デ・アンヘルに敗れた。5月10日、横浜文化体育館大会で平柳と組んでジャック・ギャンブルスペル・クレイジー組と対戦。5分42秒、平柳の昇龍玄藩から熊野がジャックナイフ式エビ固めでギャンブルにフォール勝ち。初勝利を挙げた。6月7日、新木場1stRING大会で友寄志郎と対戦。6分9秒、キャメルクラッチで勝利。シングル戦初勝利を挙げた。6月13日、広島グリーンアリーナ・小アリーナ大会で平柳と組んでTAKAみちのく、デスペラード組のGHCジュニアタッグ王座に挑戦。地元の声援を受けて奮闘したが、15分7秒、デスペラードのダイビングボディプレスに熊野が敗れた。7月18日から始まった「グローバル・ジュニアヘビー級リーグ戦」に参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で新日本プロレスの田中翔と対戦。9分1秒、抱え込み式逆片エビ固めに敗れた。7月19日、月岡ニューホテル冠月ホール大会で拳王と対戦。9分3秒、蹴暴に敗れた。7月24日、天草五和町コミュニティセンター大会で原田と対戦。10分6秒、片山ジャーマンスープレックスに敗れた。7月25日、佐世保市総合グラウンド体育館大会で小川良成と対戦。8分41秒、バックドロップに敗れた。7月28日、オロシティーホール大会でデスペラードと対戦。7分53秒、ダイビングボディプレスに敗れた。8月2日、高岡エクール大会でザック・セイバー・ジュニアと対戦。9分47秒、You are hereに敗れた。リーグ戦は6戦全敗に終わった。8月10日、新宿FACE大会で大日本プロレスの佐久田俊行と対戦。7分13秒、クマ固め(巻き込み式回転片エビ固め)でフォール勝ち。9月5日から始まったジュニアタッグリーグ戦にクレイジーと組んで参戦。リーグ戦は1勝3敗に終わった。11月20日、後楽園ホール大会で高山善廣と対戦。5分42秒、ランニングニーに敗れた。

2016

16年2月25日、新宿FACEで行われた新日本プロレスの若手主体興行「ライオンズゲート」に出場し、川人拓来と対戦。4分32秒、フィッシャーマンズスープレックスで勝利。5月20日、後楽園ホール大会のメインで潮崎と組んで杉浦金丸組と対戦。20分5秒、ラリアットを狙って突進してきた金丸の腕と足を取ってフラッシュパッケージで丸め込んでフォール勝ち。5月28日、大阪府立体育会館大会で金丸のGHCジュニア王座に挑戦。フィッシャーマンズスープレックス、大外刈り、変型スパインバスター、クロスフェイスロック、フラッシュパッケージなど持てる力の全てを出しきったが、14分49秒、タッチアウトに敗れた。5月19日、新宿FACEでの「ライオンズゲート」で吉田綾斗と対戦。6分10秒、変型スパインバスターで勝利。6月16日、新宿FACE大会でのスーパーJカップ出場者決定トーナメント1回戦で小川良成と対戦。10分30秒、変型回転エビ固めにフォール負け。7月16日から始まったジュニアヘビー級タッグリーグ戦にアンディ・ダルトンと組んで出場。1勝4敗でリーグ戦を終えた。9月1日、新宿FACEでの新日本プロレスの「ライオンズゲート」で田口隆祐と対戦。8分41秒、どどんに敗れた。10月21日、銚子市体育館大会で小川良成と対戦。11分17秒、腕極めキャメルクラッチに敗れた。11月23日、後楽園ホール大会でアレハンドロ・サエスと対戦。4分45秒、スパイラルタップに敗れた。12月9日、名古屋市中村スポーツセンター大会でHAYATAと対戦。7分35秒、ムーンサルトプレスに敗れた。12月10日、八幡浜市民スポーツセンター大会で藤原ライオンと対戦。10分4秒、変型スパインバスターで勝利。12月11日、高松シンボルタワー展示場大会で小川良成と対戦。8分5秒、バックドロップに敗れた。12月18日、秋田ふるさと村・ドーム劇場大会で洞口義浩と対戦。8分27秒、S・Hで勝利。12月19日、栃木県総合文化センター・サブホール大会で滝澤大志と対戦。7分30秒、タイガードライバーに敗れた。12月23日、ディファ有明大会で石森太二と対戦。9分33秒、450°スプラッシュに敗れた。

2017

17年1月7日、後楽園ホール大会で小川良成と対戦。9分59秒、腕極キャメルクラッチに敗れた。1月8日、石和温泉ホテル石庭大会で大原と対戦。11分9秒、ムイビエンに敗れた。1月9日、K−DOJOのBlue Field大会で梶トマトと対戦。9分54秒、レッドアイにフォール負け。同日の後楽園ホール大会で齋藤彰俊と対戦。10分40秒、スイクルデスに敗れた。1月11日、横浜ラジアントホール大会で丸藤と対戦。9分37秒、不知火に敗れた。1月18日、小山市立文化センター小ホール大会で原田と対戦。7分22秒、片山ジャーマンスープレックスに敗れた。2月17日、海峡メッセ下関大会でHAYATAと対戦。9分18秒、MNで勝利。2月19日、高知サンピアセリーズ大会で石森と対戦。7分51秒、後方回転片エビ固めにフォール負け。2月21日、名古屋市中村スポーツセンター大会で潮崎と対戦。10分31秒、ラリアットに敗れた。3月12日、横浜文化体育館大会で大原のGHCジュニア王座に挑戦。16分32秒、ムイビエンに敗れた。3月16日、山形ビッグウィング大会でエディ・エドワーズと対戦。10分46秒、ボストンニーパーティーに敗れた。3月20日、なら100年会館大会で潮崎と対戦。9分42秒、ラリアットに敗れた。3月23日、キッセイ文化ホール中ホール(松本市)大会で拳王と対戦。9分2秒、アンクルホールドに敗れた。4月14日、後楽園ホール大会で石森と対戦。8分12秒、横回転エビ固めにフォール負け。4月15日、島田市総合スポーツセンター・サブアリーナ大会でコーディ・ホールと対戦。6分6秒、チョークスラムに敗れた。4月16日、えすぽわーる伊佐沼大会でHi69と対戦。10分36秒、アルゼンチンバックブリーカーで勝利。4月22日、新潟市体育館大会で大原と組んで石森、Hi69組のGHCジュニアタッグ王座に挑戦。17分35秒、Hi69のストゥーカ・スプラッシュに熊野が敗れた。4月23日、金沢流通会館大会で原田と対戦。9分56秒、片山ジャーマンスープレックスに敗れた。4月30日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で藤原ライオンと対戦。8分45秒、SHで勝利。5月4日、後楽園ホール大会でロビーEと対戦。7分41秒、変型テキサスクローバーホールドに敗れた。5月13日、上越観光物産センター大会で諸橋晴也と対戦。9分41秒、アルゼンチンバックブリーカーで勝利。5月14日、埼玉県産業技術総合センター・SKIPシティ大会でコーディ・ホールと対戦。9分26秒、シットダウンチョークスラムに敗れた。5月21日、ふじさんめっせ大会でコーディ・ホールと対戦。8分24秒、シットダウンチョークスラムに敗れた。5月28日、岡山卸センター展示場オレンジホール大会でタダスケと対戦。9分53秒、アウトキャストに敗れた。5月30日、アクトシティ浜松大会でブライアン・ケイジと対戦。4分56秒、ドリルクローに敗れた。6月17日、霞ヶ浦文化体育会館大会でコーディ・ホールと対戦。6分22秒、ローリングラリアットに敗れた。6月18日、夢メッセみやぎ大会で北宮と対戦。10分4秒、監獄固めに敗れた。6月21日、名古屋市露橋スポーツセンター大会でYO−HEYと対戦。9分44秒、顔面Gに敗れた。6月22日、三重県総合文化センター大会でYO−HEYと対戦。10分31秒、顔面Gに敗れた。7月13日から始まったグローバル・ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に大原と組んで参戦。リーグ戦は4勝3敗に終わった。8月12日、横浜ラジアントホール大会で宮脇純太のデビュー戦の対戦相手として出場。7分43秒、逆エビ固めで勝利。9月10日、博多スターレーン大会で拳王と対戦。6分37秒、ダイビングフットスタンプに敗れた。10月1日、横浜文化体育館大会で田中稔と対戦。10分9秒、ミノルスペシャルに敗れた。11月11日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で田中稔と対戦。7分53秒、ミノルスペシャルに敗れた。12月12日、御殿場市民会館大会で北宮と対戦。8分3秒、スピアーに敗れた。12月16日、サンレック北上大会でHi69と対戦。7分12秒、ストゥーカスプラッシュに敗れた。

2018

18年1月15日、所沢市民体育館サブアリーナ大会でジェイ・ブラッドリーと対戦。6分23秒、ブームスティックに敗れた。2月2日、後楽園ホール大会でHAYATAを相手にGHCジュニア王座の挑戦者決定戦。9分27秒、ヘデックに敗れた。2月10日、京都KBSホール大会で清宮海斗と対戦。12分20秒、タイガースープレックスに敗れた。2月22日、後楽園ホール大会で潮崎と対戦。5分18秒、ラリアットに敗れた。3月3日、イコス上尾大会で宮脇と対戦。7分3秒、アルゼンチンバックブリーカーで勝利。3月18日、博多スターレーン大会でジェイ・ブラッドリーと対戦。5分33秒、無双に敗れた。3月29日、栃木県総合文化センター・サブホール大会で宮脇と対戦。7分46秒、アルゼンチンバックブリーカーで勝利。4月3日、新百合トウェンティワンホール大会で長井満也と対戦。7分54秒、ストレッチプラムに敗れた。4月7日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で宮脇と対戦。7分50秒、アルゼンチンバックブリーカーで勝利。4月11日、後楽園ホール大会でYO−HEYと対戦。8分20秒、顔面Gに敗れた。4月28日、埼玉県産業技術総合センター・SKIPシティ大会で宮脇と対戦。7分20秒、アルゼンチンバックブリーカーで勝利。5月11日、パラダイスガーデン佐世保大会で清宮と対戦。13分38秒、タイガースープレックスに敗れた。5月21日、アオーレ長岡アリーナ大会で齋藤彰俊と対戦。8分41秒、スイクルデスに敗れた。5月27日、長野アークスセンター大会でコーディ・ホールと対戦。6分38秒、ローリングラリアットに敗れた。6月16日、横浜ラジアントホール大会で原田と対戦。6分5秒、変型アルゼンチンバックブリーカーで勝利。6月26日、後楽園ホール大会で原田のGHCジュニア王座に挑戦。15分26秒、片山ジャーマンスープレックスに敗れた。7月7日から始まったグローバル・ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に大原と組んで参戦。4勝2敗でリーグ戦を突破。8月5日、後楽園ホール大会での優勝決定戦でHAYATA、YO−HEY組と対戦。26分5秒、YO−HEYのバンブードラゴンフライに大原が敗れた。8月23日、刈谷産業振興センター大会で宮脇と対戦。5分34秒、ベアボトムで勝利。8月25日、YAMADAグリーンドーム前橋・サブイベントエリア大会でタダスケと対戦。9分19秒、2PACにフォール負け。9月2日、後楽園ホール大会でこの試合がデビュー戦となった稲村愛輝と対戦。5分55秒、逆エビ固めで勝利。9月8日から始まったグローバルジュニアリーグ戦に参戦。9月14日、熊本市食品交流会館大会でタダスケと対戦。9分59秒、フラッシュパッケージでフォール勝ち。9月15日、博多スターレーン大会でGHCジュニア王者の原田と対戦。12分6秒、片山ジャーマンスープレックスに敗れた。9月16日、高知サンピアセリーズ大会で大原と対戦。12分24秒、変型アルゼンチンバックブリーカーで勝利。9月17日、テクスポート今治大会で鈴木鼓太郎と対戦。14分33秒、タイガードライバーに敗れた。9月29日、横浜ラジアントホール大会で諸橋晴也と対戦。11分52秒、変型アルゼンチンバックブリーカーで勝利。リーグ戦は3勝2敗に終わった。11月12日、広島産業会館・西展示館大会で井上雅央と対戦。10分38秒、丸めこみを切り返しての片エビ固めでフォール勝ち。12月16日、横浜文化体育館大会で大原と組んで田中稔、Hi69組のGHCジュニアタッグ王座に挑戦。17分41秒、熊野がアルゼンチンバックブリーカーでHi69に勝利。GHCジュニアタッグ王座を獲得した。

2019

19年2月1日、ノアが新体制に移行し、リデット・エンターテインメントのオーナー企業となった。同日、後楽園ホール大会で石井慧介、岩崎孝樹組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分59秒、熊野がアルゼンチンバックブリーカーで岩崎に勝利。2月24日、後楽園ホール大会で小川良成、鈴木鼓太郎組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分46秒、鈴木鼓太郎のタイガードライバーに熊野が敗れて王座転落。3月16日、松山市総合コミュニティセンター大会で岡田欣也と対戦。9分45秒、ラリアットで勝利。4月21日、万代島多目的広場大会で原田のIPWジュニア王座に挑戦。17分16秒、片山ジャーマンスープレックスに敗れた。4月28日、山形ビッグウイング大会でHi69と対戦。9分32秒、ヨーロピアンクラッチにフォール負け。5月4日、後楽園ホール大会で大原はじめと対戦。6分25秒、ムイビエンに敗れた。5月19日、グリーンドーム前橋・サブイベントエリア大会で諸橋晴也と対戦。15分時間切れ引き分け。5月28日から始まったグローバルジュニアタッグリーグ戦にクリス・リッジウェイと組んで参戦。3勝3敗に終わった。6月22日、長野アークス大会で杉浦貴と対戦。12分11秒、オリンピック予選スラムに敗れた。6月27日から始まったグローバルジュニアリーグ戦に参戦。6月29日、島田市総合スポーツセンター大会でHAYATAと対戦。11分1秒、クロスフィックスにフォール負け。7月6日、新潟・風鈴屋大会で大原はじめと対戦。13分35秒、アルゼンチン式ジャーマンスープレックスで勝利。7月16日、新百合トウェンティワンホール大会で鈴木鼓太郎と対戦。10分32秒、エンドレスワルツにフォール負け。7月19日、盛岡体育館大会でHi69と対戦。9分39秒、ストゥーカスプラッシュに敗れた。7月20日、秋田・セリオンプラザ大会でクリス・リッジウェイと対戦。10分1秒、アンクルホールドに敗れた。リーグ戦は1勝4敗に終わった。8月16日、埼玉・ふれあいキューブ大会でソニコと対戦。9分25秒、アルゼンチン・バックブリーカーで勝利。9月21日、えすぽわーる伊佐沼大会で杉浦貴と対戦。10分43秒、オリンピック予選スラムに敗れた。10月9日、小山市立文化センター・小ホール大会でソニコと対戦。7分14秒、アルゼンチン式ジャーマンスープレックスで勝利。10月11日、横浜ラジアントホール大会で小峠篤司と対戦。10分39秒、逆さ押さえこみにフォール負け。10月13日、神戸サンボーホール大会で田中稔と対戦。7分31秒、ミノルスペシャルに敗れた。12月12日、はまなす会館大会でYO−HEYと対戦。15分時間切れ引き分け。

2020

20年1月10日から始まったグローバルジュニアリーグに参戦。開幕戦の横浜ラジアントホール大会で大原はじめと対戦。13分39秒、変型アサルトポイントで勝利。1月12日、アクトシティ浜松大会で小峠篤司と対戦。10分56秒、前方回転エビ固めにフォール負け。1月19日、八鹿総合体育館大会でYO−HEYと対戦。13分53秒、スーパー顔面Gに敗れた。リーグ戦は1勝2敗に終わった。1月29日、サイバーエージェントが、ノアを運営するノア・グローバルエンタテインメントの全株式を取得し、子会社化すると発表した。社長に高木三四郎、副社長に丸藤が就任した。2月8日、アオーレ長岡アリーナ大会で清宮海斗と対戦。13分26秒、タイガースープレックスに敗れた。3月9日、記者会見で無期限休業に入ることを発表した。練習生の頃から患っている左目の神経まひが悪化したことなどが原因と語った。7月19日、後楽園ホール大会で休業前ラストマッチを行ない、杉浦貴と組んで丸藤正道、岡田欣也組と対戦。18分22秒、丸藤の真・虎王に熊野が敗れた。



スクラップブック
休業発表時の記者会見
(2020年3月9日 ノアの公式ページより)
熊野「こんなお昼の時間に僕のようなものに時間を割いていただいて申し訳ないのですが・・・単刀直入に言いまして、休業させていただくことになりました。デビューする前、練習生の頃から左目に神経麻痺がありまして。試合もできてましたし、日常生活も送れてましたので、そのまま過ごしていたのですが、ここ最近、ひどくなることがありまして、自分的にもここで無理するよりも未来を見据えて手術をして、治療に専念しようと思いました」
――改めて具体的な症状というのは?
熊野「最初の頃は下の方を見ると、ものが二重に見える状態だったんですけど、最近はまっすぐ見たときにも症状が出てしまって。最初の頃から、病院で診てもらった時には左目の滑車神経というものが麻痺していると言われましたが、そのまま病院には行かずに試合も続けてきました。なので、これから本格的に病院で検査を続けていきたいと思っています」
――手術しても回復するとは限らないため、休業期間を無期限とした?
熊野「「治る」とは言われたんですが、ほかにも色んなことが重なって、この決断に至りました。治ると信じて、これから病院で先生としっかり話し合って、治療に専念していきたいと思います」
――あくまで引退せずに復帰したい?
熊野「そうですね。やり残したことはたくさんあるので。ノアのジュニアのトップも獲ってないので。そこは引退ではなく休業という形で。なので休業中もしっかり鍛えて、帰ってきた時には他のノアジュニアを圧倒できるような力を身に着けて戻ってきたいと思ってます」
――休業まで2試合が決定、新潟では軍団の枠を超えて小川&小峠&大原と組んで、原田&HAYATA&YO−HEY&タダスケのRATELVSと対決する。
熊野「僕のプロレス人生のなかで小川さんは色んなことを教えてくれましたし、小峠さんはデビュー戦の相手。大原さんは一番長くタッグを組んだパートナーだったんで。そういう人たちと組めるのは凄くうれしい。そして対戦相手はRATELVS。ボスの原田さんとはタッグを組んでいたこともありますし、タイトルマッチ(昨年新潟で行われたIPWジュニア王座戦)で負けてるんでね。その分も勝ちたいっていうのはありますし。現在のノアジュニアにおいて、RATELVSは凄いチームだと思ってますんで、そこと対戦できるというのもひじょうに楽しみです」
――休業前のラストマッチとなる後楽園では杉浦とシングルマッチで対決する。
熊野「ここ最近、何度かシングルマッチで当たる機会もあったんですが、最後も杉浦さんと対戦させていただける。プロレスラーになろうと思ったきっかけが“杉浦さんに憧れて"っていうのはあったので、凄い光栄なことですし。休業前最後の試合に杉浦さん、ということで、今までの7年間をすべてぶつけて、生きて帰れるか分かりませんが、存分に杉浦貴を味わいたいと思います」
――復帰時期についての目星は自分のなかではある?
熊野「数字ですか・・・今、いろいろなことが重なってまして、それもあっての決断なので、具体的な数字は出せないんですけど、自分のなかでしっかりと治して、ノアジュニアのトップを獲れると思うまでは、たぶん復帰はしないと思ってます」
――最も重い“やり残したこと"とは?
熊野「やはりGHCジュニアのシングルに挑戦はしましたけど、まだ巻いたことがない。勝ったことがない選手がいるので、その選手にも勝ちたい。あと一つ言えるのであれば、他団体のリーグ戦にも出たい・・・っていう気持ちはあったので。それは復帰してから狙っていきたいと思っています」
――休業前のこれまでで最も印象に残っていることは?
熊野「いろいろ思い返せばありますけど・・・僕にプロレスを教えてくれた人(故・青木篤志さん)との別れが大きいですね。その縁で対戦できないと思っていた秋山(準)さんとも試合させていただけましたし。中途半端な形になってしまいますけど、やっぱりその人(青木さん)に自分の生き様を見せるためにも、ここはしっかり充電期間として目を治して、闘える状態にまで持っていって、復帰して暴れたいと思っています」


ノア・無期限休業の熊野、最終戦は玉砕 師の丸藤「いつまでも仲間。待っている」
(2020年7月20日0:00配信 デイリースポーツより)
 左目の神経まひ治療などのために無期限休業することを宣言している熊野準が、休業前最後の試合で敗れた。
 本来は4月19日に行う予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期となっていた区切りの一戦。熊野はあこがれの人である杉浦貴と初めてタッグを組み、師匠の丸藤正道、若手の岡田欣也組と対戦した。
 丸藤の厳しい攻めを耐え、終盤は「決めろ」とハッパをかける杉浦のアシストを受けて丸藤との一騎打ち状態に。アルゼンチンバックブリーカーなどの得意技をたたみかけたが、最後は丸藤の新技、両腕をロックしてヒザを顔面にたたき込む真・虎王を浴びて力尽きた。試合後はダメージのため岡田の肩を借りて立ち上がり、杉浦から「今までよく頑張った」と声をかけられ、丸藤に健闘をねぎらわれると、大声の自粛を求められている観客からは惜しみない拍手が送られた。
 熊野は高校時代にレスリングで全国大会に出場、杉浦にあこがれてノア入りし、13年にデビュー。当時、団体は選手が大量離脱するなど苦しい時期だったが、「ノアでプロレスがやりたかった。ノアがダメならあきらめるつもりでいた」との固い決意で生え抜きを貫いた。
 インタビューでは杉浦から「今日は熊野が頑張った。思いがオレにもお客さんにも伝わった」と再度ねぎらわれた熊野。「あこがれの杉浦さんと初めて組んで、相手にはデビュー前からお世話になっている丸藤さん、後輩の岡田。こんなありがたいカードを組んでいただいて、ノアには感謝しかありません」と、区切りの試合を終えた心境を口にした。
 この日は髪を青く染め、青いコスチュームを着用。青はノアと全日本で活躍し、昨年8月に交通事故死したもう1人の師である青木篤志さんが好んだ色で、「ボクにはすごくお世話になった人(青木さん)がいたんですけど、その人とは試合ができなくなってしまって、その意思を勝手に継いだつもりなんですけど・・・。こうして休業を自分から出したふがいなさを後悔するのもあるんですけど、ボクの人生なので、絶対カンバックして、またノアで上を目指します」と、込められた思いを語った。
 杉浦は「彼はノアが一番厳しい時代の新弟子。後輩が入ってきてもすぐにやめてしまう状況の中、彼1人、辛抱強く残って、何一つ文句を言わず、一番ノア愛があるんじゃないかと思うぐらい」と称賛。最後に熊野は、「ノアでデビューして7年間、勝てなかった自分をずっと応援してくれてありがとうございました。今以上にパワーアップして帰ってくるので、その時は応援よろしくお願いします」とファンにメッセージを送った。
 また、丸藤は「彼を入門の時から見ていたので、今日、相手できてよかった。戻って来る時は今まで以上の、ベルトを一発で取るぐらいの熊野で帰ってこいって。アイツはいつまでも仲間だから」とエール。「ずっと見てきている人間が休業という形でオレより早くリングから遠ざかるのはさみしい。いいところも悪いところもあるけど、やっぱりかわいいよ」とひとまずの別れを惜しみながらも、「今、ノアは希望に満ちあふれていると思う。そういう中で彼が決断したということは相当なこと。オレたちは待っているよ」と約束した。