レスラーノート

エル・ハルコン(エル・アルコン)

EL HALCON
本名:ホセ・ルイス・メルチョール・オルティス
1947年7月23日
メキシコ・メキシコシティ出身
179cm 99kg

通称
隼仮面
タイトル歴
ナショナル・ヘビー
北部タッグ
アメリカス・タッグ
アメリカン・タッグ
アメリカン・ヘビー
得意技
トペ・スイシーダ

デビュー前はアマレスで活躍。70年8月、メキシコ選手権に出場し、フリースタイルとグレコローマンの82キロ級で優勝。

1971〜1976

71年7月、コロンビア・ガリのパンアメリカン選手権で4位。帰国後、レイ・メンドーサにプロ転向を相談し、メンドーサの勧めでアレナ・メヒコのジムでラファエル・サラマンカと特訓を始める。12月8日、アレナ・コリセオでダニー・オルティスの名でデビュー。 72年7月28日に創刊したルチャの雑誌「エル・ハルコン」での、雑誌名と同名の選手をデビューさせる企画に抜擢される。 73年1月3日、アレナ・コリセオ・デ・アカプルコでエル・ハルコンとしてデビュー。1月14日からモンテレイのサーキットに入り、シクロン・ベロス・ジュニアと組んで活躍。北部タッグ王座を獲得した。モンテレイのジムではレネ・グアハルドに鍛えられた。8月17日、アレナ・メヒコに登場。9月21日、アニベルサリオでグアハルドのNWA世界ミドル級王座に挑戦。1対2で敗れた。10月26日、アレナ・メヒコでエル・ソリタリオと組んでワンナイト・トーナメントで優勝し、アレナ・メヒコタッグ王座を獲得。 75年5月1日、世界最大の闘牛場「プラサ・デ・メヒコ」でのエル・サント主催の大会でドクトル・ワグナーと組んでロス・ヘメロス・ディアブロ(後のツイン・デビルス)のマスクを剥いだ。9月27日、ピスタ・レボルシオンでラウル・レイジェスを破りナショナル・ヘビー級王座を獲得。 76年12月3日、アレナ・メヒコでミル・マスカラスのIWA世界ヘビー級王座に挑戦し、1対2で敗れた。

1977

77年3月13日、グアダラハラでグラン・マルクスに敗れて王座転落。6月24日、アレナ・メヒコでマルクスを破り王座奪回。7月29日、アレナ・メヒコでマスカラスとマスカラ・コントラ・マスカラで対戦。1本目は13分28秒にベアハッグでマスカラスが勝利。2本目は4分51秒にフロント・スープレックスでハルコンが勝利。3本目はハルコンがトペ・アトミコ、プランチャで勝負をかけるが、11分8秒、フライングクロスアタックの連発から首固めでマスカラスが勝利。ハルコンはマスクを脱いだ。9月23日、エル・アルコン・オルティスに改名。12月2日、アレナ・メヒコでエローデスにカベジェラ戦で勝利。12月18日、モンテレイでラウル・マタに敗れて王座転落。

1978

78年2月、アメリカのロス地区に遠征し、マスクを被る。2月24日、サンディエゴでチャボ・ゲレロと組んでロン・バス、ドクター・ヒロ・オオタ(ヤス・フジイ)組を破りアメリカス・タッグ王座を獲得。3月10日、オリンピック・オーディトリアムでロニー・メイン、ロン・バス組に敗れて王座転落。4月7日、ロニー・メインのアメリカス・ヘビー級王座に挑戦。セコンドのロン・バスに加勢されてマスクを剥ぎ取られて反則勝ち(規定により王座防衛)。4月14日、オリンピック・オーディトリアムでロニー・メインと素顔で再戦。凶器攻撃で流血させられてKO負け。4月21日、アレナ・メヒコでハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。互いに1本ずつ取り合い、勝負をかけた3本目、首固めにフォール負けした。8月、全日本プロレスにマスクをかぶって初来日。9月13日、愛知県体育館大会でマスカラスとALLヘビー級王座に挑戦。この試合は覆面剥ぎマッチとなり、4分38秒、弓形背骨折りで敗れて素顔をさらす。

1979

79年2月9日、アレナ・メヒコでパク・チュー(木村健悟)のNWA世界ライトヘビー級王座に挑戦。互いに1本ずつ取り合った3本目、パク・チューのトペ・スイシーダをくらって両者リングアウトの引き分け。3月2日、カベジェラ戦でパク・チューに勝利。4月からテキサスにマスクを被って遠征。6月1日、ヒューストンでホセ・ロザリオと組んでマーク・ルーイン、ザ・スポイラー1号(ドン・ジャーディン)組を破りアメリカン・タッグ王座を獲得。7月20日、ジノ・ヘルナンデス、グラン・マルクス組に敗れて王座転落。8月10日、スポイラー1号を破りアメリカン・ヘビー級王座を獲得。11月2日、ヒューストンでグラン・マルクスとの「ルーザー・リーブ・テキサス(敗者追放マッチ)」に敗れてテキサス地区を離脱。12月23日、トレオンでグラン・マルクスを破りナショナル・ヘビー級王座を獲得。

1980〜

80年1月16日、アカプルコでトニー・ベネットに敗れて王座転落。7月11日、ヒューストンでグラン・マルクスとのマスカラ・コントラ・マスカラに敗れてマスクを脱いだ。8月1日、ヒューストンでジノ・ヘルナンデスを破りアメリカン・ヘビー級王座を獲得。同月、ケリー・フォン・エリックと組んでアメリカン・タッグ王座を獲得。 81年6月12日、アレナ・メヒコでのアドラブレ・ルビとのカベジェラ戦で勝利。 82年6月20日、グアダラハラでエローデスを破りナショナル・ヘビー級王座を獲得。10度の防衛に成功。 83年8月7日、グアダラハラでピラタ・モルガンに敗れて王座転落。 84年に再びマスクマンとなり、スペル・アルコンの名で活躍。 87年9月3日、グアダラハラでアルフォンソ・ダンテスを破りナショナル・ヘビー級王座を獲得。12月17日、モンテレイでグラン・マルクス・ジュニアに敗れて王座転落。 89年4月23日、パラシオ・デ・ロス・デポルテスでのUWAとEMLLが共催した大会でラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアとマスカラ・コントラ・マスカラで対戦し、敗れてマスクを脱いだ。その後、体育講師として活動し、セミリタイア。 92年、AAAに登場。同年に引退。