ダークロHP / レスラーノート

征矢匠

1987年8月4日
長野県上伊那郡出身
178cm 102kg
得意技:ストレッチプラム

09年、大学3年生の時に入団公開オーディションで合格。大学卒業後の10年4月に全日本プロレスに入団。11年1月2日、後楽園ホール大会で兄の征矢学を相手にデビュー。 8分19秒、抱え込み式逆エビ固めに敗れた。3月8日、銚子市体育館大会で鈴木みのると組んで征矢学、KAI組と対戦。16分1秒、征矢学のラリアットに征矢匠が敗れた。この試合でアゴを骨折して長期欠場。8月13日、後楽園ホール大会で復帰戦。船木と組んでドーリングデュプリ組と対戦し、8分42秒、ドーリングのショートレンジラリアットに征矢が敗れた。8月20日、札幌テイセンホール大会で曹駿と対戦。4分26秒、逆片エビ固めで勝利。9月23日、エテルナ高崎大会で中之上と対戦。6分53秒、逆エビ固めで勝利。10月10日、後楽園ホール大会で中之上と対戦。5分48秒、逆エビ固めで勝利。10月16日、長崎西洋館イベントホール大会で中之上と対戦。8分16秒、逆エビ固めで勝利。10月17日、オロシティーホール大会で三冠王者の諏訪魔と対戦。10分27秒、逆エビ固めに敗れた。11月19日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦に諏訪魔と組んで出場。3勝6敗に終わった。12月11日、後楽園ホール大会で近藤修司と対戦。9分15秒、逆エビ固めに敗れた。12月18日、大日本プロレスの横浜文化体育館大会で諏訪魔と組んで関本、岡林組のアジアタッグ王座に挑戦。22分49秒、岡林のダイビングボディプレスに匠が敗れた。12月24日、名護市21世紀の森体育館大会で大和ヒロシと対戦。11分38秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。12年1月15日、アイメッセ山梨大会で征矢学と対戦。10分8秒、抱え込み式逆エビ固めに敗れた。3月4日、後楽園ホール大会で岡林と対戦。9分11秒、ラリアットに敗れた。3月20日、両国国技館大会で諏訪魔と組んで関本、岡林組のアジアタッグ王座に挑戦。19分13秒、関本のジャーマンスープレックスに征矢が敗れた。4月14日、ディファ有明大会でチャンピオンカーニバル出場を賭けて中之上靖文と対戦。9分34秒、ストレッチプラムで勝利。4月21日からチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で岡林裕二と対戦。13分28秒、逆エビ固めに敗れた。4月22日、藤岡市民ホール大会で真田聖也と対戦。11分8秒、THIS IS IT(胴締めドラゴンスリーパー)に敗れた。4月23日、イコス上尾大会で太陽ケアと対戦。10分31秒、TKOに敗れた。4月26日、和歌山県立体育館大会で征矢学と対戦。16分24秒、ワイルドボンバーに敗れた。5月3日、右膝の内側側副靭帯損傷のためリーグ戦の途中で長期欠場することが全日本プロレスから発表された。5月27日、後楽園ホール大会で復帰戦。征矢学と組んで真田、ドーリング組と対戦。13分42秒、真田のTHIS IS IT(胴締めドラゴンスリーパー)に匠が敗れた。試合後、昨年に負ったアゴのケガによる引退をリング上で表明した。5月28日、事務所で記者会見を開いて引退した経緯を説明。内田社長の説明によると、アゴは3か所を骨折し、現在も5か所をプレートで固定。試合を終えるたびに痛みを発しており、食事も試合後は硬い物は無理で、豆腐しか食べられないような状況だったという。痛みをなくすにはアゴに入っているプレートを外すしかないが、もしこの処置を行った場合、「衝撃に耐えられず、プロレスを続けるのは無理」というのが医師の下した診断だったとのこと。匠は「11〜12月ぐらいから調子が良くなくて、3月にレントゲンを撮ったんですが、プレートが欠けていて、外さないといけない状態になり、それでドクターストップがかかりました。短い期間でしたけど、充実したプロレス生活を送れたと思っています。悔いはありません」と語った。

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