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ジョン・トロス
JOHN TOLOS


本名:オクタビオ・ロペス・アレオラ
1930年9月18日
カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身
185cm 103kg
タイトル歴:UNヘビー WWWF・USタッグ アメリカス・ヘビー インターナショナル・タッグ(トロント版)

通称「ギリシャの黒鷲」。60年代、兄クリスとのコンビ「ゴールデン・グリークス」で活躍。61年12月7日、カナダ・オンタリオ州トロントでクリスと組んでインターナショナル・タッグ王座(トロント版)を獲得。12月28日、トロントでホイッパー・ビリー・ワトソン、ユーコン・エリック組に敗れて王座転落。62年1月4日、トロントでクリスと組んでタッグ王座を奪回。1月18日、トロントでホイッパー・ビリー・ワトソン、ビル・ソロウェイコ組に敗れて王座転落。3月15日、トロントでクリスと組んでタッグ王座を奪回。3月22日、トロントでホイッパー・ビリー・ワトソン、ビリー・レッド・ライオン組に敗れて王座転落。63年12月28日、ゴリラ・モンスーンキラー・コワルスキー組を破りWWWF・USタッグ王座を獲得。ロス地区でフレッド・ブラッシーと大抗争を展開。68年5月、日本プロレスに初来日。ジャイアント馬場アントニオ猪木と好勝負を展開。ロサンゼルス地区では長い間、タイトル戦線の常連だった。70年11月20日、パンテラ・ネグラを破りUNヘビー級王座を獲得。12月4日、レイ・メンドーサに敗れて王座転落するが、71年2月16日にメンドーサが防衛戦を行わなかったため王座に再びついた。3月26日、ロスで猪木に敗れ、UN王座から転落。5月7日、ロスでアメリカス・ヘビー級王座を獲得。8月27日、ブラッシーとの決着戦としてロサンゼルス・コロシアムに2万5847人もの観客を集めて対戦。当時のカリフォルニアの興行新記録を達成した。試合は大流血させられ、トロスのレフリーストップ負けに終わった。12月17日、ロスで馬場と組んでキンジ渋谷、ミスター斎藤(マサ斎藤)組と金網マッチで対戦した。74年1月に新日本プロレスに登場。2月1日の大田区大会では猪木と3本勝負で対戦し、2本先取して勝利。10月にも新日本プロレスに来日。79年3月に国際プロレスに来日。3月26日、福島大会でラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦。81年にアメリカス・ヘビー級王座を獲得。引退後はカート・ヘニングのマネージャーとしても活躍。86年10月9日、両国国技館大会での猪木対スピンクス戦の立会人として来日。92年9月29日、FMWの横浜スタジアム大会でキラー・コワルスキーとエキシビションマッチで対戦。09年5月28日、カリフォルニア州の自宅で腎臓病の悪化のため死去。

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