松井紳介プレゼンツ
泉ちゃんの日曜日
 ムシャッピーBBS
泉ちゃん
泉ちゃんは、東京某所にある総合病院の最上階、〈無菌フロアー〉に隔離されています。
〈IDSS〉という難病のためですが、それがどんな病気なのか、知っている者はほとんどありません。
日がな一日、巨大な窓から外の街並みを見下ろし、飽かず眺めたり、〈図書ルーム〉で本を読んだり、煙草(マルボロ)をふかしたり。ずいぶん長い間、一人で過ごして来ました。
大好きなのは、詩を書くこと。無限に広がる未知の世界について、あれこれ想像を巡らせては、白紙のカルテの裏に言葉を連ねていきます。
ムシャッピー
ある日曜日の事です。完全無欠だと教えられていたぶ厚い壁の向こうから、一匹の来訪者が現れました。
「フン、純粋培養の、夢見る夢子チャンか」
不思議動物・ムシャッピーとの、初めての出会いでした。
嫌味な挨拶に最初は戸惑ったものの、久しぶりに接する他者らしい他者への興味の方が先に立ち、思い付くままに話しかけてみました。すると、案外と人懐っこく、話題も豊富な彼との会話は大いに盛り上がり、〈伊藤野枝〉や〈金子文子〉(大正時代のアナーキスト)、〈ECD〉という日本のHIPHOPアーティストの話ですっかり意気投合。とりわけ印象深かったのは、〈下っ端から優先的に飯を食う〉という、パレスチナ・ゲリラのルールについてでした。
その後、何度か会ううちには、自分の頭の上に乗せて歩くほど、気の置けない仲になっていったのです。

ムシャッピーは、体をペチャンコにして、どんな隙間でも通り抜ける事ができます。幽閉の身の泉ちゃんにとっては、行きたい所へ行き、見たい物を見られる彼が、〈自由〉という物の体現者に思えました。
しかし彼女は、彼に外への用事を頼むような事はしませんでした。彼が、自らをマウス・パッドくらいの薄さにしてみせる時に漏らす、か細い悲鳴を耳にしていたからです。
ムシャッピーとの邂逅を経て、泉ちゃんの外界への好奇心が、より大きく、具体的な物になったのは確かです。でも彼女は、その気持ちを、彼への〈質問攻め〉という以上の形で表すつもりはありませんでした。

ムシャッピー


ムシャッピーは、泉ちゃんのいる病院の地下室で飼われていた実験動物です。ハムスターをつぶした様な顔から、フサフサの尻尾を生やし、短い足は鳥の様。ちょっと不思議な容貌の持ち主です。

ある日の事でした。自分の持つ特殊能力に気付いた彼は、それを実践し、劇的に運命を変える事を試みます。閉じ込められていた檻の中から抜け出したのです。
大慌てでスタンガンをまさぐる飼育係に飛びかかり、顔面にかじりつくと、大怪我を負わせて逃走。それ以降、当てもなくさまよう逃亡者としての日々が始まりました。
壁から壁へ、侵入と強奪、脱出の毎日。それは、終わりのない旅の様にも思えましたが、ある日曜日、食うや食わずの状態で逃げ込んだ〈無菌フロアー〉の一室で、泉ちゃんとの邂逅を果たしたのです。

ムシャッピーは、貪欲な生き物でした。口癖は、〈この街をオレ色に染めてやる〉。「会社四季報」や「プレジデント」を定期購読しています。
何でも食べ、食べきれない分は大きなほお袋に溜め込む大食漢。大好物は串カツです。
でもこの時、初めて、それを上回る愛の対象に巡り合ったのです。

「渋谷のモアイ像、夜中の3時になるとボソッと一言喋るらしいよ。何て言うんだろう?」
陽光降り注ぐ〈サンルーム〉に引っ張り出したベンチに座って、泉ちゃんがつぶやきました。ムシャッピーは答えを濁しましたが、その眼の隅には小さな光が瞬いていました。

入院棟の灯りがすっかり落ちる頃。彼は、一人病院を抜け出し、夕闇の向こうへと消えて行きました。彼女の疑問を解く〈答え〉を探しに・・・。

泉ちゃんは、〈何でも知っている〉ムシャッピーを尊敬し、好意を示しています。その事は彼に、〈誰かに必要とされる〉という、初めて知る幸福を与えました。しかし、それを失ってしまう事への恐怖心も、同じくらいの大きさで膨らませていったのです。
夜討ち朝駆け、聞き込み張り込み。ましてや人目を忍びつつの調査は、大変困難を極めました。
何の収穫も得られないまま、幾晩かが過ぎていきました。渋谷・南口を夜な夜な徘徊する、図鑑には載っていない小動物の姿は、局地的な都市伝説を生んだと言います。
〈このままでは、あの子に、オレが知識も教養もないチンピラだとバレてしまう!〉
〈期待に応えられなければ、見限られてしまう!オレには、他に好かれる要素なんかないんだぜ・・・〉
ムシャッピーはいつでも不安でした。

ヘビ川君

病院を出て六度目の夜。いよいよ追いつめられたムシャッピーに、突然あるアイディアがひらめきました。
〈答えを一般公募してみたらどうだろう? インターネットを使って・・・〉
いかにも苦肉の策という感じですが、他に手立てもありません。早速、渋谷のマンガ喫茶「ネチケット」に忍び込むと、空いているパソコンから、掲示板に書き込みをしてみました。
「質問 投稿者:ムシャッピー
渋谷のモアイ像 夜中の3時になると一言ボソッとしゃべるらしいよ 何て言うの?」

すると、驚いた事に、間発入れず答えが返って来たのです。
「Re:質問 投稿者:ヘビ川
@『・・・ハチ公。・・・もう寝たんか(修学旅行の夜っぽく声をひそめて)』
A『わしの足、土の中で、代官山まで届いとるで』
B『その円から入ったらいかんという事ではないで』」
発信者は、ギャグ漫画家に憧れる引きこもりの少年・ヘビ川君でした。

その頃、泉ちゃんは、窓に映る自分と東京の夜景とをぼんやり見比べていました。ムシャッピーが姿を見せなくなってから、もう一週間が経ちます。彼女は、月に一度、どこからか自分宛てに届く(戦地等に送られる救援物資の様に見える)小型のコンテナを開けると、マルボロをワンカートンだけ取り出し、また滅菌ボックスへと戻しました。
「いいなあ・・・。外のお友達と自由に遊べて・・・」
煙草の煙が、ため息の形をしています。
その時です。部屋に設置された機械が、音を立てながら、見覚えのあるシルエットを吐き出し始めました。それは、ファックス用紙ではありませんでした。
「・・・ムシャッピー!」
彼の顔はすっかり汚れていました。外は、ほこり風が吹いていたし、汗びっしょりだったのです。

ムシャッピーは、努めて冷静を装い、今しがた手に入れたばかりの〈ヘビ川説〉を泉ちゃんに報告。彼女は、屈託ない笑顔でそれを受け止めました。彼にとっては、何よりも大きな報酬です。二人はその晩、夕食のソフト麺を分け合って食べ、大そうご機嫌でした。
「Re:Re:質問 投稿者:ムシャッピー
ヘビ川様 
お知恵 はいしゃくいたしました ありがとう 今後もよろしく」

この日を境に、@泉ちゃんの投げ掛けた疑問に対し、Aムシャッピーがネット上で回答を募り、B投稿された答えを(自分が見て来た事実だと偽って)彼女に伝えるという、一つのパターンが出来上がりました。
ヘビ川君は、コンスタントな投稿で、ムシャッピーの信頼を勝ち得ていきます。どんなお題にも真っ先に模範解答で応え、他の読者に方向性を示す、「笑点」の歌丸の様な存在。ディスプレイの向こうの頼もしい協力者の登場に、ムシャッピーも束の間の安堵を感じていました。

白衣の男達


病院の地下通路。濡れたコンクリートの路面から生えた、一本の雑草。小さな赤い花を付けています。
突然現れた男達の軍靴が、それを踏み散らしました。
先頭にいる男の顔には、大きな傷痕。鼻や耳も欠損している為、眼鏡を特殊なバンドで顔に固定しています。ムシャッピーの飼育係だった男でした。
「一体、どこに消えたんだ」
「もう死んでいるのでは?」
「いや、環境に適応して成長しているかも知れん。早急に捜し出して、生け捕りにしろ」

実は、泉ちゃんとムシャッピーは、二人が出会うずっと前から、因縁とも言える関係で結ばれていました。そもそもムシャッピーは、泉ちゃんの病気〈IDSS〉の治療を目的に誕生した、実験用のミュータントだったのです。
これは、某国が極秘裏に進めるプロジェクトの一環でした。しかし、ムシャッピーの脱走によって、現在は完全に頓挫した状態にあります。この事実は、泉ちゃんの闘病生活の終わる日が、先送りのまま凍結された事も意味していました。
傷の男が苦々しげに続けました。
「計画が台無しになったというだけじゃない。これは、一人の女の子の命が掛かった問題なんだ」

白衣の男達は、某国と、その同盟国である日本政府の意向を受けた者達です。彼等にとって、〈IDSS〉の存在は、どうしても隠蔽しなければならない種類の事柄でした。
「もし、アレが外に逃げ出したりしたら、面倒な事になるぞ」
男達のうち、ドーベルマンを連れた者が聞き返します。
「そういう事態が発生した場合はどうしますか?」
「止むを得ん、殺せ。機密保持が最優先事項だ。その時は、研究は白紙に戻すしかない」
ブチャッキー
ブチャッキー@
2004.6.2 追加!

図書ルームの白い壁いっぱいに、〈早晩廃刊雑誌〉の表紙が投射されています。小型プロジェクターを操作しているのは、泉ちゃん。そのまなざしは真剣そのものです。
ここしばらくというもの、ムシャッピーはとても忙しい様子で、週に一度、決まって日曜の午後に顔を出し、夜半にはまた外出してしまうので、一人の時間が長くなりました。
印刷物など厚みのないものに限られますが、彼は必ずそのほお袋にお土産を携え、このマイクロフィルムもその一つ。東大の〈明治新聞雑誌文庫〉から失敬してきた、〈宮武外骨〉なるジャーナリストに関する資料集でした。
画面を切り替えたので、部屋全体が明るいクリーム色に変わります。明治38年3月20日発行、〈滑稽新聞〉論説。〈宇宙の理法なるものは、平凡単調なものだ〉という一文に続いて、漢数字が無意味にどこまでもどこまでも羅列されていました。

薄暗い地下通路のすみにうずくまって、ムシャッピーが細かく震えています。
ひび割れたコンクリートのすき間を水道管から染み出す水滴がうるおし、小さな赤い花がつぼみを付ける辺りに、彼はまめにウンチをしていました。こうすると花は生き生きと色づき、それが何だか面白く感じられたからです。
ムシャッピーの心はさわやかでした。苦肉の策で立ち上げた〈ムシャッピーBBS〉には、ヘビ川君以外にも、ダークロ、池田、牛若丸なめとったらどついたるぞ、ヘイ、バッタ、モニオ、危脳丸、瀬戸内弱小、しんちょん、コロ視野など、ゆかいな仲間が相次いで登場、予想をはるかに上回る書き込みがされるようになったからです。
彼は泉ちゃんの笑顔を思い出すと、彼女が自分に向けた賞賛の言葉を反芻、ついでにBBSの将来について思いを馳せ、やがて持ち前の上昇志向に火が付いたか、バナー収入、CRM、Eコマース、ITバブル紳士録などの言葉が次々と頭に去来、一点透視法で消えていき、フルフルと身悶えしているその時でした。
「何、花愛でとんねん。いつからオカマになったんや!」

突然のつっこみ。関西弁は冷たく固い壁に反響し、ナチュラル・ディレイがかかっています。 冷水をかけられたような気持ちで振り返ると、切れかけの蛍光ランプを背に、自分とよく似たシルエットが浮かんでいるではありませんか。
ジリジリと間合いを詰めてくるうち、現れてきたのは、因縁浅からぬ相手の顔だったのです。
「・・・ブチャッキー・・・」
「やかましわー」

ブチャッキーは、ムシャッピーと同じ実験室で育った不思議動物です。
真っ黒な顔で三白眼をギラつかせ、つねに他人の落ち度を探し、つっこむ事を生きがいとしています。「あんな醤油みたいなお汁のうどん食われへん」、「一周回っておもろいわ〜」が口癖。ムシャッピーとは、出会った当初から反りが合わず、事あるごとに衝突、ときには血みどろのかじり合いさえ辞さない間柄だったのです。

「・・・お前一体、こんな所で何してるんだ!?」
対面する2匹のちょうど中間あたり、ウンチはまだ湯気を立てています。そのラインを越えたら飛びかかってやる、ムシャッピーはそう目算し、緊張のネジをぎりぎりまで巻き上げました。
知ってか知らずか、ブチャッキーはその歩みを徐々に減速させ、ウンチの手前、ムシャッピーから3メートルほど離れたところで止まりました。
「・・・オレも逃げたんや。お前が大暴れしたドサクサでな・・・」
(文章・絵 松井紳介)
ブチャッキーのイラストのみ
コロ視野・作


↓〈ムシャッピーBBS〉へと進む
ムシャッピーBBS

※優秀投稿者には、ムシャッピーから金一封