映画評

映画評


ダークロHP 映画評 ページ6
1ページ アーティスト 愛の流刑地  アイ・ロボット  明日に向って撃て!  アダムス・ファミリー2  アッシャー家の末裔  あなたにも書ける恋愛小説  アフタースクール  アメリ  アリス  ある日、突然。  ある秘密  アンダーグラウンド  アンタッチャブル  いかレスラー  インセプション  ウォーターボーイズ  宇宙人ポール  姑獲鳥の夏  海辺のレストラン  AI   永遠と一日  映画は映画だ  英国王給仕人に乾杯!  英国王のスピーチ  エルミタージュ幻想  おいしい生活 
2ページ 大いなる休暇  オーシャンズ11  オースティン・パワーズ ゴールドメンバー  オー・ブラザー!  オープン・ユア・アイズ  おくりびと  オテサーネク 妄想の子供  男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎  おとなのけんか  俺はまだ本気出してないだけ  画家と庭師とカンパーニュ  過去のない男  勝手にしやがれ  カムイの剣  亀は意外と速く泳ぐ  カメラを持った男(これがロシアだ)  カラー・オブ・ライフ  ガンモ  キートンの大列車追跡(キートン将軍)  キートンの恋愛三代記  キサラギ 
3ページ キック・アス キッチン・ストーリー  ギャラクシー★クエスト   キューブ2  霧の中の風景  キング・オブ・コメディ  苦役列車  グッバイ、レーニン!  クラークス  クライング・ゲーム  CLUBファンタンゴ  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版  クワイエットルームにようこそ  刑事ベラミー  ゲームの規則  幻影は市電に乗って旅をする  恋とニュースのつくり方  恋人たちの予感  ゴーストワールド  告白  ゴダールの決別  コックと泥棒、その妻と愛人  事の次第  魚が出てきた日  サスぺリア  サスぺリア PART2/紅い深淵  サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―  サマータイムマシン・ブルース  ザ・ロイヤル・テネンバウムズ  サロメ 短縮版  三重スパイ  サンダーパンツ!  CQ  JSA 
4ページ 料理長殿、ご用心(シェフ殿、ご用心)  シカゴ  シナのルーレット  シャドウ・オブ・ヴァンパイア  ジュリエットからの手紙  少林サッカー  知らなすぎた男  人生はビギナーズ  図鑑に載ってない虫  スキャンダル  スクール・オブ・ロック  スコルピオンの恋まじない  スズメバチ  スター・ウォーズ エピソード2  スタン・ブラッケージ ハンドペイント作品集  スティング  ストレンジャー・ザン・パラダイス 
5ページ スナッチ  スパイ・ゾルゲ  スパイ・ゲーム  スパイダーマン  スラムドッグ・ミリオネア  スリ  スローガン  世界最古の洞窟壁画3D 忘れられた夢の記憶  007ダイ・アナザー・デイ  008皇帝ミッション  洗濯機は俺にまかせろ  千と千尋の神隠し  千年女優  ソードフィッシュ  ダージリン急行  ダウン・バイ・ロー  旅芸人の記録  地下鉄のザジ  チャイニーズ・オデッセイ Part1「月光の恋」 Part2「永遠の恋」  超アブない激辛刑事カリー&ペッパー  チョコレート  血を吸う宇宙 
6ページ 月の輝く夜に  ディープ・ブルー  デリカテッセン  天国の口、終りの楽園  天才マックスの世界  天使突抜六丁目  東京ゴッドファーザーズ  東京物語  トータル・フィアーズ  Dr.パルナサスの鏡  ドグマ  友達の恋人  トリック大作戦  トリプルX  ドリヴン  トレインスポッティング  ナイト・オン・ザ・プラネット  ナッシュビル  夏物語  2046 
7ページ 25時  猫の恩返し  ニューイヤーズ・イブ  ノーカントリー  野良犬  PARTY7  バード★シット  バートン・フィンク  バーバー  パール・ハーバー  バーン・アフター・リーディング  ハウエルズ家のちょっとおかしなお葬式  バグダッドカフェ  白昼堂々  幕末太陽傳  はさみ hasami  8人の女たち  8 1/2  発狂する唇  バッド・ルーテナント  パプリカ  バベル 
8ページ パリ、テキサス ハリー・ポッターと賢者の石  パレルモシューティング  バンカー・パレス・ホテル  ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い  パンズ・ラビリンス  反則王  パンドラの箱  バンドワゴン  英雄〜HERO〜  ピストルオペラ  ビッグ・フィッシュ  百万円と苦虫女  ヒューゴの不思議な発明  ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け  ヴァイブレータ  ファウスト  ファントム・オブ・パラダイス  フィッシュストーリー  フィフス・エレメント  フォーゲルエート城  不思議の世界絵図 
9ページ ふたりの男とひとりの女  ブリスター!  ブルーベルベット  ブルジョワジーの密かな愉しみ  フル・モンティ  フレンチ・カンカン(復元長尺版)  ブロウ  ブロードウェイと銃弾  ボイス・オブ・ムーン  ボウリング・フォー・コロンバイン  僕らのミライへ逆回転  ホテルスプレンディッド  ボビー・フィッシャーを探して  ボラット  ホルテンさんのはじめての冒険  ポロック 2人だけのアトリエ  麻雀放浪記  MAD ABOUT MAMBO  迷子の警察音楽隊  マイライフ・アズ・ア・ドッグ  真夜中まで 
10ページ マリア・ブラウンの結婚  マルホランド・ドライブ  ミステリー・メン  ミッドナイト・ラン  ミツコ感覚  ミニミニ大作戦  ミラクル7号  メアリー&マックス  メトロポリス  メルシィ!人生  メン・イン・ブラック2  モンスターズ・インク  ヤーチャイカ  約三十の嘘 
11ページ 焼け石に水  ヤマカシ  ヤンヤン 夏の想い出  LIFE!/ライフ  ライフ・イズ・ビューティフル  ラウンド・ミッドナイト  ラスベガスをやっつけろ  ラットレース  ラルジャン  ラ・ワン  ラン・ローラ・ラン リトル・ダンサー  リミッツ・オブ・コントロール  ルナシー  レイジング・ブル  レクイエム・フォー・ドリーム  レニングラードカウボーイズ・ゴーアメリカ  ロード・オブ・ザ・リング 
12ページ ロスト・チルドレン  私の好きなモノ全て  私の夜はあなたの昼より美しい
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月の輝く夜に
1987年/アメリカ/102分 監督:ノーマン・ジュイソン 脚本:ジョン・パトリック・シャンリィ 撮影:デヴィッド・ワトキン 出演:シェール/ニコラス・ケイジ/ヴィンセント・ガーディニア/オリンピア・デュカキス/ダニー・アイエロ
原題は「Moonstruk」。月によってぼうっとなった、心がおかしくなったような意味でもあるし、恋愛に夢見心地になっているような意味でもある。私も38歳になって、人並みに痛い目にも遭って、ある程度の分別がついてきたせいかもしれないが、昔見た時よりも、面白かった。ちょっと得した気分になった。登場人物、人それぞれに、なにか幸せめいたものを感じる。ラブロマンスというよりも、ファミリーロマンス。ファミリーコメディの部類に近い。おじいさんが犬を連れるシーンが魅力的だ。ふつうは、題材的には、男女の恋のやり取りだけを集中して撮るような気もする。だが、この映画では何匹もの犬を連れたおじいさんの姿が印象的に撮られている。父の浮気の話も同時進行で描いていて、日常的な、家庭的な落ち着いた雰囲気を演出している。日常を積み重ねた者だけが表現できる演技でもあるし、日常を積み重ねた者だけが書けるような脚本でもある。テーマは恋愛。しかも、ドラマチックで情熱にあふれつつも、深みを持たせている。「あなたの人生はむなしくないわ」というシーンが特に印象に残った。それとやっぱり主演女優の演技。空き缶を蹴る姿が、かわいい。髪の毛を染め、ドレスを着て、オペラを見に行く。待ち合わせ場所で相手を探す期待感。相手が素晴らしい身なりだった時の喜び。このワクワクする感じは、私は男だけど、なぜか共感できる。経験としてこういうことをしてきた観客にとっては、どこか懐かしいし、共感できる。「Why you want to sell your life short?」、「Not us. Not us. We are here to ruin ourselves and to break our hearts and love the wrong people and die. I mean, the storybooks are bullshit! Now, I want you to come upstairs with me and get in my bed!」雪の中、男のアパートに入る時がクライマックスのような気がする。葛藤が描かれ、魅力的な「なにか」が描かれている。そこに、「なにか」を後押しする「なにか」がある。この「なにか」とはなんだろうか。この2人は、指をなくしたり、夫を亡くしたり、その他にもいろいろなものをなくしてきたような気もする。だが、ここでなにかの魔法が起きる。これは、普通は飛び越えられないような、人それぞれが持っている約束事や常識を覆すようなシーンである。甘い期待もあるし、未来へ向けての大きな跳躍でもある。完全に魔法だ。日常的な風景の中で、たくさんの魔法を描ける点は、映画だけの魅力だ。魔法にたくさん気づけば気づくほど、映画も面白くなるだろうし、人生も面白くなる。レストランでの注文やユーモラスな求婚シーン、電話でのやり取りを見ると、兄との結婚は恋人関係というよりも親子関係に近い。兄の目論見としても、母の死後、結婚することで別の母を手に入れようとしているようにも見える。もちろん、死ぬまで恋をし続けることのできる弟を選ぶ方が、自然だ。その選択は正しい。オペラが続くかぎり、この関係はうまく行きそうだ。オペラ劇場のシャンデリアの輝き。買ったばかりの靴の輝き。大きな月の輝き。なにげないカメラの動きや人々の演技の中に、温かいものが描かれている。いい映画だな。と、単純に思う。
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ディープ・ブルー
2003年/イギリス・ドイツ/91分 監督:アラステア・フォザーギル/アンディ・バイヤット
英国BBCの制作スタッフが、7年もの歳月をかけて撮り上げた壮大な海のドキュメンタリー映画とのふれこみだった。前日に12時まで酒を飲んだ次の日、10時間仕事をしてから21時50分に始まったこの映画。とにかく眠くて仕方がなかったのだが、BGMのオーケストラがうるさすぎて寝られず、ディープ・ブルーというよりはドープ・ブルーのような軽いトリップ感を覚えた。ナレーションとBGMが無意味だ。これほどまでに無意味なナレーションは珍しい。BGMはレゲエとかダブの方がよかった。水族館に行く気分で映画を見ようとしたのだが、大画面のせいか、少し感覚が違った。映画館の中にいる我々の方が逆に水槽の中にいるような、まさに海ならではの開放感が画面からあふれていた。さらに人間が出てこないので、対象物の大きさがイメージしにくい。スクリーンに映しだされているプランクトンやクジラが同じ大きさに思えるような新鮮な感覚を味わえた。まさに「僕らはみんな生きている」状態。ミミズだってオケラだってアメンボだってみんなみんな生きているんだ友達なんだ。それにしてもホッキョクグマや深海魚など、映像のたれ流し状態で、テーマが絞りきれていないのが残念だ。7年という歳月は、映像的に逆効果だ。きれいな映像はそれほどない。ハイビジョンで撮影しなおせばよかったのに。ハイビジョンカメラや映画用のカメラがいかにすばらしい機能を持っているかという反面教師になっているので見る価値はある。すでに見たことのある映像も多い。BBCというのはテレビ会社だという宿命の故か、映像の多くはこの映画で初めて出されるわけではなく、テレビですでに流されているのだ。7年という歳月は、情報的にも逆効果だ。50年くらい前なら、この程度の内容でも十分商売になったのだろうが。
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デリカテッセン
1991年/フランス/99分 監督:ジャン=ピエール・ジュネ/マルク・キャロ 脚本:ジャン=ピエール・ジュネ/マルク・キャロ/ジル・アドリアン 音楽:カルロス・ダレッシオ 撮影:ダリウス・コンジ 出演:ドミニク・ピノン/マリー=ロール・ドゥーニャ/ジャン=クロード・ドレフュス/カリン・ヴィアール/ティッキー・オルガド
完成度の高い奇妙な世界を提示しているところが魅力だ。現代社会を舞台にしてしまうと、表現したい対象が制限を受けてしまうこともあるかもしれない。天井から聞こえるベッドのきしみに合わせて、生活の様々な音がリズムよく流れる。2人並んでベッドのきしみを調べる時、テレビのフラダンスと同じリズムを刻む。生活感と現実感。不協和音がおりなすリズムが、そこが人間世界であることを告げている。現代音楽の作品として聞いても魅力的。未来が全く見えない世界だ。豆が貨幣。蛙やカタツムリしか食べ物がないと栄養に悪そうだ。食料としての人間。文化的な生活を取りつくろっているだけに、野蛮がいっそう際立つ。崩壊一歩手前の文明社会。それでいて崩壊しない絶妙のバランス感覚。こういう状況なら、アメリカ映画だと絶対に銃撃戦がある。これだけ不安をかきたてる状況で、見知らぬ場所に丸腰でやってくるのも不自然だ。ナイフはあるけど商売道具のように見える。武装するかわりに大量の道化師の小道具を持参して、鍛練を繰り返す。どこか、のどかだ。テレビ、新聞、サーカス、楽器など、娯楽がある。殺伐としていない。貧乏長屋のような雰囲気だ。もしくは、貧乏学生の下宿。ちょっと懐かしい気分になった。トログロ団が面白い。同じ服装で奇妙な挙動。このまま行けば別の人類に進化しそうだ。肉はないけど水が大量にあるのも面白い。美しい地下水路や、蛙の養殖部屋や、雨漏り、シャボン玉のバケツ、紅茶、嵐、バスルームの放水。水は流れるので、映像が面白くなる。水たまりの部屋で蛙やカタツムリに囲まれて、どんな夢を見るのか。きれいに洗い流すのか、水たまりができてさらに汚くなっていくのか。清濁あわせ持った水の風景だ。強烈な光が印象深い。黄色いライトで色調を統一させている。人間がアパートの付属品のように見える。肌色がきれいに出ないので、不気味さが強調されている。様々な質感を表現していて楽しい画面構成だ。他の監督だったら、暗いだけの画面になったはずだ。スタジオ撮影なのに、奥行きと広がりを感じる。丁寧な仕事だ。水彩画の絵本のように背景がぼやけている。猿の玩具や蛙やカタツムリなど、小さな物が印象的に写っている。人物のアップに面白味がある。技法に対する長い試行錯誤の末に到達したような、確かな経験を感じる。光に対する独特の価値観がある。2人の監督の要求に応じてきちんと撮影していくのは、いろいろと大変そうだ。ダリウス・コンジの仕事が大きな比重を占めている。全編クライマックスのような、画面がパンパン切り替わる、肉切り包丁で刻んだような大胆なカットにスライスされているのが印象的。情報量が凝縮されている。瞬間瞬間を愛する若者が好みそうな感覚だ。CMの感覚に近い。画面に飛び出てきそうな勢いがある。ラストの2人並んで演奏するシーンが、絵画のような構図ですばらしい。表情を変えていく空の明るさと、なぜか傘を持って演奏する2人の調和が美しい。新たなコンビの誕生の瞬間だ。2人で音楽家としてやっていけるのではないか。ただ、肉屋が一人いなくなっただけで平和になったのだろうか、という疑問もわきあがる。音楽している場合なのか。こういう時こそ音楽をするべきなのか。安堵しながら演奏しているのではなくて、危険な雰囲気が漂う。どこか、のどかで、どこか、強靭だ。たそがれの中で、みんな元気だ。
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天国の口、終りの楽園
2001年/メキシコ/106分 監督:アルフォンソ・クアロン 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル/マリベル・ベルドゥ/ディエゴ・ルナ
若い男の裸が多く映されているので女性は楽しめると思う。景色がきれいだったので、気分よく見れた。メキシコの映画なんてあまり見ないので新鮮だった。主演の2人が元気だ。自然に演技していた。すごくよく笑う。あの笑いの雰囲気は見ていて気分いい。サッカーの解説をしているおじさんが良かった。話は単なるロードムービー。物語にそれほど奥行は感じられなかった。金持ちのドラ息子が物見遊山に行っただけに思える。主演女優が設定の割には元気すぎてリアルに感じられなかった。
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天才マックスの世界
1998年/アメリカ/96分 監督・脚本・製作総指揮:ウェス・アンダーソン 脚本・製作総指揮:オーウェン・ウィルソン 撮影:ロバート・D・イェーマン 出演:ジェイソン・シュワルツマン/ビル・マーレイ/オリヴィア・ウィリアムズ/シーモア・カッセル
初老に近いようなオッサンと少年であるマックス君の三角関係。この着想はすごい。現実をこねくり回し続けた者だけが到達できる発想だ。ここまで完成度の高い作品に仕上げたことにも感銘を受ける。少年とオッサンが出会い、ヒロインと出会い、三角関係になり、最後は仲直りする。この流れを短時間のうちに描ける完成度がすごい。マックス君は落第し続けて、クラスメイトと比べて飛び抜けてオッサン顔。この見た目ですでに笑える。とどまるところを知らない疾走感がある。マックス君は楽しそうだ。カリキュラムに口出しし、投資を得ることもできる。なかなかのやり手である。学校の中での秀才とはちがい、それ以上の、学校さえも、もてあますくらいの才能である。彼の言動と実年齢に差があり、妙な人間関係が作られていく部分が面白い。年齢差が微妙なおかしさを誘っている。映画が終わってからも、この人間関係の面白さが私の頭の中で爆発して止まらなくなる。テレビドラマでやっても人気が出るかもしれない。どんどん話も出てきそうなほど魅力的な設定だ。どういう人物か出ているかというと、さみしさという点で、なにか共通項があるような気もする。そして、みんな優しい。マックス君の性格にも、母を亡くしたさみしさも感じるし、父との本音の交流も感じる。酒もたばこもやるけど、女はなかなか難しい。天才ながらのひたむきさと情熱で戦うが、実際のところ、まだまだ子供であるのでなかなか痛々しい。そのあたりの痛々しさ、もどかしさを思い出として持っている観客なら共感できるはずだ。私は38才にもなって、まだまだ至らず、痛々しく、もどかしくもあるのでマックス君の視点に非常に共感を覚えた。迷惑をかけることもあるが、それでもみんなはマックス君に優しい。マックス君にもいいところがたくさんあるのである。全員が非常に温かい関係である。最後のシーンもとても好きだ。非常に青春映画のようにセンチメンタルに終わり、まさに人間賛歌である。ビル・マーレイが見事だ。哀愁漂う独特の立ち姿である。前半部分の実生活に飽き飽きした演技も最高だ。プールに飛びこんだ後の水の中のシーンを思い出すだけで笑える。その後のマックス君との関係では、とんでもない目に遭うが、実に生き生きしている。柵を乗り越えようとしてコケて、子供のバスケに乱入する。全ての彼の出演作に感じる、どこかいたずらっ子のような、子供のまま大人、もしくは老人になってしまったような雰囲気が、この作品に非常に合っている。この映画に出るために今までのキャリアがあったのではないかと錯覚するくらいの演技だ。オリヴィア・ウィリアムズは美しすぎだ。反則級の美しさだ。フェイセズの「ウーララ」が最後に流れるが、これは映画に合った、なかなかいい曲だ。「They come on strong and it ain't too long for they make you feel a man .But love is blind and you soon will find you're just a boy again. (中略)poor young grandson there's nothing I can say.you'll have to learn, just like me and that's the hardest way.」「こういうものは強烈で大人になった気にさせるけど長くは続かない。でも愛は盲目。すぐに気づく。自分がまだまだ子供だということに。孫よ、これ以上言うことはない。自分で学ばないとだめだ。私のように。そしてそれは大変な道なのだけど」フェイセズの最後のスタジオアルバムであり、最終曲であり、アルバムタイトル曲である。さわやかである。せつなくもある。「自分の体験として痛い目にあってきた男の子たち」への応援歌である。ただのBGMではなく、この映画は選曲が抜群だ。60年代、70年代の曲がそれぞれの場面で効果的に使われている。特にザ・フーの「クイックワン」が効果的。「あなたを許します」という歌詞なのに抗争が描かれている。思い出し笑いしてしまう。映画初出演にして初主演のジェイソン・シュワルツマンと、サタデーナイトライブで叩きあげてきた百戦錬磨のビル・マーレイ。「小僧。負けてなるものか」と必ず思ったはずだ。どちらも本気の戦いを演じていたのではないか。脚本以上になにか生々しい迫力がある。年の離れた役者同士の個性のぶつかりあいが面白かった。
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天使突抜六丁目
2010年/日本/96分 監督:山田雅史 出演:真鍋拓/瀬戸夏実/服部竜三郎
監督は山田雅史。脚本は宮本武史と山田雅史。警備シーンや安アパートの雰囲気はとても良かった。リアリティがとてもある。この表現の仕方は、素晴らしいと思う。役者の演技も素晴らしい。どの役者も個性的で、素晴らしい魅力を感じた。特に瀬戸夏実には迫力を感じた。「冷たい熱帯魚」でも店員役とはいえ、印象的な存在だった。存在感のあるいい役者だ。この役者たちと、別の監督で、違う映画を見たい。脚本が残念ながらつまらなかった。説明と想像に任せる部分がきちんと色分けされていないと、不条理劇は非常にやっかいなものになってしまう。自主映画的な自己満足と、無責任な曖昧さに任せてしまった部分が印象的。特に後半部分が強引で、とても残念な出来だ。どこから来て、どこに行くのか。どこまでが「現実」でどこまでが「空想」なのか。現実の境界線があまりにも曖昧であった。さらに、展開があまりに不自然すぎて無理を感じた。その結果、共感できないつまらない映画になった。設定に魅力はあるのだから、もう少しじっくりと腰を据えて演出するとよかったのかもしれない。個人的にはなにも事件が起こらずに、淡々と終わったほうが、いいものになった気もする。上映後、瀬戸夏実、服部竜三郎、山田雅史がトークショーを開催。15日で撮って大変。工事現場のセットが大変。「天使突抜」という地名は、実際にある。実際には六丁目はない。撮影場所は京都舞鶴。女の子の関西弁がかわいいという一点で関西弁にした。とのこと。全く会話が成立せず、これほどまでにやる気のないトークショーは初めてだった。
  
東京ゴッドファーザーズ
2003年/日本/90分 監督・原作・脚本:今敏 脚本:信本敬子 作画監督・キャラクターデザイン:小西賢一 音楽:鈴木慶一 制作:マッドハウス 声の出演:江守徹/梅垣義明/岡本綾
これがもし実写だったら、夜の風景が多いので撮影が大変だったはずだ。無理に人にライトを当てたり、暗すぎて表情が出てこなかったり、狭すぎて窮屈だったり(アニメだとカメラの位置は建物の大きさに左右されない)、日本映画の実情を考えても、おそらく満足の行くような映像が実現できなかった気がする。主要な登場人物が3人というのがいい。3人以上いるとシナリオ的に、にぎやかになる。江守徹と梅垣義明と岡本綾。毛色の違う者同士を登場させると面白いし、勢いがある。職業声優とは違った、個性と個性のぶつかりあいだ。これが実写だと外見的な違和感があるのかもしれないが、声の出演ならば見てくれは同じトーンになる。アニメだからこその表現だろう。主人公が全員強くないところもいい。どこかにそれぞれ問題を抱えつつ生きている。深みのある人物像だ。色が落ち着いているのがいい。変に透過光を使わず、明るさを出さず、どこまでも自然な感覚だ。東京を薄汚く表現しているのもいい。薄汚い町なのだから、全くそのままである。生活感にあふれた描写に生命力を感じるし、身近な気分になる。キャラクターデザインが表情豊かなところがいい。おじさんの表情が生き生きしている。愛着もわきそうになるし、リアルでもある。ホームレスが主役だが、どこか共感できる部分がある。東京に住んでいる私が東京をうろつくとき、どこか自分の町ではない感覚に陥る。全てが他人が住む他人のための町のような気がしてくる。都庁が冷たい(これはいつものことだ)。東京タワーは妙に明るい(東日本大震災の夜、電車がなくて帰れないまま見上げると、いつものように煌々と輝いていた)。実写のような背景が持つ東京への違和感を感じる。諭吉が悲しんでたり諭吉が笑っていたり、この映画だけが発散できるなにかとびぬけた可能性を感じる。終わった後、元気になる。外に飛びだして東京中を歩きたくなってくる。クリスマスの奇跡。新年の奇跡。楽しい気分になる。舞台が冬というのがいい。気候の厳しさと、人情の温かみが際立つ。年末になると、過去を振り返りがちだ。貸し借りを精算するのが年末だ。経済的な精算はホームレスなので存在しないのだろうが、心の精算の必要はどこかに残っている。どこか懺悔にも似た登場人物たちの苦悩と許しの感覚。クリスマスと年末年始に対する日本人が持つ感覚がそのまま底辺にあって、身近に思える。大晦日に聞くなら、このエンディング曲の第9がいい。私にとっては、こっちのほうが感動できる。シナリオ的には、なぜだか許してしまえる、ご都合主義が印象的。これは「奇跡」の一言で、なぜか許してしまえる。おとぎ話のような楽観的な物語のように見えて、どこか怖い。ホームレス狩りや、新生児誘拐など、どこかでまだ続いているかのような怖さを感じる。自分の仲間以外の人間関係がどんどん希薄になって、現実感が見えてこないような怖さ。その舞台は東京だ。新宿に長年住んでいる私としても他人事ではない怖さだ。写真のように見えるリアルな背景として描かれる東京のたたずまいが、不気味な怖さを持っている。まるで墓場の底にいるかのようだ。この町が全ての人間を狂わせているようにも見える。おとぎ話として片づけられない現実を垣間見ることができる。3人とも、自分が原因になっているかもしれないが、冷たい現実に追いつめられ、行きづまっている。理想や愛情や温もりを信じたくなってしまうところに奇跡が起きている。現実が描けているから奇跡が際立つ。だから、なんとなく許せてしまう。ゴミ捨て場、コインロッカー、墓場、ファミレス、たて壊される住居。負けたことのある、東京に長く住んでいる人間ならこの映画の視点に感情移入できるはずだ。大人のためのアニメ映画である。どこまでも偶然の出会いがあり、予期せぬ救いがある。1番の奇跡は名付け親になれたことではなかろうか。なかなか、ただの映画では味わえない心の奥にまで届く到達点と幸福感だ。そこまで引っぱっていく手腕が巧みだ。その価値観を観客と自然に共有できる作り手の優しい視点がすばらしい。そこまで体験として共感できる映画とは、私にとって、なんだろう。どう考えても、なにか大切なものを、この映画からもらった気がする。ビルとビルの隙間から見える初日の出が、それまで影のように存在していた人物に降り注ぐ。これはとても美しい光景だ。私にもハナちゃんが感じたのと同じ初日の出を見れた気がする。
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東京物語
1953年/日本/136分 監督:小津安二郎 出演:笠智衆/原節子/東山千栄子/山村聰/杉村春子
1953年の東京の風景が興味深い。戦争が終わったのが1945年だ。日本の高度成長期が始まったのは1955年だ。エピローグであり、プロローグである。物語の背景に、いろいろなものが見え隠れしている。CGでは再現不可能な時代の雰囲気を伝えている。東京に子供たちを訪ねに来た老夫婦の映画。駆け足をはじめた東京人たちの中に、止まった人間がやってくる。単なる親と子の関係だけではない、もっと大きな社会の変動まで描かれている。絵空事ではなく、小津安二郎は、どこまでも、等身大の人物をリアルに静かに描く。繊細な描き方には、複雑な味わいがある。どの人間も、血の通っているように見えるし、映画の中で悪人、善人に色分けされていない。ここまで現実的に描かれると、いわゆる「映画」では見過ごされがちな、すごく小さな喜怒哀楽が、やけに印象的になる。同業者からみれば魔術師のようなテクニックだろう。原節子が涙するシーンが、ここまで胸を打って届いてしまうのは、丁寧な演出のせいだろう。老夫婦は、時の流れから外れ、止まった人間だ。原節子は、夫を戦争で亡くした部分で、どうしても止まっている。止まった人間同士は、通える部分がある。原節子の場合は、まだ動きはじめる兆しを見せている。それを笠智衆は、理解し、応援する。最後に渡した懐中時計は、象徴的だ。笠智衆は、東京に行くことで、状況を、時代の流れを理解したのだろう。はでな感情表現をしないでも、その心のうつろいを観客に分からせることのできる、この演技はすごい。笠智衆の演技は、老人を越えている。普通の老人をカメラの前に座らせると、体力の低下などでうまく撮れなかったはずだ。そのまんま老人が演じると、弛緩した演技になってしまう。さすがに当時40代だけあって、本物の老人よりも演技に切れがある。見る者が思わず真似をしてしまうような、影響力、伝染力を持つ演技だ。笑顔で感謝する姿が、映画を見た後まで心に残った。
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トータル・フィアーズ
2002年/アメリカ/124分 監督:フィル・アルデン・ロビンソン 出演:ベン・アフレック/モーガン・フリーマン/ジェームズ・クロムウェル
テロも一年経てばエンターテイメントになる。トムクランシーの地球寸止め小説の映画化。緊迫感を持たせたカット割が上手かった。映像がきれいだったが、映画的に作りこみすぎて、作風に合わなかったかもしれない。大統領の出ているシーンが、いらなかったように感じる。主役のCIAの情報官だけを追っていた方が、核ミサイルが発射されるかどうかのドキドキ感があったのではないか。単純にハリソンフォードが出るだけでうそ臭く思えてしまう私の嗜好のせいかもしれないが。超大国の対立という図式が、冷戦が終わっていることによって、少し緊張緩和していたようにも思う。ただ、テロ直後にアフガニスタンに空爆した実際のアメリカの戦闘意欲は、この映画の背景に現実感を持たせている。予定調和的な物語だが、原爆爆発シーンが特徴だ。CGを使った爆発の演出はすごい迫力だった。ただ爆発後は、普通の戦争もの、たとえば「パールハーバー」のように、病院に犠牲者が運ばれるシーンしかなかった。未だに威力も知らないまま原爆を爆発させているのだろうか。ハリウッド製の核爆弾は、迫力と威力があっても、おびただしい数の被爆者は出ないのだろう。主人公は被爆しないのか?
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Dr.パルナサスの鏡
2009年/イギリス・カナダ/124分 監督・脚本・製作:テリー・ギリアム 脚本:チャールズ・マッケオン 出演:ヒース・レジャー/ジョニー・デップ/ジュード・ロウ/コリン・ファレル
アイボみたいな作り物のロボットの動物がたくさんいる動物園の中で、1頭だけ本物の獣が紛れこんで、ロボットの動物たちを食いあらしている。「ダークナイト」の印象は、そんな感じだった。おいしかったかい?ヒース・レジャー。バットマンにおけるジョーカー役の次に、テリー・ギリアム。命を縮めたのは、強烈な役柄のせいか。磁石が引き寄せるように、強烈な個性が結びつき、激しく火花を散らしながら灰になったのか。Dr.パルナサスは、永遠の命を持ち、人々のイマジネーションを昇華させるが、能力についてはそこまでで、全くもってスーパーマンではない。勝負に勝ったと思われつつも、悪魔の手のひらでもてあそばれている観もある。なかなか幻想的かつ現実的で、難しい設定なのだが、映画産業(悪魔)とテリー・ギリアム(パルナサス)という監督の中の心象風景が、そのまま映画の構造と結びついているため、妙な説得力がある。鏡の中の夢と、鏡の外の現実は、どちらも監督の頭の中にある。監督・脚本・製作。どうしても作家性に目が行く。強烈な個性だ。警官のダンスが挿入されたり、どこかで飛んだ発想が、相変わらず面白い。単なる「夢」の描写でありつつも、その中に選択肢があって、進む先が天国と地獄に分かれている設定は斬新だ。酒とかブランド品とかゲームとか、人々のイマジネーションは、豪華で夢のようでありながら、どこか安っぽい。最終的に現れるのは砂漠だ。なにかイマジネーションの限界というか、現実世界の大きな広がりを逆説的に感じた。説明台詞も多用されていたが、なかなか味のあるシナリオだった。正義対悪の二元論から離れた部分が興味深い。親子の愛情という、オーソドックスなシナリオ的枷もうまく使われていた。謎の男の正体をシナリオで引っぱっていく手法も巧みだ。その正体は、完全に正義ではないが単なる悪人でもない、複雑な性格。でも、最後の鏡の中で白黒が付いた気がする。子供を抱き抱えたまではよかったが、自らの式典の情景に移動することを選択したのが致命的だった。監督は、シナリオ全体を通してアメリカ的な成功やアメリカ的なイノセンスを肯定しつつも、どこかで距離を置いている。この立ち位置に、個性的な苦みが出ていた。映像的には素晴らしい幻想の風景にあふれ、驚きに包まれつつも、どこか懐かしい。モンティパイソンのころから技術が進み、ようやく自分の頭にある風景を具現化できている気がする。ワンアンドオンリーの、この強力な映像美。田園風景の中ではしごを上っていくシーンは毒々しくも強烈なイメージで印象的だった。リリー・コールの、CGとか作りこみに調和の取れた美しさも印象的。この映画ではお飾りみたいな感じだったが、これから楽しみな女優だ。なかなか考えさせられる終わり方だが、「ブラジル」の時と比べたら、圧倒的にハッピーだ。苦味があり、甘みがあり、複雑な味わいの映画だった。
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ドグマ
1999年/アメリカ/129分 監督:アルフォンソ・クアロン 出演:ベン・アフレック/マット・デイモン/リンダ・フィオレンティーノ/サルマ・ハエック
殺戮し続ける死の天使を演じたマット・デイモンがあいかわらず弱い。これだけ味のあるマンガみたいな話なのだから、もっと極端な性格を演じてもいいのではないか。マット・デイモンを活かすためにアップを多用するとか、カメラ面でももう少し工夫ができたはずだ。母性本能をくすぐるかわいらしさ以外になにか売りがあるのだろうか。誰かマット・デイモンの魅力を教えてくれないか。サイレントボブたちもキャラクターとしては、あまり面白くない。無理に登場させなくても良かったのではないか。黒人の使徒との2人旅のほうが、話としては面白そうだけど。自分達のホームグラウンドから出てしまうと輝かない2人組だ。登場人物のセリフのやり取りは大変面白かった。産婦人科に勤務する人がキリストの子孫だったり、キリストが黒人だったり批判精神が全面に出ていて興味深い。日曜に教会に座りながら思い描いたギャグを我々に披露してくれたのだろう。ただ、堅苦しさやぎこちなさが感じられてどのシーンも素直に笑えなかった。神様の役でアラニス・モリセットを出す意味がよく分からない。あの場面では、もっと強烈なのが必要だろう。結局の所、どこか真面目なのだ。
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友達の恋人
1987年/フランス/102分 監督:エリック・ロメール 出演:エマニュエル・ショーレ/ソフィー・ルノワール/エリック・ビラール
十年ぶりに観た。テレビドラマは観ないけど、エリックロメールの作品は好きだ。カメラが、動きつつも安定していて、ダンスみたい。この作品では近代的な無機質な町が印象的だ。最近では東京でも、臨海副都心に行けばあるけど。BGMがないのが雰囲気にあっている。登場人物がただおしゃべりしてるだけだけど、物語のテンポが速くて、会話に無駄がない。冬物語のような近年のものよりも、哲学的な会話がなくて、若々しい。監督の個性が充実している。印象画のような色だ。フランスだから当然か。長回しがなくてカットがすぐに切り替わるところがマンガっぽいのでとっつきやすい。急に顔の表情が変わったりしない演技が自然でいいと思う。最後の友達同士の会話がいつ観てもいいな。
 
トリック大作戦
1991年/香港/94分 監督・脚本:バリー・ウォン 出演:チャウ・シンチー/アンディ・ラウ/ン・マンタ/ロザマンド・クワン/チンミー・ヤウ
私は子供のころから香港映画が好きだった。それから大して成熟しているわけではないので今でも大好きだ。心と体が疲れると、チャウ・シンチーに浸っていたくなる。温泉のような不思議な薬効があるのだ。この映画のシンチー成分は良質だ。監督と脚本は、王晶(バリー・ウォン)。コッテコッテの香港映画を作ることにかけては一流の腕前だ。その前のゴッド・ギャンブラー2でアンディ・ラウ、チャウ・シンチー、 ン・マンタという豪華キャストで作った経験も生かされているのだろう。非常にチームワークよく、シンチーの性質を生かした、まとまりのある映画となっている。アンディ・ラウの存在も大きい。「欲望の翼」や「インファナル・アフェア」などシリアスな映画でも有名だが、こういった喜劇にたくさん出ている。エレベーターの壁に顔面を押しつけられたり、なかなかいい動きだ。くだらないギャグに対抗できるハンサムな彼がいてこそ、全ての演技が引き立つというものだ。シンチーとの相性も抜群だ。冒頭から意表を突く展開。何度も見ているのに同じ場面で笑ってしまう。脇をかきながら「パパ!パパ!」と叫ぶ、親子の対面は爆笑ものだ。親子でエアロビも、変態的な動きだ。突然、家庭内京劇が行われても、なぜか自然だ。ン・マンタとは本当の親子なんじゃないかと勘違いしてしまうくらいの息の合ったコンビだ。物語の設定がしっかりしているので、2012年の今見ても、十分楽しい。詐欺師のシンチーが偽の兄弟としてアンディの家にやってくる。アンディはだまされる側だ。シンチーも家族同様に過ごしていくうちに、アンディに情がうつってくる。その展開が面白い。ケーキをほおばるシーンに熱い共感と感動がある。社長令嬢とアンディの恋愛物語も入りこんで、なかなかスリリングだ。後半になって突如、トリック大王がライバルとして出現する。クライマックスに向けての明確な盛りあがりがある。ガラスに吹きかけた「I LOVE YOU」の文字に感動がある。ラストの秘密兵器で戦うシーンが最高だ。シンチーはその出来に不満らしいが、私は脳内が爆発するほどの快感を覚えた。ドラえもんの秘密道具のような物がいきなり出現して、敵をやっつける。こんなくだらない展開をよくも思いつけるものだ。
トリプルX
2002年/アメリカ/125分 監督:ロブ・コーエン 出演:ヴィン・ディーゼル/アーシア・アルジェント/マートン・コーカス/サミュエル・L・ジャクソン
映画をあまり観ない女に対してデートで誘う分にはいい映画だ。実際この正月前の時期の映画としてはレベルが高いと思う。ただ、アナーキー99というネーミングやうそ臭いチェコでの描写や敵の秘密兵器等を見るかぎり、子供向きの映画だ。30才の私にはつらかった。冒頭の主人公の紹介部分がまだるっこしい。もっと単純な方がテンポがよくなったと思う。主役は悪人だから、機関銃で市民を皆殺しにするだけでいいのではないだろうか。それで主役をやると逆に興味も出てくるのだが。でも「ホームページでいろいろと危険な事をしてその映像を発信している人」という主役の説明をする。「悪者」ではなく「悪者を演じている人」という設定なのだ。分かりづらい。たぶん「黒人でストリートでワル」みたいなXスポーツの雰囲気を狙ったのだろう。でも門外漢が作っている。ウッディ・アレンの「世界中がアイラブユー」でラップのコンサート場面を見ているような居心地の悪さを感じる。料理のプレートの上に乗っかって階段の手すりを降りていくシーンってすごいよね。フレームのすぐ外はもうスタジオみたいな撮影方法はB級感を加速させる。まあ、エキストラの配置とか照明とか注意して見る必要なんてないけど。メロコアなスケボー音楽を多用するわりにはキスシーンやクライマックスでオーケストラを使うセンスも野暮に感じるがどうでもいいか。雪崩を表現するプラグインはもうちょっと改良の余地がありそうだし(真っ白な流星みたいだった)市販の物をそのまま使ったのか。力の入ったスタッフロールは陳腐すぎたので最後に回したんだろうなあとも思った。ここまで口うるさい男が、なんでこんな映画を見にいったかというと、デートだからで、30にもなってこんなデートをしている自分の私生活についても考えさせられるいい映画だった。
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ドリヴン
2001年/アメリカ/117分 監督:レニー・ハーリン 出演:シルベスター・スタローン/バート・レイノルズ/キップ・パルデュー/ティル・シュワイガー/ジーナ・ガーション/エステラ・ウォーレン
すごい。迫力があってよかった。映画館の音響システムがレースの臨場感を感じさせていた。戦争映画の迫力よりも、こういう迫力だったら気分がいい。1つのレースごとに必ずクラッシュシーンを入れるサービス精神のよさ。レースシーンの撮影方法にセンスのよさを感じた。ビデオクリップを見ているようだった。キップ・パルデューがかっこよかった。一番感動したのは、公道をレーシングカーが走るシーンだ。誰もが想像する部分を見せてくれたのはありがたい。感心したのは、見所をレースシーンにして、ドラマ部分をすべらせた脚本だ。説明不足になりそうな人間関係が、すっきりまとまっていて、エンターテイメントの王道を走る。映画の終わった後、興奮覚めやらぬ我々はゲーセンのレースゲームで千円以上使ってしまった。
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トレインスポッティング
1996年/イギリス/93分 監督:ダニー・ボイル 製作:アンドリュー・マクドナルド 原作:アーヴィン・ウェルシュ 脚本:ジョン・ホッジ 出演:ユアン・マクレガー/ユエン・ブレムナー/ジョニー・リー・ミラー/ロバート・カーライル/ケリー・マクドナルド
汚らしいトイレの中に溺れ、美しい水の中に潜る。煩わしい世の中に溺れ、甘美な夢の中に遊ぶ。一滴の薬で人生が変わる。一錠の薬で世界が変わる。打てば薔薇色だ。しかし、戻ってくる場所は、元よりも汚く煩わしい日常。その繰り返し。その積み重ね。ヘロインでもエクスタシーでも。時代が変わっても同じことだ。美しくも汚らしい現実が描かれている。ライ麦畑でつかまえて、を、現代の閉塞感あふれるイギリス文化で映画として表現すると、こんな感じになるのかもしれない。無軌道。無計画。虚無。空虚。その中で一貫してなにかの主張がある。若者の主張である。就職の面接での壮大な失敗など、共感を持てるシーンが多く、彼らの意見にも耳を傾けてみたくなる。私にしては珍しくDVDを持っていて、2012年の今でもよく見る。当時は、同時代性を感じた映画だった。個人的には音楽だけで半分くらいの魅力がある。当時、この映画の挿入歌の入ったアーティストのアルバムは、少なくとも1枚は持っていた。エラスティカも、スリーパーも。イギリスではブリットポップ全盛期だったが、たいしたことのないバンドも多かった。後で振り返ってみても、これは抜群の選曲だ。イギー・ポップが史上最高にカッコイイし、アンダーワールドは効果的。「ボーンスリッピー」はヒリヒリした未来への戦慄と躍動感がある。特にパルプの使われ方は、最高だ。プロモーションビデオを見ているかのようだ。短いカットで強烈な印象のシーンがどんどん続いていく。撮影したブライアン・テュファノは、「さらば青春の光」や「リトルダンサー」も撮っている。1939年生まれとは思えないほどの若々しい映像感覚だ。94分という時間の割には濃密である。飽きることがない。これほどまでにヘロインを打っているシーンを魅力的に撮れる監督の才能がすごい。物語は悲惨の極致だ。ただ、学校の中のような、モラトリアム的な雰囲気も感じる。ヘロイン模様に彩られた監獄の世界だ。逮捕、裁判、オーバードーズ、禁断症状、失業、葬式と来て、行き着くところまで行ってしまいそうになっている。最後の決断は非常に正しい気がする。脱出に近い。結果的に全滅を逃れ、他の仲間も生き残れた気もする。悲惨な状況から旅立っていく場面に救いがある。アンダーワールドの曲が流れ、起きあがり、見慣れた世界を去っていく。このシーンは、いつ見ても身震いする。美しい。若者の旅立ちの瞬間である。無難な道を選んでないので、前途は多難そうだ。まあ、青年にとって、前途は多難な物だ。ふてぶてしい面構えで、いよいよ麻薬よりも禁断症状よりも激しい世界に飛びこんでいく。最後の時点では、麻薬を続けるかもしれないし、続けないかもしれない。カタギになるかもしれないし、ならないかもしれない。幸せなのか不幸なのか。完全にニュートラルな状態だ。観客の心につながりやすく、共感を得られる立場だ。さらに、そこに言葉でゆさぶりをかける。「あんたと同じ人生さ。出世、家族、大型テレビ、洗濯機、車、CDプレイヤー、健康、低コレステロール、住宅ローン、マイ・ホーム、おしゃれ、スーツとベスト、日曜大工、クイズ番組、公園の散歩、会社、ゴルフ、洗車、家族でクリスマス、年金、税金控除、平穏に暮らす、寿命を勘定して」この言葉は、強烈だ。今も私はゆさぶられ続けている。この映画を見ると落ち着かなくなって眠れなくなる。
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ナッシュビル
1975年/アメリカ/160分 監督:ロバート・アルトマン 脚本:ジョーン・テュークスベリー 撮影:ポール・ローマン 出演:ヘンリー・ギブソン/リリー・トムリン/ロニー・ブレイクリー/シェリー・デュヴァル/バーバラ・ハリス
2012年4月。早稲田松竹で見た。長時間、座りつづけて膝が痛くなったが、カントリー調の音楽が長時間流れていて、思った以上に楽しめた。実際に流れている曲は、リズムが乏しくて、カントリー音楽というよりも別の種類のポップスに近かったと思うがどうだろうか。スタッフロールが終わっても音楽が流れていた。音楽の力強さが印象に残る。特にキース・キャラダインが歌う「アイム・イージー」がとても良かった。画面が暗いしなにか汚い。この映像表現は、いかにも70年代のアメリカ映画だ。役者の数も多いし上映時間も長いし音楽演奏の一発撮りも多いのでしょうがないかもしれないが、画面が洗練されていない。ジャンクフードに近い映像だ。ファーストフードを長時間食べつづけるような感覚だ。目を閉じてこの映画を見ても同じくらい楽しめそうだ。アメリカ市民が主役の群集劇。選挙カーの演説や歌詞には字幕をきちんとつけている。でも、たくさんの登場人物が、思い思いに早口だったりちょっと小声だったりしてしゃべりまくるため、なにを言っているのかわかりづらい。字幕が全部追いついていないかのように見えた。それくらいの本格的な群集劇である。権力を象徴する大統領候補は画面に登場しない。音楽フェスティバルが政治キャンペーンに使われるのもアメリカ、撃つのもアメリカ、撃たれるのもアメリカ、一市民がステージに立つのもアメリカ、それを全員で眺めるのがアメリカである。まさにアメリカ映画そのものだ。登場人物がうなるほどいるが確固たる主役はいない。市民の誰もが登場人物のように見える臨場感がある。たぶん人数が多すぎて役者には徹底的な演技指導ができなかったと思う。そのため即興的なスケッチの羅列になっている。自動車のスクラップの山や、たくさんのバスの前を歩きながら自作の詩を朗読する自称レポーターの女のシーンは、即興以外の何物でもなく、素人芝居に近く、残念な気分になった。役者の演技が全く印象に残らない。特にロニー・ブレイクリーの、歌の素晴らしさと反比例した演技の拙さに驚いた。長時間上映するのに、ドラマが生まれてこないので、映画っぽくない。この映画を嫌いな人もたくさんいると思う。事実、公開当時の日本では全くヒットしなかった。ただ、その演技力のなさは、ドキュメンタリー的な手法と調和が取れている。なぜか、ライブを見ているような感覚。カントリー調の音楽で地の色を塗りこんで、さっとスケッチして、絵の具が乾かない状態で展覧会に出しているような生々しい迫力。ちょっとでも作り方を間違えれば大惨事になりそうな映画だ。この作り方は、最後のフェスティバルの場面で生かされている。この映画が本物に見え、真実を届けているような気分になる。音楽と同時に、選挙カーも映画の全編に渡って登場する。選挙カーは、テネシー州ナッシュビルの保守的な政治基盤に似合わないような内容の演説を流している。ナッシュビルのにぎやかしさを強調しているようにも見えるが、ちょっと不安な気分にもなる。リベラルというよりも、なにか薄気味悪い未来を暗示させる。政治キャンペーンは失敗したようだが、大統領候補は大統領になれたのか。フェスティバルでは演説する予定だったはずだ。たぶん選挙に負けたような気がする。逃げかえった時点でナッシュビルの勝ちだ。「私は自由でないと言われたって、なんとも思わないわ」と歌いあげた市民の勝ちだろう。アメリカは自由の国だ。見当違いの自由を唱えたところで、市民は誰もが自由であるがゆえにだまされることはないのだ。世相を反映させて暗い影を落としても、大きな人間賛歌、自由を歌いあげたこの映画には希望がある。
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ナイト・オン・ザ・プラネット
1991年/アメリカ/128分 監督:ジム・ジャームッシュ 出演:ウィノナ・ライダー/ジーナ・ローランズ/ベアトリス・ダル/ロベルト・ベニーニ
旅の途中な人が作ったタクシー物語。また見てしまった。全編、気が抜けてて見ていてリラックスできる。タクシーの密室と映画館の密室は調和が取れている。どっちも金払ってイスに座るし。世界を舞台にしたインディー映画という発想もいいと思った。話の構成もいい。最初の話を真ん中くらいに持っていったら眠ってしまったと思う。真ん中の話ではイタリアで謳い上げてみんなを起こす。オフビートなんだかヒップホップなんだかわけ分からないが押し付けない所がいい。観ていると、どこかに旅に出るような感覚を、いつも味わえる。SFXとは違う表現形式での旅。想像の世界への旅なのだろう。安っぽい地球儀を浮かばせておくだけで金になってるいい映画。ニューヨークの最後、左に曲がってしまうシーンでいつも笑ってしまう。
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夏物語
1995年/フランス/114分 監督・脚本:エリック・ロメール 撮影:ディアーヌ・バラティエ 出演:メルヴィル・プポー/アマンダ・ラングレ/グウェナエル・シモン
エリック・ロメールとバカンス。実に相性のいい組み合わせだ。エリック・ロメールの映画は、たとえ季節が冬でも夏物語のようだ。この映画は、けっこう晩年になって作られているのが興味深い。肩の力が抜けた晩年だ。スリルも冒険もない夏だ。優柔不断で、繊細で、はかない望みを抱いた主人公。来るのかどうかも分からない女性を待つ日々。おおげさな舞台装置や演出は存在しない。ただ、あるがままだ。海辺の情景こそが主役のようにも見える。恋愛映画だと、普通は恋敵がいるはずだが、そういう戦いのシーンは一切ない。人間関係が密接に混じりあうこともない。激しい感情やカメラワークもない。バカンスに出かけたような、のんびりした撮影だ。これはゆるい。ほとんどの場面が、夏の風景をバックにした会話である。素朴な雰囲気。会話をたんたんと追っているだけなので、だんだん気分がゆるくなって眠くなっていく。ドリー撮影のカメラの上に乳母車があって、それに載せられたような感じ。ゆっくりしたリズムに浸って、夏の1日1日が過ぎていくのを眺めつづける。小難しいテーマが一切ない。あんまり高尚なことを考えても暑くなるので、これくらいが夏にはちょうどいい。夏があっという間だ。贅沢な時間の過ごし方にうらやましくなる。避暑地で一人。なんでこんな所に来ちゃったんだろう。という場違いな感覚。集団になじめないぶん孤独感がきわまる。マルゴは親切で人あたりがよく、好奇心旺盛だ。彼女を相手に語り合う。語り合う。語り合う。未完成の曲を完成させるかのように。未完成の自分を完成させるかのように。移ろいいく表情と会話。まだ一つの型にはまっていない。説明は未完成で、目的も未完成だ。3人の女性を選ぶ形になるという、男の夢の境地に見えて、なかなか苦痛がありそうだ。1対1の口喧嘩のような言い合いが中盤以降続くので、私も追いつめられた気分になって、逃げ出したくなった。マルゴ役のアマンダ・ラングレが魅力的だ。もっと出演作が多ければいいのに残念だ。彼女の出演シーンだと、カメラがウキウキしているような気がする。レナは気性に波がありすぎる。主導権を握る以上に思いやりがない。彼女が求めているのは、恋愛対象ではなくて、振り回す対象のような気がする。餌食のように、彼はふらふらと吸い寄せられて浜辺まで来てしまったような感じだ。ソレーヌについてはあまり欠点などないように見える。彼の作曲を誉めて一緒に歌を歌ってくれる。できあがったばかりの楽譜から音を拾って楽器と合わせる。たどたどしい2人の雰囲気が、ゆったりと描かれていて、すてきだ。ただし、雨の中の口論での泥沼加減が永遠に続くようなら逃げ出したくなるかもしれない。一番問題なのは主人公のガスパールで、あれでは優柔不断すぎる。おそらく完全に受け身になって運命を待っている状態なのだろう。いざ自分の番になると逃げだしたり躊躇したりする。「女性とはただの散歩でもうまく事が運ばない。僕の宿命だ」と哲学的な物言いをいう彼に「違うわ。自業自得よ」と答えるマルゴ。そのとおりだ。これだけ選択肢があって発展しないのも珍しい。男は一人で夏の浜辺に現れて、一人で浜辺から去っていく。なんだか人生みたい。軽い冗談のような結末になるが、このほうが実人生に近い気もする。どこかでなにかを求めている。ひと夏の避暑地で探すのはなかなか難しそうだ。自分自身を求めているならじっくりと向き合うことも可能だろうが。曲作りなら試行錯誤できるが、ライブだったら一発撮りだ。時間があるように見えて瞬間瞬間で大きく意味合いが違ってくる。どうも、恋愛相手を求めているのではない気がする。この主人公は、相手を急いで探しているというよりは、じっくりと自分の完成を待っているのだろう。主人公は、それほど多くの物をこの夏の浜辺に求めていなかったのではないか。夜は一人でギターを弾く。音色を紡ぎながら音符の一つ一つを書きつらねていく作業に費やしている。静かな場所で船乗りの娘のイメージをつかむひと時こそが重要だったのだろう。結論なんて、そうやすやすと出てくるものではないのだ。マルゴと語り合うことで手がかりがつかめたような気もする。いい曲が一つできたのでよかったのかもしれない。最後までウエッサン島までの道のりが遠い。あの島にはなにがあるのだろう。私が行きたくなってしまった。退屈にも感じたが、最後の、美しい海に浮かんだ船を眺めていると「ああ。私の夏が終わってしまった」と少し悲しい気分になった。夏っていいな。バカンスの気分を少し味わえた。
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2046
2004年/香港/130分 監督:ウォン・カーウァイ 出演:トニー・レオン/木村拓哉/フェイ・ウォン/チャン・ツィイー
私は同じ映画を見る癖があって、5回以上見た映画はかなりの数になっている。レンタルビデオで借りてきても、1回見たら終わりではなくて、レンタル期間中は何度も垂れ流している。貧乏性のせいかもしれない。昔は1本借りるのに1000円もした。ビデオは劣化するので、再生回数を返す時に記入する必要があった。それだけではないかもしれない。映画は音もあるし、動くし、色もついている。撮影スタッフの関係性も複雑だ。たとえ同じ映画でも、見る時期によって、私は別の感想を持ってしまう。たとえばウォン・カーウァイの「天使の涙」も、何度見たかわからない。最初は、笑いながら人を殺す殺し屋、タバコを吸いながら自慰をする女性などの過激な描写に目を奪われた。その後、あまりにも斬新な色使い、刺激的なライティングに興味を持った。その後、ビデオカメラを嬉々として操っている登場人物の姿勢から、映画に対する愛情を感じた。最近感じる部分は、最後のシーンだ。最後に、今までは心の通わなかった女性と、一時のドライブをする。他人を理解することなどできないかもしれないけれど、心の通じる方法はある。たとえ一瞬かもしれないけれど、それは永遠だ。私自身、いっしょにこの映画を見た人たちと、心を通わせたことがあったのだろうか。他人と見ているときは「あんなドライブは、気持ちがいいだろうね」と言い、一人で見るときは、自然に涙が出てくる。よく分からない。ラカンが意地悪く述べたように、私の言っていることなど、確実にこの文章を読んでいるあなたにはわからない。今回のウォン・カーウァイの映画は、そういう一時の慰みを拒否して作られた、非常にストイックな映画だ。絵画で言うと、ホッパーの「ナイト・ホークス」に肌触りが近い。なじみの友人が、とっても遠くに行ってしまったような寂しさを感じた。コミュニケーション不全の人間たちが現れては消えていく。一瞬の関係を持ちつつも、人々が離れていく。「さよならだけが、人生さ」といった感じだ。60年代の人間が2046年をイメージする展開が、面白く感じられた。当時の時代の閉塞感は、意図的に構図を限定させたり、画面の半分を黒にしてみたりするカメラワークから現れている。内田樹の本によると、パンチを受けたボクサーは、時間をずらしてパンチを打つ姿をイメージして現実の痛みに対処するという。同じように、圧倒的な閉塞感が時代を越えてしまったのだろう。未来に行っても、解決の糸口はあいまいだ。普通の映画なら、列車の中でいろいろな出来事が起こって、主人公の心の成長が得られたりする展開になるのだろうけれど、この映画ではそうならない。未来に行った時点で、現実逃避にもなっていて、そこで解決策を見出すことも、現実逃避にしかならないのかもしれない。人間に対する理解に安易な分かりやすさを求めない姿勢を感じる。人間関係に考え抜いた人だけが達することのできる、成熟した大人の視点を映画の背景に感じる。2046という年代を考えてみると、1997年の中国返還からちょうど50年後の年だ。中国は、返還前の香港の社会・経済制度及び生活様式の維持を1997年から50年間保証している。当時の香港には、1997という巨大な未来も存在している。どこから来てどこに向かうのか、香港人ならではの、不確かな時代性をも感じた。小説内で2046から逃れてきたことを見ると、2046に対する懐疑にあふれているようだ。失われた愛、秘密を隠す、過去に縛られる。キーワードを拾っていくと日本語としてはあやふやなイメージになり判断が難しいが、思い出をどこにおいていけばいいのだろうか(この言葉は映画で使われているわけではなく、私個人の勝手な妄想から出てきた)、個人の体験を時代にどう位置づければいいか。過去や未来を舞台にしつつも、同時代性を映しだしている映画だ。役者だけに限ってみると、この映画は完全にトニー・レオンの映画だ。トニー・レオンが、造形的に良くできていると感じた。リアルなトニー・レオンというか、トニー・レオンがもしもトニー・レオン的な人生を生きたらあんなふうになるのではないかと感じた。トニー・レオンの代表作と言い切る以上の役柄との不気味な一体感を感じた。木村拓哉の演技力は発揮されていない。アンドロイド同様にただのお飾りに終わっているので残念だ。
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