映画評 |
1978年/アメリカ・イタリア・フランス・ドイツ/112分 監督:テッド・コッチェフ 撮影:ジョン・オルコット 脚本:ピーター・ストーン 原作:アイヴァン・ライアンズ/ナン・ライアンズ 製作:ウィリアム・オルドリッチ 音楽:ヘンリー・マンシーニ 出演:ジョージ・シーガル/ジャクリーン・ビセット/ロバート・モーリー/ジャン=ピエール・カッセル/フィリップ・ノワレ/ジャン・ロシュフォール | |
「この時のロケハンはとにかく最高だった」と2011年8月のインタビューで監督が言っているが、これは本当にそうだろう。最高の場所で、最高の料理が食べられる。いいなあ。一番楽しんだのは、絶対にロケハンのメンバーだ。監督はロケハンで20キロも太ったそうだ。世界の映画史上、指折りの魅力的なロケハンだ。冒頭のキャンドルの映像から、非常におしゃれだ。ちょっとびっくりした。映画で料理を題材にするのは不利だ。観客にはにおいと味が分からないから。ただ、これは映像がすばらしいので食欲をそそられる。見ることが食べることにつながるような楽しさ。撮影は、ジョン・オルコット。「時計じかけのオレンジ」などで有名な一流のカメラマンだ。「バリー・リンドン」では、ろうそくの光だけを取り入れた撮影でアカデミー撮影賞を受賞している。光をとらえる点に関しては天才に近い。食材、料理が美味しそうに見える。ストーリーは軽すぎるくらいのたわいもない推理物だが、撮影がすばらしいので一流に見える。肩の力の抜けた華やかでさわやかな質感が印象的だ。イギリス、フランス、イタリアという大掛かりな舞台設定にも驚く。まるで私が大金持ちになれたかのような、優雅な風景を楽しめた。目まぐるしく場面が変わるので見ていて飽きない。旅情サスペンスだ。主人公がアメリカ人だが、扱う題材はヨーロッパ料理。ヨーロッパに行かないとアメリカ人には食べることができない。ファーストフードをかなり馬鹿にしている。なじみのない世界を扱っているので、当時、アメリカでこの映画を売るのは大変だったのではなかろうか。監督はテッド・コッチェフ。「ランボー」の一作目の監督として有名だ。全く違う種類の映画だ。守備範囲の広さに感心する。子供の時から親に連れられて映画を見て、親が入っていた劇団に通い、テレビの生放送のドラマで実力を磨き、各国で何本もの映画を撮ってきた経験が、これだけのバラエティに富んだ作品を生み出しているのだろう。編集長役のロバート・モーリーが最初から飛ばしまくる。巨体を揺らせながらガラスを割ったりケチをつけたり、絶好調の演技だ。この最初のシーンで圧倒される。社内を動き回る、長回しをつなげたカットはなかなかいい作りだ。彼はいばっているだけではなくて食文化に対する深い愛情も感じられる。「この体は最高の料理を集積した結果だ。世界最高のコックたちが創った芸術品だ。脂肪の一片一片が絵画であり詩であり音楽なのだ。つまりこの体形そのものが芸術大作なのだ」彼の吐き出すこの台詞が秀逸。憎めない役柄で面白かった。 | |
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2002年/アメリカ/113分 監督:ロブ・マーシャル 出演:レニー・ゼルウィガー/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/リチャード・ギア/クイーン・ラティファ | |
音がよかった。腹話術のシーンが面白かった。処刑のシーンもミュージカルとして演出されるような、毒のある部分が個性的だった。2人の女優は見た目、演技、踊りともあまり好きになれなかったが、リチャード・ギアはかっこよかった。リチャード・ギアは「ラズ・ダズルのおじさん」として私の記憶に残っていくことだろう。ミュージカル映画は、開放感と、話の分かりやすさが魅力的だ。この映画だと、牢屋を舞台にした結果、面白い開放感覚が味わえた。閉じた部分で展開する、外に発散しない開放感がある。一瞬の快楽に終わらない、批評的な味わいが強い。作り手の頭の中の爆発が感じられるのだ。生の舞台には迫力で負けるけど、映画ならではの魅力がある。サイレント映画からミュージカルになり、再び映画になった醸造期間の長さ。きらびやかでいて、熟成された、重厚感のある、しっかりとした味わい。ハリウッドブレンドのウイスキーみたいな味がする。六本木ヴァージンシネマの隣にある喫茶店は、値段も普通(コーヒー400円)でスパゲッティもおいしかったが、挨拶がなかったり席に案内されるまで時間がかかったり、最後まで水が来なかったり、メニューが来なかったり、手を上げてウェイターを呼んでも無視されるので入らないほうが無難。早稲田松竹でもう一度見たのだが、音響が悪くて魅力が半減だった。この映画は、できるだけいい音で見たほうがいい。 | |
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1976年/ドイツ/83分 監督・脚本:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 撮影:ミヒャエル・バルハウス 出演:マルギット・カルステンセン/アンナ・カリーナ/マーシャル・メリル/アンドレア・ショーバー/ブリギッテ・ミラ/ウリ・ロメル/ | |
ファスビンダーの中ではあまり有名ではないし、上映時間も短いが、なかなか見入ってしまう。冒頭から、美しいように見えて、親子のだんらんというわけでもないので不思議と緊張する。とても格調の高い撮影だ。動く絵画。さまざまな階調の白を描き分け、ガラスを挟んだ光線の表情をつかみとれる、ある種の天才だ。バルハウスのカメラはファスビンダーにはもったいない。4人が鉢合わせして笑いながらカメラがぐるりと周囲を回る。結末では夫婦の周囲をグルグル回る。白い壁に映る影。鏡やガラスに映る歪んだ輪郭。監督のどす黒い執念と反するかのように透明なバルハウスのカメラ。このコントラストが印象的な映画だ。こだわりすぎた実験精神にもあふれているが、室内がメインの撮影なので、それが重要な刺激となっている。クラフトワークの曲も、違和感があってなかなか興味深かった。変な押しつけがましさというか、パワーゲームのような雰囲気がなく、非常に伸び伸びと撮れているような気がする。郊外の城を舞台にしているせいか、少し落ち着きを感じる。演技を見ると、設定のせいでマネキンのようにみんなが無表情だ。セリフのかけ合いを楽しめない。ただ、かわいさやうつくしさが、不思議な緊張感を与えている。アンナ・カリーナも出ているが、個人的には家庭教師役のマーシャ・メリルが一番綺麗で印象に残った。妻の愛人役のウリ・ロンメルの、浮気を見つかってしまった緊張感あふれる演技と、慣れないゲームゆえにその本質に気づかずに致命的な問いかけをしてしまう演技も印象に残った。最後の修羅場を室内ゲームで表現したのが個性的だ。それぞれが特徴のあるつぶやきを言い合う、洗練された演劇的な見せ方。タバコを吸ったり、酒をなめたり、歩いたり、おそろしいくらいに、とても優雅だ。一番の攻撃力を持つのがかわいい子供、という設定を有効活用している。ゲームだけに体力勝負ではないから非常に精神攻撃的には有効だ。お互いに対する人間関係の緊張が頂点になった時、こういった個人に焦点を当てた中傷は、非常に危険である。このシナリオの流れは、人間の真実を描けているように見えるので、印象に残った。ラストの銃声だけが、暴力的。唐突であり、何の説明にもなっていないが、突き放すようでもあるし、その後の登場人物たちに思いを寄せたくなる。ラストの銃声は、ちょっとしたゲームのようなものであり、監督の観客に対する、甘えのようなパワーゲームを感じる。 | |
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2000年/アメリカ/92分 監督:E・エリアス・マーヒッジ 出演:ジョン・マルコヴィッチ/ウィレム・デフォー | |
「吸血鬼を演じたら名優の役者が、実は本当に吸血鬼だった」という楽屋オチなコンセプトは、共感&理解をするのが難しい。最初のスタッフロールが退屈すぎだった。何であんなに長かったのだろう。大作映画を無理やり短くしたような、連載打ち切りのマンガを見ているような不自然さが残った。導入部分で大体オチが分かる。シナリオが弱点かな。劇中で、カメラマンが交代してもしなくても物語に関係ないと思った。90分しかないのに登場人物が多すぎである。エキストラを銃で驚かせてわざと恐怖の映像を撮影させようとするシーンがあったが、あの短い時間にしては、人が多すぎだった。制作費の使いかたがちょっと変だったのかもしれない。衣装代にお金がかかっただろうな。別に史実にのっとってないんだから、コストを減らすために現代を舞台にした方が良かったと思う。その方が本物の吸血鬼を出す意味合いが強くなったと思うし。それではオペラ座の怪人か。監督と女優をもっと出演させて密度を濃くした方が面白くなったと思う。撮影舞台も少ないし、見所も多くない。最後の吸血鬼が死ぬシーンも、もっとよく撮るべきだ。 | |
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2010年/アメリカ/105分 監督:ゲイリー・ウィニック 脚本:ホセ・リヴェーラ/ティム・サリヴァン 出演:アマンダ・サイフリッド/ガエル・ガルシア・ベルナル/クリストファー・イーガン/フランコ・ネロ/ヴァネッサ・レッドグレイヴ | |
東京では、有楽町と、渋谷の2館でしかやっていなかった。たしかに、製作者の顔ぶれ、オリジナルな脚本、SFXも存在しないことを考えると、ちょっと地味な気もする。でも、非常に見ごたえがあった。最後の方でニューヨークに戻ってきた彼女が手紙を開いたシーンで、思わず涙が出た。BGMや撮影方法が安っぽい。しかし風格がある。なぜだろう。たぶん役者のせいかもしれない。芸達者な役者が揃った。主演のアマンダ・セイフライドは、どこからどう見ても雑誌社の調査員には見えない箇所もあったが、普通の人を演じるのが上手だ。「単なるお飾り」以上の存在感を出せるいい役者だ。出番は少ないものの「自分大好き」なガエル・ガルシア・ベルナルの演技がいいスパイスになっている。好き嫌いや善悪を超越した「自分大好き」な演技が気分爽快。 わんぱく坊主がそのまま大人になったようなクリストファー・イーガンのたどたどしさも心地よい。本当におばあちゃんに育てられたような演技だ。車で去っていく彼女を見送る茫然自失した表情が印象的だった。そして、なんといってもヴァネッサ・レッドグレーヴの美しさに尽きる。彼女の存在が、この映画を単なるガールズムービーを越えた地点に持っていった。はにかむ感じとか、歌を歌うシーンとか、やっぱり会いたくないとうろたえる表情とか、少女のような雰囲気だ。どこか、我々のあずかりしれぬところに、人間の魅力というものは存在しているのだろうか。時空を越えた「美」を感じた。ストーリーもいい。50年ぶりに見つかった手紙に対して、理想と提案を盛りこんだ返事を書いたら、それを真に受けた当人がやって来る。なかなか、これ、コメディ映画にも通用しそうな状況だ。しかしこの映画はロマンチック、あくまでもロマンチック。ジュリエットの家でみんなが手紙を書いて貼りつけているシーンや、50年前の手紙に一生懸命に返事を書くシーンが、ステキだ。ああいう、導入部分の丁寧な撮影が、後半に活きてくる。最後はありえないくらい、ロミオとジュリエット的なシーンになるが、不思議に感動した。第二の主役は、イタリアの風景。同じ題材、ストーリーでも、美しい風景がないと、ここまで素晴らしいものにはならなかったはず。ちょっと早い夏休みを味わったような気分になれた。素晴らしく美しい。最高のロケハンだった。ジュリエットの秘書たちの存在もステキだ。映画をとりまく文化に温かみや優しさがあふれているから、映画が引きたっている。その中で気持ちのいい撮影を繰りひろげる。まさに、シネママジック。不思議な魔法をかけられたような輝きがある。あの、エレン・バーキン初のプロデュース映画。彼女の理想も盛りこまれているのではないか。ベテランのケーキ職人のような仕事っぷりだ。 | |
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2002年/香港/109分 監督:チャウ・シンチー 出演:チャウ・シンチー/ン・マンタ/ヴィッキー・チャオ/ウォン・ヤッフェイ/ティン・カイマン | |
同時期のスパイダーマンに比べ、こっちは大変面白かったが(上映期間中に3回見た)、よく考えてみると、スパイダーマンよりくだらない内容にも思える。違いは何だろう?丁寧に撮っているなあと感じたところか。最初のシーンなどに感じられるように、きちんとライトを当てていて構図も安定し、カットごとに無駄がない。ノウハウの蓄積が感じられた。物語の背景もいい。見るからに繁栄している香港(中国)が印象的だ。それに対比して社会から置いていかれたような登場人物。そして丁寧に描かれている、彼らが暮らしている下町。この対比が良かった。なぜこんな対比が描かれたのだろうか。(今の日本でこれほど分りやすい対比が描けるだろうか。)チャプリンの影響だろうか。デパートに女性を連れて行くシーンにそれを感じた。香港のスタジオセットの周囲にビルが乱立したため、カンフー映画が撮れなくなってしまった新聞記事をだいぶ昔に読んだが、そういった香港映画の状況も反映されているのだろうか。この映画は、スタジオがなくなったので外に飛び出たカンフー映画ともいえる。カンフー映画は当然、繁栄とは逆の位置に立つ。上海などにも共通するように中国の社会全体の流れもあるのだろう。高度成長に疎外された人物が映画の中に浮き出されたようにも思う。スーパーマーケットのうずたかく積まれたトイレットペーパーをなぎ倒すゴジラ映画だ。ギャグがくだらなくて面白かった。面白い動きやポーズにあふれている。最後のシュートがすごい。これほどまでに説得力があるシュートを見たことがない。女優がきれいだった。わざと変な格好をさせられていたけど。彼女がキーパーになって、くるくる指の上でボールを回すシーンがとても痛快だ。この場面で思わず泣いてしまった。終わった後、映画館の観客が拍手していた。 | |
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1997年/アメリカ/94分 監督:ジョン・アミエル 脚本:ロバート・ファーラー/ハワード・フランクリン 撮影:ロバート・スティーヴンス 出演:ビル・マーレー/ピーター・ギャラガー/ジョアンヌ・ウォーリー/アルフレッド・モリーナ | |
最高に笑えたが、底知れぬ彼の存在感に恐れを抱いた。ビル・マーレイは、役者である以上にビル・マーレイだ。ビル・マーレイには、制御しきれない腕白小僧めいた、なにかの爆発力がある。背中か、頭か、おしりか、どこかのスイッチを押すと、そのビル・マーレイ爆弾が映画の中で爆発する。酒を飲んでいるのか、世の中を飲んでいるのか。ビル・マーレイの中には、自らの存在意義について、徹底した勘違いが潜んでいる。形而上学的問題だ。どこかでなにかがまちがっているが、自分では気づくことができない。一瞬も疑うことのない典型的な楽天家としてのアメリカ人。アメリカ人であるというだけで言葉使いからしてその国では浮いている。異国の地でとんでもない勘違いをやらかしたこの映画は、そのままビル・マーレイだ。笑われながらもどこか本気だ。天才というか、素材だ。神がビル・マーレイを作りたもうたのだ。脚本家もすごいが、彼をキャスティングしたのがすごい。スパイ映画をあざ笑うようでいて、現実をあざ笑っている。アメリカ人がなにかの間違いで世界の中心になってしまったかのように。世界平和や冷戦は、一時のジョークであったかのように。現実の人間関係までもが勘違いの上に成り立っているようなラブロマンスにもなっていて面白い。「ビデオを見れば気分もよくなるさ」ビデオショップの店員というだけあって、切れ目なく殺し文句がポンポン出てくる。焦点の合っていない彼の酔っぱらっているかのような表情と挙動は、どこにも落ち着くことがない。空港に降りたった瞬間に面白みのかけらもないような噛み合わない会話を繰り広げ、弟の家に着いたとたんに追い出され、ポンドが金かどうかも分からない。ナイフを持った強盗相手のシーンでは、日常的に演技をしている我々を比喩しているかのような、高尚な次元まで我々を引きあげてくれる。それから以降の話は抱腹絶倒だ。「あなた変よ。楽しんでるみたい」「もちろん」すごい。常人の達することのできない域だ。紙一重だ。ビル・マーレイがビル・マーレイであり続ける限り、笑いが途切れることはない。完全に独り舞台。共演者を圧倒したり罵倒したりする必要もなく、勝手気ままに自分自身を演じきっている。彼以外の共演者は、みんな協調心があって、いい人に見える。水と油だ。「正直、僕に演技は無理だ」これは真実だ。マジカルな瞬間だ。無駄に長いロシアの民族舞踏にも狂気が宿っている。場違いな感触。場違いが世界を平和にする。笑いというよりも、平和や戦争やその他の全てに対する挑戦状だ。世界情勢そのものがくだらない劇であったかのように。妙な魅力と、引力がある。あまりにも知らなすぎる彼の状況を我々は笑っている。しかし、我々もまた、自分の置かれた状況を、よく知らない。我々は、もちろん人生について知らなすぎる。知ったような気になっている我々を、この映画はあざ笑っている。 | |
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2010年/アメリカ/105分 監督・脚本:マイク・ミルズ 撮影:カスパー・タスセン 出演:ユアン・マクレガー/クリストファー・プラマー/メラニー・ロラン/ゴラン・ヴィシュニック | |
父との死別を描く映画としては「ビッグフィッシュ」があるが、ユアン・マクレガーはそれにも出ている。あの映画では寓話としてのモデルめいた扱いだったが、ここでは魅力的だ。無敵の主人公を演じるにはどこか自信のなさそうな彼の雰囲気がうまく生かされている。暗さや落ち込み具合がとてもよく表現されている。監督の体験をそのまま映画にしたらしいが、おそらく監督自身はもう少し、アーティストっぽくてエキセントリックな気がする。ユアン・マクレガーは、イギリス人らしい複雑な味わいを出せる役者なので、かなり自分で作りこんだ役柄だった気がする。自分の演じたいようにのびのび動いていて、それが後半になるにつれて自分探しの成功と調和してくる。役者としての自分探しの雰囲気を感じた。クリストファー・プラマーの演技が強烈。「思い残すことなく死ぬ」という明るさすら感じさせる死に方だった。息子の立場になって絶望感も感じたが、彼の演技で達成感も感じた。82歳にしてアカデミー助演男優賞。最年長記録である。この年で、この多すぎる登場シーンで、ここまでキレのある演技ができるのがすごい。撮影中、コンディションを保つのに大変だったはずだ。日々の節制もあれば、努力もあるはずだ。この名優に心からの拍手を送りたい。臨場感あふれたカメラワークも彼の演技を引き立てていた。役者としては、犬もなかなかの好演技。シナリオ構成を考えると、悪人が全く出ず、敵対関係もない。生命に関わるような危機的な状況にも陥っていないが、人生で乗り越えるべき試練はあるようだ。自分にとっての幸せ探しの映画だ。父の死や、恋愛がテーマなので共感を得られやすい。さすがにあの不安定な夫婦に育てられたら、ああいうどこか不安定な大人になることだろう。カミングアウトに驚くのもシナリオでのポイントだろうが、結婚のなれそめを初めて耳にするシーンも、もう一つのポイントだ。父自身も結婚には真剣だったのだ。その時点で、幼少からさかのぼって考えると、パズルが組み合わさるように、納得のいくものになる。死を前に、自分の欲望に忠実になった結果、初めて息子と向き合うことができ、その結果、息子も自分のしっかりした足場を持つことができた。そういう複雑な心の流れを、時系列をごちゃまぜにすることで、上手に表現できている。時系列どおりに描いた場合、父の死が軽くなる気がする。立ち直る物語でもあり、父と子の交流の物語でもあるので、時系列をごちゃまぜにした表現はよかった気がする。「さあ、これからどうしようか」という感じで話が終わる。ひとつのおわりでもあるし、ひとつのはじまりでもある。優しい思い出が、確実に私たちにも届いた。そこから先は、また別の話がどんどん続いていくのだろう。希望を感じる優しい雰囲気。私も、ちょっと勇気づけられた気がした。地球の危機をマッチョな男が救う映画がアメリカでは多いが、こういう身近な視点を持った、優しい思い出を大事にするような映画もあるのだなと少し見直した。 | |
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2007年/日本/104分 監督・脚本:三木聡 出演:伊勢谷友介/松尾スズキ/菊池凛子/岩松了 | |
菊地凛子といったら、この映画。最高の役者ばかりの魅力的な映画。それにしても素晴らしい映像だ。小松高志は当代一の撮影監督だと思うが。どうか。私は2009年11月のある日、「アヒルと鴨のコインロッカー」を撮影した小松高志の撮影ぶりが良かったので、彼が撮影をしているこの映画をビデオ屋で借りた。写されている「絵」を、見たかっただけなんだけど、話がとんでもなかった。映画館ならともかく、家の中で1人で見ていたので、思いっきり笑いつづけて死にそうになった。現実感覚を根底から覆されるようなあやうさ。「月刊 黒い本」の表紙ではじまる冒頭から、開いた口がふさがらない。「血を吸う宇宙」と同じ感覚。そういえば、この映画とあの映画、同じ映画館でやってたよな。1日に5回くらいリピートし続けた。なかなか、なにがなんだか盛り上がってきた。あまり燃えすぎても困るんだけど。なぜか心の中に遠藤が乗り移ってきた。話の筋よりも小ネタや逸話の方が多い。人魚とか、ゲロが燃えてたりとか、まあ、ヘンな角度で間違えて切り取っているようだけど、その画面を眺めていると、かなりの開放感が得られた。監督&脚本は三木聡。そして中心人物には松尾スズキ。大人計画とシティボーイズ。馬鹿っぽいけどさみしい感じ、妙にストイックな感じがいい具合に混ざってハーモニーを奏でている。ワイワイガヤガヤしたかけ合いが楽しいし、一対一の不思議な台詞のやりとりも印象的。様々な場面が展開されつつも、画面全体の色味は統一されている。しっとりとした雰囲気。映画全体で別れや再会がくりひろげられる。生と死というテーマもかいま見れるが、不思議にとっても軽やかだ。現状の、正しい認識と、愉快な解釈。深い。そうやって、毎日を乗り切るべきなんだ、と、気分が晴れた。結末にいたる展開も、非常に面白い。あまりの感動に泣いた。神経症的にギャグをたて続けにつめこんで、最後まで突き進んだときに、はじめて見えてくる開放感。このカタルシスにも近い開放感は、この映画だけの魅力だ。「アルコール漬けの遠藤が蒸発する前に、なんとかしなくちゃ」と、私自身もなんとかしなくちゃ、と、それらしきなにかについて思った。 | |
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2003年/韓国/124分 監督:イ・ジェヨン 出演:ペ・ヨンジュン/イ・ミスク/チョン・ドヨン/チョ・ヒョンジェ/イ・ソヨン | |
映画館、おばさんでいっぱい。ここでのペ・ヨンジュンは「冬のソナタ」に見られるような、顔を不自然に動かすテレビ向けの演技をしていないので、映画としての魅力は十分だ。夢物語のような上品な映像も、見ていて気持ちがいい。笑顔だけで芸になるペ・ヨンジュンは、役者として魅力的だ。セリフがなくても存在感のある大した役者だ。それぞれの役者たちのレベルの高い演技力に引き込まれたが、テレビ的なカメラワークが残念だった。奥行きのあるシーンをもっと見たかった。セットを作りこむ暇がなかったのだろう。小道具や衣装は素晴らしかったが、2時間という枠が長すぎた感がある。動いているシーンが弱い。物撮りみたいな、止まっているものをきれいに撮る能力に恵まれていると思う。湖に張られた氷の上を歩くシーンが印象的だった。最後の花びらが空に飛んでいくシーンがありきたりすぎたので、声を出して笑ってしまった。 | |
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2003年/アメリカ/109分 監督:リチャード・リンクレイター 出演:ジャック・ブラック/ジョーン・キューザック/サラ・シルヴァーマン/ミランダ・コスグローブ | |
みゆき座のさよなら企画で300円で見た。帰りに寄ったラーメン屋では映画チケットの半券で替え玉100円分サービスだったので実質200円だった。たとえ300円でも、みゆき座は満員にならなかったのでかわいそうだった。見る前の最初の印象では、ギターを持った教師が算数とか教えるような学校賛歌の物語かと思った。実際見てみると、先生は教員の資格すら持っていなく、絶対に最後まで音楽以外の授業をしようとしなかったのが痛快だった。「年をとる前に死にたい」と歌ったザ・フーが、60歳になって再結成してしまったような現代、皮肉な側面でしか物を見れないのも事実だ。今回の映画のような、ロックを信じきっているキャラクターというのが、とても魅力的に思えた。教室での場面に見られる、子供を観客にしたスタンダップコメディの舞台のような、臨場感あふれる描写が面白かった。シナリオが最高だ。赴任当初、主人公が惰眠をむさぼる部分には焦らしのテクニックを感じる。外出許可がおりなかったり、警官がやってきたり、保護者がやってきたり、シナリオにわざと障害を置くことによって物語の興味をどんどん引っぱっていく。なにも起きないよりは、主人公が最初からピンチになっていると、話は面白い。まずは職を探す、そしてバンドメンバーを探す。主役の行動の動機づけがはっきりしていて見ていて分かりやすかった。「子供相手にマジ」という、無理やりなコンセプトをまとめあげた、役者、監督ひっくるめた作品自体の迫力がすごい。 | |
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2001年/アメリカ/101分 監督:ウディ・アレン 出演:ウディ・アレン/ヘレン・ハント/シャーリーズ・セロン/ダン・エイクロイド/エリザベス・バークレー | |
坂道をころげ落ちるように笑いでかけ抜けているウッディ・アレンのドタバタ探偵映画。本人同様、映画自体に生命力がないが、小品としてまとめる技術がある。見ていてまるで盆栽のようだ。今回は物語がきちんとできていたので、言葉のやり取りまで頭が回らなかった。だから字幕が大きいのがよかったと思う。逆によくなかったのかな?ついつい文字を読んで、実際の言葉を聞かなくなるし。67歳であの役は無理がある。寅さんみたい。だけど、年を感じさせるウェットな部分がない所がいい。もともと、弱さを前面に出して笑わせるタイプの役者だから、年にごまかしがきく。インタビューを読むと、金があればトム・ハンクスにやってもらいたかったそうだ。初期のトム・ハンクスみたいな役者にやらせると面白かったかもしれない。いろいろとベタな演技をよくもここまでやると感心する。照れがなくなってきたのかな。最初の催眠術にかかる表情などを見ると、表現の幅が出てきたのが分かる。分かりやすい物語展開がよかった。撮影もマンガみたいだった。音楽が場面場面で効果的に使われて印象に残った。主役の驚いた顔を見た同僚が、「叔父さんが車に轢かれたときもあんな顔だった」という部分に脚本の面白さを感じた。主役に、敵でかつ恋の相手役、社長、主役の友人、催眠術を解く友人、敵の探偵、金持ちの女、魔術師に、助手の女、警備員、秘書の女など、それぞれ印象的だった。 | |
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2002年/フランス/103分 監督:フローラン=エミリオ・シリ 出演:ナディア・ファレス/ブノワ・マジメル/サミー・ナセリ/パスカル・グレゴリー | |
夜寝る前にビデオで見たのだが、見終わった後に興奮してねむれなくなってしまった。緊張感が続いてだれるところがない。銃撃シーンの撮り方がものすごい迫力だった。銃をおもちゃのように軽く扱うシーンがない部分にもこだわりを感じた。味方がどんどん死んでいく消耗戦になってしまったので、戦いが終わっても全然安心できなかった。倉庫という舞台をもっと活かしたアイデアがあったほうがよかったと思う。パイナップルアーミーというマンガに出てきた粉塵爆弾みたいなオチがあったなら、さらに名作になったはずだ。 | |
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2002年/アメリカ/143分 監督:ジョージ・ルーカス 出演:ヘイデン・クリステンセン/ナタリー・ポートマン/ユアン・マクレガー | |
おじいちゃんとCGの人形のチャンバラシーンがクライマックスだ。この世界はつらい。フォースを信じないかぎりのめりこめない。いっしょに観にいった友人は「あまりに世界が作りこまれすぎていて、自分がその世界に入っていけない」と言っていた。特殊すぎる設定や最新CGのデモンストレーションが走りすぎのマニア向けの映画だと私も思う。冒頭の、暗殺者を追うシーンで「ブレードランナー」と同じような世界観を見せてしまった部分にSF映画として疑問符がつく。全体的に世界観が古臭い。エピソード1はこれよりつまらなかったそうで、ぜひ見たいものだ。穴キンと姫がくつろぐ背景にCGの滝があったってなくったって、同じことだ。無駄なCGが多く、物語の質としてはローダンシリーズの1冊か、できの悪いスタートレックだった。穴キンと帯ワンの2人を分けて二つの惑星を舞台にする部分が気になる。時差とかない世界なのか?穴キンの役者は第二のルークになりそうな演技だった。本当の戦争がエピソード3だけというシリーズ構成もつまらない。はじめから宇宙的規模の戦争を見せた方が面白くなったはずだ。しかし、フォースを信じないかぎりのめりこめない、この戦争の気持ち悪さはなんだろう。我々にとっては、アメリカの起こした実際の戦争と同じことではないか?ベトナム戦争、湾岸戦争、そして911報復戦争。特殊すぎる設定。最新機器のデモンストレーション。全体的に世界観が古臭い。どれもがアメリカ以外に住む人々にとっては「スターウォーズ」ではないだろうか?物語が通っているというよりは、物語をぶったぎっているのではないか?まあ、そんなことはどうでもいいけど。 | |
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1994〜2001年/アメリカ | |
最初の印象が、スペイン映画の質感に似ているな、というものだった。乾いて、原色が多く、コントラストがはっきりしていて。スタン・ブラッケージは、映画ポジフィルムに直接ペイントして、作品にしている。ジャクソンボロックみたいな抽象画が、絶え間なく動く感じ。ドンという音のない、花開く開放感のない花火。私はこういう作品をあまり見ないので陳腐なたとえだが、東京写真美術館で見たジョナス・メカス作品展「静止した映画フィルム」を思い出す。あっちは連続して撮った写真が動いていた。あれよりは面白かった。こちらの方がフィルムの質感を味わえる。メカスの写真の集まりは、別に映像にしなくてもいい。メカスは動かす必要もなければ素材的に紙に合っている。ボックス東中野。実験的な試みだ。まず、音がない。瞬間瞬間の刺激を重視している意味でテクノに合いそうだが、音楽をつけるサービス精神はなかったのだろうか。この作品が芸術なのだろうか。こういう雰囲気的なものは、パソコンを使えば短時間でアフターエフェクツやVJソフトなどで再現可能かもしれない。パソコンだったらトライアンドエラーが何度も出来るので完成度が高くなると思う。私には全然新鮮に見えなかったし、映像文化に慣らされた若者はみんなそうだろう。逆にいえば、そこまで古典的になった手法の先駆者でもあるのかな。フィルムに1時間、まぶしいくらいの光が来る。この光が重要かもしれない。フィルムの絵の具に、ライトが当たって反射する。フィルムに盛っている部分が目立つ。素材感がある。ただ単に、作者の目が悪かったのか、光の刺激に鈍感だっただけなのかもしれないが。こんなに立て続けに見せるのを前提に作られたわけでもないだろうし。素材である、絵の具の流れとフィルムの光を追う部分が芸術なのかもしれない。物語がなくて登場人物がなくても楽しめた。私の場合、映画館の暗闇に座って画面が流れていれば満足なのかもしれない。映画館から出た後に向き合う現実の違和感が、なかなかだった。 | |
1973年/アメリカ/129分 監督:ジョージ・ロイ・ヒル 脚本:デヴィッド・S・ウォード 撮影:ロバート・サーティース 出演:ロバート・レッドフォード/ポール・ニューマン/ロバート・ショウ/チャールズ・ダーニング | |
映画を語っているかのようだ。映画の中にもう一つ別の架空の世界がある。「映画を作っているような映画」の感触がある。映画のセットを作るように何もない地下室に架空のセットを作る。そして役者たちが全員で演技する。詐欺師をテーマにしているとはいえ、そういう面では感触的に自分の世界を語っているのに近い。おのずと現実性と説得力がある。しかも生き生きとした人間を描けている。さすがに詐欺師だけあって、動きに隙がない。シカゴのギャングの世界もハリウッドの世界も、ちょっとしたミスが生死を分けることがあるような緊張感を感じた。小さい役柄とはいえ、喫茶店の女性店員のディミトラ・アーリスが印象に残った。完全に普通の庶民と一体化しつつ、レッドフォードと孤独を共有しつつ、危険な存在という不思議な役柄だった。冷静な詐欺師でも一杯食わされるような、現実世界の奥行きを感じた。物語は勧善懲悪のような、市井の市民がギャングを倒すような雰囲気を持っている。イカサマ師というのは法律的には絶対的な悪である。酔っぱらいや社会的弱者から金をかすめるようなイカサマ師も多い。しかしこの映画では、金持ちの虚栄心や権力者の慢心を逆手にとって冷ややかに財産をかすめとるような、どこか魅力的な人物として描かれている。そこは映画としてなかなかよくできている。映画の背景音楽は、ラグ・タイム。この郷愁を感じるような、甘く軽やかなメロディーは、巨額の資金がかかった詐欺の世界や血で血を洗うシカゴギャングの世界とは異質な気もするが、すごく映画と調和が取れている。幸福な気分でハッピーエンドに向かって前へ進んでいくような、監督自身がセリフの代わりにポジティブな気持ちをこめて音楽を流したような気がした。「He's not as tough as he thinks . 自分で思ってるほどタフじゃないさ」「Neither are we .俺たちだってそうさ」ポール・ニューマンの演じる伝説の詐欺師は、この「映画内映画」においての監督の役目だ。全ての架空の世界を統括する責任者でありつつも、列車のトランプのシーンでは実際に演技もしている。一度痛い目を見ているので無敵には見えない。そこがいい。等身大の人間として描かれている。かなり心に傷を負い、うらぶれている。決戦前夜も眠れない。ブランクもあるのでトランプを操る手つきにも安定感がない。決戦前に出かける時に、自分のメリーゴーランドに目をやるシーンがあった。ここにはもう2度と戻ってこないかもしれないなという覚悟を感じた。短いシーンに味わいがある。脚本の中での存在感よりも、役者の存在感の方が勝っている。一度負けているが負け犬ではない。そこに共感できる要素がある。イーディス・ヘッドがデザインした最高の衣服を着てさっそうとした動きを見せても、それは単なる詐欺師としての側面であって、本質的な部分は観客と一緒のような気分になる。普通の人間が努力をしてイカサマをしでかすように見えるので、ちょっとしたはずみで失敗しそうな雰囲気にもなり、応援したくなる。酒に酔ったふりをしたり、だまされたふりをするような、演技力がものをいうシーンが多い。裏と表の演じ分けの魅力にあふれる。レッドフォードは主役だが、安定感がないように描かれて、実際の当時の彼の役者としての存在そのものと一体化しているようにも見える。若きイカサマ師。周囲の温かいサポートによって最高の演技をしているように見える。この映画の、彼の演技が脚本の面白さをさらに増加させている。子供っぽさもあれば、生意気で、人格的な完成もなく、一時の感情に身をゆだね、荒々しさがあり、どこかさびしい。荒削りの魅力にあふれ、話の展開にどこにたどり着くのかわからない不安定感と、どんどんつき進んでいく躍動感を与えている。結末では、詐欺師としての成長を遂げ、役者としても成長を遂げているかのように見える。役者としての能力の高さはニューマンが勝っていたが、レッドフォードの未成熟な魅力もすばらしかった。監督が、役者の現在の状態まで考慮に入れて演出していたような気がする。足を引きずって歩くロバート・ショウに貫禄があったように。でっぷり太ったスナイダー役のチャールズ・ダーニングに激しい動きをさせて緊迫感を与えたように。この映画の魅力は、完璧なまでの結末に尽きる。映画そのものが詐欺であったかのように、観客はまんまとだまされる。全員が、詐欺師としての全ての演技をやり遂げ、役者としての全ての演技をやり遂げた達成感に包まれる。映画の完成後の打ち上げの時のような開放感を最後に感じる。鮮やかである。この映画に出てくる全ての役者は、一流の役者であり、一流の詐欺師だ。 | |
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1984年/アメリカ・ドイツ/90分 監督:ジム・ジャームッシュ 出演:エスター・バリント/リチャード・エドソン/セシリア・スターク | |
確かこの監督の処女作はパーマネントバケーションで、最後のシーンが印象深かった。どちらにしろ題名がいいなあ。狙いすぎの構図がかっこよい。全部のコマが絵葉書に使えそうだ。絵になるけだるさだ。けだるさと放浪感覚。この気分を心のどこかに持っていないと、やっていけなくなるような人にピッタリの映画だ。煙や光線が物と同じように存在しているので(白黒だから)絵になる。服装のちょっとずれた部分がいい。いきなりクリーブランドまで行くけど、私も熱海に行きたい。「驚いたわどうして来たの」「バカンスだ」どこかへいって来ないと見えてこないこともある。たぶんまだバケーションの途中なんだと思う。 | |
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