映画評 |
2003年/カナダ/110分 監督:ジャン=フランソワ・プリオ 製作:ロジェ・フラピエ 脚本:ケン・スコット 撮影:アレン・スミス 出演:レイモン・ブシャール/ディビッド・ブータン/ブノワ・ブリエール/ピエール・コラン | |
原題はLa grande seduction。2003年のカナダでは最高の観客動員を誇った名作。その大いなる国民性に大いなる拍手を送りたい。1ヶ月の予定で訪れた医者に対し、ずっと住んでもらうために自分の島を魅力的にしてみせようと、島の人々ががんばる映画。冒頭の美しく青いシーンが目に焼きついて離れない。船がすばらしい構図で映されていて、写真としても素晴らしい出来栄えだ。その後の夢のシーンがすばらしい。ここがきちんと描けているので話にふくらみができている。島の大自然、人々の表情、室内の情景。どのシーンも透明感があって美しい。室内も、夜間も、青いライトを当てて、海や空の色と調和を取った繊細な画面構成。派手なカット割りや特異なカメラワークがなくても見入ってしまう。きれいな照明を当てて対象を浮かび上がらせる画面の作り方に非常に感銘を受けた。監督はあの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」や「ホテル・ニューハンプシャー」という大作のカメラアシスタントとして経験を積んでいたようだ。ジャン=フランソワ・プリオ。映像センスにあふれる素晴らしい監督だ。東京の新宿区で会社員としてあくせく働いているのに、この映画を見ている間は、まるでこの島にいるかのように感じる。チェーホフの小説のような観客との同じ視点に立つような一体感がある。こんなに知らなかったことがあったんだ、なんて私の想像力は小さいんだろう、と、謙虚な気持ちになる。「しつこい水虫を見せたのは誰だ」と言われて素直に手を挙げたところに大笑いしてしまった。島から一度も出たことのない親友と酒を飲みながら笑いあうおおらかさに心を癒される。いたるところに素朴な人柄がにじみ出ている。一人でも島民に見えないと失敗しそうだが、みんなが島民に見える。感慨深いほどの島民の演技だ。みんなでクリケットのテレビを見ているシーンはよくできている。アイスホッケーを見ている時の盛り上がりと、クリケットを見ているときの無理矢理感がリアルだ。嘘を演じる人々を演じる、のは役者としては難易度が高い。なかなか見応えがあった。脚本について言うと、工場誘致という明確なゴールを映画の中に持ちこんだことも分かりやすくてよかったが、それ以上に人間の絆がよく描けている。島の人々は、さまざまな作戦を展開する。なかでも電話の盗聴は、明らかに犯罪である。それでもなぜだか許してしまえるようなほのぼのとした雰囲気に包まれてしまう。かなり本気な言い合いのシーンもあり、緊張感もある。さすがに生活がかかっているので、大変だ。なぜか当事者意識をもって見続けてしまう。映画の結末近くになって、医者がつぶやく。「僕の人生って何だったんだ。愛だって?愛って何だ。(中略)僕の生きてきた世界はすべて偽りだったんだ。皆で僕をだましてた」ここの台詞が一番深い。相手の欲求を知るために盗聴をしたが、相手の心を知れば知るほど同情してしまい、嘘がつけなくなる。ここまでくると、友情だ。そもそも自分の気持ちに嘘をつけない、大変素朴な人たちなのだ。産業誘致よりも、大事なプライドを持っているし、相手の立場に立つような優しさも持っている。その後の打ちひしがれて島民が教会から出て行くシーンに感動した。私もなんだか悪いことをしたみたいに反省してしまった。ただ、誰も責める気にもなれない。この決断は正しかったとみんなも納得したはずだ。本質的な部分でみんなが正直者なのである。ここが、たぶん、島の外とは違う人間性だ。このシーンから先に、テーマが浮かび上がってくる。嘘をつくということはどういうことなのだろう。信用されるとはどういうことなのだろう。どこに真実があるのだろうか。誰を信用するべきなのか。自分は信用されているのか。どこで、誰と共に、生活するべきなのだろうか。映画自体が、観客の誰もが持つような疑問に素朴に向き合っている。映画自体も素朴なのだ。真実は苦々しいし、打ち明けるにはつらいこともあるかもしれない。真実を聞いて残念な気持ちになることもあるかもしれない。物語は、綺麗な海を背景に、最後で化学変化を起こす。手にとるように登場人物たちの気持ちを理解することができる。このような脚本作りには感銘を受ける。この映画については、私も信用したい。こういう映画と共に生活していきたいものである。 | |
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2001年/アメリカ/117分 監督:スティーブン・ソダーバーグ 出演:ジョージ・クルーニー/ブラッド・ピット/ジュリア・ロバーツ/マット・デイモン/アンディ・ガルシア | |
男版「チャーリーズエンジェル」か。「オーブラザー」から引き続き、また牢屋から出たクルーニー。6時45分から始まったにしては映画館に客が入っていた。盗みっぷりが良かったな。アンディガルシアって初めて名前を聞くけどかっこいい。脚本的にはもっと恐ろしさを出したほうが良かったと思うが。ジョージ・クルーニーって生活臭さがないし役柄も個性のいらない役だった。ストーリーや演技を見るというよりは、ファッションを観るような感じだ。ここでのぶらぴはただ見てるだけ。なにもしないけど、見た目はかっこよく撮られている。上半身裸にはならないよ。サングラス姿が拝める。照明がかっこよかった。カジノの撮影はすごくうまいと思った。金庫破りの最後の噴水のシーンは言葉がなくてかっこいいと思った。ここで終わってもいいのに。仲間が11人いたけどそれぞれナイスチームワークで動くスポーツみたいだ。失敗しそうなドキドキ感がもっとあっても良かった。カメラワークが癖のないいい動きをしていたが、個性がなくさびしい。ベースのジャズっぽい音楽が良かった。音のいい映画だった。 | |
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2002年/アメリカ/95分 監督:ジェイ・ローチ 出演:マイク・マイヤーズ/ビヨンセ/マイケル・ケイン/マイケル・ヨーク/ロバート・ワグナー/フレッド・サヴェージ | |
今回タイムスリップするのは、60年代ではなく70年代だ。ちょっとずれてる。豪華ゲスト陣を無駄使いした所がよかった。オースティン自体の物語は第一作で全てまとまっている。年代ギャップギャグがないと、ただのスパイ物パロディにしかならなくなってしまう。続編制作はつらそうだ。「ウェンズワールド2」がこけて干されていた時期に、まさかこんなにヒットするとは誰も思わなかっただろうし。今回は、取ってつけたように親子関係が出てきた。さらにネタの尽きたコメディ映画シリーズや007みたいに日本文化が登場。勘違い日本文化をいまだに作りつづけるハリウッドの閉鎖性が現われていた。影絵のギャグが一番面白かった。字幕ギャグとか言葉遊びとか、日本人にはつらいギャグが多い。映画館にいた外国人の客が大笑いしていたギャグが、私には分からなかった。私は、ホクロの人やミニーミーやファットマンやオランダ人を笑えるほどの人間ではないので、ついていけない部分が目立った。オースティン自身を笑う方向には向かなかったのだろうか。 | |
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2000年/アメリカ/108分 監督:ジョエル・コーエン 出演:ジョージ・クルーニー/ジョン・タトゥーロ/ティム・ブレイク・ネルソン/ジョン・グッドマン | |
根無し草的なキャラクターをあえてヒーローにしてしまう。それはあくまでも「未来は今」で描かれたようなアメリカンドリームの象徴と同時に現代のポールオースター的な個人を示しているのではないか・・・と思うこと自体ばかばかしくなってくる逸脱ぶり。脱獄したクルーニー。活き活きしている。呼吸まで聞こえてくる役者への近づきっぷりがいい。カメラがやたら近づいて、3人のアホ面をなめる。制作現場が一番面白かったのではないか。役者とカメラマンとの信頼関係は、ずぶぬれボーイズのおもろいレコード録音シーンなどにも反映されている。マンガチックな展開だけど、なにか愛情だとか強情が感じられるカメラワークだ。無理やり絵にしようとしたラストシーンがそのままコーエン兄弟だ。「なぜ?」と思ってしまったダムの洪水シーンが良かった。ホリーハンターがいいなあ。脚本が、チープとは割り切れない微妙な影を役者に持たせている。 | |
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1997年/スペイン/117分 監督:アレハンドロ・アメナバール 出演:エドゥアルド・ノリエガ/ペネロペ・クルス | |
ドグラマグラそのものだったので、目新しくないストーリーだった。オチが冷凍睡眠だった。10年前にサイバーパンクを受けた私にはこの「現実」は厳しいよ。面白みがなかった。投身自殺の終わり方より、夢野久作の「胎児の夢」の方がすごい。時計の音の方が重い。演技も厳しいなあ。ヌーリア役のナイワ・ニムリがよかったくらいか。マッシヴ・アタックを使った音楽のセンスはいい。ライトは少し暗すぎ。「バニラスカイ」という映画がある。ハリウッドがこの映画をリメイクした物だ。主演はトムクルーズ。青年が町を歩いているシーンを観て、すごくキレイな映像のB級映画だなと思ったら、「アイズワイドショット」だった。下手な演技なのですぐにチャンネルを変えた。どうもトムクルーズは作品の印象を悪くする。ま、この映画に関係ないけど。 | |
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2008年/日本/131分 監督:滝田洋二郎 出演:本木雅弘/広末涼子/笹野高史/余貴美子/山崎努 | |
「ファンシーダンス」で丸坊主にしてから、私は彼にただならぬ気迫を感じ、ずっとファンである。本木は演技力に幅がある。旧友との軽い挨拶や、納棺の演技、喜怒哀楽。昔からそうだったので、天性の感覚だろう。さらに協調的で、相手の演技を引きたたせている。山崎務との息がピッタリで、間合いだけで魅力的なシーンがいくつもある。面接のシーンは、軽妙なテンポで魅了された。余貴美子が「行ってあげてよ」と涙ながらに語る時の待ちかたは、下手な役者だと次のセリフを待つだけの機械的な演技になりがちだが、完全に当事者意識とでもいうか、観客と同じ視点に立ったような、「ああ、この人ならこういうふうになるだろうな」と納得されるような広がりを感じた。その点、どんな場面でも一本調子な広末は完全にミスキャスト。山崎務の演技も光る。「あれ、納棺師が役者をやっているのかな?」と思わず錯覚してしまうくらいの究極の演技だ。見る前はあまり期待していなかったが、撮影手法にもっとも感動した。「いいボケ味だな」、「黄金比」、「暗いのによく撮ったな」、「しっかりした構図だな」など、1シーンごとに感慨深かった。銭湯の脱衣所ででおじいさんが座っているシーンはすばらしくきれい。手の平から小石が落ちるシーンが一番よく撮れていた。あとは、ロケハンが大成功。NKエージェントの建物や、銭湯、自宅。日常的(映画で気になる部分)でありながら、どこか特別の場所のような、すばらしいロケーションだった。 | |
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2000年/チェコ・イギリス/132分 監督・脚本:ヤン・シュヴァンクマイエル 出演:ヴェロニカ・ジルコヴァ/ヤン・ハルトゥル/ヤロスラヴァ・クレチュメロヴァー/パヴェル・ノヴィー/クリスティーナ・アダムツォヴァー/ダグマル・ストリブルナ | |
「食事」の前に手を洗うシーンがよかった。それ以外は2001年の発表とは思えない古さを感じた。子供ができない夫婦が木の根っこを育てるうちに、生命が宿って人を襲う話。リトルショップオブホラーズのチェコ版。シュヴァンクマイエルの中では駄作に思える。ただ、この木の根っこを囲む登場人物たちの演技があまりにも迫真性にあふれているので引きこまれていく。ここまで真剣だと、なにか、すごい。子供だましのように思える題材なのだが、芸術映画のような雰囲気なのだ。チェコには、いい役者がたくさんいるんだなあ。普段見慣れない町なので、目新しくてよかった。食事はあんまりおいしそうじゃないけど、ちょっと食べてみたいなあ。おいしいかもしれないな。「食」をテーマにしている気もする。それだったら舞台をレストランにすると良かったかもしれない。・・・残飯処理に利用しつつもコックやウェイターが謎の失踪を遂げるようなサスペンスで。だんだんコックが失踪して料理がまずくなり、残飯が増え、木の根っこが大きくなっていくが、最後は客足が途絶えて崩壊するみたいな、逆に客が食われるような。 | |
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1983年/日本/105分 監督:山田洋次 出演:渥美清/倍賞千恵子/前田吟/佐藤蛾次郎/下條正巳/吉岡秀隆/竹下景子 | |
今回は何だか怠惰な恋愛だなあと思った。恋愛風景がコースに乗っていて、馬鹿げた脱線がなくて面白くなかった。寅さんは今回、本当に彼女が好きだったのか?本気度において疑問を感じる。檀家の娘さんに恋したほうが、話が面白くなったと思うが。いろいろな話を詰め込みすぎた、まあ、いつもそうなんだけど。写真家の息子の話はいらないなあ。柴又での寅次郎の坊主修行の場面を映してほしかった。 | |
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2011年/フランス・ドイツ・ポーランド・スペイン/79分 監督・脚本:ロマン・ポランスキー 原作・脚本:ヤスミナ・レザ 撮影:パヴェル・エデルマン 製作:サイド・ベン・サイド 美術監督:ディーン・タヴォウラリス 出演:ジョディ・フォスター/ケイト・ウィンスレット/クリストフ・ヴァルツ/ジョン・C・ライリー | |
子供同士の喧嘩がきっかけで親同士が集まって、大人同士で喧嘩する話。アメリカ英語のぶつけ合いなので、日本人にはつまらないかもしれない。何回観ても楽しめそうな完成度の高さが印象的。フランスで撮影し、フランス人が原作を書いた、フランスが舞台の劇なのに、あえてアメリカを舞台にしている部分にも興味を持った。79分という短い上映時間内に、限定された4人の登場人物が、言葉と感情をたたみかけ、たたみかけ、たたみかける。神経質で細かく暗い罵りあいではなくて、激しい感情の爆発があるので、なぜか見ていて楽しい。日本映画だとこんなふうにならない。ストレートに表現できても、強烈。アメリカ英語のすばらしさとこわさを感じる。ストーリーを考えると、登場人物たちは本来ならそもそも会わないと思う。もしも話しあうとしたら、第三者を呼んで、子供同士の立場を客観的に見て時系列に沿って話しあうべきかと思うが、みんな自分がかわいいあまりに子供たちから逸脱して話題がどんどん脱線していく。敵と味方の立場もあいまいになっていく。立場としては、観客は傍観者。「こんなやつはいないだろ」と笑いつつも、どこかで自分と重ね合わせて考えてしまう。よくできた風刺劇だ。ずっと喧嘩しているわけではなくて、嘔吐と酒とハムスターと携帯電話が小粋なアクセントとなっている。嘔吐でゆさぶりをかけ、酒で加速して、ハムスターで別次元に行き、携帯電話がそれをさえぎりながら独特の存在感を放つ。特に携帯電話はもう一人の登場人物といっても過言ではない。話の途中で急に鳴りはじめるので、見ている側もイライラする。電話での激しい口調が、4人で丁寧な言葉使いで築きあげた人間関係を崩壊していてハラハラする。観客と役者の間での一体感ができる。最後も瞬間的な面白さがある。限定された室内劇だが、リズムよくアクセントを配置することにより、場面に広がりを持たせている。演技としてはこの4人は最高だ。特に、涙を流して感情を大爆発させるジョディ・フォスターがすごい。彼女の感情のほとばしりは、達成感すら感じさせられ、見ていて痛快だった。エスプレッソやケーキやスコッチや葉巻を与えられるたびに喜んで楽しみ、妻や子供に対しての愛情が希薄で、言葉の攻撃力に敏感で、携帯電話で実現可能な強い口調を愛し、人間関係や自分からも少し距離を置いている弁護士役のクリストフ・ヴァルツの演技が、オーストリア生まれだけあって、アメリカ人っぽくない、原作のフランス的な感性で描かれていて魅力的だった。この映画の監督はロマン・ポランスキーだ。個人的な事情でアメリカで撮影できないのに、一流のスタッフを呼び寄せてじっくりしたリハーサルの時間をかけて作れるのも、一流だけのなせる技だ。スクリーンのサイズや、構図、カメラワーク、人物のアップ、カット割りで緊張感と臨場感を持たせることに成功している。最後、彼らは、どう別れたのか。その後の経緯はよくわからないが、今でも仲良く喧嘩しているのではないか。ここまで心をさらけ出すことは、現実ではなかなか得られない。貴重な人間関係だ。本音をぶちまけた開放感があって、なぜかすがすがしい気分になった。 | |
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2013年/日本/105分 監督・脚本:福田雄一 原作:青野春秋 出演:堤真一/橋本愛/生瀬勝久/山田孝之/濱田岳 | |
堤真一は暗い内面まで掘り下げずにカラッとした印象。もう少し太ったほうが原作のような中年の悲哀が出てよかったかもしれない。橋本愛は人形のようで演技の必要は感じないが、最後の全肯定の叫びが心地よい。山田孝之はいきどおって行き止まって行き詰まった雰囲気が役柄以上ににじみ出ている。仏頂面で厭世的でありながら、そんな自分に嫌気がさしている二面性があり面白い。編集者役の濱田岳は、すっとぼけた言葉と表現が面白い。本気なのか冗談で言っているのか、妙な雰囲気だ。原稿をボツと言える立場であり、現実の壁であり、現実の厳しさを体現する役なのだが、へりくだっているようでいて、感動しているようにも見えて、妙なリアリズムを感じた。生瀬勝久が上手だ。寂しさとか悲しさをそこはかとなく表現している。中年の悲哀がにじみ出ている。妻との会話や子供との会話など、本来ならば脇道のシーンだが、強い印象の演技を見せている。主人公以上に感情移入されやすい役だ。単なる友人役を越えた存在感。映画を深くしている。内容は、40才を主人公にした青春映画。この、年令とのギャップに独特のおかしさがある。自分会議のシーンは面白い。私も少年時代の私にグッ!とされたい。同年代のせいか、共感する部分が多々ある。暗闇に自分そっくりの神と対峙するシーンがあり、私も映画館の暗闇にいるので、なんとなく自分自身を見つめている気分になる。だから、否定する気になれない。普通の映画だと、寝食を惜しんで自分の夢に向かって突き進み、ライバルがいて、結末にはなんらかのゴールがあるのかもしれない。でも、世の中、結末はどこにあるのか。そんな簡単なものではないような気がする。惰眠を貪り、テレビゲームを延々とやり続けるところに、不思議なリアリズムがある。漫画を一日中描いていたら疲れてしまうので、このほうが正しい気もする。目的に向かって継続していく本気を感じる。主人公は、会社を辞めてもバイトをしているのだから、所得の差こそあれ、仕事をしているのと同じことだ。それほどダメではなく、漫画の面でも努力家だ。「ちょっとスタートが遅い」面も、逆算すれば帳尻合う気もする。世の中全て、気の持ちようである。見慣れた光景が、少し輝きを増してくる。どこに行くべきか、どこで生きるべきか。少し立ち止まる。私自身も映画館の中で座りながら、主人公を笑い、自分を笑い、少し立ち止まる。その作品が編集者の人生を変え、その生き方が周りを変える。所得や名声から縁遠いが、その人個人の生き方としては、大正解のような気がする。監督と脚本は福田雄一。「THE3名様」を思わせる居酒屋での作戦会議というか、現実への強引な解釈。適度な間やアドリブを挟みつつ、スッキリとまとめている。「THE3名様」と同じように、ドロップアウトしている人々に対し、視点がどこか優しい。役者同士の化学反応を至近距離で楽しみつつ、原作とは違った味わいを作りだしている。人物配置が巧みだ。「男はつらいよ」のような、少し現実離れした主人公、それを取り巻く人々。コメディ映画の王道である。登場人物は壊れかけている。主人公の家庭には母がいない。娘は父親があんなに突き進むので、頼りない気分にもなるだろう。主人公の父にいたっては、歯ぎしりする思いだろう。主人公の幼なじみは、離婚の傷を負っている。青年は無職である。主人公によって、この人物たちは揺さぶりをかけられる。年のせいなのか。仕事のせいなのか。家庭のせいなのか。それとも、自分のせいなのか。日常に潜む違和感や閉塞感。それらは誰もが持つ物であり、共感の対象だ。境界線は、どこにあるのか。どこまでがギリギリで、どこからダメダメになるのか。境界線はそれほどしっかりしているのだろうか。昔から漫画家になりたかったわけではないし、将来はすでに来ている。主人公を動かす原動力はクリエイターとして、人間として、本質的な所にある気がする。固まってからの崩壊と再生。必ずしも人生はハッピーエンドというわけではなく、継続していくリアリズム。終盤で手に入れた、描くべきテーマは、そのまま人生のテーマだ。娘との信頼関係をも手に入れて、ラストの青春映画のような清々しさ。痛快。 |
2006年/フランス/109分 監督・脚本:ジャン・ベッケル 脚本:ジャン・コスモ/ジャック・モネ 原作:アンリ・クエコ 撮影:ジャン=マリー・ドルージュ 出演:ダニエル・オートゥイユ/ジャン=ピエール・ダルッサン/ファニー・コタンソン/エロディー・ナヴァール | |
のんびりとした時間が、静かに流れていった。冒頭の2分10秒のタイトルバックの長回しから、すでにゆったりしている。すばらしい緑が広がっている。燃え広がるような緑だ。私は緑色がとても好きなので、見入ってしまう。画家役のダニエル・オートゥイユは「メルシィ!人生」以外で見たことはないが、キレのいい動きでリズムがいい。鼻歌交じりでダンスしているかのように気軽に演技するので見ていて落ち着く。時たま見せる、いたずらっ子のような表情にも愛着がわく。庭師役のジャン=ピエール・ダルッサンは、本当にそこで生まれた庭師のようだ。わざとらしく演じると嘘くさくなるし、難しい役だ。よく見ると、表情と身のこなしが洗練されている。地に足のついた、共演者や観客を育ててくれるような温かい演技だ。有能な役者というものは、有能な庭師のようなものなのかもしれない。爆竹、デリュゾー爺さんの店、好きだった女の子、パン屋の息子、バルダゴー、昔話は尽きない。話をたたみかける手法が巧みだ。歯医者やナイフなどの話題がポンポン飛び出して、会話が自然に流れ続ける。いつまでも2人の話を聞いていたくなる。身振り手振りの動きが小気味良い。長年培われた技術なのだろう。フランス映画という菜園が育てた実りある2人の演技だ。菜園が主な舞台だ。菜園ができるまでの作業工程を初めから展開していくのでそのステップが面白い。なにもない場所から菜園ができる。そこには変化もあり、成長もある。画家の心の流れを上手に表現している。「時々向きを変えて空を見る。俺はあそこへは行かない。迷子になる。地下のほうがいい。根があれば道しるべになる」と、菜園に横たわりながら庭師が言う。庭師自身の人生も地に根を張るように生きている。ずっと同じ場所にいるので記憶もはっきりしている。地面に根を張った記憶である。鉄道のレールも根を張るように地上に伸びている。根を張り地面を愛する男は自分を持っている。わからないことはわからないと言う。人を尊重する。人の言葉を聞く。地に足をつけ、満足している。実りを愛している。実りを待っている。「俺が好きなものを描いてくれ」と庭師が言う。長年画家をやっていると、小難しい芸術理論とか振りかざすようになるのかもしれない。外にいつつも想像の部分を重視して描くこともあるだろう。注文に応じて好きでもない絵を描くこともあるだろう。さまざまな技巧を駆使することもできるだろう。しかし、画家としての本質的なテーマが、この庭師の言葉にあるような気がする。作品を作りながら、この色だったら、喜んでもらえるのではないか?これくらいの大きさだったら、たぶん満足しそうかも?これを描くといいのではないだろうか?こんな風に描けばいいんじゃないか?こうしたら彼もびっくりするかな?笑ってもらえるかな?おそらく、作品を作るために試行錯誤が必要であり、彼の身に立って考えたり、実際の対象をよく見つめてしっかりと理解する必要もあるはずだ。楽しい思い出の中で、自分で作品にすることによって、見えてくることもあるだろう。展覧会のシーンが泣けてくる。海岸の絵も描かれていた。友人の心の中に入りこんでいるような、対話しているかのような作品だ。庭師のもっとも好んでいる対象を素朴に明るい色で描いている。もちろん描いている間も、完成しても、彼はそこにはいない。画家は、最後、とても満足そうだ。実際の作品が、見てくれる人、対象、画家と一体化している。芸術のあるべき姿なのかもしれない。この映画の場合はさらに観客の気持ちと一体化している。進むにつれ、なにかが育まれていく感覚。この映画は、ここで豊かな実りをもたらしている。家庭菜園のようなささやかな映画だが、ここでの味わいは格別だ。 | |
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2002年/フィンランド/97分 監督:アキ・カウリスマキ 出演:マルック・ペルトラ/カティ・オウティネン/ユハニ・ニエメラ/カイヤ・バカリネン | |
この映画で人生のすばらしさを語る気にはなれない。この監督の「浮き雲」にもいえることなのだが、あまりにも楽観的すぎやしないか。話は気に入らなかったが、それ以外は魅力的だ。映画の中の世界に入りこんでしまった。普通の人間の普通の生活の方が演技過剰に感じられるほどの表情や動きの硬さがまず印象的だ。表情を堅くさせて何十年。年季を感じさせるカティ・オウティネンの芸だ。能や文楽に近い。包帯を巻いた主人公が曲がった鼻を元に戻すシーンや寿司をつまむシーンなど、無表情ならではの面白い場面がたくさん用意されている。ライティングが繊細だ。背景の上部を暗くさせているのが印象的だった。人物が浮き上がって見える。映像美というか、特殊効果というか、個性的だ。画面全体の色調も抑えている。カメラは立って映していることが多く、見上げる構図があまり見られない。構図が安定していない。役者の前にあまり物を配置していないせいかもしれない。カメラを持った人間が今にもバタンと倒れそうで不安だった。アップの図も多かったが、親近感を持たせる効果がない。役者にべったりしているのではなく、どこか離れている。カメラ自体が一つの登場人物であるかのようだ。そしてカメラの演技も堅い。登場人物の目を通して見ているような感覚になった。「きのう月へ行った」からはじまる会話の意味が分からなかった。翻訳は、あれで大丈夫なのだろうか。ぶつ切りの話をジャガイモが救っている。銀行強盗から、給料を配りに行く話の流れが魅力的だった。ヒゲの社長と弁護士が個性的だった。この部分は、物語からかなり浮いている。そこだけ抜き出して別個の作品として見たくなった。「人生は前にしか進まない。後ろに進んだら大変だ」というようなセリフが良かったので記しておく。このセリフは普通の会話として違和感なく成立していた。 | |
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1960年/フランス/90分 監督:ジャン=リュック・ゴダール 出演:ジャン=ポール・ベルモンド/ジーン・セバーグ | |
題名がその日の気分に合っていたので借りてきた。最初の方で警官を撃つシーンがしょぼいと思った。刑事が出てきた場面で、前に一度この映画を見たことがあったのを思い出した。今回は、やたら人物が動いているのが印象深かった。光線が混ざり合って大変だった。長回しばかり見せられて人生無駄になったような気分がしなくていいと思った。本当に逃げる気があれば、女を捨てて勝手に逃げるはずだ。逃げてきたところが町だというのも興味深い。女も裏切りを告白しないで逃げればいいはずだ。細かなストーリーや演技よりも、映画監督の個性が勝っている気がする。小説を読むように、どんどんイメージが膨らんでいくのが面白い。登場人物たちに、見る側見せる側に、信頼関係と共犯関係があっていいと思う。 | |
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1985年/日本/132分 監督:りんたろう 原作:矢野徹 脚本:真崎守 美術:男鹿和雄/窪田忠雄 美術監督:椋尾篁 キャラクターデザイン:村野守美 音楽監督:宇崎竜童/林英哲 制作:プロジェクトチームアルゴス/マッドハウス 声の出演:真田広之/石田弦太郎/小山茉美 | |
2012年3月30日。新宿のバルト9で21時からなぜか上映していたので最終日に駆けこんだ。4分の3ほど埋まった観客が身じろぎもせずに静寂。前のめりに見入っている観客が多数。大迫力だ。何度も脳髄がしびれる。最高だ。小学生のころにも見たことがあったが、38才になってから見ると、昔の10倍よかった。普通はこういう昔のアニメは単なるノスタルジーで美化されていて、後で見るとがっかりすることが多いものなのだが、大人向けに作られていたようだ。衝撃的なのは透過光。これは大画面で見ると幻惑させられる。刀や忍術を表現した透過光が、認識が追いつかないくらいの速さで印象的に動き回り、冴えわたる。生と死を一瞬でわける美しい軌道が残像と共に目の前に広がっている。透過光だけを眺めていても別次元のアートのように見える。音楽は竜童組。宇崎竜童と林英哲を中心に、この映画のために結成されたグループだ(その後90年まで活動)。日本楽器と西洋楽器の完全一体化。「THE DAGGAR OF KAMUI」とタイトルが英語で出てきたときにはじまる「カムイ伝説」は、見終わってから何日も口ずさんでしまうほどの中毒性と爽快感を持っている。竜童組とは別に、この映画では監督が入手したバリ島の「ケチャ」が映画を見る者たちにまさに忍者のように襲いかかる。幻惑的で催眠的な、強烈な音声のリズムだ。忍者の戦闘シーンに挟まる「ケチャ」の呪術的なかけ声が、動きと密接にからみついて表現されている。映画館で実際に聞くと、自分の足が動いてしまうほどの革命的に素晴らしい効果音だ。こんなに印象的な忍者の戦闘シーンは今後作られないのではないか。映像はその音に合わせて省略され、流れ、別れ、現れ、浮かび、消える。静と動のリズム。アニメでもっとも表現しやすい手法が、忍者の動きと「ケチャ」に合っている。しびれ薬を飲まされた時の画面が柔らかく崩れていく表現。親の墓の周りにただよう霊のような妖気のような霞の流れ。剣を当てれば分裂し、花びらと散り、蝶が舞うようなお雪の美しい流れ。財宝を見つけるまでの太鼓をバックに光と音が進んでいくような音響。伊賀へ報酬を渡しに行くときの3分割画面。服部半蔵との、忍者対忍者の集団戦。夕陽をバックに忍者たちが並んで疾走するシーン。どのシーンも構図や動きがよく練られていて印象に残る。特に松前三人衆との戦いのシーンがすばらしい。大地が割れて火柱が噴きあがる幻覚の中での激しいシーン。キャラクターの輪郭が歪んでいき、その中で光る鈴と刀。鈴の音、唸り声。この世のものとは思えない状況での戦いだ。りんたろうの持つ、アニメならではの実験性と、マッドハウスの持つ、アニメの特性を生かした動きの省略方法が一体となっている。りんたろう以外に誰がバリ島の民族音楽と忍者アニメを結びつけられるというのだろう。銀河鉄道999の2作、幻魔大戦で爆発的な反響を呼んだ監督の絶頂がこの映画だ。キャラクターデザインは村野守美。女性かと思ったが調べたら男性だった。お雪など、女性が美しく描けている。虫プロダクションならではのアニメと調和のとれた曲線美だ。ハードな忍者劇画の要素がありつつもしなやかな曲線、細かな輪郭線でキャラクターがデザインされているので、激しさが増すにつれて美しさも表現できている。「すでに退路はない!」と覚醒し、ぬけ忍になった後のドラマが、実写では到底不可能なほど壮大だ。雪原を越え、海を越え、荒野を越え、最後は海賊の財宝と明治維新が隣接する。昔見た記憶があまり残っていなかったので、まさかアメリカまで舞台になるとは全く思わなかった。しかもきちんと映像で表現できている。最後は支配者と仇敵が同じ顔に見えて、静かに去っていく。巨大な反骨精神。そして進む先は、おそらく外国なのではなかろうか。当時のキャッチフレーズが「目覚めよ、冒険心」。最初は権力者の手の内にあった存在が、戦いつづけることによって独立した人間に成長している。これだけの圧倒的な大冒険をしていながら、寄って立つのは個人であるところがすがすがしい。作中で学者の安藤昌山が叫ぶ。「面白くなってきた!なにやら、こう、ワクワクしてきたぞー!」なんだか私もワクワクしてきたぞ。物語と同じくらい、作り手の実験精神がすばらしい。なにもない場所から壮大な物語を切り開いていくアニメ制作の大冒険を堪能できる傑作だ。 | |
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2005年/日本/90分 監督・脚本:三木聡 出演:上野樹里/蒼井優/岩松了/ふせえり | |
普通どおりの日常を送る我われにとって、映画館を出たとたんに、またもとの普通の日常が続くのだ。どうだい?特に世界平和を守るスパイだったり革命家だったり、特に興味はないのだ。しかし普通ってなんだ?普通の人生ってなんだ?この映画を見ると、急に身の周りがザワザワしはじめる感覚があるのだ。映画館を出てからも、それが続くのだ。変わった世界観。変わった言葉遣い。変わった人生観。好奇心とやけくそ。それらは全て新鮮なのだ。ヘタに日常であるだけに、日常の目の高さであるだけに、ダイレクトに伝わるのだ。「私って見えてない?」ような、なんだかむなしい日常を送る日々が、とびきりの小さな求人広告から、変わっていく。様々な小話を畳み掛けていく手法は、小説でいえばカート・ヴォネガットに近い。日本人離れした感性だ。さりげない出会いとさりげない別れ。500万円のやり取りに関するさりげなさもステキなのだ。亀のエサと札束が同格になっているような位置づけで冷蔵庫に安置されているのも面白かった。23歳の主婦というよりは、一人暮らしの若い女性だ(主演の上野樹里は17歳だ)。さみしさやせつなさ、日常の喜びや悲しみが、なんだか独特のモノローグに、にじみ出ている。ストーリーはほとんどないし、役柄も強引だ。そこそこに作られた気の抜けた感覚が、なんだか妙に心地いい。そこそこの味がして、なんだか泣けてきた。2011年に、上野樹里が大河ドラマの主演に抜擢。個人的には上野樹里の代表作といえば、この映画のような気がする。このままでは自分がだんだん薄くなって消えてしまうような役柄の持つエネルギー。こういったさりげない心地よさを感じさせてくれる演技は、とてもステキだ。この映画の彼女の演技に、大きな拍手を送りたい。 | |
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1929年/ロシア/67分 監督:ジガ・ヴェルトフ 撮影:ミカイル・カウフマン 編集:エルザヴェータ・スヴィロヴァ | |
ソビエトのプロパガンダ映像を大量に作っていたジガ・ヴェルトフ監督。しかし、プロパガンダにとどまらず、その才能はロシア・アバンギャルドそのもの。この映画からは、ロシア・フォルマリズムの「異化作用」を感じる。狭いプロパガンダが、旺盛な実験精神の結果、なにかの拍子で爆発し、変換されたのだ。一枚一枚を切り取っても強烈な印象を残す写真が動いている。写真家としても素晴らしい腕前だ。ただの記録映画ではなく、この映画ではカメラを持った男が出てくる。この発想がすごい。カメラを持った男はどこまでも楽しそうである。膨大なニュース映画を使った、映像のコラージュ。現代アートだ。巨大なカメラの上にカメラを撮る小さな人が乗っかっている冒頭。無人の劇場、人々の入場。演奏が始まり、映写機が回る。映画館の中に映画館があり、その中では映画を撮影している人がカメラを回している。非常に入り組んだ現実だ。映画は面白い客観性を秘めている。人々が目覚め、一日の始まりと共に映画が進んでいく。編集方法が面白い。反復、並列、二重撮影、シンメトリー、写真のつながり、逆回転。特に、カメラがストップモーションで生き物のように動くシーンが面白かった。撮影方法も面白い。車に乗って撮影、列車の通る間に入って撮影、滑車を使って川の流れを撮影、地面に穴を掘って通り過ぎる列車を見上げる撮影。ピアノを叩くシーン、スプーンでたたくシーン、目まぐるしくカットをたたみこむことで音が出ているかのような激しさを演出しているところが面白かった。風に揺れる木々、ホースの水しぶき。カメラが光と共に世界を切り開く。男はどこにでも出現する。葬式やお産の瞬間まで撮っている。ビールのジョッキの中からもカメラを持った男は出現する。人々の動きや工場の機械が加速する、加速する、加速する。普段見ているものの再構成。個人の体験が共有されていくような、全ての世界をみんなで手に入れているような。飛行機。電車。バス。工場。煙突。たくさんのスポーツ。メリーゴーランド。オートバイ。子供の好奇心にも似た、世界への単純な好奇心。無邪気な喜び。労働の美しさ。その動きの面白さ。短いカットがどんどん惜しみもなくつながっていくので情報量がすごい。映画への、世界への、大いなる愛を感じる。フィルムを編集している女性の姿が印象に残る。彼女だけが、目の前に起こった全てのことを取捨選択し、判断し、分析し、切り取って編集している。ある意味、神に近い存在だ。面白い視点だった。ジガ・ヴェルトフ監督は、その後もどんどん楽しい映画を撮りつづけたかというと、そんな娯楽作品をソビエトが許さなかったせいなのか、どうなのか、大きな活躍はなく終わった。残念な気もするが、この映画が作られた状況も奇跡のような気がする。映画の黎明期だ。新しい時代を切り開いていくような楽しさにあふれている。ハンドメイドで突き進んでいく面白さこそが映画だ。どこまでもカメラをかついで進んでいけ。なんでも撮れ。楽しげな雰囲気を撮れ。人間の表情を撮れ。フィルムの向こうでなにかの前向きなメッセージを感じる。カメラがとらえる対象は、抑圧されるのではなく、開放されている。カメラに映った現実の方が理想の社会のようにも見える。見終わって、なぜか勇気をもらった気がした。映画は時に政治的な意見を持ってしまうこともあるかもしれない。しかし、もう少し夢を見ていたい。この映画はプロパガンダを流している立場の人間が撮った愛情表現だ。時に、映画はプロパガンダを超える。全ての芸術活動の進む先はここにあるのではなかろうか。 | |
2001年/日本/88分 監督:石橋義正 出演:ANN/片桐華子/河原あや/RIO/篠原麻希子 | |
2000年、テレビ東京/テレビ大阪で深夜に放送されたバラエティ・エンタテインメント『バミリオン・プレジャー・ナイト』の映画版。大体見たことあるやつだった。新作が観たい。満員で座れなくて最前列でねっころがって見た。江口寿の開始前のトークショーは、帰るのが30分遅れたので嫌だった。全然映画と関係ない人がなぜあの場でしゃべる必要があるのだろうか?オーマイキーの中では、誘拐コントが一番良かった。誘拐されて戻ってきたら子供がバラバラにされてるマネキンならではの笑い。他のコントではテレビのアイドル宇宙人の歌に合わせて、突如やってきた宇宙アメーバウイルスを振り払おうとのたうちまわる宇宙人のぬいぐるみの場面が笑えた。「表情がない部分を強調した笑い」というこの作品の特徴がよく出ている。女優を中心としたコントは新鮮でよかった。ゾンビ家族の雰囲気が、面白い。斧を頭に突き刺す突っ込みがいい。「あんたとはやっとれんわ」とゾンビっぽく去っていくラストもいい。タマネギ女が良かった。刻んでた途中に落ちたタマネギをすばやくキャッチ。その後また落ちて、郵便やさんが来る。飛び出すタマネギ女。玄関までの飛行。電話が鳴り「もしもし」と空中で出る。「もしもし」という声はスロー再生。電話線がのびきって、反動で飛んできた電話が後頭部に命中。郵便やさんのけぞる。道に飛び出るタマネギ女。地面に倒れた所をトラックが指を轢いていく。この一連の動きが良かった。監督はアート出身の人だと聞くが、この作品を見たところ、基本はディスコミュニケーションに根ざしていると思う。コントの世界では最高に面白いが、他の種類の映画や、本業のアート作品の面ではマイナスな部分かと思う。 | |
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1997年/アメリカ/89分 監督・脚本:ハーモニー・コリン 撮影:ジャン=イヴ・エスコフィエ 出演:クロエ・セヴィニー/ジャコブ・レイノルズ/ニック・サットン/ジャコブ・セーウェル | |
ディックの小説「ユービック」に出てくる子供みたいな監督だ。自分の世界を作ってその中で遊んでいるような。どこか、共感できない。悪趣味だ。もっときれいな世界は探せばいっぱいあるだろう。なんの意味のない話がだらだら流れすぎ。永遠をもてあそんでもいいのだが、みんなそんなに暇じゃない。暇な人が見れば面白いのかもしれないけど。ウサギ君がもっと活躍すれば面白くなったと思うが、そこまでシュールを楽しむ感覚が発達してないのかもしれない。スパゲッティを食べながらシャンプーされるシーンが一番面白かった。 | |
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1926年/アメリカ/106分 監督・出演:バスター・キートン 監督:クライド・ブラックマン 撮影:デイヴ・ジェニングス/バート・ヘインズ 出演:マリアン・マック/グレン・キャベンダー/ジム・ファーレイ | |
機関車の連結棒に座って落ちこんでいたら機関車が動き始めてそのまま上下。このシュールなシーンで世界的に有名な映画。キートン作品では珍しい超大作だ。ドタバタ喜劇ではなく、南北戦争を描いた冒険活劇である。蒸気機関車の追いかけっこが大部分を占める。前半は敵の障害に対して巨大な機関車をなんとか進めようとする苦闘が描かれる。大砲がどんどん下がっていって自分を狙うようなギャグも、走っている列車の上だとハラハラして面白いシーンになる。カーブのおかげで大砲の弾が当たらないオチの付け方も列車の特性を活かしていて面白い。後半は逃げる側に回る。機関車を使った撮影はかなり大変だったのではないか。機関車はきちんと前後に進みはするが、芸達者ではない。キートンもカメラにきちんと収まるように機関車の動きに合わせて演技しなければならない。相手の機関車が迫ってきたため貨物車を外すシーンに見られる、流れるようなカメラの動きがすばらしい。走る機関車の中にカメラを置いて大活劇を捉えたり、機関車の走るシーンを横から捉えたり、今でも見応え十分な大がかりな撮影だ。カメラマンの大冒険だ。カメラマンの大列車追跡だ。キートンではなく、カメラマンが主役で映っていても、なかなか見応えのある映画になったような気もする。クライマックスは、炎上する橋を渡ろうとしてそのまま転落する機関車のシーンだ。本物の機関車が煙と水しぶきを上げて豪快に落っこちる。馬に乗った兵隊を何人も画面の手前に置くことで大きさを分かりやすくさせている。スタントとか演技とか関係なしに、画面の迫力に大笑いしてしまった。こういう発想がすごい。「このまま機関車落っことしてみようか?」と、現場のノリだったのではないか。あまりにも気持ちよく崩れすぎて驚いた。カメラもきれいにパンしているし、対象が驚くほどよく撮れているし、一発勝負とはとうてい思えない。このシーンだけ突出して異常だ。命がけの、大金をかけたお遊び感覚。キートンにはもっともっと単独での監督をやってもらいたかった。機関車が動物のように動いている。馬や自動車とは違って気軽に扱うには大きすぎる。存在感があり、迫力がある。機関車という存在自体も、子供たちや一部の大人たちに大人気だ。見た目で楽しめるので、映画向きの役者だ。ただ、馬力があるので共演者もうかうかしていられない危険な役者だ。巨大な機関車の動きに翻弄される小さな人々。激しく揺れる機関車の上を縦横無尽に動き回るキートン。本物の機関車を本物の人間が動かしているところがリアルだ。単なる輸送機関を誰もが楽しめるエンターテイメントに転換した頭の冴え、体の冴えが印象的だ。冒頭でジェネラル号から降りてきたときの誇らしげなその姿。奪われたジェネラル号を取り戻さんと1人、線路を駆けていく突進力。戦争とか恋人とか関係なし。敵が何人だろうとお構いなし。運転手役というだけにはとどまらない、機関車に対する底知れぬ愛情を感じる。動きそのものが情熱的な愛情表現になっている。 | |
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1923年/アメリカ/63分 監督:バスター・キートン 出演:バスター・キートン/マーガレット・リーイー/ウォーレス・ビアリー/ジョー・ロバーツ | |
2012年3月17日。シネマヴェーラ渋谷まで3本立てを見に行く(他はサロメ 短縮版、アッシャー家の末裔)。BGMが全くない、静まり返った客席に違和感。映像だけが流れ、圧倒されていく。他の映画に比べ、この映画では観客が爆笑し続けていた。まるでマンガのようだが、ちゃんと人間が演じている。石器時代、ローマ時代、そして現代。どの時代をとっても、体力、経済力、体格で圧倒的な不利に陥っている。これは厳しい戦いだ。甘い言葉で美女を口説くのではなく、サイレント映画だからこそ、1対1の決闘であり、体力勝負である。動きによる求愛行動。言葉がない分、動きがひたすら過剰だ。コマ落としのような、すっとんだ開放感。こんぼうで叩かれて昏倒。投げキッスをしながら川に落ちる。車の陰に隠れていたら、車が走り去ってしまい、それでも同じポーズをしつづける。タクシーに乗ったとたんに転げ落ち、そのまま運転手にお金を渡して去っていく。走っていた車が豪快に分解する。豪華な馬車のレースにかわいい犬ぞりで対抗する。ライオンとも仲良くできる。楽しい場面が多い。バスター・キートンの長編第1作だが、短編が3つ入ったような作りになっている。よって印象的なシーンがぎっしりと詰まっていて、見ていて時間を忘れる。我を忘れる。アメフトのシーンでのやられっぷりが見ていて面白かった。石器時代での石を投げあうシーンがにぎやかで楽しい。最後にテコの原理でダイナミックに飛んで行った瞬間、声を上げて笑ってしまった。現代での追いかけっこでビルからダイナミックに落っこちるシーンには目を見張った。屋上でビルからビルへと跳躍。落ちたらアウト、落ちなかったらセーフ。「落ちるかな、落ちるかな。とハラハラさせながら、結局は落ちないんだろうな」と思いこんでいたが、キートンはそこで豪快に落っこちる!気持ちいいくらいの転落。排水管にしがみついて一息ついたかと思うと、排水管もろとも真っ逆さまになって窓から建物に飛びこみ、気づくと消防車に乗っている。この映画では、落ちたことで逃げきれる。「ここから落ちちゃったほうがおもしろいんじゃないか?」、「ビルの屋上に来たら、落ちろ!」と表現できてしまうところが見ていて心地よい。意表をついたおもしろさ。こういう発想に、自由で風通しのいい明るさを感じる。最後は結婚式をぶち壊しに行く。無表情である。全てが本気である。手を抜かず、気を抜かず。目に見えぬ何かに向かって、歴史を問わず、条件を問わず、体格差を問わず、日夜闘っている男である。滑稽な、戦いの美学である。彼の動きには、規制や慣習、常識が一瞬にして壊れていくような快感がある。この動きは、なにに向かって進んでいるのかというと、愛が普遍であることの証明である。ここまで動きが激しいと、彼の進む先に、本当に確固たるなにかあるのではないかと想像してしまう。本当にに愛があるのではないか。唯一の普遍なものが、愛なのではないか。バカバカしい場面の連続を、いつの時代も観客が応援している理由は、進む先がみんなと同じだからなのである。 | |
2007年/日本/108分 監督:佐藤祐市 出演:小栗旬/ユースケ・サンタマリア/小出恵介/塚地武雅 | |
まずこの映画では、女優がいない。舞台は密室で進行される。しかも全国ロードショー。これだけで個性的だ。勢いのある役者、脚本家を使ったマーケティング力がすごい。売れないアイドルの一回忌という状況設定が秀逸。個性的なキャラがたくさん出てきたので面白かった。見終わって何日か経っても思い出し笑いができるほどの強烈な印象の映画だ。役どころとしては1番おいしいのはイチゴ娘だ。この役は別のタイプの役者が演じても面白くなりそう。あと、小出恵介の演技がよかった。推理物の探偵小説みたいな展開がけっこう自然な感じで流れていて、話の中に引き込まれていくのが心地良かった。後ろめたい登場人物たちの思い出が、話が進むにつれてだんだん解消されていって、人間救済物語みたいになっていくのも、独特の感触があった。すごく私見が入ってしまうが、『スーツを着たスマートな男たちが密室でくりひろげるドタバタ喜劇』というコンセプトは、最近だとドライに行うのが一般的な気がする。でも、この映画では、すごくウェットに演じられていたような気がする。スーツを着ながら実は素っ裸。みたいな開放感と大胆さを感じた。 | |
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