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画面の熱狂的空間に我を忘れる。ドミニク・ピノンは一人いればそれだけで強烈なのに、この映画では6人もいる。これは、強烈だ。あの顔がこれだけいると、それだけで異常な空間になる。本当に6人いるように見える。計算しつくされた撮影だ。カメラが登場人物の一人であるかのようだ。撮影の緊張感とリズムが心地よい。ライティングやフレームの切りとり方が斬新だ。成熟したカメラに未成熟が写っている。あの、バタフライ効果を表現しているかのような、一滴の涙からタンカーの衝突へとつながるカオスな相関関係のたたみかけは非常に興奮した。ここまで見事にドミノ倒しのように物事をきちんとテンポよく描ける才能はすごい。見たことのない世界観だ。アニメ映画のようにも見えて、実写だ。さまざまな場面場面に力と資金を投入している。ここまで異質な世界を描くことのできる才能がすごい。マッドサイエンティストが作り出した、城の中の閉じられた空間。他の場面もスタジオ撮影なので、どこか閉じこめられた印象を持つ空間だ。生き物がリアルにうごめく不思議な世界。分かりやすい形ではなく、隅々まで毒されて汚らしい世界。未来のように見えて、過去のようにも見える。成長が止まった未来の世界だ。巨体のワン、双子の姉妹、ドミニク・ピノン演じる6人のクローン人間、ダニエル・エミルフォルク、水槽の中の脳みそ。主な登場人物の造形は異常な人ばかりである。ミエット役のジュディット・ヴィッテのかわいらしさが救いであり、魅力だ。彼女だけ浮きあがって見える。子供の素朴な表情が、撮影に力を入れることで、大人の女性のように見える。少女が不思議な力強さを持っている。語り方や物腰が、完全に大人だ。面白い表現だ。物語の設定上、実際はもっと年を取っているのかもしれない。ひょっとすると、ミエットや仲間の子供たちは、永遠に子供なのかもしれない。大人に成長することのできない身体になっているのかもしれない。大人の体を持ち、心が子供。子供の体を持ち、心が大人。大人と子供の対比。成熟と未成熟の対比。全てに違和感と緊張がある。冒頭のサンタクロースのシーン。蚤のアップの精密なシーン。カプセルに閉じこめられていた夢が子供たちに悪夢を見せる一連のシーン。一つ目族が集結しているシーン。異様な世界に緊張がみなぎっている。最初から最後まで不安である。結局のところ、最後まで不安なのである。安堵できないのである。物語としては終わっている。しかし最後に敵を倒したわけではなくて、自分たちのオリジナルが自滅しただけのことである。故郷を追われた状態だ。だからハッピーエンドではない。安心することなどできない。一つ目族、もしくはそれ以上の大きな暗黒をこの世界の背後に感じる。どこにも語られることはなかったが、映画の世界の中で、本当に倒すべき敵がいるような気がする。その敵は私たちの世界にも同じようにいるのではないかという、なにかの地続きになった不安が映画を越えて浸透している。その後の彼らはどうなったのだろうか。最後はなぜか心細い。夢を見ないと老化が進む。登場人物と同じように、世界全体も老化している。成熟する前に老化した未来。私たちも夢を見ずにどこか老化していないだろうか。私たちの世界も、老化しつつあるのではないか。日本の高齢化社会にも似た、未来のなさをこの映画に感じる。子供が誘拐されてしまったかのような少子化社会。誰のせいなのか。なにが悪いのか。この映画には、心から満足している登場人物は一人もいない。どこかでなにかが間違っている。しかしその謎を解明することはできない。この現状を打開するブレイクスルーはなんだろうか。夢を見ること。想像力を駆使すること。そして、人に対して温かみを持つこと。このあたりにあるのではなかろうか。 |