瞑想2008 ダークロHP
2008.12(1)

晴れ。元気加速。

6時起床。晴れ。元気加速。崩れた気分が多少は戻る。落ちついてやれば問題のない種類の仕事だ。昼はスパゲティーミートソース、夜はグリーンカレー。新宿を出ると雨。久しぶりに雨に濡れて帰る。冷たい雨。22時半帰宅。12月の始まり。面白い世界。どこまでも。どこまでも。

衰退の浮力。脱力の恍惚。都市の誘惑。やがて飛びたつ。概念は揺らぎ、形成される前に崩れる。全ては波のような物で、「波」と名づけ終わった時には、すでにそこには波がない。物を語りながら、夢を語っている。イメージの洪水。語られる場所は対象の真の姿か。それとも、その者の心の中か。私は立ち止まる。私は息を吸う。私は私であることをいまだやめない。


まだ宇宙は拡大し続けているので、このまま拡大していくと、近くにあったはずの物質はどんどん遠くなっていき、空虚になっていく。最後には、かなり、がらんどう、になっているだろう。なにもない世界。そういう世界も存在している。でも、今この瞬間は、どんなに物質があることだろう。原子の混乱。ホシボシのまたたき。ああ、素晴らしき世界。甘い香りを放つたくさんの破片が暖かい光に包まれて波に揺れる。遠い場所。月、走り。星、寄りそい、光る。ランデブー?デジャブ。都市、砂漠、情報、科学。月のざわめき。無機質な輝き。世界、星。きらめく。


「あの人が大好き」という発想は、「自分が大好き」という発想だともいえる。誰かに向かって、語っているわけではない。浮かび上がる言葉は。悲しい想像力。誰にも向かわずに。浮かび上がる自分は。悲しい表現力。

様々な人が通った道に、新しく通りすぎる様々な人々が新しい名前を様々につけていく。新しい名前がつけられた道は、どうしても道なので、新しい名前をつけた様々な人々は道を通りすぎていく。道を通りすぎていく。様々な人々は世界の中に生きているが、世界は名前をつけてもそのまま世界なので、名前をつけたとしても、なんら志向性も方向性も持たない。様々な人が通りすぎながら道に名前をつけていく。道に名前をつけていく。


12月5日。友達との忘年会。金曜日の夜の仕事中に携帯にメールが来て、「フライデーズにいるので早く来い」と書かれていた。私が5日を土曜日と勘違いしてしまったようだ。私の都合で、その日に決まっていた状況。今日はなにも用事がないと思ったのだが間違いだった。急いで仕事を終わらせて22時半に横浜駅へ。17時から待っていた友達もいた。4人の友達と30分くらい猛烈に話し、友人の家まで行ってさらに30分ほど話しこみ、終電で横浜駅に戻ってホテルに泊まる。飲みすぎて頭が痛い。


町を彩るクリスマスの装飾品が着飾った町や人をみすぼらしく見せる。悲しき電飾。不景気のこの町は、消費電力のかからない不誠実な青い光に満ちている。新宿、8時15分、7度。物質の最小単位も揺らいでいるのだから、揺るぎない自分自身などあるはずもない。東京ディズニーランドで新しいアトラクションを考えた。エレクトロニカルパレード。客がライトアップされた車や馬車に乗り、ミッキーマウスたちが歓声をあげながら道ばたで手を振る。まあ、パレードの目的地は、どこだろう。どこに向かって進むのだろうね。仕事は朝から激務。昼からのんびり。キャンペーンの週は大変だ。きっとここだけじゃないし、こんなはずじゃない。ここで終わりじゃないし、ここまでのはずがない。

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