瞑想2008 ダークロHP
2008.11(7)

真っ暗になった世界経済の闇のなかで

大都会には窓が立ち並び、たくさんの四角い光が、真っ暗になった世界経済の闇のなかで、光り輝いていて、それはビルと呼ばれ、会社と呼ばれているが、そこがなんであるかをきちんと説明できる者はその中にいないのであり、冷たい空気の中で、静かな時間の中で、レモンの香りが一面に広がり、頭の中を駆けめぐる未来の粒子が飛んでいきながら、人々が同じ道を歩いていき、やがて最終電車と一緒に溶けて消えていくが、信じられるなら、その場で遊んでいればいい。


サラリーマンは動く牢獄にいる。家と会社の往復。牢獄。次の日も往復。牢獄。往復。牢獄。幸福な往復。幸福な牢獄。だんだん自分の成長がどうでもよくなっていき、やがて、その幸福の牢獄の往復の中で息を引き取るのだ。習慣化されているので、そこから抜けだすのは難しい。圧倒的な感性の麻痺。気付くのもまた、地獄。

東京の道は理路整然としてどこまでも続く。それは道であり、家を持たない人の家であり、庭を持たない人の庭であり、友を持たない人の友である。空き地のない夢か、夢のない空き地か。

6時起床。人間の意識は断片的で、認識行動は不完全。読書は首尾一貫した完全なセオリーがたくさん含まれるので、へんな暗示や売り文句に惑わされない免疫力が身につく。通勤中に「ワンダフルライフ」を読む。第一印象は、無駄な文章が多い。簡潔にまとめたほうが面白いと思う。本が出てから20年が経っているので距離も感じる。生命進化の新たな側面を提示させられたワクワク感があるので刺激的な本だ。「地球上に人類が現れたのは進化の必然ではなくて偶然」という説明には説得力がある。この納得感は、小説を読んでも得ることはできない。たしかにビタミンCが自分では作れなかったり、加工しないかぎり米が食べられなかったり、人間が進化の途中で落としてきたものは多そうだ。この考えを推し進めると、「人類もやがて絶滅する」という事態に帰結する。それすらも受け入れてしまえるほど説得力がある考えだ。他の分野でも同じ考えが適用できそうだ。三葉虫の絶滅とカンブリア紀の爆発的増加に思いを寄せる。ナメクジウオから脊椎動物が進化したことを測定できたように、DNA鑑定から導きだされる事実は今後増えてくるはず。設計図があるのだから、難しい話ではなく、後は時間の問題だ。過去が解明されれば未来もクリアに分かってくるはず。現代の三葉虫が我々だ。今も急激な環境変化による種の絶滅が進む。この後の人類の見通しは暗い。あまりいい時代ではない。


日々の生活の鋭い破片が絶対零度でバラバラとふり落ちる。寝返りをうつごとに痛む。素晴らしき絶望と永遠の期待。呼吸をしながら、息を吸いながら、酸素を乗せて、どこまでも進む。ヘモグロビンの全てが痛みだ。うつむいた時の絶望と絶叫が、どこまでも狭い空間に響いている。それでもいつか。それでもいつか。日々の生活とか、ただの空想とか。突き進みながら、なにかを振り切りながら、なにかを振り落しながら、なにかをつかみながら。つらい時は多く、悲しい事態も多い。でも。でも。眠れない。安らかな気分にはなれない。どこまでも爆発していく破片が、まとわりついて離れない。締めつけられながら、押さえつけられながら。どこまでが本当のことだかわからないし、どこまでがうそなのかもわからないし、自分が誰かもわからない。もちろん君のことだって。だからこそ。だからこそ。それでもいつか。それでもいつか。それでもいつか。それでもいつか。


9時起床。洗濯。マクドナルド。床屋。16時に終わる。電車に乗り、実家へ。今まで食べた中で1番美味しいヒレ肉のステーキをいただく。柔らかく、脂身がない。いいサーロインだと脂っこくなり気持ち悪くなるが、ヒレ肉だとさっぱりする。次の日は9時に起床。納豆、銀杏、目玉焼き、大根おろし、鮭、明太子、生ハム、野菜の煮付け、大根の味噌汁、トマト、ほうれん草、キュウリの漬物、コロッケ。豪華。家でウダウダ。庭に咲いている菊の花がキレイだった(1723〜1745までの写真)。13時に散歩。公園の紅葉を眺める。国道407号沿いを歩く。突風。自動車と一緒にたくさんの枯れ葉が走っている。自動車も枯れ葉のようなものなのかもしれない。石油の枯れ葉。言葉もまた、紅葉に色づき、枯れおちて、国道を自動車と共に風に流されていく。住宅街を歩く。ほとんど人が通らない。活気のない町だ。昼はイクラ、牛肉、大根の味噌汁、プチトマト。16時に出て、18時に部屋に着く。
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