小市民ダークロのありがちで気の抜けた感じのやつ

ダークロが選ぶプロ野球ベストナイン。プロ野球で活躍した歴代のスター選手を選んでみました。

投手
川田 次郎(オリックスブルーウェーブ)
ニックネーム・野球ハカセ
マウンド上で、投球前にボールに向かって問いかける姿が有名。新人のころは、ボールに言いきかせるどころか逆に言い負かされる場面が多く、不振が続いたが、理論武装していくことで対応。球界の不動のエースとなった。仕事でのボールとの会話がやがて愛情に発展し、愛人疑惑が浮上。都内一流ホテルでのボールとの密会がスクープされてスキャンダルとなったこともある。データ重視の投球で常にマウンドにパソコンを設置。ヤフーBBスタジアムでの花形選手となった。「なぜボールが曲がるのか」という疑問を引退後も問いつづけ、特殊相対性理論の盲点を発見し、ノーベル物理学賞を受賞した。


捕手
白石 勇吉(東映フライヤーズ)
ニックネーム・東洋の話術師
人情肌の名キャッチャー。とにかく言葉巧みに相手バッターを惑わせて、野球なんかどうでもいいような気分にさせるプレイが得意だった。全盛期にはシーズンを通して「失われた時を求めて」と「戦争と平和」と「キャッチャーイン・ザ・ライ」(これはなにかのシャレか?)をキャッチャーをしながら小ネタをはさみつつ全編語り続けた。落語や人生訓など持ちネタも多く、どれだけボールが外れていようとも「ストライク!」と審判に言わしめるような話芸の持ち主だった。相手バッターは彼の話を長引かせようとするため1球目を待つことが多く、味方の投手はストライク先行のピッチングで優位に立つことができた。不振の時も、ベンチがさみしいので、監督は彼を2軍に落とさずにベンチに座らせた。1年に2、3回ほどしかない彼のヒーローインタビューは、観客が総立ちになるほどの名演で、現在もDVD化されて入手可能である。彼の引退セレモニーは、試合よりも時間が長かった。引退後は解説者ではなくアナウンサーとなった。


1塁手
正力 力太郎(読売ジャイアンツ)
ニックネーム・ファースト原人
プロ野球史上、最も謎の多い選手。国籍すらも不明で、ジャイアンツが強引に帰化させ日本国籍にしたとの噂もある。人間離れした身体能力を持ち、巨人のV9時代に大活躍した。走塁などの知識が著しく乏しく、ホームランを打った後にベースを逆方向に回るような信じられないミスをしでかすことも多かった。現役生活を通してルールを覚えることができなかったという。全身は毛むくじゃらで、長い手足を持つ。護身用に常にバットを持って生活していた。しっぽがついていたというチームメイトによる証言もある。引退後、1年だけヤクルトスワローズの監督をして一大センセーションをまきおこした。監督時代の活躍はドキュメントとして映画化されているので今日でも検証できる。彼の死後、はく製にする案もあったが、ファンの反対と本人の遺言があったためヒマラヤ(故郷?)に遺灰がまかれた。


2塁手
浅井 健太郎(阪神タイガース)
ニックネーム・宇宙人のスター
典型的なショウマンスタイルを貫いた。子役出身。堀越学園のエースとして甲子園で活躍。常にスポットライトが当たらないと気がすまないため、ドームの天井に専用のスポットライトを用意し、自分の打順になるとバッターボックスを照らさせた。その後、自分の守備位置、全てのベース、ベンチ内にスポットライトを設置。打席の前のテーマソングは専用のバンドが生演奏。存在感はチーム1だった。整形手術は数えられないほどしたが、本人は「1回だけ。あごの骨を削っただけだよ」と弁明していた。生涯打率は低かったが、弱小チームだったため実力は問われなかった。結婚後、人気が下降。ヘアヌード写真集を出したが人気回復にはならなかった。30を過ぎてからは台湾リーグでのプレーになった。


遊撃手
戸辺 健次(サンケイアトムス)
ニックネーム・内野のブラックホール
鉄壁の守備の持ち主。縦横無尽にフィールドを駆け抜ける彼の守備は圧巻だった。毎年、ゴールデングローブ賞内野手部門を1人で独占。通算10回の1人トリプルプレーの記録はいまだ破られていない。全盛期にはバッターの目の前にいて、どんなボールも打たれた瞬間にキャッチしていた。全打席ショートフライに記録されてしまう彼のプレーに対し、当時のプロ野球連盟は事件を問題視。その結果、彼は内野立入禁止になる。以後、レフトの位置でショートを守った。


3塁手
宇野 和正(南海ホークス)
ニックネーム・犠打郎
普通に3塁手をしていたが、3年目にスランプに陥った。バットにボールが当たらないことに恐怖感を抱き、バントを多用しはじめるようになった。俊足だったこともあり、そこそこ活躍。6年目のシーズンには全打席バントの記録を樹立。バント確率は93%だったため、作戦が相手チームに読まれやすかった。犠打の世界新記録を作ったが、チームやファンの間では評価が低かった。「宇野バント」は、確実に物事が起こる意味での慣用句となっている。内野手を極端に前進させて外野手が内野の位置にいるような「宇野シフト」でのプレーには不思議な緊張感に満ちあふれていた。


ライト
田所 清(毎日オリオンズ)
ニックネーム・流血魔王
喧嘩っ早いことで有名。乱闘になると積極的に参加し、乱闘後にいつも流血していた。全然関係のないチーム同士の試合での乱闘にも、なぜだか端っこのほうで参加していたこともある。とにかく審判、相手ピッチャー、味方チーム、観客など、誰彼かまうことなく喧嘩を吹っかけては退場させられていた。当時のファンは、彼のプレーではなくファイトを見ることで試合の勝敗には関係なく満足していた。退場数・罰金額の新記録を達成。罰金額が収入を上回り、罰金額を支払うために試合に出場し、退場を重ね続けて罰金がどんどん増えていった。彼のバットはボールよりも喧嘩相手を打つ方が多かった。出場数よりも出場停止処分数のほうが多かった。通算戦績は458勝、23敗。ベンチの壁にかかった鏡との試合では、必ず両者痛み分けに終わるが名勝負を繰り広げた。酔っ払い客に敗れた後に引退を決意。名球界入りしたが、素行が悪いため永久除名処分を受けた。彼の背番号は、通常とは違う意味合いで、どこのチームからも永久欠番となっている。


センター
町田 進(大洋ホエールズ)
ニックネーム・外野のペレ
どちらかというと野球よりサッカーの方が大好きだったため、2年目のシーズンからフライを捕るのに頭や足で一度バウンドさせてからキャッチしはじめるようになった。ルールの制約上どうしても「ハンド」になってしまうため、一時期スランプに陥るが、グローブを手にはめなくなってからは絶好調。全盛期には両足、股間、頭の上にグローブをのせてのプレーとなり、彼の捕球は審判によってアウトになったりセーフになったりした。「アイツにフライを上げると走塁が大変だ」と相手チームの脅威となった。エラーの新記録を達成。常に体のどこかに故障を抱えていた。「ワールドカップが目標」が口癖だったが、種目が違うためついに叶うことはなかった。何気ないセンターフライを拍手喝采のプレーに変える彼の守備は、伝説として今も語り継がれている。


レフト
勝岡 学(西鉄ライオンズ)
ニックネーム・幻の4番バッター
チームの4番だったが、ある日を境にだるくなり試合を欠席がちに。理解力のある監督だったために、ベンチにいない間もレギュラーとして名を連ねていた。レギュラーに登録された野球選手の中で、1シーズン最多連続不出場記録を達成。好成績を残したが、出場試合数が少なかったのでタイトルとは無縁だった。ほとんど試合に出ないので、プレミア物として人気を獲得。「勝岡を見た」と言うだけでみんなに自慢できる存在だった。家でビール片手にテレビ観戦してて、自分のチームのあまりの弱さに居たたまれなくなり酔った勢いで途中出場。球場に通うためのリハビリ中に、客席から途中出場。試合中にベンチで引きこもり。など、数々の伝説を残した。