レスラーノート

イホ・デ・リスマルク

HIJO DE LIZMARK

本名:ファン・カルロス・バニョス
1972年10月16日
ゲレーロ州アカプルコ出身
189cm 119kg

タイトル歴
LLUSAヘビー
得意技
風車式サイドバスター
ムーンサルトプレス

リスマルクの長男で。91年7月7月1日、イホ・デ・?の名でテストデビュー。8月16日にデビュー。大型ファイターとして活躍が期待された。92年8月に父と共にAAAに移籍。94年11月に試合中に右大腿部を複雑骨折。96年にCMLLで復帰。97年1月にコナンに誘われてプロモ・アステカに移籍。コナンのブッキングで5月5日からWCWに出場。WCWでは活躍の機会がなく、99年秋にWCWを解雇された。00年6月にCMLLに復帰。 03年7月、ZERO1に来日。7月11日、後楽園ホール大会での「OH祭り」でドス・カラス・ジュニアと組んで、佐藤耕平、横井宏考組と対戦。7分38秒、ドス・カラス・ジュニアがジャーマンスープレックスホールドで勝利。7月13日、徳島市立体育館大会でのOH祭りタッグトーナメント2回戦でドス・カラス・ジュニアと組んで小川直也、藤井克久組と対戦。小川のSTOボンバーにリスマルク・ジュニアが敗れた。7月16日、ポートメッセなごや大会でケンドー・カシン、ドス・カラス・ジュニアと組んでマット・ガファリ、シブ・ガファリ、佐藤耕平組と対戦。15分8秒、ドス・カラス・ジュニアがラ・マヒストラルで佐藤にフォール勝ち。7月18日、尼崎市記念公園総合体育館大会でドス・カラス・ジュニアと組んで星川尚浩、葛西純組と対戦。13分2秒、ドス・カラス・ジュニアがロメロスペシャルで葛西に勝利。 04年10月にフリーになったが半年後にCMLLに復帰。 05年7月、アレナ・メヒコでのレジェンダ・デ・アスール(新日本プロレスと提携した時にできたメキシコ版G1)で1日に4勝して優勝。8月14日、新日本プロレスの両国国技館大会に来日し、飯塚高史と対戦。11分50秒、風車式サイドバスターで勝利。9月1日、新日本プロレスの後楽園ホール大会でエル・テハノ・ジュニアと組んでヒロ斉藤、4代目タイガーマスク組と対戦。8分38秒、リスマルク・ジュニアが風車式サイドバスターで斉藤に勝利。9月4日、新日本プロレスの東金アリーナ大会でエル・テハノ・ジュニアと対戦。8分35秒、風車式サイドバスターで勝利。 07年9月28日、CMLLのビッグイベント「アニベルサリオ74」のメインで金網マスカラス・コントラ・カベジェラスに出場。ミスティコブルー・パンテル、ビジャノ5号、アトランティスドクトル・ワグナー・ジュニアウルティモ・ゲレーロ、ペロ・アグアヨ・ジュニアが参加する大乱戦で31分13秒、ブルー・パンテルに脇固めで敗れ、マスクをはがされ素顔になる。 08年10月17日、マルコ・コルレオーネとカベジェラマッチで対戦し、敗れて丸坊主にされた。 09年9月、CMLLを退団し、ロス・ペロス・デル・マールに入団。 10年12月12日、ルチャリブレUSAのアルバカーキ大会でマルコ・コルレオーネ、チャーリー・マリス、RJブリューワーとの4WAYイリミネーションマッチに勝利して初代LLUSAヘビー級王座を獲得。 11年6月18日、マルコ・コルレオーネ、RJブリューワーとの3WAYマッチに敗れて王座転落。