レスラーノート

青柳政司

1962年12月27日
愛知県豊田市出身
172cm 93kg 血液型:AB型

タイトル歴
WARインターナショナル・ジュニア・タッグ
DEP無差別級
得意技
フライング・ニールキック

高校を1年で中退し、大型トラックの助手として働きはじめ、以後、トラックの運転手として活躍。15歳で空手を始める。78年、22歳の時に極真会館の「全日本空手道選手権」に参加。他流派でありながらベスト16に進出して注目を浴びる。23歳で空手道場「誠心会館」を設立。実戦空手の修行を続ける。89年7月2日、両国国技館の「格闘技の祭典」で大仁田厚と異種格闘技戦を行い、プロレスに進出。試合は青柳の反則勝ちだった。10月6日、愛知県の露橋スポーツセンターで行われたFMW旗揚げ戦で、大仁田厚と異種格闘技戦で対戦。5R47秒で青柳のTKO勝ち。その後、パイオニア戦志の興行などで剛竜馬と抗争。その後、新日本プロレスで活躍。90年6月12日、新日本プロレスの福岡国際センター大会で獣神サンダーライガーと異種格闘技戦で対戦。序盤はゴツゴツした蹴りで圧倒し、ライガーのマスクを破り流血させる。3Rにマスクを脱ぎ捨てたライガーの馬乗りでのエルボーやヘッドバットなどをくらって青柳も大流血。4R、出血によるレフリーストップ負けに終わった。90年度のプロレス大賞で新人賞を受賞した。91年4月30日、両国国技館大会でトニー・ホームと異種格闘技戦で対戦。身長差28センチの相手に対し、4つんばいの状態からローキックを決めるなど善戦したが、3R1分57秒、左アッパーから後頭部に右ストレートをくらい、6度目のダウン。そのまま10カウントを聞いてKO負けに終わった。6月12日、日本武道館大会で藤波辰爾と対戦。6分4秒、一本背負いからの三角絞めに敗れた。8月7日、愛知県体育館大会で同門の松永光弘と対戦。6分42秒、飛び後ろ回し蹴りでKO勝ち。10月17日、福岡国際センター大会でトニー・ホームと再戦し、3R1分26秒にKO負け。12月23日、後楽園ホールで誠心会館の自主興行を開催し、メインで李昌浩と対戦。3R26秒、回転地獄蹴りでKO勝ち。92年1月30日の新日本プロレスの大会で誠心会館所属の斎藤彰俊小林邦昭にTKO勝利したことから新日本プロレスと誠心会館の抗争が勃発。5月1日に青柳が越中に敗れて道場の看板を奪われたことによって、抗争は一時決着。6月9日に名古屋で誠心会館の自主興行を行い、越中と小林邦昭が参戦。青柳は小林と対戦し両者ドローという壮絶な試合を行った。この試合後に小林と青柳は和解。奪われた看板は返された。新日本プロレスの許可を得ずに参戦した越中と小林は無期限出場停止処分を受ける。8月7日に越中、木村健悟、青柳、斎藤は反選手会同盟を結成。新日本プロレスでヒール軍団として活躍した。反選手会同盟は93年11月6日に平成維震軍と改称。越中、カブキ、小林邦昭、木村健悟、後藤達俊小原、齋藤と共に自主興行を開催するなど、平成維震軍は長期にわたって活躍した。その後、青柳は平成維震軍を離脱。94年2月2日に新格闘プロレスリングを旗揚げ。旗揚げ戦は3月11日に後楽園ホールで行われた。5月にはWWFの日本興行「マニアツアー」に参戦。7日にオーエン・ハートと対戦し、シャープ・シューターに敗れた。8日にボブ・バックランドと対戦し、スモールパッケージホールドで勝利。11日にビガロと対戦し、敗退した。その後、レッスル夢ファクトリーなどに参戦。 97年5月に極悪海坊主(三浦博文)と組んでWARインターナショナル・ジュニア・タッグ王座を獲得。 00年10月から齋藤彰俊と共にノアに登場。長くノアの中堅選手として活躍。

2007

07年3月3日、無我の豊田市柳川瀬公園体育館大会のメインで藤波と組んで長井満也、ジョン・ウォルター組と対戦。13分20秒、青柳が左上段後ろ回し蹴りを決めてウォルターにフォール勝ち。5月16日、無我の大阪府立体育会館・第2競技場大会で川田利明と組んで西村修吉江豊組と3本勝負で対戦。1本目は15分33秒、川田がストレッチプラムで西村に勝利。2本目は6分18秒、ストレッチプラムを切り返されての西村のエビ固めに川田がフォール負け。3本目は6分13秒、吉江のダイビング・ボディプレスに青柳が敗れた。5月19日、無我の豊岡アイティ大会で倉島信行と対戦。4分10秒、左上段後ろ回し蹴りを決めてフォール勝ち。5月20日、無我の岡山県卸センター・オレンジホール大会で竹村豪氏と対戦。9分42秒、ニールキックで勝利。5月21日、テクスポート今治大会で後藤達俊と対戦。12分43秒、バックドロップに敗れた。9月23日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で竹村豪氏と対戦。6分53秒、ウラカンラナにフォール負け。12月8日、DEPの刈谷産業振興センター大会で深谷友和を破りDEP無差別級王座を獲得。

2008

08年4月27日、DEPの刈谷産業振興センター大会で後藤達俊を相手に防衛戦。バックドロップに敗れて王座転落。10月13日、ノアの広島グリーンアリーナ大会での第1試合で井上雅央と対戦。9分36秒、首固めに敗れた。11月23日、ノアの札幌テイセンホール大会で井上雅央と対戦。7分4秒、首固めに敗れた。12月31日、新木場1stRINGでの「大仁田厚プロレス祭り」で松崎、ザ・シューター2009と組んで大仁田、田中将斗、リッキー・フジ組と対戦。11分7秒、青柳がフライング・ニールキックでリッキーにフォール勝ち。

2010

10年12月25日、DEPのZEPP NAGOYA大会で門尾信彦と対戦。5分43秒、ラリアットで勝利。

2012

12年6月15日、広島グリーンアリーナでの齋藤彰俊の自主興業でカブキ、藤原と組んで長州、藤波、初代タイガーマスク組と対戦。11分57秒、藤波のドラゴンスリーパーに青柳が敗れた。8月19日、ノアのテレピアホール大会で志賀賢太郎と対戦。7分43秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。11月3日、空手道における文化教育活動が認められ、東久邇宮文化褒章を受賞した。11月17日、ノアの名古屋国際会議場大会で平柳玄藩と対戦。5分27秒、KICHIKU(急所鷲づかみ式丸めこみ)に敗れた。

2013

13年1月17日、ノアのテレピアホール大会で石森太二と対戦。3分33秒、変型横入り式回転エビ固めにフォール負け。同日に行われた9人参加のバトルロイヤルでは優勝した。4月19日、ノアのテレピアホール大会でエル・サムライ、齋藤彰俊と組んで熊野小峠ヨネ組と対戦。12分46秒、齋藤がスイクルデスで熊野に勝利。11月3日、大阪・はびきのコロセアムでの格闘技イベント「チャクリキファイティングカーニバル2013」のメインで齋藤彰俊と組んで(セコンドは松永光弘)初代タイガーマスク、タイガー・シャーク組と対戦。14分25秒、青柳がタイガー・シャークに勝利。

2014

14年1月19日、リアルジャパンプロレスのアクトシティ浜松大会でスーパー・タイガーのレジェンド王座に挑戦。8分20秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。5月10日、ノアのふじさんめっせ大会で熊野準と対戦。7分18秒、廻し蹴りを決めてフォール勝ち。6月18日、後楽園ホールでの金村キンタローの自主興行で越中、カブキと組んで大仁田、保坂、鷹木組と対戦。7分58秒、青柳が延髄斬りで大仁田に勝利。7月20日、枇杷島スポーツセンター・第2競技場で行われたコスモ☆ソルジャーの主催大会で加藤茂郎と対戦。12分35秒、回し蹴りで勝利。8月1日、ZERO1の名古屋国際会議場イベントホール大会のメインで越中と組んで大仁田、KAI組を相手に電流爆破マッチで対戦。14分51秒、4人同時被爆から大仁田に青柳がフォール負け。12月14日、ZERO1の田原市総合体育館大会での風林火山タッグトーナメント1回戦で大仁田と組んでKAMIKAZEデーモン植田組と対戦。13分11秒、大仁田がリングアウト負け。

2015

15年1月11日、全日本プロレスの名古屋市中村スポーツセンター大会でKENSOのGAORA・TV王座に挑戦。9分37秒、ダイビングエルボードロップ3連発に敗れた。2月15日、ノアの清水マリンビル大会で小川良成、熊野準と3WAYマッチ。4分38秒、青柳が延髄斬りで熊野に勝利。5月9日、ハーレーダビッドソンに乗ってツーリング中、交通事故に遭って右足を粉砕骨折。6月1日、引退を表明。

2016

16年9月19日、ファイヤープロレスの名古屋市枇杷島スポーツセンター大会で魔世軍を結成。雷神矢口、ダンプ松本、魔世軍2号を率いて大仁田、保坂、クラッシャー前泊組と電流爆破デンジャラス鬼棒ミックスト6人タッグデスマッチで対戦。混戦に乗じて乱入し、大仁田を攻撃。10分40秒、大仁田の前泊との鬼棒ダブル爆破攻撃に魔世軍2号が敗れた。

2017

17年2月8日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズのメインで越中、カブキ、AKIRA、齋藤彰俊組のセコンドとして登場し、武藤、長州、藤波、ライガー組と対戦。15分23秒、武藤のムーンサルトプレスにAKIRAが敗れた。7月26日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで越中、AKIRA、齋藤彰俊組のセコンドとして登場し、小鹿関本岡林組と対戦。15分35秒、越中がミサイルヒップアタックで小鹿に勝利。

2018

18年2月16日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで越中、齋藤彰俊と組んで小鹿、タイガー戸口百田組と対戦。10分49秒、小鹿の首固めに青柳がフォール負け。8月19日、大日本プロレスの名古屋国際会議場イベントホール大会で越中と組んで藤原、小鹿組と対戦。9分38秒、青柳がミドルキックで小鹿に勝利。8月21日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで越中、AKIRA、齋藤彰俊と組んで(セコンドにカブキ)、馳浩太陽ケア人生大谷組(セコンドに武藤)と対戦。 21分9秒、武藤のシャイニングウィザードをくらった直後に馳のノーザンライトスープレックスをくらってAKIRAが敗れた。9月30日、大阪府立体育会館・第2競技場で行われた船木誠勝デビュー33周年記念大会で伊藤崇文と組んで藤原喜明、池本誠知組と対戦。14分38秒、藤原のワキ固めに青柳が敗れた。12月22日、仙台PITで行われたみちのくプロレス主催の「昭和プロレスフェスタin仙台2」のメインでカブキをセコンドに越中、齋藤彰俊、AKIRAと組んで日向寺塁、卍丸、Ken45°、拳剛組と対戦(セコンドに郡司歩)。18分15秒、越中がパワーボムで拳剛に勝利。

2019

19年8月30日、プロレスリング・マスターズの後楽園ホール大会でカブキをセコンドに越中、AKIRA、青柳、齋藤彰俊と組んでノートン天山小島ヒロ斉藤(セコンドは蝶野)組と対戦。11分6秒、青柳が横入り式エビ固めで斉藤にフォール勝ち。
スクラップブック
山本  プロレスのリングは、実戦の場たりえたわけですか?
青柳  それとは意味が違う。プロのリングには、教えられることがたくさんあるということです。空手の試合だったら、中段回しをもらったら、それで試合は終わる。勝ち負けが決まってしまう。ところが、プロレスラーはナマで蹴ってダウンさせても、立ってくる。空手なら休憩。そこまではやらない。そうでしょう。以前、剛選手と闘った時、自分の蹴りが顔にはいり、剛選手の鼻が折れた。鼻血は出るし、口からも血が出る。それでも剛選手は振り向いて、こっちへ向かってこようとする。自分は思わず、一歩、二歩あとずさりしてしまった。その時だった。「プロレスってすげえなあ。アマチュアとは違う」と。たしかに怖いよ。でも、こういう世界に自分から望んではいったんだから、自分も剛選手と同じ気持ちになろう。逃げちゃいかんと思ったね。
山本  青柳さん自身も大変な目にあっているんでしょう。
青柳  横浜で栗栖さんと仲間割れした時が、一番ひどかった。後頭部をイスでぶん殴られた。頭が痛くてどうしようもない。額からは血が出ている。小林邦昭さんが試合後「病院に行こう」といってくれたが、自分はタクシーに乗って東京へ帰ることにした。そうしたら運転手さんが「ねえ、お客さん病院に行きましょう」という。彼は途中で3回車を止めた。そのたびに「いいから東京にやってくれ」といった。両手を後頭部にあて、自分は娘に対し祈ったよ。「お父さんは今、こうなってしまった。もしかしたら・・・」と。
山本  それでどうなったんですか?
青柳  ホテルに着いて病院に電話し救急車を呼んだ。
山本  怖いですね。
青柳  別に栗栖さんは、自分を病院送りにするために、イスで殴っているわけじゃないんだけど「空手家がなんぼのものか」ぐらいの気持ちは、持っているはずです。空手着をきてプロレスのリングにあがっている以上、こっちも覚悟を決めている。つぶしにかかってこられても結構。自分も殺されまいと、必死で闘うしかない。すでに知っているでしょうが、ボクなんかレスラーからもらうワザは、すべて恐怖体験なんです。
山本  バックドロップの話ですか?
青柳  そうです。足が宙に浮いた瞬間本当に「死ぬかもしれない」と思った。嘘じゃないんですよ。ブレーンバスターだって、今ではプロレスファンから安っぽいワザにみられているけど、自分なんかマシンに直角に落とされた時は、寿命がちぢまった。こんな経験は空手の世界では、ありえなかったこと。真の強さにあこがれたり、真の強さを追求していこうとする気持ちがあるなら、プロレスとはいわない。プロの世界に飛び込むべきだ。
山本  なぜ、そこまでしなければならないのですか?
青柳  自分は「実戦空手」をうたっているからです。これがなかったら、プロレスラーと闘うこともなかった。アマチュアもプロも、自分にいわせたら関係ないですよ。プロレスは素晴らしいですよ。ボクなんかのアマチュアの空手家を簡単に受け入れてくれるんだから。そう思いません?
(週刊プロレスNo.423 1991年 青柳のインタビューより)