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輪島大士

本名:輪島博
1948年1月11日
石川県七尾市石崎町出身
185cm 132kg
得意技:ゴールデン・アームボンバー 2段式首折り(ラリアートで相手の首を捉えた後、倒さずにホールドし、揺さぶりをかけた後、浴びせ倒す)

日大相撲部で活躍。2年連続学生横綱。大相撲の花籠部屋に入門。「黄金の左」と呼ばれる、左から放つ豪快な下手投げを武器に活躍。横綱となり、通算14回の優勝を飾った。通算成績は673勝234敗85休。引退後は部屋を引き継ぎ、親方として活躍。しかし、プライベート面でのスキャンダルが続く。85年11月、年寄株の譲渡問題で廃業。相撲協会とは絶縁状態となる。86年4月13日、全日本プロレスに入団。38歳でのプロレス入りだった。「はだかになって(相撲をやって)はだかになったのだから(無一文になった)またはだかになる(プロレスをやる)」と言った。仲介人は力道山の後援者の一人、元日本プロレス協会常務理事の永田貞雄。輪島は、馬場とは以前からゴルフや麻雀を通じて面識があった。馬場と共にハワイに飛び、基礎体力をつける。ノースカロライナ州シャーロッテで修行。ネルソン・ロイヤルに学ぶ。8月7日にデビュー戦を行い、カンザス州カンザスシティで馬場と組み、アースクェイク・フェリス、R・ホッグ組と対戦した。11月1日、シリーズ最終戦、地元の七尾総合体育館でのタイガー・ジェット・シン戦で国内デビュー。試合はゴング前に先制攻撃を仕掛けた「インドの狂虎」相手に、ローキック、スピニング・トーホールド、突っ張りで善戦し、5分55秒、両者反則に終わった。3日に馬場、鶴田天龍と共にミッドアトランティック地区に再渡米した。4日にサウスカロライナ州スパルタンバーグでランディ・モーキーと対戦。5分20秒、ゴールデン・アーム・ボンバーからの片エビ固めで勝利した。7日にネルソン・ロイヤル・ジムでトレーニング。8日にシャーロッテで、馬場と組んでゲーリー・ロイヤル、アメリカン・イーグル組と対戦。8分52秒、新必殺技Uパワー・ネックブリーカー(2段式首折り)でアメリカン・イーグルにフォール勝ちし、遠征を終えた。87年3月に、リック・フレアーのNWA王座に挑戦し敗退。4月23日の新潟市体育館大会でのPWF王座決定戦でハンセンと対戦。左腕を攻め続けたが、ハンセンの場外バックドロップをくらい、12分36秒、両者リングアウトの引き分け。24日の横浜文化体育館大会でハンセンと再戦。ゴング前からボディスラムで投げるなどパワーファイトで善戦。ラリアットをかわし、相撲タックルから2段式首折りを決めるが、場外に逃げられる。12分38秒、ラリアットからの首固めで敗れた。10月に鶴田と組んで天龍組のPWF王座に挑戦し敗退。11月7日、後楽園ホール大会で天龍とシングルで初対戦。天龍に圧倒されて16分18秒、リングアウト負けに終わったが、30発以上にわたる蹴りを受けながらも立ち上がる気力を見せた。テレビ放送中に解説者の馬場は「デビューしてからの輪島は最初は良かったんですけどもね。だんだん稽古しなくなりましたね。これはやっぱり致命傷だと思うんですね。稽古させなかった僕が悪いんですけどね。(天龍に簡単に倒される輪島を見て)それをね、こういう風にやられるということは全くね、お恥ずかしい話ですよ」と述べた。 88年2月、第五頚椎骨折、左下腿骨陳旧性骨折、右肘関節部粘液嚢腫のため山梨県の韮崎市立病院に入院。2〜3月のシリーズを全休。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にはザ・グレート・カブキと組んで参戦。3勝6敗1分けの成績に終わった。12月16日、日本武道館大会でカブキと組んでクラッシャー・ブラックウエルフィル・ヒッカーソン組と対戦し、11分42秒、ゴールデン・アームボンバーでヒッカーソンにフォール勝ち。この試合を最後に引退。石川も共に引退した。引退後は社会人アメリカンフットボールの学生援護会ロックブルの監督となる。チームをXリーグ(社会人一部リーグ)に引き上げるなど活躍。日本社会人アメリカンフットボール協会理事も務めた。01年にキューバ相撲ナショナルチームの監督としても活躍した。05年に石川県観光親善大使に就任。18年10月9日、死去。
― この時期、輪島さんの指導もされましたよね。本人は当時を振り返り、“佐藤さんはいい人で、教え方も上手だった。プロレスの技術の基本、発想を教えてくれました”と言っていましたよ。
「横綱は人好きのする、人を惹きつける魅力を持った人だよ。カロライナには2〜3回行って、ネルソン・ロイヤルのジムで稽古したけど、元々が猫背だし、下を向いて稽古しているから、“プロレスでリングサイドばっかりを見ていると、2階のお客さんは横綱の頭のてっぺんしか見えないですよ。国技館の2階の中段ぐらいを見上げるつもりでやってないと、お客さんに顔が見えないですよ”と。そうしたら“ん!?”っていう顔をしてたから、“横綱、土俵入りをやる時にせり上がって向正面に顔を向けるじゃないですか。そうすると必ず会場の2階の中段ぐらいに目線が行きますから、あの感覚で常にリングの中を歩くんですよ”って。そういう話し方をしないとわからなかったからね。横綱はそう言われると、その場ですぐにやってみる素直さがあったよ。自分の知りたいこと、やりたいことの目標がしっかりしていたよね」
(Gスピリッツ vol.25 佐藤昭雄のインタビューより)

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