ジャイアントスイングの元祖。アマレス出身。44年にプロレス入り。50年代には太平洋岸でE・トーレスのライバルとして活躍。60年からカンサス地区に定着。60年4月、日本プロレスの第3回ワールド・リーグ戦に初来日。50枚以上の衣装を持って来日し毎日違うコスチュームで登場したというお洒落な面もあったが、気性はかなり激しく「火の玉エチソン」というニックネームをつけられた。初来日のワールド・リーグ戦では白覆面を付けてファイトすることもあった。73年8月に全日本プロレスに登場。アメリカでは主に中西部地区で活躍、かなり高齢になるまで現役を続けた。晩年は地元のプロモーターとして活躍。94年3月、自宅で老衰のため死去。
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