バディ・ロジャースに似ていることから「野生児2世」と呼ばれた。高校時代からボディビルで活躍。60年(58年説あり)にプロレス入り。主戦場はセントルイスを中心とした中西部地区で、ほとんどこのエリアから転戦する事はなかった。71年5月20日、ルイジアナ州ニューオリンズでダニー・ホッジを破りNWA世界ジュニア王座を獲得。9月10日にルイジアナ州モンローでラモン・トーレスに敗れた後、ヘビー級に転向。セントラルステーツヘビー級王座を獲得。ジェリー・バリアントと組んでセントラルステーツタッグ王座を5回獲得している。67年7月、国際プロレスに初来日。73年5月に全日本プロレスに登場。80年8月の来日では、覆面のザ・クルーザーとして登場。デストロイヤーとそっくりのマスクだった。デストロイヤーと組んでPWF杯タッグ争奪戦に参加し、決勝戦に進出した。85年に引退。引退後はカンザスシティの日曜大工店に勤務。19年3月18日、死去。
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