レスラーノート

ウルトラマン

ULTRAMAN
本名:ベンチュラ・チャベス・ペレス
1947年7月14日
メキシコ・グアナファト州コロネオ出身
172cm 89kg

タイトル歴
ナショナルミドル
WWA世界ミドル
得意技
ワンハンド・バックブリーカー
トップロープからのフィンガーホイップ

少年時代はボクシング、アマレスに熱中。アマレスではグレコローマンの州大会で2度優勝。64年にマスクマンのエル・ディナミコとしてデビュー。68年9月15日、プエブラ州アレナ・アトリスコでセウスにマスカラ戦で敗れてマスクを剥がされる。その後はミロ・ベンチュラの名で素顔でEMLLに出場。ロドルフォ・ルイスのナショナル・ライト級王座に挑戦し敗れた。70年度の新人王に選出された。74年10月、雑誌「エル・アルコン」の編集長の依頼でウルトラマンに変身。すぐにUWAに移籍。エル・マヤ、メディコ2号、ドクトル・セタ2号、ベンガドール・ネグロ、デスティノ・ネグロのマスクを剥いだ。75年度の新人王を獲得。77年5月、ビジャノ3号のUWA世界ウェルター級王座に挑戦するが敗れた。6月19日、セウスにマスカラ戦のタッグマッチで勝利してマスクを剥いだ。78年8月27日、レオン・ネグロにマスカラ戦で勝利してマスクを剥ぐ。79年6月、メキシコからの藤波への刺客として新日本プロレスに来日。6月29日、大宮スケートセンターで試合前のセレモニーでは本家ウルトラマンが花束贈呈した。この大会で藤波と対戦し、両者リングアウトの引き分け。このシリーズでは33戦して、シングルでは25戦18勝5敗2引き分けという活躍を見せた。81年6月にアメリカ・サルバにマスカラ戦で勝利してマスクを剥いだ。82年6月にタイガーマスクのライバルとして新日本プロレスに2度目の来日。タイガーマスクと5試合を行い4敗1引分け。6月18日の蔵前国技館大会での対戦(WWFジュニア王座に挑戦)では、初公開のスペース・フライング・タイガードロップを受けてから完全にグロッギー状態。バックドロップやフライングボディアタックを失敗して場内失笑。9分48秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。7月6日、大阪府立体育会館大会でタイガーマスクのWWFジュニア王座に挑戦。12分42秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。83年7月24日、ラ・ソンブラにマスカラ戦で勝利してマスクを剥いだ。8月12日、アレナ・コリセオでの王座決定トーナメント決勝でアギラ・ソリタリアに勝利してナショナルミドル級王座を獲得。4度の防衛に成功。84年3月2日、アレナ・コリセオでジェリー・エストラーダに敗れて王座転落。同年にはソラールスペル・アストロと共にロス・カデテス・デル・エスパシオ(宇宙飛行士トリオ)のチーム名で活躍。その後、EMLLに移籍。その後、カリフォルニアと国境周辺をテリトリーとしていたWWAに移籍。87年7月18日、ロスのオリンピック・オーデトリアムでスペル・ムニェコを破りWWA世界ミドル級王座を獲得。87年に3度のマスカラ戦に敗れて3度マスクを剥がされた。UWAに移籍後はルードに転向。セミリタイア後はジムを運営。マスクをかぶって出場することもあった。弟子にウルトラマン・ジュニアを名のらせた(その後のスタルマン)。98年10月に息子が2代目ウルトラマン・ジュニアとしてデビュー。

2005

05年7月19日、後楽園ホールでのドラゴンドア旗揚げ戦に23年ぶりに来日。ソラールと組んで初代タイガーマスク、グラン浜田組と対戦。11分44秒、タイガーマスクの逆さ押さえ込みにウルトラマンがフォール負け。7月23日、ドラゴンドアの君津アクアマリンスタジオ大会で2代目ザ・タイガー(ウルティモ・ドラゴン)、ソラールと組んでウルティモ・ゲレーロ折原昌夫、サスケ・ザ・グレート2号(MAZADA)組と対戦。17分14秒、ザ・タイガーがラ・マヒストラルで2号にフォール勝ち。