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ルー・テーズ
LOU THESZ


本名:アロウィシャス・マーティン・テーズ
1916年4月24日
ミシガン州バナット出身
191p 110kg
タイトル歴:NWA世界ヘビー インターナショナルヘビー TWWA世界ヘビー UWA世界ヘビー NWAテキサス・ヘビー
得意技:バックドロップ パイルドライバー(パワーボムに近い技) フライング・ボディシザース・ドロップ

通称「鉄人」。 父のマーチン・テーズはハンガリーでアマレス(グレコローマン)の選手として活躍。8歳の時、父のコーチでアマレスを始める。14歳の時に学校を卒業し、父の靴修理の仕事を手伝いながらクリーブランド高校のレスリング部でフリースタイルの練習に励む。16歳になってレスラーの公開練習場で練習に励む。34年にイースト・セントルイスの大聖堂での興行でデビュー。靴修理の仕事を続けながら試合に出場し、シュートの名手であるジョージ・トラゴスのコーチを受ける。35年にフルタイムのレスラーに転身。37年12月29日、セントルイスのキール・オーデトリアムで旧NWA(全米レスリング協会)世界王者のエベレット・マーシャルに挑戦。53分、エアプレーン・スピンをくらったマーシャルが場外に逃げて試合放棄し、勝利。21歳で世界ヘビー級王座を獲得した。38年2月11日、ボストンでスチーブ・ケーシーにボストンクラブで敗れて王座転落。 39年2月23日、ボストンでエベレット・マーシャルを破り2度目の世界王座獲得。 6月25日、ヒューストンでブロンコ・ナグルスキーに敗れて王座転落。この試合で左ヒザを負傷し長期欠場。その後、第2次世界大戦に召集され、兵士に格闘術を教える。軍隊生活と平行して試合に出場していた。47年4月25日、セントルイスでホイッパー・ビリー・ワトソンに勝利してNWA王座3度目の獲得。11月21日にワイルド・ビル・ロンソンに敗れて王座を失うが、48年7月20日にロンソンをバックドロップで破り王座奪回。 以後、48年から55年の間、無敗のチャンピオンとして君臨。55年3月22日にレオ・ノメリーニに敗れるまで936連勝(正確には1000連勝以上とも言われている)した。NWA王座は通算6度獲得。 NWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)が発足し、初代NWA王者のブラウンと、旧NWA王者のテーズの統一戦が決定したが、ブラウンが交通事故で負傷したために不戦勝となり、49年11月27日にテーズが統一王者に認定された。 56年3月15日にトロントでホイッパー・ビリー・ワトソンに敗れて王座転落。11月9日にセントルイスで王座奪回。57年10月に日本プロレスに初来日。力道山と2連戦を行い王座防衛。11月にカナダのトロントでディック・ハットンに敗れて王座転落。その後も「世界王者」として世界をサーキット。 63年1月24日、トロントでバディ・ロジャースを破りNWA王座6度目の獲得。 64年2月にはジャイアント馬場を相手に2度の防衛に成功。 66年1月7日、セントルイスでジン・キニスキーに敗れNWA王座から最後の転落。 2月28日、東京都体育館大会でジャイアント馬場のインター王座に挑戦。1本目は21分13秒、テキサス・ブルドーザーからフォール負け。2本目は2分45秒、バックドロップで勝利。3本目は51秒、バックドロップを放ったが、馬場にロープを蹴られて自爆し、そのまま体固めに敗れた。68年にTBSプロレス(国際プロレス)にTWWA世界ヘビー級王者(TBSプロレスが作った架空のタイトル)として来日。68年1月3日、日大講堂大会でグレート草津と対戦。17分50秒、バックドロップで勝利して草津を失神させ、2本目を試合放棄にさせた。1月10日、大分県体育館大会でサンダー杉山と対戦。1本目は雷電ドロップに敗れたが、フライング・ボディシザース、バックドロップで2、3本目を取って勝利した。1月16日、宮城県スポーツセンターで豊登と対戦。リバース・スープレックスで1本目を取られたが、2本目はパイルドライバーで豊登を失神させ、3本目を試合放棄させた。1月24日、台東体育館大会でダニー・ホッジと対戦。敗れてTWWA王座から転落。70年代にはニューヨークでIWAの発足に携わった。 76年8月に60歳にしてUWA世界ヘビー級の初代王座に認定される。以後、メキシコのUWAで防衛戦を行う。78年8月27日、カネックに敗れてUWA王座から転落。12月にアメリカに帰国。 80年9月8日、ルイビルでCWA王者のビル・ロビンソンに挑戦。回転エビ固めに敗れた。この試合が最後のタイトルマッチとなった。83年4月に全日本プロレスに来日。4月22日、札幌大会でのルー・テーズ杯争奪リーグ戦の決勝戦(三沢越中)の特別レフリーとして登場。30日から3日間、全日本プロレスの道場でテーズ教室を開講し、ジャンボ鶴田にバックドロップを伝授した。 87年11月16日、ニュージャージー州メドーランド・ブランダンバーン・アリーナ(WWFの興行)でのジン・キニスキー、パット・オコーナーキラー・コワルスキーボボ・ブラジルエドワード・カーペンティアニック・ボックウィンクルペドロ・モラレスレイ・スチーブンス、アーノルド・スコーラン、クラッシャー・リソワスキーチーフ・ジェイ・ストロンボー、セーラー・アート・トーマス、ドン・デヌーチバロン・シクルナアル・コステロ、ジノ・ブリット、レネ・グレイトニー・ガレアが参加したオールド・タイマーズ・バトルロイヤルで優勝。90年12月26日に蝶野正洋に敗れ74歳で引退。引退後はUWFインターの最高顧問も務めた。02年3月9日、愛妻チャーリーさんを連れて3年ぶりに来日。UWFスネークピット代表の宮戸優光の挙式の媒酌人を務め、元気な姿を披露した。4月28日、フロリダ州オーランドの病院で心臓バイパス手術後に肺炎を併発させて死去。10日に手術を受けていた。享年86。

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