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通称「テロリスト」。高校時代より柔道を始め、95年4月、拓殖大学の先輩に当たる西良典が主宰する和術彗丹會に入門。8月、真・格斗術トライアル・卜一ナメントで総会格闘家としてデビューし、グローブルール重量級で優勝に輝く。96年10月、第3回エクストリーム大会に出場し、パート・ベイルにTKO勝ちを収める。97年3月28日の第4回エクストリーム大会ではモーリス・スミスを相手に1R4分21秒でKO負けしたが、健闘してみせた。10月11日、東京ドームにおける「PRIDE1」に出場し、ジョン・ディクソンに完勝した。その後、和術彗丹會を脱会。98年7月に順道会館の館長に就任後、JJA(順道柔術アカデミー)を主宰。10月より館長を退任し、UFO所属となり、ドン・フライ、G・ゴルドーら強豪を相手に奮闘。99年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で小川直也対橋本真也戦のセコンドにつき、試合後に乱闘に巻きこまれて意識不明となり、入院。同年よりバトラーツに参戦し、10月にはモハメド・ヨネに勝利を収めた。00年1月4日の東京ドーム大会で新日本プロレスに初登場。小川と組んで橋本、飯塚組と対戦。2分24秒に無効試合となったが、その後の再試合で8分59秒、飯塚の裸絞めで村上が敗れた。3月11日に「第2回メモリアル力道山」の会場、横浜アリーナの駐車場で橋本真也を不意打ちし大流血させる。8月の「PRIDE10」に出場し佐竹雅昭にTKO負け。01年4月18日、ZERO−ONEの日本武道館大会で小川と組んで、三沢光晴、力皇猛組と対戦。6分40秒、三沢の強烈なバックドロップ3連発をくらって敗れた。6月14日、ZERO−ONEの大阪城ホール大会で大谷晋二郎と対戦。オープンフィンガーグローブを外してパンチを連打し、7分57秒、反則負けに終わった。新日本プロレスでは02年9月から魔界倶楽部の一員となりヒールとして活躍。12月10日、大阪府立体育会館大会のメインで永田裕志のIWGP王座に挑戦。永田を流血に追いこみ殺気あふれるファイトを展開したが14分53秒、クラッチ式エクスプロイダー3連発に敗れた。03年12月31日、イノキボンバイエ2003〜馬鹿になれ夢をもて〜ではステファン・レコと対戦。殺気だった笑みを浮かべての入場シーン、試合前には花束贈呈した武蔵にもらった花束で殴りつけ、ゴング直前にはレコに思いっきりメンチを切り、試合が始ればレコのバックブローに「こいオラァ!」と挑発し、左手をぐるぐる回すなど魅力を全開。試合は1R1分8秒、右ハイキック1発でKO負けした。05年1月に新日本プロレスを退団。8月にビッグマウス・ラウドを旗揚げし社長に就任。9月11日、ビッグマウス・ラウド旗揚げ戦のメインで柴田勝頼と対戦。9分44秒、サッカーボールキックで勝利した。12月29日、後楽園ホールでのビッグマウス・ラウド第2弾興行でエンセン井上と対戦。新日本プロレス時代から因縁を引きずる相手との試合で、強烈な顔面パンチや廊下まで続いた場外戦など、ケンカマッチを展開。最後は9分58秒、顔面キックで勝利した。06年10月13日、ノアの大阪府立体育会館大会で三沢光晴とシングルで対戦。「世界中のテロリストがこんなに弱ければ、世界には、すぐに恒久平和が訪れるだろう」とスポーツ紙に書かれるほどの消極的な試合を展開。観客席からブーイングの嵐が巻き起こった。11分10秒、ランニングエルボーバットで敗れた。07年6月8日、ノアの横浜文化体育館大会で丸藤正道と対戦。入場口の丸藤を襲い流血させる。5分50秒、STOの3連発で勝利。07年7月、ゼロワンの火祭りに出場。16日の後楽園ホールでの開幕戦で大谷晋二郎と対戦。大谷の入場と同時に場外戦をしかけ、イス攻撃やパンチ、キックの連打で大谷を圧倒。リングに入ってから大谷の反撃にあい場外転落。強烈なイス攻撃を2連続で浴びて大流血。最後は14分22秒、両者リングアウトの引き分け。この試合で頭部裂傷の重傷を負い、その後のシリーズを欠場。以後、長期欠場。09年11月7日、健介オフィスの熊谷市民体育館大会での臼田、梶原戦後、リングに上がり練習生やレフリーを襲撃。「健介オフィス!上等じゃねえか、勝手にカード変えやがって!」と直前での臼田の試合のカード変更にマイクで抗議。「やりたいなら復帰して上がってこい!」と健介に挑発されて、上着を脱いでつっかかっていったがセコンド陣に止められて臼田と共に会場を後にした。
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