ダークロHP / レスラーノート

武藤敬司

1962年12月23日
山梨県富士吉田市出身
188cm 110kg 血液型B型
タイトル歴:フロリダヘビー USジュニアヘビー WWC・TV王座 WWCプエルトリコ王座 NWA世界TV王座 IWGPヘビー NWA世界ヘビー IWGPタッグ WCW世界タッグ グレーテスト18クラブ 三冠ヘビー W−1チャンピオンシップ
得意技:足4の字固め ムーンサルト・プレス シャイニング・ウィザード

グレート・ムタ参照。
実家は造園業を営む。学生時代は柔道で活躍。東北柔道専門学校に進み、全日本新人体重別選手権に出場し3位の記録を残す。84年4月に新日本プロレス入門。同年10月、 蝶野正洋戦でデビュー。「異例のデビュー戦同士対決」を制す。 85年11月、米国フロリダへ初遠征。フロリダ州タンパ在住のヒロ・マツダがエージェントとなり、フロリダのNWA加盟団体CWFにブッキングした。ホワイト・ニンジャ(のちにザ・ニンジャ)として活躍。サーキット仲間にはケンドー・ナガサキレックス・ルガーもいた。 86年5月、ケンドール・ウィンダムを破り、フロリダヘビー級王座を獲得。フロリダ地区のUSジュニアヘビー級王座を獲得。10月に凱旋帰国し「スペース・ローンウルフ」として活躍。86年度のプロレス大賞で新人賞を受賞。 87年3月、映画「光る女」(相米慎二監督)への主演を発表。3月20日、後楽園ホール大会での王座決定戦で前田高田組を破り、越中詩郎とIWGPタッグ王座に就く。3月26日、大阪城ホール大会で前田、高田組に敗れてタッグ王座から転落。その後、映画撮影のため6月まで欠場。映画は10月24日から東宝系列で公開された。 88年1月にプエルトリコ遠征。スーパー・ブラック・ニンジャとして活躍。インベーダ−1号(ホセ・ゴンザレス)を破り、第7代WWC・TV王座に就く。5月、ミゲル・ペレスを破り、WWCプエルトリコ王座に就く。8月、ダラスのWCCWに入り、スーパー・ブラック・ニンジャとして活躍。 89年1月よりWCWでグレート・ムタに変身して活躍。9月にスティングを破り、NWA世界TV王座を獲得。 90年4月、凱旋マッチで蝶野と組みIWGPタッグ王座に就く。90年度のプロレス大賞で蝶野と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 91年4月30日、両国国技館大会でスコット・ノートンと対戦。ムーンサルトプレスをカウント2で返され、卍固めを狙うがはねのけられ、バックドロップから2発目のムーンサルトプレスを放つがよけられてしまい、9分4秒、パワースラムに敗れた。8月、第1回G1クライマックスに出場。8月7日、愛知県体育館大会でノートンと対戦。14分59秒、パワースラムに敗れた。8月9日、両国国技館大会で藤波と対戦。13分56秒、首固めでフォール勝ち。8月10日、両国国技館大会でベイダーと対戦。13分54秒、パワースラムを片エビ固めに切り返してフォール勝ち。2勝1敗でリーグ戦を突破。8月11日、両国国技館大会での優勝決定戦で蝶野と対戦。ムーンサルトプレスを両膝を立てて防がれ、29分3秒、パワーボムに敗れた。11月、馳浩と組んでスコット・ノートン、リック・スタイナー組を破り、IWGPタッグ王座に就く。 92年8月、ムタとしてIWGPヘビー級、グレーテスト18クラブ両王座を制す。 93年1月、東京ドームでIWGP王者として、NWA王者・蝶野正洋とのダブルタイトルマッチを制し、グレート・ムタとして第76代NWA世界ヘビー級王座を獲得。10月8日から始まったSGタッグリーグ戦に馳浩と組んで参戦し、優勝。 94年10月9日から始まったSGタッグリーグ戦に馳浩と組んで参戦し、優勝。11月、馳浩と組んでホーク・ウォリアーパワー・ウォリアー組を破り、IWGPタッグ王座に就く。 95年5月、橋本真也を破り、IWGPヘビー級王座を獲得。8月、G1クライマックス初優勝。10月、東京ドームでのUWFインターとの対抗戦で、高田延彦に勝利。12月16日、CWAのドイツ・ブレーメン大会に遠征。ジム・ナイドハートと対戦し、23分38秒、フランケンシュタイナーで勝利。95年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。 96年3月、主演映画「ドラゴンブルー」公開。 97年5月にNWOに入り。10月、蝶野正洋と組んで佐々木山崎組を破り、IWGPタッグ王座に就く。11月18日からはじまったSGタッグリーグ戦に蝶野と組んで参戦し、優勝。 98年1月4日、東京ドーム大会のメインで佐々木健介のIWGP王座に挑戦。25分18秒、ノーザンライトボムに敗れた。11月16日からはじまったSGタッグリーグ戦に小島と組んで参戦し、優勝。 99年1月4日、東京ドーム大会のメインでスコット・ノートンのIWGP王座に挑戦。19分1秒、足4の字固めで勝利。IWGPヘビー級王座を獲得。5月3日、福岡国際センター大会で天龍を相手に防衛戦。25分37秒、ムーンサルトプレスで勝利。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。9月10日からはじまったG1タッグリーグ戦にスコット・ノートンと組んで参戦し、優勝。IWGP王座は密度の濃い試合内容で5度の防衛に成功。12月10日、大阪府立体育会館大会で天龍を相手に防衛戦。26分32秒、ノーザンライトボムに敗れて王座転落。99年度のプロレス大賞でMVPに輝く。 00年1月4日、東京ドーム大会で蝶野と対戦。25分、クロス式STFに敗れた。3月にムタとしてWCWと1年契約を結び新日マットから姿を消す。7月よりWCWマットに参戦し、8月にはバンピーロと組んでブライアン・アダムスブライアン・クラーク組を破り、WCW世界タッグ王座を獲得した。帰国後、12月31日、大阪ドームでの「INOKI BOM―BA―YE」に出場。スキンヘッドでリングに登場して観客を驚かせた。高田と組んでケン・シャムロックドン・フライ組と対戦。24分14秒、高田がバックドロップでフライに勝利。 01年2月にはドン・フライ、太陽ケア新崎人生らと超党派ユニット「BATT」を結成した。3月に馳浩もBATTに加入した。4月に川田とのシングル初対決に勝利。6月6日、日本武道館大会で馳と対戦。39分8秒、シャイニング・ウィザードで勝利。6月8日、天龍を破り三冠ヘビー級王者に君臨。8月のG1では準優勝の成績を残した。10月22日、全日本プロレスでの世界タッグ戦で天龍、安生組に勝利し5冠王となる。10月27日、全日本プロレス29周年記念興行のメインで、蝶野を相手に三冠王座の防衛戦。22分52秒、フランケンシュタイナーで勝利し防衛に成功。10月28日、福岡で太陽ケアと組み藤波、西村組からIWGPタッグベルトを獲り、6冠王。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では太陽ケアと組んで優勝。向かうところ敵なしの怒涛の勢いで01年度のプロレス大賞MVPに輝く。 02年1月31日、新日本プロレスを離脱。全日本プロレスに移籍。「武藤敬司、骨の髄までしゃぶってください」と入団記者会見で述べた。本人は「この会社に骨を埋める」というようなことを言いたかったらしい。 04年7月10日、ノアの東京ドーム大会で太陽ケアと組んで三沢光晴小川良成組のGHCタッグ王座に挑戦。21分46秒、三沢の変型エメラルドフロウジョンにケアが敗れた。 05年8月4日、両国国技館での「WRESTLE−1」のメインイベントでグレート・ムタとしてと対戦。シャイニングウィザード3発から10分8秒、最後はムーンサルトプレスで勝利した。05年度のプロレス大賞で曙と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 07年3月、後楽園ホール5連戦となったチャンピオンカーニバルでは佐々木健介に敗れたが、大鷲透、諏訪魔、太陽ケアに勝利し決勝進出。3月30日の決勝では川田と対戦。ムーンサルトプレスで勝利して優勝した。7月1日、横浜文化体育館大会で三冠王者の鈴木みのるに挑戦。序盤のグラウンドの攻防は、一進一退の展開。計7回のドラゴンスクリュー、2回の足4の字固め、低空ドロップキック、10回のシャイニングウィザード、ムーンサルトプレスで王者を追いこんだがカウントは奪えず。26分54秒、ヒールホールドに敗れた。11月、最強タッグ決定リーグ戦にTNAの若手であるジョー・ドーリングと組んで出場。リーグ戦を1位で終了。12月9日、優勝決定戦で小島、諏訪魔組と対戦。ムーンサルトプレスで勝利して優勝。 08年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会でムタとして出場。後藤洋央紀と対戦。13分54秒、毒霧、シャイニングウィザード2連発からのムーンサルトプレスで圧勝。4月にチャンピオンカーニバルに参戦。5日の初戦で太陽ケアと対戦。ケアの両足をトップロープに持ちあげ、宙づりの状態から首をめがけてドラゴンスクリュー。最後は16分4秒、シャイニングウィザードで勝利。「オレの脳が発信するインスピレーションが、手足に伝達すればだれにも負けない。想定内だ」と試合後に語った。6日の第2戦で小島と対戦。17分36秒、腕ひしぎ逆十字固めでレフリーストップ勝ち。4月7日、棚橋弘至と対戦。30分時間切れ引き分け。4月9日、川田と対戦。10分32秒、顔面へのローキックに敗れ、リーグ戦敗退。チャンピオンカーニバル2連覇はならなかった。4月27日、新日本プロレスの大阪府立体育会館大会でIWGP王者の中邑真輔に挑戦。8年4カ月ぶりのIWGP王座戦となった。6000人の大観衆を味方につけ独自の世界を展開。シャイニング・ウィザード3連発はカウント2。シャイニング・ウィザードは三角絞めで返されるが、そのままパワーボム。最後は22分34秒、シャイニング・ウィザードからのムーンサルトプレスで勝利。IWGP王座を獲得し、観客から大歓声で祝福された。7月21日、月寒アルファコートドーム大会で中西学を相手にIWGP王座の防衛戦。23分50秒、シャイニングウィザード3連発からのムーンサルトプレスで勝利して防衛に成功。試合後は「今日の武藤より、明日の武藤の方が衰える。いい武藤と試合をしたかったら、どんどん名のりでてほしい」と語った。8月31日、全日本プロレス両国国技館大会で後藤洋央紀を相手に防衛戦。相手の技を受けきった横綱相撲を見せ、最後は21分13秒、ムーンサルトプレスで勝利し防衛に成功。9月21日、新日本プロレスの神戸ワールド記念ホール大会で真壁を相手に防衛戦。真壁率いるGBHの乱入で額から流血するほど苦戦したが、チェーンを足に巻きつけてのシャイニングウィザードを決めて、最後は19分16秒、ムーンサルトプレスで勝利して防衛に成功。9月28日、横浜文化体育館大会でムタとして三冠王者の諏訪魔に挑戦。ムーンサルトプレスで勝利して三冠王座を獲得。IWGP王座と合わせて4冠王者となった。10月13日、新日本プロレスの両国国技館大会で中邑を相手にIWGP王座の防衛戦。ムーンサルトプレスはカウント2で返されたが、21分39秒、フランケンシュタイナーで勝利して防衛に成功。ムタとして三冠王座、武藤としてIWGP王座を守りきり、08年度プロレス大賞のMVPを獲得した。 09年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会のメインで棚橋を相手にIWGP王座の防衛戦。ムーンサルトプレスをかわされ、30分22秒、ハイフライフロー2連発に敗れて王座転落。3月14日、両国国技館大会で高山善廣を相手にムタとして三冠王座の防衛戦。13分42秒、ニーリフトからのエベレストジャーマンに敗れて王座転落。4月からチャンピオンカーニバルに参戦。三冠王者の高山に勝利するなど活躍し、リーグ戦を1位で通過。4月12日、JCBホール大会での準決勝で鈴木みのると対戦。15分13秒、ゴッチ式パイルドライバーに敗れた。8月30日、両国国技館でデビュー25周年記念試合を開催し、この試合でプロレス復帰した船木誠勝と組んで蝶野、鈴木みのる組と対戦。21分19秒、武藤がムーンサルトプレスでみのるに勝利。11月20日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦では船木と組んで参戦。順調に勝ち星を重ね、12月6日、岐阜産業会館大会での優勝決定戦で諏訪魔、河野組と対戦。26分13秒、武藤がフランケンシュタイナーで河野にフォール勝ちして優勝。 10年1月3日、後楽園ホール大会で船木と組んで太陽ケア、鈴木みのる組の世界タッグ王座に挑戦。26分50秒、船木がクロス・ヒールホールドでケアに勝利して世界タッグ王座を獲得。3月6日、さいたまスーパーアリーナでのゲーム会社コーエー主催のイベント「戦国武将祭」で武田信玄に扮してKAI(真田幸村)と組んで小島(上杉謙信)、カズ・ハヤシ(直江兼続)組と対戦。武藤がシャイニング・ウイザードでカズに勝利した。7日の大会2日目では小島と組んでTAKAみちのく(豊臣秀吉)、新崎人生(柴田勝家)組と対戦。小島がラリアットでTAKAに勝利した。この試合後、悪化していた右ヒザの手術のため長期欠場。4度目の右ヒザ手術となった。8月29日、両国国技館大会でムタとして復帰。KENSOと対戦し、10分30秒、ダブルニードロップに敗れた。9月10日、後楽園ホール大会で船木と対戦。30分時間切れ引き分け。9月20日、後楽園ホール大会でKAIと対戦し、18分29秒、シャイニングウィザードで勝利。同日、ジュニア王座の防衛新記録を作ったカズ・ハヤシの試合後にリング上に登場し、世界ジュニア王座への挑戦を表明。ジュニアヘビー級の体重に向けて減量を実行。10月12日、新南陽体育館大会でレフリーデビュー。10月23日、前日計量で103キロとなり、減量成功。10月24日、横浜文化体育館大会でカズ・ハヤシの世界ジュニア王座に挑戦。ムーンサルトプレスをカウント2で返され、直後にシャイニングウィザードを狙ったが、23分11秒、巻き投げ固めに丸めこまれてフォール負け。11月5日、台北・国立台湾大学総合体育館大会で蝶野と組んでTARUレネ・デュプリ組と対戦し、14分5秒、この試合で復帰戦となった蝶野がシャイニングケンカキックでTARUに勝利。 11年1月2日、後楽園ホール大会のヘビー級バトルロイヤルに優勝。1月3日、後楽園ホール大会のジュニアヘビー級バトルロイヤルに優勝。3月21日、両国国技館大会を開催。3月11日に東北地方太平洋沖地震が起きたわずか10日後、多くのプロレス大会が自粛する中での強行開催となり、場内の空調の設定温度を下げ、リングを非常用電源車からの投光器で照らすなど、節電に配慮をしての大会となった。この大会で、デビュー2戦目となる橋本大地と対戦。10分18秒、ムーンサルトプレスで勝利した。試合後のバックステージでは新日本プロレス、ノアと連携してのチャリティ大会の意向を表明。8月27日、日本武道館での全日本、新日本、ノアの合同チャリティ興業「ALL TOGETHER」に出場し、小橋建太と組んで飯塚矢野組と対戦。終盤に武藤がシャイニングウィザードを飯塚に決めてムーンサルトプレス。14分58秒、直後に小橋もムーンサルトプレスを決めて勝利した。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。11月19日、後楽園ホール大会で近藤修司と対戦。14分27秒、シャイニングウィザードで勝利。 12年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で内藤哲也と対戦。ドラゴンスクリュー、足4の字固め、シャイニングウィザードを連発して独自の世界観で内藤を圧倒し、最後は22分35秒、ムーンサルトプレスで完勝。2月19日、仙台サンプラザホールでの「ALL TOGETHER」第2回大会で小橋と組んで秋山大森組と対戦。20分20秒、武藤がムーンサルトプレスで秋山に勝利。3月18日、ノアの横浜文化体育館大会に登場し、潮崎豪と組んで秋山、齋藤組のGHCタッグ王座に挑戦。「ALL TOGETHER」で足を負傷して小橋が欠場したための代役出場だった。ほとんどリングに登場することはなかったが、雪崩式フランケンシュタイナーやフラッシングエルボー、ドラゴンスクリューなどを見せた。秋山にシャイニングウィザードを決めて潮崎がムーンサルトプレスを決めたが齋藤のカットのためカウント2。最後は30分4秒、秋山のスターネスダストに潮崎が敗れた。3月20日、両国国技館大会のメインで秋山の三冠王座に挑戦。必殺のムーンサルトプレスを決めたが直後にフロントネックロックで動きを止められ、試合が進むにつれて膝の痛みから徐々に動きが鈍くなって大苦戦。終盤に鮮やかなフランケンシュタイナーを決めたがカウント2で返され、最後は18分21秒、スターネスダストにフォール負け。7月1日、両国国技館での新日本プロレスと全日本プロレスの創立40周年記念大会で天山、小島と組んで飯塚、矢野、石井組と対戦。12分9秒、小島がラリアット、天山がダイビングヘッドバット、武藤がムーンサルトプレスを決めて石井に勝利。9月23日、横浜文化体育館大会でケビン・ナッシュと組んで真田、太陽ケア組と対戦。15分30秒、武藤のシャイニングウィザードからナッシュがジャックナイフ・パワーボムを決めて真田に勝利。 13年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で大谷と組んで小島、天山組と対戦。15分36秒、天山のムーンサルトプレスに大谷が敗れた。1月26日、大田区総合体育館大会でリック・フレアーと組んで藤波、真田組と対戦する予定だったが、リック・フレアーが直前で欠場を発表。代役として息子のリード・フレアーが出場した。15分31秒、真田のTHIS IS ITにフレアーが敗れた。3月17日、両国国技館大会でドン・フライと組んで高山、河野組と対戦。9分57秒、武藤がフランケンシュタイナーで河野に勝利。5月11日、ノアの日本武道館大会のメインで小橋の引退試合に出場。小橋、佐々木健介、秋山と組んでKENTA金丸、潮崎、マイバッハ谷口組と対戦。17,000人の超満員の大観衆を前に、39分59秒、小橋がムーンサルトプレスで金丸に勝利。5月31日、オーナーとの対立の結果、取締役会長を辞任。以後、試合に出場しなくなった。6月30日の両国国技館大会を最後に、オーナーと対立していた武藤派が全日本プロレスを離脱。その後、自らが社長となりW−1(WRESTLE−1)を旗揚げ。9月8日、東京ドームシティホールでのW−1旗揚げ戦を開催。メインでボブ・サップと組んでレネ・デュプリ、ゾディアック組と対戦。10分20秒、武藤がムーンサルトプレスでデュプリに勝利。 14年3月2日、W−1として初の両国国技館大会を開催。太陽ケア、ロブ・テリーと組んでサモア・ジョー、デュプリ、河野組と対戦。13分34秒、武藤がシャイニングウィザードでデュプリに勝利。11月1日、両国国技館でデビュー30周年記念大会を開催。メインで河野のW−1王座に挑戦。18分20秒、ムーンサルトプレス、シャイニングウィザード、低空ドロップキック、逆回転ドラゴンスクリュー、ドラゴンスクリューからの足4の字固めで勝利。W−1王座を獲得した。12月22日、後楽園ホール大会のメインで真田を相手に防衛戦。21分24秒、ドラゴンスクリューからの足4の字固めで勝利。 15年1月30日、後楽園ホール大会のメインで征矢学を相手に防衛戦。19分31秒、ドラゴンスクリューからの足4の字固めで勝利。3月8日、後楽園ホール大会のメインでKAIを相手に防衛戦。19分13秒、スプラッシュプランチャ3連発に敗れて王座転落。6月18日、後楽園ホール大会で黒潮と対戦。相手への大声援に圧倒されつつも、13分29秒、シャイニングウィザードからのムーンサルトプレスで勝利。 17年2月8日、後楽園ホールでプロデュース興行「プロレスリング・マスターズ」を開催。メインで長州、藤波、ライガーと組んで平成維震軍の越中、カブキAKIRA、齋藤、セコンドの青柳政司組と対戦。15分23秒、武藤がムーンサルトプレスでAKIRAに勝利。4月、W−1の会長に就任。10月27日、ドラディションの後楽園ホール大会でマスカラス、藤波と組んでKAZMA、人生、カブキ組と対戦。12分40秒、マスカラスがフライングボディアタックでKAZMAに勝利。 18年2月19日、都内のW−1事務所で会見し、両膝に人工関節を入れる手術を3月末に行うことを発表した。「必ず(リングに)帰って試合をするつもりなんですが、一つ(復帰する)条件がある。やったらだめな技に一つあるのが、ムーンサルトプレス。復帰してもムーンサルトはできません。なので3月14日には、おれのプロレス生活最後のムーンサルトを披露したいと思ってます」と語った。3月14日、後楽園ホール大会でSUSHI宮本和志と組んで河野、大和中之上、KAI組と対戦。19分8秒、武藤がムーンサルトプレスでに勝利。3月25日、DDTの両国国技館大会でムタとして出場し、佐々木大輔、遠藤哲哉と組んで男色ディーノ石井慧介、大家健組と対戦。20分9秒、ムタがムーンサルトプレスで石井に勝利。この試合後、長期欠場。3月30日、都内の病院で両膝を人工関節にする手術を3時間行なった。8月21日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで馳、太陽ケア、人生、大谷組のセコンドについて越中、AKIRA、青柳、齋藤彰俊組と対戦。 21分9秒、武藤がシャイニングウィザードをAKIRAに決めて、馳がノーザンライトスープレックスでAKIRAに勝利。 19年4月6日、HOGのニューヨーク・NYCアリーナ大会でムタとして復帰。TAJIRI、ペンタゴン・ジュニアと組んでロウ・キー、LAX(サンタナ、オルティス)組と対戦し、勝利。同日、ニューヨーク州のマディソン・スクエア・ガーデンでのROHと新日本プロレスの合同大会で30人参加の時間差バトルロイヤルにムタとして出場した。6月26日、後楽園ホールでの長州力の引退興行で武藤として復帰。藤波、真壁と組んで長州、越中、石井智宏組と対戦。石井へフラッシングエルボー、ドラゴンスクリューからの足4の字固めを決め、長州にはシャイニングウィザードを決めるなど、華麗な動きで復活を超満員のファンにアピールした。17分29秒、真壁がダイビング・ニードロップ4連発で長州に勝利した。

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