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地元メキシコでは映画にも多数出演している英雄的存在。「千の顔を持つ男」と呼ばれ、毎試合変わるマスクと逆三角形のボディ、華麗な空中殺法で一世を風靡した。学生時代からアマレスとボディビルに熱中。アマレスではメキシコ代表として東京オリンピックの候補になった。ボディビルでは62年にミスター・メキシコに輝く。「ルチャ・リブレ」誌のバレンテ・ペレス編集長のスカウトでプロレス入りを決意。名伯楽ディアブロ・ベラスコの指導を10ヶ月受ける。64年4月にグアダハラで仮デビューを行う。65年7月、大キャンペーンの後、メキシコのアレナ・メヒコでデビュー。67年6月にナショナルライトヘビー級王座を獲得。68年5月にアメリカのロサンゼルス地区に進出。キラー・バディ・オースチンを倒してロスのアメリカス王座を獲得。71年2月、日本プロレスに初来日。75年ジョージアで初代IWA世界ヘビー級王座を獲得。76年にグアテマラの国際トーナメントで優勝し、ALLLヘビー級王座を獲得。77年2月の来日からテーマ曲「スカイハイ」が大ヒットし、日本プロレス界にテーマ曲の使用を浸透させた。77年8月25日、田園コロシアム大会でジャンボ鶴田のUN王座に3本勝負で挑戦。人気絶頂のマスカラスは鶴田に対しても互角の勝負を演じた。1本目は22分48秒、マスカラスが変形波乗り固めで勝利。2本目はジャイアント・スイングから、コーナートップでのミサイルキックで7分46秒で鶴田の勝利。3本目はボディスラムからフライング・クロス・アタックを決めたマスカラスが、ドロップ・キックで鶴田を場外に落とす。マスカラスはコーナートップからダイビングボディアタックを決めたが不完全な当たりとなり場外でダウン。右足をパイプの部分に挟まれてリングに戻れないまま3分20秒に鶴田のリングアウト勝利に終わり、ベルト奪取に失敗した。真夏の野外の雨あがりに行われ、さわやかに終わったこの試合は、その年のプロレス大賞ベストバウトを受賞した。弟ドス・カラスとのタッグでも活躍し、81年、82年と2年連続で全日本プロレスのPWF杯争奪タッグリーグ戦で優勝。兄のパブロもシコデリコとしてメキシコで活躍した。91年12月10日、W★INGが主催した後楽園ホールでの「SKY HIGH AGAIN」に来日し、ジ・アイスマンと組んでポーゴ、ミゲル・ペレス・ジュニア組と対戦。試合はアイスマンが流血したものの、5年半ぶりに来日したマスカラス独特の動きが爆発。14分44秒、マスカラスのフライングボディアタックでペレスにフォール勝ち。96年10月10日、みちのくプロレス両国国技館大会でサスケ、初代タイガーマスクと組んで小林邦昭、ダイナマイト・キッド、ドス・カラス組と対戦。日本で初の兄弟対決となったこの試合で、ドス・カラスにクロスチョップを決めるなど活躍したが、15分30秒、ドス・カラスのライガーボムにサスケがフォール負け。01年1月28日、全日本プロレスの東京ドーム大会に出場。15年ぶりの全日本プロレス登場となった。02年7月17日、ドスと共に全日本プロレスの大阪府立体育館大会に来日。83年の最強タッグリーグ戦以来、18年半ぶりに兄弟そろっての来日となった。ブッチャー、安生組と対戦。合体フライングチョップを披露するなど好勝負を展開。ドスが場外のブッチャーにトペを決め、8分20秒、マスカラスのダイビングボディアタックで安生に勝利。04年1月4日、さいたまスーパーアリーナでのハッスル1に出場。ドス・カラス、シコ・デリコJrと組んでトム・ハワード、スティーブ・コリノ、ダスティ・ローデス組と対戦。13分10秒、フライングボディアタックをコリノに浴びせて勝利した。05年8月4日、両国国技館でのビッグマウス主催のWRESTLE−1GP2005 開幕戦に来日。第1試合でテリー・ファンクと組んで本間朋晃、中嶋勝彦組と対戦。10分49秒、フライングボディーアタックを中嶋に浴びせて勝利した。06年6月23日、後楽園ホールでのウルティモ・ドラゴン自主興行に来日。ウルティモ・ドラゴン、NOKI−Aと組んで、グラン浜田、浜田文子、TAJIRI組と対戦。試合後、トップロープからTAJIRIにフライングボディアタックを披露した。9月16日、大阪プロレスのIMPホール大会に来日。ライガー、デルフィンと組んで、ビリーケン・キッド、秀吉、政宗組と対戦。12分56秒、マスカラスのダイビングボディアタックが政宗に決まり勝利した。09年3月29日、新木場1stRINGでの「仮面貴族FIESTA2009」に来日。初代タイガーマスクと組んで藤波辰爾、グラン浜田組と対戦。67歳とは思えぬ動きを見せ、7分18秒 フライングボディアタックで浜田にフォール勝ち。
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