レスラーノート

ミツ・ヒライ

本名:平井光明
1943年2月15日
兵庫県神戸市出身
178cm 100kg

タイトル歴
南部タッグ
NWA世界タッグ

58年、中学を卒業後、日本プロレスに入門。力道山の付き人を務める。59年にデビュー。63年8月、平井光明から平井新吾に改名。64年9月にアメリカ遠征。トージョー・ヤマモトと組んでテネシー地区の南部タッグ王座を獲得。NWA世界タッグ王座も獲得した。65年8月に帰国。69年にシンガポールに遠征。フジ・シンタロー(富士幸太郎)のリングネームで活躍。日本プロレス崩壊後は全日本プロレスに入団。78年8月27日、神戸駅南広場特設リング大会で引退興行。引退後は神戸の三宮でスナックを経営。スナック店内には力道山コーナーを設けて力道山愛用のガウン、トロフィー、パネルを飾っていた。95年1月に阪神大震災にあって店のビルが壊されたために閉店。息子の平井伸和もレスラーになった。03年10月28日、心不全で死去。



スクラップブック
自分が日プロに入った当時、平井さんは合宿所の寮長でね。みんなをまとめていたんですよね。よく上の者が竹刀で殴るとかって言われるけど、平井さんはそういうのは一切なかった。試合も見てくれていて、試合が終わると、いろんな注意をしてもらいました。コーチですね。
(週刊プロレスNO1428 ザ・グレート・カブキのインタビューより)


天龍 ヒライさんは、ガイジンの控室に入り浸っていましたよね。全日本に入った頃、僕のことを相撲から転向してナンバー2だか3だかのポジションを預かったというのは認識していたと思うんで、たまにこっちの控室に来ると「こいつが天龍か」みたいな感じで見ていましたよ。話をすると、「プロレスラーはそんなもんじゃないんだよ」という気骨を感じさせながら、プロレスというものを語ってくれましたよ。リングに上がると、そんなに大きくない身体なんだけど、先輩の意地とかテクニックというものをそれとなく見せながら、若い選手に体感させてましたよね。たぶん、みんなが煙たがった人だったと思いますよ。僕の中では自分を持っている人、凛としていて「そうはいかないよ」という気持ちを持っている人という印象ですね。
小鹿 あの人は、力道山先生の鞄持ちだったんだよ。合宿所の経理番というか寮長もやっていて、先生も信用していたと思う。高千穂は、ヒライさんに可愛がってもらってたでしょ?日プロ時代、よく飯食いに連れて行ってもらっていたよな。
カブキ 俺が若い時に一番試合を教えてもらった人ですよ。ヒライさんは巧かったですよね。日プロの若手のブッキングは、全部ヒライさんがやってたから。平井さんが合格点を出さなければ、若手はデビューできなかったもん。
天龍 派手じゃなかったけど、基本に忠実にピシッピシッと試合をしていましたよね。
(Gスピリッツ Vol.33 天龍、カブキ、小鹿のインタビューより)