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ミスター・ヒト

本名:安達勝治
1942年4月25日
大阪府大阪市天王寺区出身
183cm 112kg
タイトル歴:フロリダタッグ 北米ヘビー(カルガリー地区) NWA世界タッグ(セントラルステーツ版) NWAアメリカンタッグ
得意技:ドロップキック ヘッドバット

60年に大相撲の出羽ノ海部屋に入門。5月場所で初土俵。浪速海の四股名で67年1月場所まで在籍し、最高位は幕下17枚目。67年春に日本プロレスに入門。6月8日、八戸市体育館の林牛之助戦でデビュー。73年1月、永源と共にアメリカ遠征。3月にカンサス州で永源と組んでNWA世界タッグ王座(セントラルステーツ版)を獲得。76、78年に西ドイツのハノーバー・トーナメントで2位。79年8月、フロリダ州でミスター・サクラダと組みフロリダタッグ王座を獲得。 80年からミスター・サクラダと共にテキサス地区で活躍。1月11日、ヒューストンでサクラダと組んでNWAアメリカンタッグ王座を獲得。3月14日、タイガー・コンウェイ・ジュニア、ホセ・ロザリオ組に敗れて王座転落。6月23日、コンウェイ・ジュニア、ロザリオ組を破りNWAアメリカンタッグ王座を奪回。6月24日、テキサス州アマリロでのケビン・フォン・エリックケリー・フォン・エリック組との防衛戦後、王座預かり。7月1日、アマリロでのケビン、ケリー組との再戦で勝利してアメリカンタッグ王座を獲得。8月1日、エル・ハルコン、ケビン・フォン・エリック組に敗れてタッグ王座から転落した。 81年9月18日、カナダ・カルガリーでデビット・シュルツを破り北米ヘビー級王座を獲得。以後、カルガリーに住み、スチュ・ハートのもとで「スタンピード・レスリング」のブッカーとして活躍。トレーナーとして、カルガリーに遠征に来た新日本プロレスの若手やブレット・ハートクリス・ベンワーらを育てた。 83年に引退。帰国後は大阪天王寺に戻り、姉の店「ゆき」を受けつぎ、お好み焼き屋を経営。ブレット・ハートも店に来たことがある。SWS旗揚げ時にはレフリーとしてカムバック。大日本プロレスのリングにも立っている。作家の中島らもとの対談集に「クマと闘ったヒト」がある。05年にカナダに移住。 06年8月27日に馳浩の引退試合に来場。引退セレモニーでミスター・ヒトに会えた馳は涙を見せた。試合後に馳は「安達さん、死んだと思ったのに、出てくるんだもん(笑)。嬉しくてねぇ。ちょうど来月、カナダに出張に行くんですよ。世界アンチドーピング会議っていうやつに、日本代表としてね。その時カルガリーに寄って、オーエンの墓参りをして、『安達さん、元気にやってましたよ』と教えなきゃいけないと思ってたから、まさか今日、本人が来てくれてるとはね。また明日から安達さんとドライブして、カルガリーの町を走りたくなっちゃったね」と語った。09年末に糖尿病が悪化して入院。10年4月21日、大阪市内の病院で糖尿病による左化膿性股関節炎のため死去。

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