90年にWCWでチーム「マスター・ブラスターズ」のブレイドの名で活躍。パートナーはスティール(ケビン・ナッシュ)。91年にチームを解散。92年3月にマスター・ブラスターの名で全日本プロレスに初来日し、チャンピオンカーニバルに参戦。3月22日の後楽園ホール大会では三沢光晴に1分26秒でフェイスロックに敗れるなど、精彩を欠いたファイト内容だった。リーグ戦は0勝8敗1不戦勝に終わった。93年にはWCWでフューリー(ターミネーター)と「レッキング・クルー」を結成し、レイジに改名。94年7月24日、オーストリアでCWA世界タッグ王座を獲得した。95年の2月と6月にフューリーと共に全日本プロレスに登場。13年6月14日、死去。
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