レスラーノート

ウィリアム・リーガル

WILLIAM REGAL
本名:ダーレン・マシュー
1968年(65年説あり)5月10日
イギリス・ブラックプール出身
195cm 115kg

通称
悪の英国紳士
タイトル歴
WWFインターコンチネンタル
WCWTV王座
WWFヨーロピアン王座
世界タッグ(WWE・RAW)
得意技
ロイヤル・ストレッチ(別名リーガル・ストレッチ。リバースインディアンデスロックとコブラツイストの複合関節技)
リーガルカッター(腕巻き式ネックブリーカー)
神の手(The Power Of The Punch 指金具をつけて相手を殴る)
ハーフネルソン・スープレックス

英国紳士を売り物にするレスラー。祖父はアイアン・デュークの名でプロレスラーとして活躍。ボビー・バロンやマーティ・ジョーンズのコーチを受けてキャッチ・アズ・キャッチ・キャンスタイルを身につけて83年(84年説あり)にイギリスでデビュー。91年にWWFのトライアウトを受けるが不合格になり帰国。91年のWCWイギリス大会に出場し、WCWの首脳陣の目に留まる。93年2月にWCWに登場。ロード・スティーブン・リーガルの名で、イヤミな英国貴族として活躍。9月、リッキー・スティムボードを破りWCWTV王座を獲得。94年6月に新日本プロレスに初来日。ランカシャー・スタイルのレスリングで好評を得る。8月、アメリカで、アントニオ猪木がWCWに初登場した時の対戦相手にも抜擢される。95年4月16日、新日本プロレスの広島サンプラザ大会で橋本真也のIWGPヘビー級王座に挑戦。19分3秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。96年9月19日、新日本プロレスの岡山県体育館大会での日米対抗スーパースターズ・トーナメント1回戦で小島聡と対戦。13分5秒、ロイヤルストレッチで勝利。9月21日、後楽園ホール大会での2回戦で橋本真也と対戦。垂直落下式DDTをカウント2で返したが、16分16秒、DDTに敗れた。10月5日、CWAのハノーバー大会でトニー・セントクレアーと対戦。自らのWCW・TV王座とセントクレアーのコモンウェルス王座をかけてのダブルタイトルマッチ。8R、両者リングアウトに終わった。98年6月WWFに登場。マンズマンという林業労働者風のスタイルになる。99年7月にWCWに戻る。

2000〜

00年10月にウィリアム・リーガルに改名し、WWFに登場。英国親善大使として売り出す。移籍早々ヨーロピアン王座を獲得。 01年3月には「コミッショナー」に就任。TAJIRIをお茶くみボーイにコミッショナールームで不人気ぶりを獲得。 02年1月20日、PPV「ロイヤルランブル」でエッジの王座に挑戦。9分45秒、凶器パンチで勝利。インターコンチネンタル王座を獲得した。2月17日、PPV「ノー・ウェイ・アウト」でエッジを相手にブラスナックルマッチ(コーナーに設置されたポールにぶら下がったブラスナックルを使用可能)で防衛戦。10分36秒、ブラスナックルを手にしたエッジが殴りかかろうとした瞬間に隠していたブラスナックルで殴って勝利。3月1日、横浜アリーナでのスマックダウンの日本公演でエッジを相手に防衛戦。14分41秒、ダイビング・ボディアタックをエビ固めに切り返してフォール勝ち。3月17日、PPV「レッスルマニア」でRVDを相手に防衛戦。6分20秒、ファイブスター・フロッグスプラッシュに敗れて王座転落。 03年1月6日、ランス・ストームと組んで世界タッグ王座を獲得。1月23日、ソウル市蚕室室内体育館大会で行われたWWEの韓国公演でブッカーT、ゴールダスト組を相手にタッグ王座の防衛戦。12分14秒、ストームがベルトで殴ってブッカーTにフォール勝ち。1月24日、国立競技場代々木第一体育館でのWWEの日本公演に来日し、ストームと組んでザ・ハリケーン、スパイク・ダッドリー組を相手に世界タッグ王座の防衛戦。10分23秒、ストームのスーパーキックでハリケーンにフォール勝ち。25日の大会ではストームと組んでダッドリーボーイズと対戦。18分16秒、ストームのスーパーキックでババにフォール勝ち。同年に心臓病(ウイルス性の病気とも言われていた)のために長期欠場。 04年に復帰し、ユージンと組んで世界タッグ王座を獲得した。 05年2月4日、さいたまスーパーアリーナでのWWEの来日公演で、TAJIRIと組んで世界タッグ王者のラ・レジスタンス(シルバン・グルニエ、ロブ・コンウェイ)に挑戦。4分35秒、TAJIRIのバズソーキックで勝利して世界タッグ王座を獲得。試合後にTAJIRIと共に観客席になだれこみ、喜びを爆発させた。 07年8月6日、20人バトルロイヤルに勝利してWWE・ローの「ゼネラル・マネジャー」に就任。 08年2月11日、WWEの日本公演に来日し、有明コロシアムでウマガと組んでHHHショーン・マイケルズのDXと対戦。19分50秒、HHHのペディグリーにリーガルがフォール負け。2月12日の日本武道館大会ではリック・フレアーと対戦。9分11秒、足4の字固めに敗れた。その後もゼネラル・マネジャーとしての権限を発揮し、ヒールとして活躍。4月21日、ワンナイト・トーナメント「キング・オブ・ザ・リング」に出場。1回戦でホーンスワグルにリーガル・ストレッチで勝利。2回戦でフィンレーと対戦し、前の試合で痛めたフィンレーのヒザを集中攻撃してリーガル・ストレッチでTKO勝利。決勝戦でCMパンク と対戦。グラウンドの展開で優位に立ち、リーガル・ストレッチで勝利。「キング」の称号を手に入れた。4月28日の放送で戴冠式を行い、キングとなりながらもGM職も継続すると明言。そこにミスター・ケネディが現れて戴冠式を妨害し、2人が乱闘。その日のメインのHHH対ランディ・オートン戦の途中で編集室に入り、放送のストップを命じる。試合中に画像が暗転。「ファンが敬意を示さなかった」という理由で番組はそこで終了した。5月5日の放送ではビンス・マクマホンが前回のリーガルの行動に対し支持を表明。リーガルは、自分を非難したケネディとHHHに対し「HHH、ケネディ組対ECW所属全選手」の試合をマッチメイク。ケネディがチャボのフロッグスプラッシュに敗れた。5月19日放送のRAWでビンスからMr.ケネディとの敗者追放マッチを提示される。この試合でケネディのマイクチェックに敗れて追放が決定。この放送後、2度目のウェルネスポリシー違反のため、60日間の謹慎処分を受けた。7月28日のRAWで復帰。CMパンクと対戦し、go2sleepに敗れた。11月3日、インターコンチネンタル王座挑戦者決定バトルロイヤルに勝利。11月10日、イギリス・マンチェスター大会でサンティーノ・マレラに勝利してインターコンチネンタル王座を獲得した。 09年1月19日、CMパンクに敗れてインターコンチネンタル王座から転落。6月にECWに移籍。ECWではクリスチャンと抗争を展開。実生活では爬虫類の飼育を趣味としていた。8月23日、PPV「サマースラム」でクリスチャンのECW王座に挑戦。8秒、キルスイッチに敗れた。9月13日、PPV「ブレイキング・ポイント」でクリスチャンのECW王座に挑戦。キルスイッチに敗れた。 10年4月13日、NXTの放送でダニエル・ブライアンと対戦。ランニング・ニーリフトで勝利。 11年4月のドラフトでスマックダウンに移籍。5月10日、NXTの放送でジェイコブ・ノヴァックと対戦。リーガルストレッチで勝利。9月6日、NXTの放送でダレン・ヤングと対戦。ランニング・ニーリフトで勝利。12月1日、横浜アリーナでのRAWの日本公演でサンティノ・マレラと対戦。7分56秒、コブラに敗れた。 13年4月10日、NXTの放送でカシアス・オーノと対戦。ランニング・ニーリフトで勝利。12月25日、NXTの放送でアントニオ・セザーロと対戦。ニュートライザーに敗れた。 14年7月、WWE・NXTのゼネラルマネージャーに就任。 22年1月5日、WWEを離脱。3月6日、AEWのPPV「レボリューション」で、ブライアン・ダニエルソンジョン・モクスリー戦の試合後、乱闘する2人の前にサプライズ登場。2人を仲裁して握手させた。以後、ブライアン・ダニエルソンとジョン・モクスリーのチーム「ブラックプール・コンバット・クラブ」のマネージャーとして活躍。4月8日、AEWの放送でモクスリー相手に大善戦したウィーラー・ユウタがチームに加入した。11月19日、PPV「フルギア」でのモクスリーの防衛戦で、相手のMJFにメリケンサックを渡し、勝利をアシスト。12月7日、AEWの放送でブラックプール・コンバット・クラブからの離脱を表明。
スクラップブック
WWE公式サイトより(2013年12月)
トリプルH
ウィリアム・リーガルは、時代の流れに応じてスタイルを変えながらこの世界で成功を収めた人物だ。それは彼が強い情熱を持ってキャリアを送ってきたからだ。これまでの彼のキャリアを振り返ってみれば、それが分かるだろう。シリアスな試合をこなす一方で、ファンを笑わせる試合運びもできる。様々な役どころや、あらゆる試合をそつなくこなせたのは、あの強い情熱があったからこそだ。彼のように仕事をこなせる人間は決して多くはない。シリアスな面とコミカルな面の両方をこなせる人材は稀だ。NXTはCOOである自分の管轄であり、毎日気にかけている職場だ。リーガルはそのNXTにおいて大きな存在だ。彼には才能を見抜く驚くべき眼力がある。大抵の者は、若い才能の『見たまま』から評価しようとするものだが、リーガルはあらゆる面から才能を見いだそうとする、独特の視点を持っている。たとえ、その若手がリーガルのスタイルとはまったく正反対のスタイルを持ってるとしても、彼は才能を見逃さない。だからこそ、NXTにおける彼の存在は大きい。リーガルは穏やかで小さな声で話すから、彼からジョークらしいジョークを聞いたことがない。長い間、彼と一緒に遠征を共にしてきたが、時々繰り出される彼の英国流ユーモアに対して俺は「何だって?」と聞き返すしかないんだ。実際にオチが分かると、それがまたえらくサムくてね。ジョーク自体に笑えるんじゃなくて、サムいほどのネタを出す彼に笑ってしまうのさ。

ダニエル・ブライアン
俺がウィリアム・リーガルについて尊敬するところの1つは、彼が物腰の柔らかい紳士だというところだ。どこから見てもプロフェッショナル然としているんだ。彼は会場入りする時、スーツ姿でやって来るわけだけど、それが様になっているんだよね。そして物静かでありながらタフさを醸している。これみよがしに「俺はタフだぜ」と言わんばかりの態度で、いかにもいかつい見た目の服装で周囲を威圧しようとする人間がいるけれど、彼はその類の人間じゃない。タフな人間なんだけれど、決してそれを表に出さない。どこか別の時代からやって来た人間のように思えるよ。俺は18歳の頃にWWEに入って2001年に一度解雇されたけれど、リーガルはその後も俺を英国で試合に出してくれだんだ。2003年は半年間、2005年は4か月、2008年には3か月間、英国で仕事ができたけれど、それは全部、彼が取り計らってくれたからさ。インディ団体に上がっている間というのは、然るべき人物から助言を得るのは難しい。俺の場合、多くの大会でメインイベントに出場したけれど、その時にはいつも会場にいてくれたリーガルから助言をもらっていたんだ。俺が試合を見ていて欲しいと頼んだ時は、必ず見てくれて、そして前向きな批判をくれた。WWEに入ったばかりの頃でも、リーガルは何を得て何を捨てる必要があるか、そして何が重要な事かを教えてくれたのさ。