レスラーノート

ホンキー・トンクマン

HONKY TONK MAN
本名:ロイ・ウェイン・ファリス
1953年(55年説あり)1月25日
テネシー州メンフィス出身
187cm 118kg

タイトル歴
南部タッグ
WWFインターコンチネンタル
得意技
シェイク・ラット・アンド・ロール(スイングをつけてからのネックブリーカードロップ)

プレスリーのモノマネギミックで一世を風靡。大学卒業後に公立高校の非常勤講師として地理と歴史を教えていた。75年にテネシー地区でデビュー。デビュー当時はウェイン・ファリスの名で活躍。ラリー・レイザムとのブロンド・ボンバーズで活躍。79年、ラリー・レイザムと組んで南部タッグ王座を獲得。南部エリアをサーキットしていた。81年3月に全日本プロレスに初来日し、第9回チャンピオンカーニバルに出場。ブロディーに16秒で負けるなど最下位に終わったが、4月21日の燕市民体育館大会ではジャック・ブリスコを相手に30分時間切れ引き分けの大健闘を見せた。83年にカルガリー地区に入ると、プレスリー気どりのホンキー・トンクマンに変身。86年に旧友のハルク・ホーガンブルータス・ビーフケーキの紹介でWWFに進出。2人とは南部時代にサーキットした仲だった。87年3月のレッスルマニア3ではジェイク・ロバーツと対戦し勝利。6月にリッキー・スティムボートを破りインターコンチネンタル王座を獲得。88年8月29日にアルティメット・ウォリアーに敗れて王座を失った。94年にWCWに登場。97年にWWF復帰。WWF離脱後もインディ団体で活躍した。08年10月26日、WWEのPPV「サイバーサンデー」でロディー・パイパーゴールダストとの人気投票に勝利し、サンティーノ・マレラのインターコンチ王座に挑戦。開始早々にベス・フェニックスがトンクマンの足をつかんだため反則勝ち。試合後はロディ・パイパーとゴールダストも現れてマレラを攻撃し、トンクマンはシェイク・ラトル・アンド・ロールを決めた。10月27日、RAWのゲストコメンテイターとしてパイパー、ゴールダストと共に登場。登場してきたマレラに平手打ちをくらったが、ギター攻撃を決めてKOした。