ダークロHP / レスラーノート

ボボ・ブラジル
BOBO BRAZIL


本名:ヒューストン・ハリス
1924年7月10日
ミシガン州ベントンハーバー出身
195cm 127kg
タイトル歴:WWA世界ヘビー(ロサンゼルス版) インターナショナル・ヘビー USヘビー(デトロイト版) WWA世界ヘビー(シカゴ版)
得意技:ヘッドバット(ココ・バット) パイルドライバー

通称「黒い魔神」。日本初の黒人レスラー。プロ野球選手を経て51年(48年説あり)にプロレス入り。ココバット(ジャンプしての頭頂部へのヘッドバット)で多くの強豪を苦しめた。57年8月に初来日して力道山と対戦。日本プロレスに通算7度来日。62年8月、バディ・ロジャースをリングアウト勝ちで破りNWA王者になる(ニュージャージー州ルールでは”どんな形でも負ければ王座は移動”が長年の慣習)が、ロジャースのマネージャーのポビー・ディビスはレフェリーにクレームをつけ、ブラジルはその場でプロモーターのウィリー・ギルセンバーグに王座返上。NWAでは王座移動を認めなかった。66年9月2日、ロサンゼルスでバディ・キラー・オースチンを破りWWA世界王座を獲得。68年6月に2度目の来日。25日、愛知県体育館大会で馬場を破りインター王座を獲得。馬場の22度目の防衛は失敗し、初の王座転落だった。27日、蔵前国技館大会で馬場と再戦。1本目は10分32秒、ココ・バットからフォール勝ち。2本目は4分41秒、32文ドロップキック3連発からフォール負け。3本目は4分30秒、タックルをかわされてロープに首を挟んだまま10カウントアウト。インター王座から転落した。72年12月、馬場の返上したインター王座を大木金太郎と争い、ブラジルが勝利して王者となる。「頭突き世界一決定戦」と呼ばれた。3日後に大木と再戦し敗退。73年2月に全日本プロレスに来日。全日本プロレスには通算8度来日。81年7月24日、イリノイ州バートンビルでWWA世界ヘビー級王座を獲得。98年1月、脳卒中により死去。享年74。
ボボ・ブラジルは細かなことはへただったけど、あの大きな体でフライング・ヘッドシザースとか、うまかったですよ。ジャンプ力があったから。ドロップキックもきれいでしたよ。いいレスラーだったですね。スラ〜として。ハートはいい。いいオヤジだったですね。デトロイトからクリーブランドの試合場に一緒に車で行ったことがありますが、カナディアンクラブのボトル1本持って試合場に行くんですよ。帰りにうまそうにラッパ飲みでコク、コクと飲むんです。それが実にカッコいいんですよ。ストレートだけでビールは飲まなかった。コク、コクと1時間半くらいのドライブで1本空けちゃいましたからね。本当にボボ・ブラジルは良かったですねえ。ウイスキーの飲み方ひとつにしても風格ありました。ご飯は小食でしたよ。黒人のお父さんという感じでチキンをゆったりと食べるんです。(週刊プロレスNO1426 ザ・グレート・カブキのインタビューより)

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