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ボブ・バックランド
BOB BACKLUND


本名:ロバート・ルイス・バックランド
1950年8月14日
ミネソタ州プリンストン出身
193cm 115kg
タイトル歴:ミズーリ・ヘビー WWFヘビー WAR6人タッグ ウェスタン・ヘビー ジョージア・タッグ フロリダ・タッグ
得意技:ジャーマンスープレックス チキンウィング・フェイスロック アトミックドロップ

NYの帝王。サンマルチノホーガンの間の時代にWWFの王者だった。子供時代はビッグ・シャイ。アメリカ修行時代からの知り合い、ジャンボ鶴田にも「非常にまじめな人」と評された。ウォルドーフ・ジュニア・カレッジではフットボールとレスリングで活躍。ノースダコタ州立大学ではアマレスで活躍。71年、レスリングの190ポンド級でディビジョン2のNCAA王者になる。デビュー前にエディ・シャーキーの指導を受ける。ミネアポリスの道場で練習し、73年10月、ルイジアナ州シュリーブポートでロン・スターを相手にデビュー。10分時間切れ引き分けに終わった。3ヶ月ほどトライステート・レスリング(ルイジアナ州、オクラホマ州、ミシシッピ州)に出場した。ルイジアナで試合をしていた時、ドリー・ファンク・ジュニアと知り合う。テキサス州アマリロのファンク道場で鶴田、ハンセンらと共に修行を積む。 74年3月9日、テキサス州アマリロでウェスタン・ヘビー級王座を獲得。7月、全日本プロレスに初来日。 75年1月、全日本プロレスに再来日。1月の「新春ジャイアント・シリーズ」と2月の「エキサイト・シリーズ」に連続参戦した。10月26日、ジョージア地区でジェリー・ブリスコと組んでトール・タナカミスター・フジ組を破りジョージア・タッグ王座を獲得。 76年4月23日、ミズーリ州セントルイスのキール・オーディトリアムでハーリー・レイスを破りミズーリ・ヘビー級王座を獲得。6月29日、スティーブ・カーンと組んでボブ・オートン、ボブ・ループ組を破りフロリダ・タッグ王座を獲得。10月8日、キール・オーディトリアムでテリー・ファンクのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。1本目はローリング・クレイドルにフォール負け。そのまま60分時間切れ引き分けに終わった。11月26日、ジャック・ブリスコに敗れて王座転落。12月7日、ペンシルベニア州フィラデルフィアでのTVマッチでWWWFに初登場。 77年4月25日、WWWFに進出。 78年2月20日、ビリー・グラハムを14分51秒、アトミックドロップで破り第8代WWWFヘビー級王者に輝く。ボブのギミックは「レスリング」。WWWFは「ルー・テーズ以来の世界王座を統一できる人材」として、ハーリー・レイス、ニック・ボックウィンクルリック・フレアーとの「統一戦」というアングルを多く組んだ。5月に新日本プロレスに初登場。6月1日、日本武道館大会でNWF王者の猪木を相手に60分3本勝負でダブルタイトルマッチ。1本目は40分8秒、場外でバックドロップをくらってリングアウト負け。2本目は時間切れ引き分けに終わった。ルールによって王座移動はなかった。7月27日、日本武道館大会で猪木を相手に60分3本勝負で防衛戦。1本目は20分22秒、卍固めに敗れた。2本目は16分15秒、アトミックドロップで勝利。3本目は時間切れの引き分けに終わった。7月に猪木と対戦し、時間切れ引き分け。12月に猪木と対戦し、猪木のリングアウト勝ち。ルールによって王座移動はなかった。 79年11月30日にWWF王座を猪木に奪われる。ボブ側は、テレビの生中継が終わってから負けるのを条件にしていた。その試合では放送時間が過ぎてもカメラが回っていた。まだ放送中だと思ったボブは、放送時間が過ぎても20分ほど試合をした。この王座転落劇は、アメリカでは長い間、記録として残っていなかった。12月6日の猪木とのリターンマッチでは、タイガー・ジェット・シンが乱入し無効試合。猪木の初防衛が認められたが、猪木はこの試合を不服としてWWF王座を返上した。その後も新日本プロレスで猪木、ハンセン、ホーガン藤波相手にWWF王座を防衛した。 80年5月27日、新日本プロレスの大阪府立体育会館大会でダスティ・ローデスを相手にWWF王座の防衛戦。19分12秒、ローデスがレフリーを突きとばしたため反則勝ち。12月には猪木と組み第1回MSGタッグ・リーグ戦に優勝。 82年には藤波の挑戦を2度に渡って退けた。6月28日、ジミー・スヌーカを相手に金網マッチで防衛戦。金網最上段からのスーパーフライをかわし、金網を脱出して防衛に成功した。 83年にWWFのボス、ビンス・マクマホン・シニアが亡くなり、経営方針が変化。12月26日、アイアン・シークに敗れて5年以上保持したWWF王座から転落。 84年8月ごろにWWFを離脱。その後はセミリタイア。 88年12月22日、第2次UWFの大阪府立体育館大会で高田延彦と対戦。チキンウイング・アームロックに敗れた。 89年5月21日、新生UWFのNKホール大会で船木優治と対戦。コーナー最上段からのドロップキックを受けて反則勝ち。 91年9月26日、UWFインターの札幌中島体育センター大会に来日し、高田延彦と対戦。1分15秒に左ミドルキックを受けて、あっけなくKO負け。11月7日、大阪府立体育館大会で高田と3度目の対戦。15分42秒、チキンウイング・アームロックに完敗。12月22日、UWFインターの両国国技館大会で安生洋二と対戦し、11分26秒、チキンウイング・フェイスロックで勝利。 92年6月9日、UWFのフロリダ州パーメット・マナティ・シビック・センター大会に登場し、イワン・コロフと対戦。3分32秒、回転足折り固めで勝利。7月ごろからWWFに復帰。WWFにヒールになるよう頼まれたが断った。 94年5月にWWFのマニアツアーで来日。8月にWARに参戦。WAR6人タッグ王座に就く。11月23日、「サバイバーシリーズ」でブレット・ハートのWWF王座にサブミッションルールで挑戦。35分11秒、チキンウィング・フェイスロックで勝利。第29代WWF王者に返り咲いた。11月26日、ディーゼルと対戦し、ジャックナイフ・パワーボムに8秒で敗れて王座転落。 95年4月2日、「レッスルマニア」でブレット・ハートとアイ・クイットマッチで対戦。チキンウィング・フェイスロックに敗れた。 98年、バトラーツに参戦し、B−CUPトーナメントで池田大輔ザ・グレート・サスケに勝利したが、決勝戦で石川雄規に敗れて準優勝に終わった。 01年10月に27度目の来日で15度目の新日本プロレス登場。10月7日、後楽園ホール大会では藤波とエキシビションマッチで対戦。5分を戦い抜いて、3分間の延長戦を行ったが、時間切れの引き分けに終わった。試合後に藤波は「20年越しの彼との勝負、今日は結局勝負がつかなかったけど、これでいいんじゃないかな・・・。彼とは永遠のテーマを残しておきたい。体が自然と動いてしまうような、あいつの一つの技の動き、タイミング、間の取り方に誘われるままに、こっちも20年前を思い出して、キーロックに始まった試合になったけどね。絞めたこっちも、何か懐かしさを感じてますよ」と語った。10月8日に東京ドーム大会で藤波と組んでファンクスと対戦。10分40秒、藤波の逆さ押さえ込みでドリーから勝利した。試合後には「ファイターとしてのバックランドは今夜ここにあり!」と語った。その後はコネチカット州グラストンベリーに住み、建設材料会社のオーナーとなる。 07年からTNAの番組に登場。6月17日、TNAのPPV「スラミバーサリー」でアレックス・シェリーと対戦。久々の試合だったが、アトミックドロップ、ダブルアームスープレックスを披露。3分46秒に得意のジャパニーズレッグロールクラッチで勝利した。7月15日、ジェリー・リンと組んでモーターシティ・マシンガンズ(クリス・セイビン、アレックス・シェリー)と対戦。乱入したケビン・ナッシュのビックブーツの直後、セイビンの延髄斬り&シェリーのスーパーキックの合体技をジェリーがくらい、8分44秒に敗れた。9月8日に猪木の作った団体であるIGFの日本ガイシホール大会に立会人として来日。12月10日、WWEのRAW15周年記念大会でのバトルロイヤルに出場。スキナーによって場外転落した。 16年5月3日、WWEのスマックダウンに登場。ダレン・ヤングのマネージャーとなった。 18年4月20日、ドラディションの後楽園ホール大会で藤波、長州と組んでKAZMA人生TAJIRI組と対戦。13分2秒、バックランドがチキンウイングフェイスロックでKAZMAに勝利。4月21日、ドラディションの大阪南港ATCホール大会でヒロ斉藤藤原と組んで藤波、長州、船木組と対戦。13分40秒、藤波のドラゴンスリーパーに斉藤が敗れた。

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