ダークロHP / レスラーノート

ホースト・ホフマン
HORST HOFFMAN


1942年
ドイツ・アルマニア出身
190cm 118kg
得意技:弓矢固め サイドスープレックス

アマレスとフェンシングのドイツチャンピオンになり体育専門学校を卒業後、体育教師を務めていた。61年に地元のプロモーターのグスタフ・カイザーに誘われプロレス入り。ヨーロッパの各地のトーナメントに出場。出場回数は262回。多くのトーナメントに優勝し、ヨーロッパ・ヘビー級チャンピオンを何度も獲得。弓矢固め(ボー・アンド・アロー、別名セコ・バックブリーカー)の考案者。64年12月、グスタフ・カイザー・トーナメント決勝で強豪のギディオン・ギダに勝利。67年から71年までマットを離れる。72年3月の国際プロレスに初来日。玄人受けのするファイトを披露。この時期にアメリカに進出し、74年にAWAに登場。バロン・フォン・ラシクと組んでクロー攻撃のヒールとして活躍。75年に全日本プロレスに登場。オープン選手権でドリー・ファンク・ジュニア馬場とテクニカルな攻防を繰り広げ、好勝負を展開。77年にはオープンタッグ選手権でロビンソンとタッグを結成。三沢光晴はホフマンのファンであり、タイツの色もホフマンと同じ緑色にした。
「ホフマンは本当に得体の知れない相手だったね。彼の中にはヨーロピアンスタイルというものへのこだわりが凄くあって、実際に試合の中でもそうでしたよ。アマレス的なことはあまりやらないんだけど、必ず極め技から入ってきましたからね。あとは無駄な力を使わない理に適った攻めね」
―― 当時の天龍さんにしてみれば、勝手がわからなかったと?
「向こうの方が“こんなアンチャンの相手をさせられて”という気持ちだっただろうね。試合の中でも、寝ている俺をグッと極めて動けなくしたり。そういうのがよくありましたよ。大技としてはロープに振って、そのままサイドスープレックスで投げ切る瞬発力は素晴らしかったですね。あれは今、誰もできないでしょう。体は大きくないけど、柔軟性とスピードを持ったヨーロピアンスタイルですよ。決して大きい人じゃなかったけど、腕が異常に長かった。プロレスをやる上で腕が長いというのは有利だと思いますよ」
(「Gスピリッツ vol.17」の天龍のインタビューより)

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