レスラーノート

ホーク・ウォリアー

HAWK WARRIOR

本名:マイケル・ヘグストランド
1958年1月26日(9月12日説あり)
ミネソタ州ロビンスデール出身
190cm 127kg

タイトル歴
AWA世界タッグ
インタータッグ
NWA世界タッグ
WWF世界タッグ
IWGPタッグ
得意技
パワースラム
フィストドロップ

タッグチーム、ロード・ウォリアーズで80年代に大人気だった筋肉派レスラー。顔にペイントし、映画「マッドマックス」のような暴走族スタイルの外見。荒削りなバイオレンスファイトを得意とした。スコット・ノートンとは高校時代の同級生だった。ミネアポリスのヘンリー高校を卒業後、地元のバーで用心棒となる。E・シャーキーのコーチを受けてプロレス入り。シャーキーのトレーニングを半年続け、シャーキーのブッキングでカナダ・バンクーバーのインディー団体でデビュー。クラッシャー・フォン・ヘイグの名で、ナチギミックのレスラーとして活動を始めた。 83年6月、オレイ・アンダーソンのブッキングでNWAジョージア地区に転戦し、アニマル・ウォリアーとロード・ウォリアーズを結成。 84年8月にAWA世界タッグ王座を獲得。 85年3月、全日本プロレスに初来日。3月9日、来日2戦目となる両国国技館大会で鶴田天龍組のインタータッグ王座に挑戦。両国国技館でのプロレス初使用となった大会で持ち味を発揮し、1本目は7分35秒、ホークがラリアットで鶴田に勝利。2本目は2分13秒、ホークが鶴田をフルネルソンにとらえたところを天龍に倒されてジャーマンのような体勢となり、ダブルフォールとしてカウントが叩かれたが、直前で鶴田が肩を上げたためホークのフォール負け。3本目は、この判定に納得がいかないウォリアーズが試合放棄。暴動寸前の大混乱の幕切れとなった。3月14日、愛知県体育館大会でのシリーズ最終戦で長州カーン組を相手にAWA世界タッグ王座の防衛戦。5分30秒、両者リングアウトに終わった。 86年4月、ニューオリンズのスーパードームで開催された「世界タッグ五輪」で優勝。 87年3月12日、日本武道館大会で鶴田、天龍組のインタータッグ王座に挑戦。ダブルインパクト(アニマルが天龍を肩車してホークがダイビングラリアット)で天龍をグロッキー状態にさせ、さらにアニマルが場外でパイルドライバー。11分17秒、リングアウト勝ちしてインタータッグ王座を獲得した。 88年10月、NWA世界タッグ王座を獲得。 90年7月に新日本プロレスに登場。帰国後にリージョン・オブ・ドゥームのチーム名でWWFに移籍。 91年3月30日、SWSの東京ドーム大会でアニマルと組んで天龍、ホーガン組と対戦。同時にリフトアップスラムでたたきつける見せ場を作り、リングアウト勝ち。8月、ナスティ・ボーイズを破りWWF世界タッグ王座を獲得。 92年9月にアニマルが尾てい骨を骨折したため解散し、ホークはインディ団体を転戦。11月9日、PWAのミネソタ州ミネアポリスのローパーズ・バー大会で佐々木健介と初タッグ。「ヘルレイザース」を結成した。11月23日、両国国技館大会でパワー・ウォリアーに変身した健介とタッグを組み、長州、組と対戦。3分2秒、パワー・ウォリアーが逆一本背負いで馳に勝利。以後もヘルレイザースは圧倒的なパワーで連戦連勝。12月14日、大阪府立体育会館大会でパワー・ウォリアーと組んでスコット・ノートン、トニー・ホーム組のIWGPタッグ王座に挑戦。6分10秒、ダブルインパクトを決めてパワーがホームにフォール勝ち。IWGPタッグ王座を獲得した。12月19日、ドイツ・ブレーメンでCWA世界ヘビー級王座を獲得。パワー・ウォリアーとのタッグ戦では93年8月までに40連勝した。 93年1月4日、東京ドーム大会でリック・スタイナー、スコット・スタイナー組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分38秒、両者リングアウト。 94年1月4日、東京ドーム大会でパワー・ウォリアーと組んでスコット・ノートン、ヘラクレス・ヘルナンデス組のIWGPタッグ王座に挑戦。12分47秒、パワーが逆一本背負いでヘルナンデスに勝利。IWGPタッグ王座を獲得した。5月1日、福岡ドーム大会でリック・スタイナー、スコット・スタイナー組を相手にタッグ王座の防衛戦。15分27秒、ダブルインパクトを決めてホークがスコットにフォール勝ち。 95年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会でスコット・ノートンと対戦。7分41秒、ダイビングラリアットで勝利。7月13日、札幌中島体育センター大会でIWGP王者の武藤敬司に挑戦。14分29秒、ムーンサルトプレスに敗れた。 96年1月にWCWでアニマルと再結成。4月に新日本プロレスでアニマル・ウォリアー、パワー・ウォリアーとトリプル・ウォリアーズを結成してスコット・ノートン、スタイナーズ組に勝利。 97年2月、WWFにチーム名をLOD(リージョン・オブ・ドゥーム)と改名して登場。10月にWWF世界タッグ王座を獲得。 00年にバトラーツに参戦。同年、オーストラリアでの遠征中に心臓発作を起こし10日間入院。 01年1月にWCWに復帰するが3月に団体が崩壊。インディ団体XWFに参加。12月9日、ZERO−ONE「真撃」の大阪城ホール大会でアニマルと組んで大谷田中組と対戦。15分6秒、ダブルインパクトからのアニマルのラリアットで大谷をKOして、レフリーストップ勝ち。 03年3月1日、横浜アリーナで行われたWJプロレスの旗揚げ戦でアニマルと組んでザ・クラッシャーズ(トッド・シェーン、マイク・シェーン)のIPWハードコアタッグ王座に挑戦。11分4秒、ダブルインパクトでマイクに勝利。IPWハードコアタッグ王座を獲得した。その後もWJプロレスに参戦。3月15日、後楽園ホール大会でザ・クラッシャーズと対戦。9分4秒、振り子式合体チョークスラムをくらってトッドにホークがフォール負け。3月16日、宮城県スポーツセンター大会でザ・クラッシャーズを相手にタッグ王座の防衛戦。6分25秒、ダブルインパクトでマイクに勝利。3月18日、太田市民体育館大会で佐々木健介、鈴木健想組と対戦。11分20秒、健介のノーザンライトボムにホークが敗れた。3月19日、草加市スポーツ健康都市記念体育館大会で谷津嘉章、鈴木健想組と対戦。5分51秒、ダブルインパクトで谷津に勝利。3月20日、流山市総合体育館大会でザ・クラッシャーズと対戦。5分57秒、ダブルインパクトでマイクに勝利。6月29日、北海道立総合体育センター大会でザ・クラッシャーズを相手にタッグ王座の防衛戦。11分35秒、合体チョークスラムをくらってトッドにアニマルがフォール負けして王座転落。7月1日、札幌テイセンホール大会でアニマルと組んでベイダー、ディック東郷組と対戦。14分21秒、ダブルインパクトで東郷に勝利。7月3日、旭川大成市民センター体育館大会でアニマルと組んで佐々木健介、安生洋二組と対戦。7分25秒、ダブルインパクトで安生に勝利。7月4日、八戸市体育館大会でアニマルと組んで大森隆男、木村浩一郎組と対戦。8分28秒、ダブルインパクトで木村に勝利。7月5日、青森県武道館大会でアニマルと組んで佐々木健介、ダン・ボビッシュ組と対戦。8分33秒、健介のストラングルホールドγにホークが敗れた。7月7日、石巻市総合体育館大会でアニマルと組んで長州力、越中詩郎組と対戦。7分2秒、ダブルインパクトで越中に勝利。7月8日、岩手県営体育館大会でアニマルと組んで越中詩郎、新崎人生組と対戦。11分3秒、人生の横入り式エビ固めにホークがフォール負け。7月9日、山形市総合スポーツセンターサブアリーナ大会でザ・クラッシャーズと対戦。7分、ダブルインパクトでマイクに勝利。7月11日、新潟市体育館大会でザ・クラッシャーズと対戦。7分35秒、ホークがフライング・ラリアットでトッドに勝利。 10月19日(日本時間20日)、米国フロリダ州タンパの自宅で死去。心臓疾患を抱えていたホークは自宅で引越しの作業中に「気分が悪い」と横になったまま帰らぬ人となった。