ダークロHP / レスラーノート

ベイダー
VADER


本名:レオン・ホワイト
1955年5月14日
コロラド州デンバー出身
190cm 170kg
タイトル歴:三冠ヘビー(2回) IWGPヘビー(3回) WCW世界ヘビー(3回) WCW・USヘビー UWA世界ヘビー(メキシコ)(1回) CWA世界ヘビー(オットー・ワンツ派)(3回) ルー・テーズベルト(UWFインター)(1回) IWGPタッグ 世界タッグ(全日本) GHCタッグ
得意技:パワーボム チョークスラム ベイダーアタック ベイダーハンマー リバース・スプラッシュ ムーンサルト・プレス

WWF、WCW、新日本、 Uインター、全日本と日米のメジャー団体を席捲。 スーパー・ヘビー級の肉体を誇りながらムーンサルト・ブレスなどの空中殺法まで駆使する。学生時代はボクシングの経験あり。白人の皮膚は薄くて切れやすいためボクシングを断念。コロラド大学卒業後、プロフットボールチームのロサンゼルス・ラムズに入団。入団1年目で右足のケガのため引退。85年1月に、バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。ブラッド・レイガンスのコーチを受ける。デビュー当時のリングネームはレオン・ホワイト。AWAで活躍。AWAではブルーザー・ブロディースタン・ハンセンらと抗争した。87年3月22日にコロラド州デンバーでオットー・ワンツを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得。タイトル獲得後、ブル・パワーのリングネームでCWAの本拠地西ドイツに転戦。ヨーロッパでオットー・ワンツと抗争した。 日本へは当初、全日本プロレスの88年1月のツアーに参加する予定だったが、87年12月、新日本プロレスに登場。たけしプロレス軍団の刺客として登場。アントニオ猪木から2分でフォ−ルを奪うデビュー。新日本プロレス時代には、永井豪デザインのコスチュームで入場していた。 88年6月26日、名古屋レインボーホール大会で藤波のIWGP王座に挑戦。13分27秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。 89年4月24日、新日本プロレス初の東京ドーム大会に出場。IWGP王座決定トーナメントに出場し、決勝で橋本真也と対戦。9分47秒、ラリアット2連発で勝利してIWGPヘビー級王座を獲得した。8月10日、両国国技館大会で長州力のIWGP王座に挑戦。10分4秒、回転エビ固めにフォール勝ち。IWGPヘビー級王座を獲得した。8月21日にはオーストリアでオットー・ワンツを破りCWA王座2度目の獲得。11月にメキシコでカネックを破りUWA世界ヘビー級王座を獲得。 90年2月10日、新日本プロレスの東京ドーム大会で、全日本プロレスの最強外国人スタン・ハンセンを相手にIWGP王座の防衛戦。外国人頂上対決となり、大迫力の試合となった。ハンセンのヒジがベイダーの右目に当たり、腫れあがっても試合を続行。ハンセンの予告ラリアットをドロップキックで返した。強烈なベイダーハンマーをくらわせたが、ロープの反動でハンセンも予告なしのラリアット。ラリアットを食らってもベイダーは倒れなかった。15分47秒、両者リングアウトの引き分けの結果だったが強烈な印象を残した。両者は6月12日に福岡国際センターでも再戦しているが、22分11秒、両者反則の引き分けに終わっている。 91年1月17日、横浜文化体育館大会で藤波を破りIWGPヘビー級王座3度目の獲得。5月31日、大阪城ホール大会でスコット・ノートンと対戦。10分18秒、場外でラリアットをくらってリングアウト負け。試合後も大乱闘を展開した。6月12日、日本武道館大会でスコット・ノートンと対戦。12分46秒、ボディプレスで勝利。8月、第1回G1クライマックスに出場。8月7日、愛知県体育館大会で藤波と対戦。12分14秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。8月9日、両国国技館大会でノートンと対戦。10分53秒、リングアウト勝ち。8月10日、両国国技館大会で武藤敬司と対戦。13分54秒、パワースラムを片エビ固めに切り返されてフォール負け。1勝2敗でリーグ戦に敗退した。9月23日、横浜アリーナ大会でスコット・ノートンと対戦。12分37秒、パワースラムに敗れた。10月13日、幕張メッセ大会でトニー・ホームと異種格闘技戦。6R1分47秒、右フックをくらってKO負け。10月、第1回SGタッグリーグ戦に藤波と組んで参戦し、優勝。 92年1月4日、東京ドーム大会でエル・ヒガンテと対戦。4分49秒、両者リングアウト。3月にビガロと組んでIWGPタッグ王座を獲得。91年よりWCWに登場。92年7月、スティングを破りWCW世界ヘビー級王座を獲得。8月2日、メリーランド州ボルチモアでロン・シモンズを相手に防衛戦。パワースラムに敗れて王座転落。12月30日、メリーランド州ボルチモアでシモンズの王座に挑戦。ショルダーバスターで勝利して王座奪回。93年3月11日、イギリス・ロンドンでスティングに敗れて王座転落。3月17日、アイルランド・ダブリンでスティングに勝利して王座奪回。 93年5月、UWFインターに移籍。12月5日、神宮球場大会で高田と対戦し、腕ひしぎ逆十字固めで敗れた。12月27日、ノースカロライナ州シャーロッテでのビッグイベント「スターケード」でリック・フレアーを相手に防衛戦。足をつかまれ倒され、そのまま片エビ固めに敗れて王座転落。 94年4月からUWFインターのトーナメントに参戦。4月3日の1回戦でハシミコフに足折り固めで勝利。5月6日の2回戦で垣原賢人と対戦し、3分40秒、高角度の顔面砕き(リバース・パワーボム)で勝利。6月10日、準決勝で田村潔司と対戦し、7分14秒、パワーボムで勝利。8月18日、日本武道館での決勝で高田と対戦。高田のキックを真正面で受けきり、豪快な掌打を振り回し、19分24秒に15度目のダウンを奪ってKO勝ち。プロレスリング世界ヘビー級ベルト(ルー・テーズベルト)を獲得。 96年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会でアントニオ猪木のファイナル・カウントダウン第5戦の相手を務める。衝撃で猪木の首がマットに跳ね上がる投げっ放しジャーマンや、衝撃で猪木の膝が額にぶち当たるチョークスラムなど、全盛期を過ぎた猪木を相手に容赦ない攻撃で圧倒。14分16秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。2月、WWF登場。しかしケガが完治しないまま復帰したため大きな活躍はなかった。 98年5月、全日本プロレスに登場。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦ではハンセンと組んで参戦。12月5日、日本武道館大会での優勝決定戦で小橋秋山組と対戦。19分3秒、小橋のラリアットにハンセンが敗れた。98年度のプロレス大賞でハンセンと共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 99年1月15日、横浜文化体育館大会で小橋と対戦。16分59秒、ビッグバンクラッシュで勝利。3月6日、日本武道館大会で田上明を相手に三冠王座決定戦。12分51秒、パワーボムで勝利。三冠王座を獲得した。3月26日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。リーグ戦を2位で終了。4月16日、日本武道館大会で小橋を相手に優勝決定戦。19分11秒、ベイダーアタックで勝利。チャンピオンカーニバルに優勝した。5月2日、東京ドーム大会で三沢光晴を相手に防衛戦。18分7秒、ランニングエルボーに敗れて王座転落。10月30日、日本武道館大会で三沢の三冠王座に挑戦。12分12秒、パワーボムで勝利。三冠王座を獲得した。 00年1月10日、熊本市総合体育館大会でジョニー・スミスと組んで小橋、秋山組の世界タッグ王座に挑戦。17分10秒、秋山のエクスプロイダーにスミスが敗れた。2月17日、北海道立総合体育センター大会で川田利明と対戦。13分44秒、ラリアットで勝利。2月20日、神戸ワールド記念ホール大会でスティーブ・ウイリアムスと組んで小橋、秋山組の世界タッグ王座に挑戦。25分14秒、ベイダーがチョークスラムで小橋に勝利。世界タッグ王座を獲得した。2月27日、日本武道館大会で小橋を相手に防衛戦。19分49秒、ラリアットに敗れて王座転落。10月からノアに参加。GHC初代王者決定トーナメントでは準決勝の高山戦で反則負けを喫する。 01年10月、タッグ王座決定トーナメントにスコーピオと組んで参加。2回戦、準決勝と合計しても、わずか12分20秒という短時間で難なく突破。決勝戦では秋山、斎藤組を痛ぶり、最後は秋山をスカイハイ・チョークスラムで勝利してGHCタッグ王座を獲得した。11月、三沢、小川組に敗れて王座転落。12月9日、有明コロシアム大会で秋山のGHC王座に挑戦。17分16秒、変型ネックアンドアームブリッジに敗れた。 03年1月15日の島根大会を最後にノアを離脱。5月にWJプロレスに参戦。 04年1月4日、さいたまスーパーアリーナでの「ハッスル1」に来日し、橋本真也と対戦。場外マットをはがしてのDDTをくらってしまい、9分59秒、リングアウト負け。 08年1月、ディファ有明で5日に開催される「BIG VANCRUSH〜皇帝降臨レッスルウォーズ〜」に参加するため来日。急病に見舞われ緊急入院し、大会に来場しなかった。約10日間の入院後、19日に退院して帰国した。 10年4月29日、新宿FACEでのベイダー興行でスコーピオ、息子のジェシー・ホワイトと組んで藤波、本田組と対戦。息子とは合体チョークスラムも決めた。22分55秒、ベイダーがチョークスラムからのベイダーアタックで橋にフォール勝ち。 11年3月21日、全日本プロレスの両国国技館大会に来日し、ジェシー・ホワイト、と組んでTARUレネ・デュプリMAZADA組と対戦。12分16秒、ベイダーのパワーボムでMAZADAに勝利。3月27日、ZERO1の靖国神社相撲場特設会場大会でジェシー・ホワイトと組んで大谷橋本大地組と対戦。16分32秒、ベイダーがロープ2段目からのボディプレスで橋本大地に勝利。4月28日、IGFの東京ドームシティホール大会で藤波辰爾と対戦。10分時間切れ引き分け。試合後に握手を交わし、藤波を肩車して健闘を称えた。 12年3月16日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会に来日し、タイガー・シャークと対戦。セカンドロープからのリバーススプラッシュを決め、6分36秒、パワーボムで圧勝した。4月14日、カナダ・トロントでのレッスル・リユニオン(PWS主催大会)でネクロ・ブッチャーと対戦。チョークスラムで勝利。5月11日、レジスタンス・プロでジェイ・ブラッドリーと対戦。セカンドロープからのボディプレスで勝利。6月11日、WWE・RAWにサプライズ登場。ヒース・スレーターと対戦し、セカンドロープからのボディプレスで圧勝した。12月7日、全日本プロレスに来日して3大会に出場した。 15年6月24日、TNAにサプライズで登場し、ブラムと対戦。凶器攻撃により反則勝ち。 16年8月12日、RPWのロンドン・ヨークホール大会でウィル・オスプレイと対戦。チョークスラムで勝利。 17年4月、ドラディションに来日し、藤波のデビュー45周年記念ツアー(3大会)に出場。4月20日、後楽園ホール大会で武藤、AKIRAと組んで藤波、長州、越中組と対戦。13分9秒、藤波のドラゴンスリーパーにAKIRAが敗れた。試合後のセレモニーで失神し、リング上で仰向けに倒れた。しばらくして起きあがり、自らの足で退場。4月22日、博多スターレーン大会で佐野藤原と組んで藤波、越中、金本組と対戦。10分30秒、藤波のドラゴンスリーパーに佐野が敗れた。4月23日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で藤波、長州と組んで越中、藤原、佐野組と対戦。8分9秒、藤波がドラゴンスリーパーで佐野に勝利。18年6月18日、肺炎のため死去。
「俺の知っている中でも誰よりも素早く動ける大男だ。事実、レスラーの中でも最高の動きをしていた。だが、俺がこう書いたことは内緒だ。ヤツには言ってくれるな。
ベイダーのマイクパフォーマンスはまずまずで、試合のほうは申し分なかった。それは問題なかったのだが、感情面をコントロールするのが厄介だった。ルガーの闘いぶりは攻撃的ではなかったが、ベイダーときたらまさにモンスター。
フットボーラーのケンカっ早さで攻め、やり過ぎとも言えるほどだった。対戦相手がどうなろうと知るもんかという闘い方は業界内でも知れ渡っていた。(中略)
酔っていない普段のベイダーは問題なかったが、酒が入ったときや試合中などは典型的な暴れん坊だった。それがヤツの失敗の原因だ。だが、幸運なことにヤツは業界で生き延びている。日本のマット界に参戦したりもしている。シュート・スタイルがヤツにはピッタリなのだ。もっと早くそうすればよかったくらいだ」
(「ハーリー・レイス自伝 キング・オブ・ザ・リング」より)
― 90年2月10日東京ドーム。ハンセンの他に鶴田さん、天龍さんら全日本勢が初めて新日本のリングに上がった、伝説的な興業のことでした。あの試合は「死闘」「激闘」「熱闘」という言葉で片付けるのが陳腐な試合だったというか。
ベイダー なぜあんなに壮絶な試合になったのか教えてやる。試合に火をつけたのはハンセンのブルロープとカウベルさ。
― ブルロープとカウベルがポイントなんですか?
ベイダー ハンセンは目が極度に悪いだろ?入場したときにブルロープを振り回したら、カウベルが俺の鼻に直撃したんだよ。あれにはキレた!
― だからゴングを待たずに襲いかかった、と。
ベイダー イエス!俺の急襲にハンセンもキレて、そこからはマジな殴り合いさ・・・・・・。なんたってハンセンのパンチは、親指を立ててサミング気味に打ってきたからな。
― ゲ!そんなシュートな殴り合いだったんですか!
ベイダー ハンセンの親指が俺の右目を直撃したら、目ン玉が出てきかけたほどだよ(キッパリ)。
― うわ〜!それこそ「目ン玉が飛び出るストロング・スタイル」(by WJ)ですよ!だからベイダーさんはその痛みのあまり、いきなりマスクを脱いだんですね。
ベイダー マスクを脱いで、出かけた右目を押し込んだんだよ。そして、そのあと20分間も闘い続けたんだ。
― そういう事態になっても、試合を壊すことなく作りあげたのはさすがの一言です!
ベイダー アリガトウゴザイマス!(日本語で)。ハンセンはいまだになぜ俺が怒ったのかはわからないと思うけど(笑)。
― そのあとベイダーさんは右目を大手術をされたとか。
ベイダー 二度ほど手術したよ。アイ・コードと呼ばれる神経が伸びてしまって、左目は反応するけど右目はピクリとも動かない状態だったから。
(紙のプロレス No.83 ベイダーのインタビューより)
――あの頃の全日本で“危ない人”と言えば、やはりベイダーですよね。
「ああ、ベイダーは危なかったですね。99年正月(1月2日)のバトルロイヤルで、ベイダーのヘッドバットで左瞼を切って11針も縫いましたよ。血迷ったベイダーが試合後も僕を探し回っていたから、日本人控室は鍵をかけていたんですけど、ベイダーがドアを叩いて・・・。そのうちにドアのスモーク硝子を拳で叩き割って、そこから中を覗いて僕を発見して、“いた!”って。ベイダーが割れた硝子に手を突っ込んで、鍵を開けて入ってきて乱闘ですよ。まるでホラー映画の『シャイニング』みたいでしたね(笑)」
――あの頃のベイダーには、“狂気”がありましたから。
「だから、遠慮なくやり合える相手ではありましたね。身体がゴツイわりには、器用な選手でしたし。向こうも僕がどういう気持ちでリングに上がっているかは、わかっていたと思います。ベストを尽くして試合をするというのは、共通の気持ちだったと思いますよ。99年のチャンピオン・カーニバル公式戦で当たった時は30分時間切れになりましたけど、あのベイダーと30分やったのは自分以外にいないんじゃないですかね(笑)。その試合では、お互いに膝をマットにつきながら殴り合ったのを憶えてますね」
(Gスピリッツ Vol.33 小橋のインタビューより)

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