ダークロHP / レスラーノート

ブレット・ハート
BRET HART


1958年7月2日
カナダ・アルバータ州カルガリー出身
184p 110s
タイトル歴:WWF世界ヘビー WWF世界タッグ WCW世界ヘビー 北米ヘビー 英連邦ミッドヘビー WWE・US
得意技:シャープ・シューター(サソリ固め) ベンジュラム・バックブリーカー(振り子式背骨折り)

通称「ヒットマン」。カナダ・カルガリー地区「スタンピード・レスリング」のプロモーターだったスチュ・ハートの息子として生まれる。12人兄弟の四男だった。兄弟同様に少年時代からレスリング指導を受ける。高校卒業後にデビュー。80年6月に新日本プロレス初来日。84年までに新日本プロレスに通算5回来日した。日本ではダイナマイト・キッドと共にジュニアヘビー級戦線で活躍した。80年7月にNWAインタージュニア王座決定戦で木村健吾と対戦し、敗れる。82年2月と7月にタイガーマスクのWWFジュニア王座に挑戦し、敗れた。84年の夏にカルガリーのスタンピード・レスリングがWWFに買収されてしまう。スチュはカルガリーの選手たち全員をWWFに入団させる条件を提示した。最終的にダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスジム・ナイドハート、ブレット・ハートだけがWWFに入団する契約になった。85年、WWF入団。ジム・ナイドハートとハート・ファウンデーションを結成。パワーファイトのジム、テクニックのブレットと、バランスの取れたタッグチームとして活躍。87年1月、ナイドハートと組んでダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス組を破りWWF世界タッグ王座を獲得。 90年4月13日、東京ドームで行われた日米レスリングサミットに来日し、第4試合で2代目タイガーマスクと対戦。試合は20分、時間切れ引き分けに終わった。90年8月、ナイドハートと組んでザ・デモリッションを破りWWFタッグ王座を獲得。 91年3月30日、SWSの東京ドーム大会でナイドハートと組んでショーン・マイケルズマーティ・ジャネティ組と対戦。14分40秒、ブレットがマイケルズのダイビングボディアタックを片エビ固めに切り返してフォール勝ち。4月1日、SWSの神戸ワールド記念ホール大会でジョージ高野と対戦。11分43秒、ダイビングボディプレスに敗れた。8月、カート・へニングを破りインターコンチ王座を獲得。 92年4月5日、レッスルマニアでロディー・パイパーのインターコンチネンタル王座に挑戦。スリーパーホールドをかけられたがコーナーのターンバックルを蹴って後方に一回転してフォール勝ち。2度目のインターコンチ王座を獲得。8月29日、イギリスのウェンブリー・スタジアムで行われた「サマースラム」のメインでデイビーボーイ・スミスを相手に防衛戦。8万355人の大観衆の前での対戦となった。25分40秒、回転エビ固めを狙ったところでエビ固めに押さえこまれてフォール負け。王座転落。10月12日、カナダ・サスカッチェワン州サスカトゥーンでリック・フレアーを破りWWF世界ヘビー級王座を獲得。以後、同王座を通算5度獲得し、WWFを代表する選手として活躍。11月25日、「サバイバーシリーズ」でショーン・マイケルズを相手に防衛戦。26分40秒、ミサイルキックをかわし、シャープシューターで勝利。 93年4月4日、レッスルマニア9でヨコヅナを相手に防衛戦。シャープシューターを決めたがヨコヅナのセコンドのミスター・フジの塩攻撃をくらってフォール負け。WWF王座から転落した。6月13日、PPV「キング・オブ・ザ・リング」でトーナメントに参戦。1回戦でレザー・ラモン、準決勝でカート・ヘニング、メインイベントの決勝戦ではビガロに勝利して優勝。試合後のセレモニーでジェリー・ローラーが乱入し、大乱闘で大会は終了した。8月30日、PPV「サマースラム」でローラーと対戦。試合前にローラーが負傷を理由に試合放棄。代役としてドインクと対戦し、シャープシューターで勝利。試合終了直後に乱入したローラーの攻撃を受けて、急遽、対戦が始まった。6分32秒、シャープシューターでギブアップ勝ちとなったが、技を解かずに絞め続けたため、反則負け。 94年1月22日、「ロイヤルランブル」でオーエン・ハートと組んでジャック・ルージョー、ピエール・オーレット組のWWFタッグ王座に挑戦。試合中に左膝を負傷したブレットがピエールにシャープシューターを決めたが、試合続行不可能となりレフリーストップ負け。試合後、オーエンに足を攻撃された。オーエンとの抗争を開始した。同大会ではメインのロイヤルランブル戦にも出場。55分8秒、レックス・ルガーと同時に場外に転落して2人とも優勝した。3月20日、レッスルマニア10でオーエンと対戦。20分26秒、前方回転エビ固めをエビ固めに押しつぶされてフォール負け。同大会のメインでヨコヅナのWWF王座に挑戦。10分36秒、バンザイドロップをかわしてフォール勝ち。WWF王座を獲得した。8月29日、「サマースラム」でオーエンと金網マッチで対戦。33分21秒、金網を脱出して勝利。11月23日、「サバイバーシリーズ」でボブ・バックランドを相手にサブミッションルールで防衛戦。35分11秒、チキンウィング・フェイスロックに敗れて王座転落。 95年4月2日、「レッスルマニア」でバックランドとアイ・クイットマッチで対戦。チキンウィング・フェイスロックで勝利。11月19日、PPV「サバイバーシリーズ」でディーゼルのWWF王座に挑戦。24分54秒、スモールパッケージホールドでフォール勝ち。WWF王座を獲得。12月15日、カナダ・アルバータ州カルガリーのスタンピード・コレルで行われたカルガリーマット50周年の記念大会に出場。メインでデイビーボーイ・スミスを相手にWWF王座の防衛戦。19分48秒、エビ固めで勝利。12月17日、PPV「イン・ユア・ハウス」のメインでデイビーボーイ・スミスを相手に防衛戦。21分9秒、ラ・マヒストラルでフォール勝ち。 97年2月16日、PPV「イン・ユア・ハウス」でオースチンベイダーアンダーテイカーとイリミネーションマッチで対戦。アンダーテイカーをたたき落し、WWF世界ヘビー級王座を獲得。試合後にサイコ・セッドに挑発され、パワーボムをくらった。2月17日、サイコ・セッドを相手に防衛戦。必殺のシャープ・シューターを決めたが、オースチンが乱入してイスで殴打され、直後にパワーボムをくらってフォール負け。24時間での王座転落となった。12月28日、WCWのPPV「スターケード」に特別レフリーとして登場。 98年2月にWCWに移籍しリック・フレアーと対戦。7月20日、王座決定戦でダイヤモンド・ダラス・ペイジを破りUS王座を獲得。8月10日、レックス・ルガーに敗れて王座転落。8月11日、ルガーを破り、US王座を奪回。10月26日、ダラス・ペイジに敗れて王座転落。11月30日、ダラス・ペイジを破り、US王座を奪回。 99年2月8日、ロディー・パイパーに敗れて王座転落。10月25日、ビル・ゴールドバーグのUS王座に挑戦。試合中にスコット・ホール、ケビン・ナッシュ、シッド・ビシャスが乱入してゴールドバーグを攻撃した結果、勝利。US王座を獲得。11月8日、スコット・ホールにラダーマッチで敗れて王座転落。12月19日、ゴールドバーグを破りWCW世界ヘビー級王座になる。試合中に3度の脳震盪に襲われ、結果的にこの試合が最後の試合となってしまった。 00年10月に脳震盪の後遺症が原因で引退。引退後、WWAのコミッショナーとなる。 02年6月に自転車で走行中に転倒。頭を打ち、脳梗塞で倒れる。左半身が麻痺し、長いリハビリ生活を続けた。その後、普通の生活ができるまでに回復した。 04年1月にはハワイの団体WPCWにゲストとして参加。試合前に挨拶した。 10年1月4日、WWEに登場。番組の最後で因縁の抗争相手であるビンスと握手したが、急所蹴りをくらってダウン。2月1日の放送にも登場し、番組の最後でビンスと口論。シャープシューターの体勢に入ったがバティスタが登場して羽交い絞めにされ、ビンスに唾を顔に吐きかけられた。3月28日、レッスルマニアでビンスと対戦。ビンス側についていたハート・ダイナスティやレフリーのブルース・ハートは当然味方になり、ビンスを一家で撃退。最後はシャープシューターで完全勝利。5月17日、ミズのUS王座に挑戦。シャープシューターで勝利して王座獲得。その後、RAWのGMになったため王座は返上した。11年5月22日、PPV「オーバー・ザ・リミット」でのジェリー・ローラー対マイケル・コール戦の試合後に登場。試合に敗れて逃げるコールの前に立ちはだかり、リングに連れ戻してシャープシューターを決めた。

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