レスラーノート

ジョン・ブラッドショー・レイフィールド

JOHN BRADSHAW LAYFIELD

本名:ジョン・チャールズ・レイフィールド
1966年11月29日
テキサス州スィートウォーター出身
198〜200cm 127〜132kg

通称
JBL
タイトル歴
WWF世界タッグ
WWE世界ヘビー
WWEインターコンチネンタル
GWFタッグ
NWA北米ヘビー
得意技
クローズライン・フロム・ヘル

通称JBL。ミネソタ州ミネアポリスのブラッド・レイガンスの道場で3ヶ月のトレーニングを受け、 92年2月にテキサスのGWF(Global Wrestling Federation)でジョニー・ホークの名でデビュー。11月27日、ボビー・ダンカン・ジュニアと組んでGWFタッグ王座を獲得。 93年12月25日、ブラック・バートと組んでGWFタッグ王座を獲得。 94年6月3日にフリーバーズ(テリー・ゴディジム・ガービン)に敗れて王座転落。9月にGWFが崩壊。 95年1月14日、ダラスでケビン・フォン・エリックを破りNWA北米ヘビー級王座を獲得。3月18日、グレッグ・バレンタインに敗れて王座転落。日本ではジョン・ホークの名でNOWに来日。WARにもデスマスクなる怪奇派カウボーイスタイルで参戦。 96年1月にWWFに進出。ジャスティン・ホーク・ブラッドショーの名で悪党マネージャーのアンクル・ザバカヤ(ダッチ・マンテル)と共にカウボーイスタイルのヒールとして活躍。 97年にバリー・ウインダムとニュー・ブラックジャックスを結成。年末にウインダムと、全日本プロレスの最強タッグ決定リーグ戦に参加。12月5日、日本武道館大会で井上雅央と対戦。6分4秒、チョークスラムで勝利。 98年にタッグ解消。同年秋からファルークとアコライツを結成。 99年5月と7月にWWF世界タッグ王座を獲得。 00年には雇われ用心棒的なAPA(アコライツ警備保障)を結成。お金をもらえばどんな試合にも乱入する、荒くれ者で飲んだくれのチームとなり、試合よりもバーでの乱闘シーンが多くなる。その後、嫌みな「証券アナリスト」に転身。 04年6月27日、PPV「グレート・アメリカン・バッシュ」でエディ・ゲレロと対戦。テキサス・ブルロープ・マッチでの試合に勝利してWWE世界ヘビー級王座を獲得。7月16日、日本武道館でのWWEの日本公演のメインで、エディ・ゲレロを相手にWWE王座の防衛戦。17分3秒、カート・アングルの乱入により反則負け。規定により王座の移動はなかった。17日の同会場での大会ではメインでアングルと組んでエディ・ゲレロ、アンダーテイカー組と対戦。19分39秒、エディのフロッグスプラッシュにJBLがフォール負け。 05年4月3日、レッスルマニア21でジョン・シナを相手に防衛戦。11分26秒、FUに敗れて王座転落。その後もトップヒールとしてスマックダウンで活躍。7月1日、さいたまスーパーアリーナでのWWE日本公演に来日し、メインでHHHと組んでWWE王者のシナ、世界王者のバティスタ組と対戦。19分49秒、シナのFUにJBLがフォール負け。7月2日の大会ではオーランド・ジョーダンと組んで王者のジョン・シナとハンディキャップマッチで挑戦し、13分26秒、FUにJBLがフォール負け。 06年2月5日、横浜アリーナでのWWEの日本公演でジ・アンダーテイカーとノーDQマッチ。26分27秒、ツームストーン・パイルドライバーに敗れた。4月2日、PPV「レッスルマニア」でクリス・ベンワーのUS王座に挑戦。9分45秒、クリップラー・クロスフェイスをエビ固めで切り返してフォール勝ち。US王座を獲得した。6月から実況席で解説者として活躍。 07年12月に復帰。 08年3月30日、PPV「レッスルマニア」でフィンレーと対戦。8分36秒、クローズライン・フロム・ヘルで勝利。4月27日、PPV「バックラッシュ」でランディ・オートン、HHH、シナと4WAY戦。シナのSTFUにギブアップし、最初に退場。7月20日、PPV「グレート・アメリカン・バッシュ」でジョン・シナを相手に駐車場マッチで対戦し勝利した。8月17日、PPV「サマースラム」で世界ヘビー級王者のCMパンクに挑戦し、GTSに敗れた。10月5日、PPV「ノーマーシー」での世界王座挑戦者決定戦でバティスタと対戦。バティスタボムに敗れた。12月14日、PPV「アルマゲドン」で、ショーン・マイケルズを雇い、試合に介入させるようになる。 09年1月25日、PPV「ロイヤルランブル」でシナの世界王座に挑戦。試合終盤に、乱入したマイケルズのスウィート・チン・ミュージックをくらってダウン。マイケルズはシナにもスウィート・チン・ミュージックをくらわせ、JBLをシナの上にかぶせてフォール勝ちを狙ったがカウント2。最後はFUに敗れた。1月26日、イリミネーションチェンバー戦出場権をかけたジョン・シナとの試合に、代理人としてマイケルズを出場させた。コーナーに上がったマイケルズと口論し、そのスキをつかれて逆転され、最後はFUにマイケルズがフォール負け。2月15日、PPV「ノーウェイアウト」でマイケルズと対戦。マイケルズが勝てば多額の報酬を授けられ、JBLが勝てばマイケルズを従業員として一生仕えさせる条件での試合で、スウィート・チン・ミュージックに敗れた。3月9日、CMパンクをクローズライン・フロム・ヘルで破りインターコンチネンタル王座を獲得。4月5日、レッスルマニアでレイ・ミステリオを相手に防衛戦。試合前に顔面キックでダウンさせたが、開始直後に619、ダイビングボディプレスを浴びて21秒でフォール負け。王座転落し、試合後にリング上で引退を表明した。 14年1月26日、WWEのPPV「ロイヤルランブル」でのランブルマッチに出場。