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横浜育ち。横浜商科大付属高校を卒業後、横浜駅西口の金子武雄主宰のボディビルジムで体を鍛える。79年5月に国際プロレスに入門。80年5月4日、紋別スポーツセンターの米村勉戦でデビュー。81年8月の国際プロレス崩壊後はマイティ井上らとともに全日本プロレスに移籍。84年11月に海外初遠征。メキシコ、プエルトリコ、テキサス州サンアントニオで「リキ・フユキ」のリングネームで活躍。85年12月に帰国後、サムソン冬木に改名し天龍同盟に参加。川田とのコンビ「フットルース」を結成。88年3月、アジア・タッグ王座を獲得。90年7月、全日本を離脱しSWSに移籍。92年6月のSWS崩壊後はWARに移籍。ここでリングネームを本名に戻す。理不尽大王を自称し人気爆発。邪道、外道とのトリオで活躍した。96年10月にWAR離脱。その後はFMWで活躍。97年に邪道、外道と共に冬木プロモーションを設立。4月に岐阜県大垣市で冬木軍の旗揚げ戦を開催。99年に冬木軍を解散。00年2月、FMW東京大会で行われたWEWタッグ選手権で女子レスラー井上京子とタッグを組んでH&雁之助組を破り、王座を獲得。9月26日、後楽園ホール大会でハヤブサと60分のアイアンマンマッチで対戦。3対3の引き分けに終わった。
01年10月にFMWを退団し全日本プロレスに参戦。
10月27日、全日本プロレスの日本武道館大会で川田とシングルで対戦。18分5秒、ジャンピング・ハイキックからの顔面蹴りに敗れた。最強タッグ決定リーグ戦では天龍と組んで出場。12月7日、日本武道館大会での決勝トーナメント1回戦(準決勝)で武藤、太陽ケア組と対戦。14分30秒、冬木のパワーボムを武藤にフランケンシュタイナーで切りかえされてフォール負け。
02年2月のFMWの倒産後、3月に新団体WEWを設立。4月7日、ノアの有明コロシアム大会で三沢とシングル戦。19年ぶりとなった両者の対戦。冬木は試合の途中から椅子攻撃や場外乱闘、セコンドの金村の介入など、いつもの理不尽攻撃をしかけた。筋肉バスターで見せ場は作ったが、三沢のタイガードライバー、左右のエルボーをくらってしまう。15分43秒、最後はランニングエルボーパッドからの片エビ固めで敗れた。4月9日、冬木軍主催興行の試合後に大腸ガンのため引退を表明。友人の三沢は冬木の病状を聞き、急遽引退興行をディファ有明で開催した。4月14日にノアのリングで引退試合を行った。その後、5月5日に川崎球場でWEWの旗揚げ戦を行った。WEWではプロデューサーとして活躍。02年3月19日、ガンのため死去。5月5日の川崎球場で橋本と電流爆破マッチを行う予定だった。
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