ダークロHP / レスラーノート

渕正信

1954年1月14日
福岡県北九州市出身
183cm 105kg 血液型B型
タイトル歴:世界ジュニア AWA南部タッグ アジアタッグ
得意技:バックドロップ 各種拷問技

高校時代はアマレス、陸上競技で活躍。アマレスでは国体に出場するなど活躍。八幡大(九州国際大)に入学するが中退。 73年3月、全日本プロレスに入団。父の反対もありいったん帰郷。 74年4月に再入門した。4月22日、徳島県阿波池田四国電力横広場における大仁田厚戦でデビュー。大仁田、薗田と共に若手三羽烏といわれた。 80年9月に海外武者修行へ出発。必殺のバックドロップを武器にアメリカ、カルガリー、プエルトリコを転戦。 81年3月23日にはテネシー州メンフィスで、マサ・フチの名でミスター・オオニタ(大仁田厚)と組んでビル・ダンディ、ドリーム・マシーン組を破りAWA南部タッグ王座を獲得した。 83年6月12日、ジョージア州サバンナ・シビック・センターでチャボ・ゲレロのNWAインタージュニア王座に挑戦。ドロップキックをくらって場外へ転落し、チャボのプランチャを浴びたが、渕も場外でのバックドロップで反撃。リングに戻ろうとしたところをチャボに足を引っぱられ、9分51秒、両者リングアウトの引き分けに終わった。8月に凱旋後はジュニア戦線で活躍。 87年1月3日、後楽園ホール大会で小林邦昭を破り世界ジュニア王座を獲得。 89年1月20日、福岡国際センター大会でジョー・マレンコを相手に防衛戦。15分22秒、ノーザンライト・スープレックスホールドに敗れて世界ジュニア王座から転落。3月8日、日本武道館大会でマイティ井上の世界ジュニア王座に挑戦。首固めを首固めに切り返してフォール勝ち。世界ジュニア王座2度目の獲得。4月16日、後楽園ホール大会で仲野信市を相手に防衛戦。ジャーマンスープレックスに敗れて王座転落。10月20日、愛知県体育館大会でジョー・マレンコに勝利して世界ジュニア王座3度目の獲得。3年以上ベルトを守りぬき、14度の防衛に成功した。 93年5月21日、札幌中島体育センター別館大会でダニー・クロファットを相手に防衛戦。タイガードライバーに敗れて王座転落。8月23日、静岡産業館大会でクロファットの世界ジュニア王座に挑戦。延髄斬りで勝利して世界ジュニア王座を奪回。 94年7月12日、鹿児島アリーナ大会でクロファットを相手に防衛戦。モンキーフリップから強引に押さえこまれてフォール負け。世界ジュニア王座から転落した。96年6月30日、後楽園ホール大会で小川良成の世界ジュニア王座に挑戦。ジャックナイフで押さえこんでフォール勝ち。世界ジュニア王座5度目の獲得。 96年7月24日、日本武道館大会で菊地毅を相手に防衛戦。ジャーマンスープレックスに敗れて王座転落。 00年の大量離脱時には、川田と共に全日本プロレスに残留した。7月1日、サマーアクション・シリーズの開幕戦では全5試合だけの苦境の中、メインで川田とシングルで8年ぶりに対戦。22分48秒、パワーボムで敗れた。この試合後に川田は「痛みの伝わる試合」を提唱し、大量離脱後の全日本プロレスの方向性を明確にした。渕は試合後に「今の川田の強さだったらどの団体が来ても全日本は大丈夫だ」、「(今日は)正直言うと怖かった。でもリングに上がった時に感動した」と語った。8月11日、新日本プロレスの両国国技館大会に単身乗りこみ、2大メジャー対抗戦の扉を開く。田中リングアナの「10分間の休憩に入らせていただく前に、全日本プロレスの渕正信選手がおられましたら、今この時間、リング上にあがってください。マイクもお貸しいたします」との言葉にスーツ姿の渕が入場。観客は歓迎ムード。「これまで新日本と全日本プロレスの間には約30年間に渡って、大きな壁がありました。私はこの壁を取り除きにやってきました。私は新日本プロレス以上に選手は2人しかいませんが、全日本プロレスに対する誇りを持っています」とマイクアピール。やってきた長州力とリングで握手。そこへ蝶野が現れて「ここはテメーの来るところじゃねんだ。とっとと帰れ!」とマイクアピール。蝶野がかぶっていた帽子を長州に投げつけ、T2000のメンバーもリング上へ。セコンドが長州と蝶野を止めに入る。蝶野が先にリングを降りて帰ろうとしたところ、渕が「蝶野!忘れ物だ!」と言って、帽子をひろって投げ返した。「新日本プロレスのファンの皆様、どうも大変お騒がせしました」と渕が最後に一言。ダンディな振る舞いに会場が湧き上がる中、リングを降りた。9月2日、全日本プロレス武道館大会で蝶野と対戦。新日本プロレスと全日本プロレスの対抗戦の第1戦ということで異様な興奮に包まれたこの試合。大「フッチー」コールに後押しされてフェイスロックやバックドロップで果敢に攻めていった渕だったが、最後には蝶野のケンカキックで敗退。負けてしまった渕だが、蝶野のSTFを耐えきるなど、かなりの奮闘を見せた。10月9日の新日本プロレス東京ドーム大会では越中と越境合体。 01年1月29日、全日本プロレスの東京ドーム大会でライガーとジュニア頂上対決。バックドロップの連発でライガーをフォール寸前まで追いこんだが、18分4秒、一瞬の隙をつかれて横回転式エビ固めに敗れた。6月6日、新日本プロレスの日本武道館大会でエル・サムライと対戦。6分32秒、バックドロップで勝利。 04年2月22日、日本武道館大会で天龍源一郎と対戦。10分43秒、パワーボムに敗れた。5月22日、後楽園ホール大会で天龍と組んでザ・グレート・コスケ獅龍組のアジアタッグ王座に挑戦。21分43秒、渕がバックドロップで獅龍にフォール勝ちし、アジアタッグ王座を獲得。 07年11月、無我ワールド・プロレスリングを退団したばかりの西村修と組んで最強タッグ決定リーグ戦に出場。7年ぶりの出場となったが、西村と共に独特のクラシカルな戦法で2勝2敗3引分けと健闘した。 08年12月18日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」でライガーと組んで長州、蝶野組と対戦。7分46秒、蝶野のシャイニング・ケンカキックにライガーがフォール負け。 09年1月に西村と組んでアジアタッグ王座決定トーナメントに参戦。1月2日に太陽ケア、MAZADA組に勝利し、1月3日に小島、KAI組に勝利。1月3日、後楽園ホールでの決勝で鈴木みのる、NOSAWA論外と対戦。17分46秒、みのるにスリーパーホールド、張り手、ゴッチ式パイルドライバーとたたみかけられフォール負け。4月にエル・サムライと組んでジュニアタッグリーグ戦に参戦。2勝2敗1分けでリーグ戦を終了し、6チーム中3位に終わった。 10年1月2日、後楽園ホール大会でカズ・ハヤシの世界ジュニア王座に挑戦。合計5発のバックドロップを決めるなど奮闘したが、28分51秒、首固めを十字固めに切り返されてフォール負け。 11年4月17日から菊地毅と組んでジュニアタッグリーグ戦に出場。2勝4敗に終わった。11月19日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦に太陽ケアと組んで出場。3勝5敗1引き分けに終わった。12月11日、後楽園ホールでのファン感謝デーのメインで諏訪魔と対戦。20分57秒、首固めにフォール負け。 12年1月7日、KBSホール大会でと対戦。5分22秒、エルボードロップ2連発からのボディプレスに敗れた。1月8日、アクトシティ浜松大会で真田聖也と対戦。12分27秒、アバラ折りに敗れた。この試合で脇腹を負傷して12日の大会を欠場。 13年1月19日、横浜ラジアントホール大会で真田と対戦。15分33秒、足4の字固めに敗れた。3月30日から金丸と組んでJUNIOR HYPER TAG LEAGUEに参戦。2勝3敗に終わった。5月11日、日本武道館での小橋建太引退記念大会で熊野準と対戦。6分21秒、バックドロップで勝利。6月30日の両国国技館大会を最後に武藤派が全日本プロレスを離脱。全日本プロレスが分裂した。7月14日、後楽園ホール大会の試合前に登場し、全日本プロレス残留を宣言。「私は、生涯、全日本プロレスです。どうか、残ったレスラー諸君に大きな拍手をもう一度お願いします」とマイクで挨拶した。全日本プロレスの取締役相談役に就任。10月27日、両国国技館大会で西村と組んでドリー・ファンク・ジュニアテリー・ファンク組と対戦。20分時間切れ引き分け。14年7月12日、大阪府立体育会館第2競技場大会で西村と対戦。15分52秒、首固めにフォール負け。9月15日、後楽園ホール大会で中島洋平と対戦。9分47秒、バックドロップで勝利。10月25日、三条市栄体育館大会のメインで秋山準と組んで鈴木鼓太郎宮原組のアジアタッグ王座に挑戦。29分57秒、鼓太郎のエンドレスワルツに渕がフォール負け。11月29日、藤沢市秩父宮記念体育館大会で野村直矢と対戦。11分4秒、ボディスラムで勝利。12月5日、名古屋国際会議場大会で野村直矢と対戦。9分33秒、バックドロップで勝利。12月6日、大阪府立体育会館大会で大仁田と組んで金丸、ウルティモ・ドラゴン組と対戦。12分13秒、大仁田の毒霧から渕が首固めで金丸にフォール勝ち。12月14日、後楽園ホール大会で青木篤志の世界ジュニア王座に挑戦。21分12秒、肩固めに敗れた。 15年5月6日、後楽園ホール大会で井上雅央と対戦。11分16秒、首固めでフォール勝ち。5月31日、大阪府立体育会館第2競技場大会で藤原喜明と組んでドリー・ファンク・ジュニア、西村組と対戦。20分時間切れ引き分け。7月20日、名古屋市中村スポーツセンター第2競技場大会で井上雅央と対戦。11分7秒、首固めにフォール負け。8月21日、ヤマダグリーンドーム前橋大会で井上雅央と対戦。11分37秒、逆さ押さえ込みでフォール勝ち。10月12日、後楽園ホール大会で井上雅央と対戦。10分8秒、横入り式エビ固めを押しつぶしての体固めでフォール勝ち。10月18日、全日本プロレスの燕市民体育館大会で井上雅央と対戦。20分、時間切れ引き分け。12月2日、豊岡市民体育館大会でウルティモ・ドラゴンと対戦。16分1秒、横回転エビ固めにフォール負け。12月5日、福山ビッグローズ大会で金丸と対戦。13分54秒、横入り式エビ固めにフォール負け。 16年2月21日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で8分43秒、くいしんぼう仮面と対戦。首固めでフォール勝ち。2月28日、Blue Field大会で植木嵩行と対戦。9分42秒、首固めでフォール勝ち。3月26日、川口SKIPシティ大会でがばいじいちゃんと対戦。12分17秒、首固めでフォール勝ち。3月27日、アオーレ長岡大会で井上雅央と対戦。12分23秒、首固めでフォール勝ち。6月23日、留萌市中央公民館大会で井上雅央と対戦。16分16秒、首固めでフォール勝ち。6月28日、厚岸町社会福祉センター大会で中島洋平と対戦。9分49秒、横入り式エビ固めにフォール負け。11月27日、両国国技館大会で大仁田厚と組んで青木篤志、佐藤光留組のアジアタッグ王座に挑戦。同期のハル薗田の遺影を掲げてリングイン。電流爆破バットを手にしたが渕に止められ使用を中止。イス攻撃や毒霧などで渕をサポートし、14分17秒、渕がバックドロップ7連発で佐藤に勝利。第100代アジアタッグ王者となった。 17年1月2日、後楽園ホール大会で秋山、井上雅央組を相手にタッグ王座の防衛戦。大仁田が有刺鉄線ボード、机、ギターをリングに持ちこんだ。渕がエクスプロイダーで投げられそうになったが、大仁田が秋山に毒霧。11分36秒、渕が逆さ押さえ込みで井上にフォール勝ち。3月4日、沖縄・ナムラホール大会で岡田佑介と対戦。8分51秒、首固めでフォール勝ち。3月5日、沖縄・ナムラホール大会でケンドー・カシンと対戦。12分48秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。3月19日、ウェスタ川越大会で岡田佑介と対戦。8分23秒、首固めでフォール勝ち。6月16日、函館総合卸センター流通ホール大会でウルティモ・ドラゴンと対戦。10分46秒、首固めにフォール負け。6月17日、ススキノ・マルスジム大会で菊地と対戦。10分58秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。6月18日、ススキノ・マルスジム大会で佐藤光留と対戦。12分38秒、捕獲式腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。6月20日、帯広市総合体育館大会のメインで青木篤志、佐藤光留組を相手にタッグ王座の防衛戦。13分3秒、青木の腕固めに渕が敗れて王座転落。6月22日、根室市青少年センター大会でウルティモ・ドラゴンと対戦。7分44秒、ラ・マヒストラルにフォール負け。6月28日、旭川地場産業振興センター大会でウルティモ・ドラゴンと対戦。9分31秒、ラ・マヒストラルにフォール負け。7月15日、イコス上尾大会で岡田佑介と対戦。3分51秒、フェイスロックで勝利。9月9日、横浜ラジアントホール大会でTAJIRIと対戦。10分36秒、エビ固めにフォール負け。
――では、小林さんが全日本時代に一番燃えた相手って誰でしたか?
小林 意外と言ったら失礼だけど、一番手応えがあったというか、燃えられたのは渕(正信)だったね。
――渕さんですか。全日本での後期に抗争してましたよね。
小林 今は陰に隠れてオジサンになっちゃったけど、当時は渕とやってみて、うまいし、凄いなって思いましたよ。やっぱりゴッチさんのところで鍛えられてるから、基礎がしっかりしてたしね。
――小林さんと渕さんが抗争してたときは、タイガーマスクのライバルだったジュニアのトップである小林邦昭と全日本の前座の渕じゃ、格に差がある感も少しありましたけど、やっぱり渕さんもそれだけの実力者だったんですね。
小林 だから渕と抗争してる最後の頃、武道館でやったとき凄く盛り上がったからね。彼は陰に隠れた実力者だったよ。のちに彼がコーチになってから、全日本はいい選手がたくさん出てきたじゃない。そういうキレ者だったよね。
(Kamipro No.142 小林邦昭のインタビューより)
「常に試合は渕さんのペースでしたよね。何だか巧いんですよ。試合だけじゃなくて、渕さんを応援したくなる雰囲気を作るというか。全部、持っていかれちゃう感じでしたね。今だってスタイルは昔と変わってなくて、ボディスラムだけでお客さんを持っていってしまいますよね。そのボディスラムにしても、いろんなやり方でお客さんを納得させていますから。あの人の引き出しは、ひとつじゃ収まんないんですよ。あの当時、本当にネチネチした試合の組み立てをしてきましたからね。よく渕さんの技は拷問と呼ばれてましたけど、“何でプロレスで拷問っていう表現がされるの?”って(苦笑)。それが渕さんのプロレスです」
(Gスピリッツ Vol.20 菊地毅のインタビューより)

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