ダークロHP / レスラーノート

藤波辰爾

本名:藤波辰巳
1953年12月28日
大分県国東郡出身
184cm 105kg 血液型O型
タイトル歴:IWGPヘビー IWGPタッグ WCWA世界ヘビー WWFインターナショナル・ヘビー WWWFジュニア NWAインターナショナル・ジュニア KO−Dタッグ HEAT−UPユニバーサルタッグ
得意技:ドラゴン・スリーパー(飛龍裸絞め) ドラゴン・スープレックス ドラゴン・スクリュー ドラゴンロケット

中学卒業後、職業訓練校を経て大分県別府市の松本自動車に就職。ボディビルで体を鍛え、70年6月、日本プロレスに入門。同郷の北沢(魁勝司)を頼って九州巡業についていって、性格の優しい北沢は追い返すわけにもいかず、なし崩しのような入門だった。 71年5月9日、岐阜市民センターの北沢幹之戦でデビュー。7分50秒、首固めに敗れた。猪木の付き人となる。 72年3月、新日本プロレス旗揚げに参加。 74年の 第1回ゴッチ杯に優勝。74年度のプロレス大賞で新人賞を受賞した。 75年6月、木戸修と共に海外遠征に出発。欧州、主にドイツで活躍。12月からアメリカに移動し、フロリダ州タンパで木戸修と共にゴッチのトレーニングを受ける。 76年2月に木戸修が帰国してからは、カール・ゴッチの家に住みこんで24時間体制のトレーニングを受けた。その後、ミッドアトランティック地区でリック・フレアーなどと対戦。 77年3月にメキシコ入り。リング・フヒナミの名でルードでスタートしたが、1ヵ月後にリンピオに転向した。レネ・グァハルドのUWA世界ミドル級王座、エル・ソリタリオのUWA世界ライトヘビー級王座に挑戦したが奪取ならなかった。 78年1月、マジソンスクエアガーデンでホセ・エストラーダをドラゴン・スープレックスで破りWWWFジュニア王座を獲得。3月1日に凱旗帰国。ドラゴン・ブームを巻き起こした。新日本プロレスは藤波を売り出すためにマンドー・ゲレロとアンヘル・ブランコに、ドラゴン・スープレックスを受けた後に「失神」させ「負傷欠場」させた。その後、WWWFジュニア王座を23回防衛。 79年10月に、剛竜馬に敗れて王座から転落したが、2日後にベルトを奪還。その後、20回防衛した。 81年10月、WWFジュニア王座を返上し、ヘビー級に転向。81年度のプロレス大賞で猪木と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 82年8月30日、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンでジノ・ブリットと対戦。12分39秒、延髄斬りからのブレーンバスターで勝利し、WWFインターナショナルヘビー級王座を獲得した。 83年4月3日、蔵前国技館大会で長州を相手に防衛戦。16分39秒、ラリアットに敗れて王座転落。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。 85年9月19日、東京体育館大会で猪木と対戦。リング中央で藤波の足4の字固めが決まり「折ってみろ!」と猪木が挑発。7分間も、4の字固めのせめぎ合いが続いた。猪木にジャーマンをかけられたがドラゴンスープレックスでやり返した。終盤には猪木の卍固めを2度ロープブレークしたが、3度目の卍固めにレフリーストップ負け。12月、木村と組み初代IWGPタッグ王者となる。85年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。 86年6月12日、大阪城ホール大会で前田と対戦。22分5秒、両者KOに終わった。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。お互いのスタイルを超越した名勝負と長く語り継がれた。 88年4月22日、沖縄・奥武山体育館大会での控室でアントニオ猪木との口論から藤波が決起をアピール。「やりますよ!」と吠えながら突然ハサミで前髪を切る。この藤波の決起は「飛龍革命」と呼ばれた。5月8日、有明コロシアム大会でベイダーを相手に王座決定戦。16分2秒、反則勝ち。第2代IWGPヘビー級王座を獲得。5月27日、宮城県スポーツセンター大会で長州力を相手に防衛戦。22分55秒、無効試合。無効試合のため、王座はコミッショナー預かりになった。6月24日、大阪府立体育会館大会で長州力と対戦。18分46秒、首固めで勝利。第3代IWGP王者になった。8月8日、横浜文化体育館大会で猪木を相手に防衛戦。白熱の名勝負を展開。60分フルタイムドローの引き分けで王座防衛。 89年6月22日、佐久市総合体育館大会でのベイダー戦で腰を負傷。以後、椎間板ヘルニアのため長期欠場。 90年9月30日、横浜アリーナ大会での越中詩郎とのエキシビションマッチで復帰。この試合から藤波辰爾に改名した。12月26日、浜松アリーナ大会で長州力のIWGP王座に挑戦。18分46秒、回転足折り固めでフォール勝ち。IWGPヘビー級王座を獲得した。 91年1月17日、横浜文化体育館大会でベイダーに敗れて王座転落。2月6日、札幌中島体育センター別館大会で木戸修と対戦。9分31秒、グラウンド・コブラツイストでフォール勝ち。3月4日、広島サンプラザ大会でベイダーを破りIWGP王座を奪回。3月21日の東京ドーム大会で、IWGPヘビー級王者の藤波はNWA世界王者のリック・フレアーに挑戦し、グランド・コブラツイストで勝利。NWAのベルトを一度は腰に巻いたが、試合後にWCWの役員ダスティ・ローデスバリー・ウインダムが「藤波はオーバー・ザ・トップロープの反則を犯していた」とベルトを藤波から剥奪。渡米した藤波は5月19日のフロリダ州セントピータースバーグ大会でフレアーと再戦。18分6秒、チョップ合戦を分けていたレフリーが藤波と激突してダウンしているスキに、背後からタイツをつかまれてのエビ固めでサブレフリーにフォールを取られて敗れた。5月30日、大阪城ホール大会で20周年記念大会。メインで蝶野正洋を相手に防衛戦。ドラゴンロケットを決めるなど絶好調の動きを見せ、18分33秒、ドラゴンスリーパーで勝利した。8月、第1回G1クライマックスに出場。8月7日、愛知県体育館大会でベイダーと対戦。12分14秒、逆さ押さえ込みでフォール勝ち。8月9日、両国国技館大会で武藤と対戦。13分56秒、首固めにフォール負け。8月10日、両国国技館大会でスコット・ノートンと対戦。7分56秒、両者リングアウト。1勝1敗1引き分けでリーグ戦に敗退した。9月10日、大阪府立体育会館大会のメインで馳浩と対戦。19分20秒、延髄斬り2連発からの足4の字固めで勝利。10月、第1回SGタッグリーグ戦にベイダーと組んで参戦し、優勝。11月5日、日本武道館大会で蝶野を相手に防衛戦。19分49秒、足を抱えこんでのヘッドロックで勝利。 92年1月4日、東京ドーム大会のメインでグレーテスト18クラブ王者の長州を相手に自らのIWGPヘビー級王座も賭けてダブルタイトルマッチ。12分11秒、ラリアットに敗れて王座転落した。 93年8月、G1に出場し、決勝で馳浩と対戦。21分49秒、サソリ固めで勝利してG1初優勝を達成。 94年1月4日、東京ドーム大会でハルク・ホーガンと対戦。13分33秒、アックスボンバーに敗れた。4月4日、広島グリーンアリーナ大会で橋本真也のIWGP王座に挑戦。14分55秒、グラウンドコブラでフォール勝ち。IWGPヘビー級王座を獲得した。5月1日、福岡ドーム大会で橋本に敗れて王座転落。 96年9月20日、大阪府立体育会館大会で日米対抗スーパースターズ・トーナメントに参戦し、1回戦でリック・フレアーと対戦。10分31秒、足4の字固めを狙ったところを首固めに切り返されてフォール負け。 97年1月4日、東京ドーム大会で木村健悟と組んで蝶野、天山組のタッグ王座に挑戦。16分10秒、藤波がドラゴンスープレックスで蝶野に勝利。IWGPタッグ王座を獲得。同王座は武藤、平田組(2月8日)、小島中西組(2月16日)、越中、後藤達俊組(3月20日)を相手に防衛を重ねたが、4月12日の東京ドーム大会で長州、佐々木健介組に敗れて王座転落した。 98年4月4日、東京ドーム大会で佐々木健介のIWGP王座に挑戦。21分18秒、ジャーマンスープレックスで勝利。IWGPヘビー級王座を獲得した。6月5日、日本武道館大会で橋本を相手に防衛戦。20分38秒、裸締めで勝利。7月14日、札幌中島体育センター大会で天山を相手に防衛戦。16分7秒、卍固めで勝利。8月8日、大阪ドーム大会で蝶野を相手に防衛戦。19分53秒、STFに敗れて王座転落。 99年6月に新日本プロレス社長に就任。 00年5月5日、福岡ドームでの「エピローグ・オブ・ドラゴン」では引退カウントダウンを表明するが、その後引退を白紙に戻し、8月G1に出場。 01年8月にも出場し村上を秒殺した。9月に西村とタッグを結成し天山、小島組からIWGPタッグ王座を奪取した。12月11日、新日本プロレス大阪府立体育館大会で武藤の三冠王座に初挑戦。藤波はドラゴンスリーパー、ドラゴンスクリュー、足四の字、さらには武藤の得意技シャイニングウィザードを出すなど積極的に試合を展開。武藤はコーナー上段にいた藤波にシャイニングウィザードを放ち形勢逆転。15分32秒、最後は武藤のこの日6発目のシャイニングウィザードに敗れた。 03年1月4日、東京ドーム大会の第1試合で西村と対戦。8分10秒、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ・ホールドにフォール負け。 04年1月に胆石を手術。 05年8月に51才ながら4年ぶりにG1に出場。8月6日には川田利明と対戦。飛龍裸絞めに逆さ押さえ込みと技を繰り出したが、顔面キック3連発に敗退。ケンドー・カシン鈴木みのるに勝利してリーグ戦は2勝5敗に終わった。 06年6月20日に新日本プロレスを退団。新団体「無我ワールド・プロレスリング」に参加。8月2日の後楽園ホールでのプレ旗揚げ戦で第1試合に出場し、マーク・マッカイと対戦。7分54秒、逆さ押さえ込みで勝利した。9月15日、アクロス福岡大会で長井満也と対戦。10分16秒、ドラゴンスリーパーで勝利。9月18日、大阪ABCホール大会でマイク・バートンと対戦。8分35秒、足4の字固めで勝利。9月22日、広島グリーンアリーナ・小ホール大会でヒロ斉藤と対戦。11分59秒、ワンハンドバックブリーカーで勝利。9月25日、無我の旗揚げシリーズ最終戦の後楽園ホール大会で西村と3本勝負で対戦。ラリアットやチョップ合戦のないクラシカルなムーブで観客を魅了。1本目は20秒で西村が首固めで勝利。2本目は13分12秒で藤波が足四の字固めで勝利。3本目は10分28秒に、藤波の足四の字固めを反転させた西村が裏四の字固めで勝利した。11月5日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で吉江豊と対戦。8分27秒、ダイビング・ボディプレスに敗れた。12月7日、EBiS303大会で正田和彦と対戦。8分20秒、ドラゴンスリーパーで勝利。 07年1月28日、後楽園ホール大会でグラン浜田と対戦。7分44秒、ドラゴンスリーパーで勝利。2月27日、明石市立産業交流センター大会でヒロ斉藤と対戦。9分4秒、足4の字固めで勝利。3月6日、大分イベントホール大会でジョン・ウォルターと対戦。9分4秒、コブラツイストで勝利。5月16日、大阪府立体育会館第2競技場大会で大阪プロレスのスペル・デルフィンと対戦。スイングDDTと大阪臨海アッパーをくらい苦戦したが、8分53秒、ドラゴン・スリーパーで勝利した。5月20日、無我の岡山県卸センター・オレンジホール大会で、国内3500試合出場記念試合として西村と対戦。西村のアピールで3本勝負になったこの試合。1本目を12分13秒、裏4の字固めで西村が勝利。2本目は5分42秒、首固めで藤波が勝利。3本目は3分18秒、卍固めで藤波が勝利した。6月21日、後楽園ホール大会でTAKAみちのくと対戦。11分39秒、ドラゴンスリーパーで勝利。7月1日、新潟フェイズ大会で征矢学と対戦。5分47秒、逆エビ固めで勝利。9月9日、ノアの日本武道館大会で西村と組んで三沢潮崎組と対戦。19分40秒、西村が足4の字固めで潮崎に勝利。10月19日、西村が征矢を連れて無我を退団。11月18日、国東体育館大会で長井と対戦。12分45秒、ドラゴンスリーパーで勝利。11月20日、大分イベントホール大会で後藤達俊と対戦。7分23秒、足4の字固めで勝利。12月3日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で第2回DRAGON CUPに参戦し、1回戦で高岩竜一と対戦。11分53秒、ドラゴンスリーパーで勝利。12月13日、後楽園ホール大会での準決勝でTAJIRIと対戦。グリーンミストを噴射され、イス攻撃やバズソーキックで苦戦したが、12分20秒、ドラゴンスリーパーで勝利。同日に行われた決勝では吉江豊と対戦。ドラゴンスクリュー、足4の字固め、ローキックで左足を攻めたが最後は13分59秒、ダイビングボディプレスに敗れた。「無我」の商標は西村が持っていたため、西村の無我離脱をきっかけに、12月17日に団体名を「ドラディション」に変更することを発表。 08年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会での10人タッグマッチに出場。2月23日、大阪府立体育会館第2競技場でドラディションのプレ旗揚げ戦。メインで蝶野正洋と組んでグラン浜田、ヒロ斉藤組と対戦。14分43秒、ドラゴンスリーパーで浜田に勝利した。3月20日、船橋アリーナ大会でドラディションの旗揚げ戦。メインでヒロ斉藤と組んで吉江豊、南野タケシ組と対戦。19分、ヒロのダイビングセントーンで南野に勝利した。5月11日、アレナ・メヒコでの闘龍門自主興行「ドラゴマニア3」で、ウルティモ・ドラゴンミスティコと組んでアトランティス、ウルティモ・ゲレーロ、レネ・デュプリ組と対戦。アトランティスの逆片エビ固めにウルティモがギブアップ負け。21年ぶりのメキシコマット登場だった。6月1日、デルフィンアリーナ大会でくらしま太郎と対戦。6分54秒、ドラゴンスリーパーで勝利。9月21日、後楽園ホール大会でミスター雁之助と対戦。7分57秒、卍固めで勝利。11月24日、IGFの愛知県体育館大会で初代タイガーマスクと対戦。新日本プロレス時代にもほとんど対戦経験がなかった相手だった。10分時間切れ引き分けに終わった。 09年1月29日、ドラディションの新宿FACE大会で関本大介と対戦。14分17秒、ドラゴンスクリューからの足4の字固めで勝利。4月12日、ロックアップの後楽園ホール大会で長州と組んで藤原大森組と対戦。9分39秒、長州のサソリ固めで藤原に勝利。 10年2月22日、IGFのJCBホール大会で木戸修と組んで初代タイガーマスク、藤原組と対戦。15分時間切れ引き分けに終わった。3月30日、新宿FACE大会で藤田峰雄と対戦。11分1秒、ドラゴンスリーパーで勝利。4月29日、新宿FACEでの華名の主催興行で石川雄規と対戦。10分46秒、ドラゴンスクリューからの足四の字固めで勝利。同日の新宿FACEでのベイダー主催興行では本田橋誠と組んでベイダー、スコーピオ、ジェシー・ホワイト(ベイダーの息子)組と対戦。22分55秒、ベイダーのチョークスラムからのベイダーアタックに橋がフォール負け。5月29日、アレナ・メヒコでの「ドラゴマニア」でマスカラスプラタ、ウルティモ・ドラゴンと組んでパルンボ、アトランティス、ブカネロ、アルカンヘル組と対戦。18分46秒、マスカラスのダイビングボディアタックでアルカンヘルに勝利。9月25日、IGFのJCBホール大会で初代タイガーマスクと対戦。10分、時間切れ引き分け。 11年1月10日、後楽園ホールでのレジェンド・ザ・プロレスリングの旗揚げ戦のメインで長州と対戦。年末に胆石の手術をして体調が気づかわれたが、会場を埋めつくした超満員のファンの大歓声を受けて奮闘し、9分29秒、エビ固めで勝利。2月5日、IGFの福岡国際センター大会でミル・マスカラスと対戦。10分時間切れの引き分け。4月28日、IGFの東京ドームシティホール大会でベイダーと対戦。10分時間切れ引き分け。試合後に握手を交わし、ベイダーに肩車されて健闘を称えられた。5月7日、レジェンドプロレスの大阪府立体育会館第2競技場大会で長州力と対戦。観客動員記録となる1500人もの超満員の観客の前で熱戦を展開。10分52秒、雪崩式ブレーンバスターからラリアットを2発くらったが、3発目をブロックしてから逆さ押さえ込みでフォール勝ち。6月23日、ドラディションの新宿FACE大会で高木三四郎と対戦。9分6秒、ドラゴンスリーパーで勝利。7月10日、IGFの東京ドームシティホール大会でマスクド・ゲノム・ジュニアと組んで大谷橋本大地組と対戦。15分9秒、藤波がドラゴンスリーパーで橋本に勝利。8月11日、SMASHの後楽園ホール大会でMentalloと対戦。7分45秒、ドラゴンスリーパーで勝利。8月27日、IGFの両国国技館大会でミル・マスカラスと対戦。10分、時間切れ引き分け。9月3日、IGFの愛知県体育館大会で藤原喜明と対戦。6分53秒、逆さ押さえ込みでフォール勝ち。9月15日、ドラディションの新宿FACE大会で石川晋也と対戦。10分23秒、ドラゴンスリーパーで勝利。9月23日、レジェンドプロレスの名古屋国際展示会議場イベントホール大会で長州力と対戦。10分57秒、リキラリアットに敗れた。9月30日、レジェンドプロレスの札幌テイセンホール大会で長州力と対戦。6分45秒、逆さ押え込みでフォール勝ち。12月2日、IGFの両国国技館大会でウルティモ・ドラゴンと対戦。5分25秒、ドラゴンスリーパーで勝利。12月10日、大阪府立体育会館第2競技場大会でゼウスと対戦。11分55秒、逆さ押さえ込みでフォール勝ち。12月13日、ドラディションの新宿FACE大会でAKIRAと対戦。13分55秒、サソリ固めで勝利。 12年2月19日、SMASHの東京ドームシティホール大会でエル・サムライと組んで大矢、AKIRA組と対戦。10分57秒、AKIRAのムササビプレスにサムライが敗れた。4月20日、後楽園ホールでデビュー40周年記念興行を開催。メインで長州、初代タイガーマスクと組んで蝶野、ヒロ斉藤、AKIRA組と対戦。9分24秒、藤波がドラゴンスリーパーでAKIRAに勝利。試合後、長男の怜於南にプロレス入りを志願された。5月5日、レジェンドプロレスの巌流島大会でヒロ斉藤と組んで長州、大谷組と対戦。7分29秒、長州のサソリ固めにヒロが敗れた。6月15日、広島グリーンアリーナでの齋藤彰俊の自主興業で長州、初代タイガーマスクと組んで藤原、カブキ青柳組と対戦。11分57秒、藤波がドラゴンスリーパーで青柳に勝利。6月24日、WNCの石和温泉ホテル石庭大会のメインでレザーフェイスと対戦。3分10秒、コブラツイストでレフリーストップ勝ち。7月22日、DDTの後楽園ホール大会でMIKAMIと対戦。7分1秒、弓矢固めで勝利。試合後にMIKAMIからタッグ結成を申し込まれて受諾。8月18日、DDTの日本武道館大会でMIKAMIと組んでKUDO、大石組のタッグ王座に挑戦。9分4秒、MIKAMIがヴォルカニックボムで大石に勝利してKO−Dタッグ王座を獲得した。11月22日、ドラディションの新宿FACE大会のメインでヒロ斉藤と対戦。7分10秒、ドラゴンスリーパーで勝利。12月16日、DDTの博多スターレーン大会で飯伏、伊橋組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分59秒、MIKAMIがディープ“M”インパクトで伊橋に勝利。 13年1月26日、全日本プロレスの大田区総合体育館大会で真田と組んで武藤、リック・フレアー組と対戦する予定だったが、リック・フレアーが直前で欠場を発表。代役として息子のリード・フレアーが出場した。15分31秒、真田がTHIS IS ITでフレアーに勝利した。7月7日、ノアの有明コロシアム大会で、復帰戦となった越中と組んで小川良成井上雅央組と対戦。10分18秒、藤波がドラゴンスリーパーで井上に勝利。11月19日、息子の藤波怜於南がLEONAのリング名でデビュー。12月7日、ノアの有明コロシアム大会で田上明の引退試合に出場。天龍、井上雅央、志賀と組んで田上、森嶋杉浦平柳組と対戦。10分40秒、田上のオレが田上に雅央が敗れた。12月28日、琉球ドラゴンプロレスのミュージックタウン音市場大会のメインでグルクンマスクと対戦。還暦記念の赤いタイツで試合に臨み、ドラゴンスリーパーで勝利。 14年5月11日、ドラディションの後楽園ホール大会で金本浩二と対戦。5分時間切れ引き分け。同日のメインで藤原と組んで杉浦、齋藤彰俊組と対戦。9分44秒、藤原がワキ固めで齋藤に勝利。11月19日、ドラディションの後楽園ホール大会のメインでGHC王者の丸藤正道と対戦。虎王や不知火をくらってもフォールを返したが、10分28秒、逆さ押さえ込みを首固めに切り返されてフォール負け。 15年3月28日、WWEの名誉殿堂「ホール・オブ・フェーム」に選出され、カリフォルニア州サンノゼのSAPセンターでの記念式典に出席。5月11日、ドラディションの後楽園ホール大会のメインで船木誠勝と対戦。8分47秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。9月3日、持病の椎間板ヘルニアに加えて脊柱管狭窄症も併発したため手術。10月31日、W−1の後楽園ホール大会で復帰。LEONAと組んで黒潮、吉岡組と対戦。14分35秒、藤波がドラゴンスリーパーで吉岡に勝利。 16年1月25日、日本武道館で開催された音楽と格闘技の「対決コラボレーション」イベント「GUM ROCK FES.」のメインに登場。音楽の対バン対決(Thinking Dogs対Silent Siren)、東西のアイドル対決(HKT48対乃木坂46)、お笑い芸人とプロレスラーの対決(南海キャンディーズのしずちゃん対スーパーササダンゴマシン)の終了後、メインで長州と対戦。5分49秒、ラリアット2連発に敗れた。3月13日、K−DOJOのBlue Field大会のメインで関根龍一と対戦。7分5秒、足4の字固めで勝利。3月21日、DDTの両国国技館大会でLEONAと組んでアントーニオ本多、福田洋組と対戦。12分10秒、藤波がドラゴンスリーパーで福田に勝利。10月29日、後楽園ホールで日本・ネパール外交関係樹立60周年記念大会を開催。ネパールのヒマラヤン・タイガーを相手に5分間のエキシビションマッチを行なった。同大会で坂口征夫と組んで那須、スーパー・タイガー組と対戦。8分51秒、坂口が神の右ヒザで那須に勝利。 17年4月、デビュー45周年記念ツアー(3大会)を開催。4月20日、後楽園ホール大会で長州、越中と組んでベイダー、武藤、AKIRA組と対戦。13分9秒、藤波がドラゴンスリーパーでAKIRAに勝利。試合後のセレモニーでは前田日明、木村健悟、猪木が登場した。4月22日、博多スターレーン大会で越中、金本と組んでベイダー、佐野、藤原組と対戦。10分30秒、藤波がドラゴンスリーパーで佐野に勝利。4月23日、大阪府立体育会館・第2競技場大会でベイダー、長州と組んで越中、藤原、佐野組と対戦。8分9秒、藤波がドラゴンスリーパーで佐野に勝利。10月27日、ドラディションの後楽園ホール大会でマスカラス、武藤と組んでKAZMA人生、カブキ組と対戦。12分40秒、マスカラスがフライングボディアタックでKAZMAに勝利。10月29日、ドラディションの大阪南港ATCホール大会で長州、マスカラスと組んで越中、カブキ、AKIRA組と対戦。8分53秒、マスカラスがフライングボディアタックでAKIRAに勝利。 18年6月23日、HEAT−UPのカルッツかわさき大会で田村和宏と組んで新井健一郎、ヒデ久保田組のタッグ王座に挑戦。12分20秒、田村がアンドレ(腕固め)で久保田に勝利。HEAT−UPユニバーサルタッグ王座を獲得した。7月22日、ドラゴンゲートの神戸ワールド記念ホール大会でヒロ斉藤、望月と組んで藤原、フジイ、富永組と対戦。14分34秒、藤波がドラゴンスリーパーで富永に勝利。8月27日、HEAT−UPの新木場1stRING大会で長井、定組を相手にタッグ王座の防衛戦。16分8秒、田村がアンドレで定に勝利。9月28日、仙台サンプラザホールで行われたみちのくプロレス主催の「昭和プロレスフェスタin仙台」で東郷、GAINAと組んで長州、ヒロ斉藤、人生組と対戦。9分51秒、人生の極楽固めにGAINAが敗れた。10月31日、HEAT−UPのとどろきアリーナ大会サスケ、大谷譲二組を相手にタッグ王座の防衛戦。15分16秒、TAMURAがムーンサルトプレスで大谷に勝利。 19年5月19日、HEAT−UPの新百合トウェンティワンホール大会で兼平大介、大谷譲二組を相手にタッグ王座の防衛戦。21分46秒、兼平のstrike of the kneeにTAMURAが敗れて王座転落。


飛龍革命(1988年4月22日 沖縄・奥武山体育館大会での控室にて)
IWGP王者の猪木はベイダーとの2連戦が決定。この日程に藤波が異議を唱えたことから端を発し、藤波の「飛龍革命」がスタート。目標は「猪木越え」だった。
藤波「2連戦は無理。もう何年続くんだ。何年これが」
猪木「だったら破れよ。なんでおれにやらすんだ、おまえ」
藤波「だったら、やりますよ、おれが」
猪木「遠慮することはないって。リング上は闘いなんだからよ。先輩も後輩もない。遠慮されたら困る。なんで遠慮するんだ」
藤波「これは新日本プロレスの流れじゃないですか。そうじゃないですか」
猪木「じゃ、力でやれ、力で」
藤波「やります」
猪木「やれるのか、おい」
直後に、猪木が張り手。藤波も張り手を返す。藤波はハサミを出して自分の前髪を切る。
・・・・・・この禅問答のような解読不能なやり取りと、突然の髪切りで印象的なシーンとなった。5月2日に左足骨折のアクシデントで猪木は王座返上。5月8日にベイダーとの王座決定戦で藤波が王者となった。5月27日に長州と無効試合のため王座預かりとなったが、6月24日に長州に勝利し、藤波は再び王座を獲得。6月26日にベイダーを破り、ついに8月8日に防衛戦で猪木と対戦。時間切れで引き分け、シングルでの連敗を7で止めた。この後、猪木はIWGP王座に挑戦することはなかったが、完全な形での「猪木越え」はならなかった。
後日、藤波は「新日本をおれが変えなければという強い気持ちがあったからね。以前の自分なら猪木さんに殴られたらしょぼくれていたけど、あの時は無意識に殴り返した。猪木さんがよろめくほどだった。髪を切ったことに大きな意味はなかったけど、なにかアピールしなければと思っていた」と語った。

―― 藤波さんは、社長として神経をすり減らす日々だったと思います。
木村 神経使ったでしょうね。でも、こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、藤波さんはあんまり(社長に)向いてないような気がしましたよ。イチプレイヤーのほうがよかった。彼はホントに優しいからね。会社の社長は厳しいことを言わないといけないときもあるし、非情にならないといけないときもある。だから藤波さんもそうだし、俺なんかも向いてない。非情になれないもん。
―― 優しさが災いしたと。
木村 猪木さんのように非情になれる、身内すら裏切れるようなところがあったら、藤波さんはもっとすごいレスラーになってたと思うよ。センスや運動神経でいえば猪木さんに勝ってると思うから。猪木さんは優しいところもあったけどそれ以上に非情さがあった。藤波さんは優しいところのほうが大きかったから。
―― ただ、その優しさがあったから、これだけ長い間ファンに愛されてきたのかなとも思います。
木村 藤波さんは大分の田舎から、僕は四国の田舎から出てきたけど、彼にはやっぱり人に愛されるいいところがすごくある。藤波辰爾っていうのはプロレスファンの心にずっと残っていく存在なんですよ。向こうは迷惑だったかもしれないけど、そういう藤波辰爾というライバルがいて僕は本当に幸運だったと思います。
(週刊プロレス No.1563 木村健悟のインタビューより)

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