ダークロHP / レスラーノート

平井伸和

1969年12月30日
東京都目黒区出身
185cm 110kg 血液型A型
タイトル歴:WAR6人タッグ
得意技:裏WARスペシャル ロックボトム 平井エンド

父親は往年の名レスラー、ミツ・ヒライ。90年7月にSWSの第1回新人テストに合格。91年4月25日、後楽園ホールの畑中浩戦でデビュー。5月22日、草加市スポーツ健康都市記念体育館大会で畠中と対戦。6分13秒、ダイビングギロチンドロップに敗れた。11月8日、函館市民体育館大会で川畑と対戦。7分43秒、逆エビ固めで勝利。92年3月14日、青森県営体育館大会で畠中と対戦。11分12秒、首固めにフォール負け。3月16日、秋田県立体育館大会で阿修羅原と対戦。4分13秒、ラリアットに敗れた。3月18日、新潟市体育館大会で安良岡裕二と対戦。6分57秒、逆エビ固めで勝利。3月22日、後楽園ホール大会で川畑と対戦。6分57秒、逆エビ固めで勝利。SWS崩壊後はWARの旗揚げに参加。94年にWAR代表として新日本プロレスのヤングライオン杯に参加。同年のWWFマニアツアーにも参加。5月7日の横浜アリーナ大会ではドインクザクラウンと対戦し敗れ、5月8日の名古屋レインボーホール大会ではサムゥと対戦し敗れ、5月11日、札幌の月寒グリーンドーム大会では123キッドと組んでビリー・ガンバート・ガン組と対戦し、敗れた。冬木軍がWARを離脱した後、96年10月30日から顔にペイントをして出場。ビガロとコンビを組んで奮闘した。97年1月12日、後楽園ホール大会で天龍と対戦。5分18秒、逆片エビ固めに敗れた。10月、北尾、望月と組んでWAR6人タッグ王座を獲得。98年1月26日、所属の全選手が解雇され、WARが活動停止。2月11日、WARのシリーズ巡業としての最終興行となった後楽園ホール大会で北原と対戦。14分23秒、ラリアット2連発に敗れた。その後、左ヒザのケガを理由に休養。WARの活動停止をきっかけにフリーとなり、IWAジャパン、キャプチャーでファイトした。00年1月に全日本プロレスに登場。以後、天龍率いるWAR軍団の一員として主に前座で活躍。天龍が全日本プロレスを去ってからも前座で活躍。03年2月23日、日本武道館大会でザ・グラジエーターと対戦。善戦したが、花道を走りこんでのアッサムボムをくらってしまい、8分57秒、ボディプレスに敗れた。04年の世界最強タッグ決定リーグ戦では荒谷と組んで参加したが、全敗に終わった。05年1月3日の後楽園ホール大会では荒谷と組んで本間諏訪間組と対戦。最強タッグ決定リーグ戦で最下位チーム同士の対戦となり、勝てばアジアタッグ王座挑戦、負けたら「圏外」の烙印が押されることになった。19分35秒、諏訪間のジャーマンスープレックスに荒谷がフォールを奪われ敗退。渕正信より「圏外」の烙印を押されてしまい、「圏外」Tシャツがプレゼントされた。その後も中堅選手として活躍。08年10月11日、後楽園ホール大会でのハヤシ近藤組対TARU、YASSHI組の試合後に乱入し、ヒール軍団ブードゥー・マーダーズに加入。11月3日、両国国技館大会でTARU、YASSHIと組んで諏訪魔、カズ・ハヤシ、土方組と対戦。試合終盤にカズに消火器を噴射。さらに消火器で殴ってフォール勝ち。試合後、ヘイトに改名すると発表したが、会場は全く盛り上がらなかった。11月22日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦にTARUと組んで参戦。公式戦で消火器攻撃からカズ・ハヤシにフォール勝ちするなどヒールファイトで活躍したが、勝ち点4の最下位に終わった。12月14日、後楽園ホール大会でカズ・ハヤシと対戦。お互いの左手首に約4メートルのロープをつけたブードゥーロープマッチでの対戦となった。消火器攻撃をかけようとしたがリング下に逃げられ、リングに上がってきた直後に消火器を噴射したが、ガスマスクを装着していたためノーダメージとなってしまった。14分11秒、両手首にロープを巻きつけられてからの前方回転エビ固めに敗れた。 09年3月1日、後楽園ホール大会で高山善廣と対戦。消火器攻撃を真正面からくらった高山が激怒。奪われた消火器で殴りつけられ、3分38秒、レフリー暴行により反則勝ち。6月10日、後楽園ホール大会でグレート・ムタと対戦。TARU、歳三と共に3対1の状況でムタを追いこんだが、8分35秒、シャイニングウィザードに敗れた。6月27日、新宿FACEでの諏訪の自主興行で大森隆男と組んで鈴木みのる関本大介組と対戦。試合終盤に消火器攻撃を3人に浴びせ、直後に関本と大森の攻撃をくらって、18分24秒、みのるのゴッチ式パイルドライバーに敗れた。7月31日、ベイダータイムの新木場1stRING大会でTARUと組んでターザン後藤田中将斗組と対戦。14分13秒、両者反則負け。9月17日、花巻市民体育館大会で鈴木みのると対戦。7分5秒、ゴッチ式パイルドライバーに敗れた。9月26日、横浜文化体育館大会で、世界ジュニア王座を防衛したばかりのカズ・ハヤシに対し消火器を噴射。世界ジュニア王座挑戦をアピールした。10月25日、神戸サンボーホール大会でハヤシの世界ジュニア王座に挑戦。体重を85キロに減量し、白煙攻撃、セコンドの介入、ラダーからのボディプレス、ムーンサルトプレスで奮闘したが、17分51秒、パワープラントに敗れた。 10年2月22日、新宿FACEでの折原昌夫の20周年興行のメインで平井として出場し、天龍と組んで折原、川田組と対戦。12分14秒、天龍がパワーボムで折原にフォール勝ち。5月ごろから近藤の髪の毛をつけねらう。6月9日、天龍プロジェクトの新宿FACE大会で折原昌夫と対戦。9分41秒、消火器を使って反則負け。6月20日、後楽園ホール大会でTARU、と組んで近藤、大和、トーマス組とキャプテン髪切りマッチで対戦。9分46秒、近藤のラリアットにヘイトがフォール負け。髪を切って坊主になった。その後も近藤との抗争を継続。10月11日、後楽園ホール大会で自らの引退を一方的にかけられて近藤と対戦。1分1秒、両者リングアウト。再試合では1分55秒、ラリアットに敗れた。試合後のバックステージで現役続行を宣言した。 11年1月からスーパー・ヘイトに改名。4月17日からMAZADAと組んでジュニアタッグリーグ戦に出場。4月24日、ふくやま産業交流館ビッグローズ大会で橋誠と対戦。13分23秒、天中カラス落としに敗れた。タッグリーグ戦は1勝5敗の最下位に終わった。4月30日、ディファ有明大会でKENSOと対戦。7分36秒、消火器噴射、急所蹴りからの片エビ固めでフォール勝ち。5月22日、熊本市食品交流館大会でKENSOと対戦。8分20秒、レフリー暴行による反則負け。5月29日、神戸サンボーホール大会でKENSOとウィップ・アス・ランバージャックデスマッチで対戦。6分36秒、ダブルニードロップに敗れた。試合後に体調不良を訴え、嘔吐。意識を失い、救急車で病院に搬送された。急性硬膜下血腫と診断され緊急手術。意識が回復しないまま長期入院を続ける。6月1日、TARUが無期限出場停止を表明。当日の記者会見の場で、試合前の控室でTARUに暴行を受けていた事件が発覚した。6月3日、事件当日の控室にTARUと共にいたブードゥー・マーダーズの稔、KONO、MAZADAが無期限出場停止の処分を受け(稔とMAZADAは7月に復帰、KONOはケガのため10月に復帰)、ブードゥー・マーダーズも解散した。10月19日に平井の母が告発。11月22日、兵庫県警葺合署が傷害の疑いでTARUとMAZADAを逮捕。12月13日、神戸区検が2人を暴行罪で略式起訴。同日、神戸簡裁がTARUに罰金30万円、MAZADAに罰金20万円の略式命令。同日に2人は釈放された。

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